2017年2月22日水曜日

風邪をひいたお月さま

 お月さまはすっかり風邪をひいてしまったのです。顔色も悪いのです。
「だれか風邪薬をくれないか」
 町を見下ろすと、薬局が見えました。
「お金がないから買えないな」
考えていると、冷たい風が足元でヒューヒューと吹きました。
アパートのベランダに洗濯物が干してあります。
「冬が近いから、なかなか乾かないんだなあ」
そのとき思いつきました。
「そうだ、あのマフラーをすこしのあいだ借りよう」
お月さまは、思い切り腕を町の方へのばしました。そしてベランダに干してあるマフラーをつかんで、スルーと腕を戻しました。
「やったあ、これで今夜は暖かく過ごせる」
 朝になって、アパートの人が、なくなったマフラーを一日中さがしていました。
あるときは、コートが欲しくなりました。
 町を見下ろすと、一軒の家の庭に毛皮のコートが干してあります。
「あれも借りよう」
腕を思いっきりのばしました。
「やったあ、今夜はこれを着て過ごそう」
お月さまはニコニコ顔です。
 それがくせになって、お月さまは、寒い日にはあちこちの洗濯物を借りていきました。
 町では、たびたび洗濯物がなくなるので大騒ぎです。
犯人が見つからないので、お日さまも疑われました。
「わしは、やっとらん」
お日さまは怒っていいました。
 真冬になりました。星がシャーベットのように冷たくキラキラと光っていました。
「ああ、今夜はとくべつに冷える晩だな。また風邪をひきそうだ」
お月さまは、町を見渡すと、マンションのベランダに今度は布団が干してあります。
「ああ、あれがいい」
また腕をうーんとのばすと布団をつかんで腕を戻しました。
「やったあ、これで今夜はポカポカだ」
すっかり満足して、その夜はぐっすり布団にくるまって眠りました。
あまりぐっすり寝込んだので、起きたのは昼でした。
町の方から、声が聞えて目が覚めました。
「犯人はお月さまだー」
急いでお月さまは雲の中へ隠れました。



(オリジナルイラスト)


(未発表童話です) 





2017年2月17日金曜日

コウモリになったこうもり傘

 古くなってすっかり破れてしまったこうもり傘がこの世の最後に空を飛んでみたいと思いました。
そこで、木の上でさえずっている小鳥たちのところへ弟子入りに行きました。
「飛び方を教えてください」
「むりだね。羽がないもの」
断られて、次にいったのは、ムササビのところでした。
 ここでも断られて、次に行ったのはニワトリのところでした。
「飛び方を教えてください」
ニワトリは反対に、
「おれもそれが知りたいんだ」
と反対にたずねられました。
 最後にいったのはコウモリのところでした。
洞窟の中でスヤスヤ眠っていたコウモリは起こされて嫌な顔をしました。
「弟子にしてください」
「むりなはなしだな」
 そのとき冷たい風が吹きました。洞窟の中はひんやりしました。
「ああ、寒い。コートがほしいな。そうだ」
コウモリは傘の布を半分ちぎってからだに巻きつけました。
「これで大丈夫」
「飛び方を教えてくれるんですね」
「そうだよ、いまから食事をしに行くから、しっかりつかまってろよ」
 そういって洞窟から暗い森の中へ飛んで行きました。







(未発表童話です)





2017年2月7日火曜日

灯油くんの話

 ホームセンターの地下タンクの中でスヤスヤ眠っていた灯油たちが、ある朝、大きな音で起こされました。
みんな眠気眼で、
「ああ、うるさいな。こんなに朝早くからどこへ出かけるんだ」
給油口のふたがはずされて、ホースが差し込まれ、グイーン、グイーンと吸い上げられていきます。
タンクの外に出た灯油たちは、何台かのミニローリーのタンクに入れられました。
「今日の分はこれで全部だ」
配達員は走り出しました。
 国道を走りながら、町のあちこちの家々を回って行きます。各家のお風呂のボイラータンクや、ポリ容器に次々と灯油を入れていきます。
 ミニローリーの一台は、町からずいぶん離れた、山の家を回っていました。
灯油を積んでいるので、グイーン、グイーンとエンジンを全開にして登って行きます。山の上には別荘がたくさんあるので、全部回るのに一日かかります。
 昼から、雪が降りだしてきました。
「ああ、天気予報じゃ、雨か雪だっていってたのに、山はやっぱり雪だな」
配達員は心配そうです。
 夕方になると、雪は本格的に降ってきました。雪のせいで1メートル先もよく見えません。
「困ったな、まだ10軒あるのに」
しまいに猛吹雪になって、まったく先へ進めなくなりました。タンクの中の灯油たちは、寒さのためにみんなガタガタふるえています。
「ああ、早く、ボイラーの中へ入りたいな。あの中は暖かくて気持ちがいいから」
 時間が経ってから、少し雪は弱まってきました。山道の向こうの方で、別荘の照明が付きました。すると、そのとなりの家の照明も付きました。
「よかった、あの家だな」
配達員は、残りの家に向かいました。積雪が増えているので、アクセルを思い切り踏み込んで先へ進みました。
そして、家のボイラータンクに灯油をいっぱい入れました。
「終わった。これで店に帰れる」
配達員は山を降りて行きました。
 もう一台のミニローリーは海辺の村を回っていました。海から雪まじりの物凄い強風が吹いていました。タンクの中の灯油たちは、車酔いと寒さのために死んだようになっています。
「ああ、早くファンヒーターの中に入りたいな。ぐんぐん燃やされて、冷たい液体から暖かい空気になって一晩中ゆっくり過ごせるから」
 ときどき冷たい海水が風に飛ばされて車体に当たったりしました。港に停泊している船なんか踊り狂ったように揺れています。
配達員は、海水がウインドーに当たるたびに、ワーパーを動かしました。
「残りあと5軒だ」
 日が暮れかかった頃、やがて目的の家が見えてきました。
家の窓から住人が見ています。
「よかった来てくれた、灯油が切れて困ってたんだ」
ポリ容器に、灯油を入れてもらって、家の人は喜んでいました。
ミニローリーが帰ったあと、灯油たちはファンヒーターのタンクに入れられて、ぐんぐん燃やされました。
 暖かい空気になった灯油たちは、やっと元気を取り戻しました。







(未発表童話です)





2017年1月27日金曜日

バッハの毎日

 ヨハン・セバスチャン・バッハが、ライプチッヒのコレギウム・ムジクムの指揮者を兼任しながら、教会音楽家として作曲活動に打ち込んでいたのは一七六二年のことである。生涯に二度結婚したバッハであるが、子供の数も二十人と多かった。しかし幼時死亡率が高かった昔のことだったので、実際に生き残ったのは十人である。特に、バッハの作曲活動の旺盛だった四十歳から五十歳にかけては、小さな子供たちの面倒をみながらの慌しい毎日だった。
 教会から依頼された数多くの教会カンタータを作曲中、子供たちが部屋に入ってきては仕事のじゃまをするのが常だった。仕事部屋には作曲用のクラヴィアが一台置かれ、バッハは、その前に座って朝から夕方まで仕事をしていたが、隣の部屋から聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声と子供用のチェンバロの調子はずれの音にはいつも悩まされた。しかし、もともと社交的で、頑固ではあったが、明るい性格でもあったバッハは、子供たちの騒々しさにも我慢して熱心に作曲に励んでいた。
 バッハにはミサ用の教会カンタータのほかに、世俗カンタータとよばれる作品がある。こちらの方は、かえってにぎやかな環境の方がよいこともあった。当時、ライプチッヒの町ではコーヒーを飲むことが流行った。バッハはこれにヒントを得て、「コーヒーカンタータ」といわれる楽しい音楽を書いた。ほかにも、友人の娘たちの結婚を祝っていくつもの「結婚カンタータ」を書いている。どちらも、大変ヒットしたのであるが、やはりバッハにはバッハらしい厳格な宗教音楽を求める声が多かった。
 バッハも妻のマグダレーナに、「神は、崇高なものを求めておられる」といって、一方で気まじめな音楽を書き続けていた。けれども、厳格で崇高な宗教音楽を書くには、このような環境の中ではやはり無理があった。
 バッハが四十一歳の時に心血を注いで書き上げた最高最大の傑作といわれる「マタイ受難曲」の作曲のときは、とうとう家の中の騒音にたまりかねて、町の静かな教会に足を運んでコツコツと作曲を進めたのである。新約聖書の「マタイ福音書第26、27章」をテキストに、イエス・キリストが、十二使徒の中のひとりユダの裏切りによって十字架を背負い、ゴルゴタの丘で磔(はりつけ)にされ処刑される顛末を描いたこの崇高な宗教音楽は、演奏時間に3時間を要する大曲であり、バッハは御堂のオルガンを弾きながら、キリストと共にその苦しみを味わいながら、毎日精魂を傾けてペンを進めていた。
 ところが、ある日、出来上がった部分を家で手直ししていたとき、数枚楽譜が見当たらなかった。その部分は、十字架に磔にされたイエス・キリストが苦しみの中で息絶える、この曲の重要な部分だった。バッハは慌てふためきながら、部屋中を探しまわった。しかし、いくら探しても見つからなかった。もしやと思い、子供部屋へ入って探してみることにした。子供たちは遊びつかれてみんな昼寝をしていた。バッハは、散らかしほうだいの子供部屋を丹念に調べていった。すると、ゴミ箱の中に、楽譜らしき物が丸めて入っている。取り出してみると、まさしく探していた楽譜であった。
「よかった。よかった。見つかった」
 バッハは、ほっとため息をつくと、楽譜を取り出し、しわを伸ばしてみた。すると楽譜の裏面にはパステルで、ガチョウとアヒルの絵が描かれている。労作の「マタイ受難曲」の楽譜に子供たちの落書きが描かれていたことは後世には伝えられていない。
 そんなこともあってか、バッハは宗教音楽を書くときは、もっぱら教会の中で作曲することにしていた。バッハは美食家であり、同時に大食漢だった。腹八分目で済ますことはなく、いつもお腹いっぱい食べていた。そしてすぐに横になると、大きないびきをかいて朝まで眠る習慣だった。子供の頃からそんな癖だったので、子供のときから肥満児だった。だから仕事は明るいときだけに限られていて、バッハの多くの作品に明るさと健康さがあるのはそのためだった。
 五十歳を過ぎると、バッハの子供たちは成長し、大部分が自分と同じように音楽家になった。バッハ家ではそれが当たり前だったが、彼はそれを喜ぶと同時に、静かになった環境の中で、新しいジャンルである器楽曲とオルガン曲の作曲に打ち込んでいた。
 数年後のある日のことだった。未知の外国の貴族から一通の手紙がバッハ宛に届いた。手紙を開いてみると、ドレスデン駐在ロシア大使カイザーリンク伯と署名がされている。手紙を読み始めたバッハは、その文面があまりに深刻なので思わず息を詰まらせるほどだった。

―拝啓、ヨハン・セバスチャン・バッハ殿

 貴殿の作品は、昔から興味を持って拝聴しております。特に崇高な宗教音楽においては、従来のどんな音楽家の作品よりもすぐれたものと確信しています。あなた様のような才能豊かな方とお知り合いになることができればどんなに幸せなことだろうと思っています。さて、私事、数年前から駐在大使として、この国で公務に励んでおりますが、日に日に公務が多忙を極め、激務のためか最近不眠症がひどくなる一方で、医者通いを続けております。医者の話では、なにか心安らぐ音楽を聴くのが最良の方法であると教えられ、ならば才能ある音楽家にそのような作品を書いてもらい、召し使いの演奏によって疲労した心を癒し安眠することを勧められました。はなはだ不躾なお願いとは思いますが、どうかお引き受け下さるようお願い致します。―

 面識のない、そのロシア大使の手紙を読んだバッハは、気の毒に思うと同時に、自分も昔騒々しい家の中で、幾度か不眠症に悩んだときのことを思い出した。
「よおし、この依頼主のために、心安らぐ音楽を書いてあげよう」
 幸い子供たちはみな、成人になり、多くは自分と同じ音楽家になってよその町で暮らしている。家の中はいつも静かで落ち着いた気分で仕事ができるのだ。
 翌日からバッハは、クラヴィアの前に座って朝早くから作曲をはじめた。ところが意外なことがおこった。ちょうど、夏の頃で、子供たちがみな里帰りにやってきたのだ。半分は子供がいるので、またまた家の中は子供たちの騒々しさで思うように仕事ができなくなった。
 仕方なく町の行きつけの教会で仕事をすることにしたのだが、教会のオルガンは現在取り替え中で使えなかった。しかし、バッハは、騒音と戦いながらも作曲を続け、一ヶ月後にはみごとな作品を完成させたのである。曲名は、「アリアと三十の変奏曲」。チェンバロ又はクラヴィアのための作品で、現在では、「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれている名曲である。バッハは自信に満ちた気持ちで、翌朝、依頼主に浄書楽譜を送った。
 それから、一週間後のことである。依頼主のロシア大使からの手紙が送られてきた。バッハはさっそく手紙を開いて読んでみた。しかし、その文面はバッハが予期していた内容とはまったく違っていた。

―拝啓、ヨハン・セバスチャン・バッハ殿

 数日前、確かに作品を戴きました。どうもありがとうございました。さて、作品を聴かせて頂きまして、大変充実したすばらしい作品であると感じました。規模の大きさといい、品格といい、文句のつけようのないすぐれた音楽であると思います。しかし、私が願っている音楽とはどこか違っているようです。私は、もっと安らかな音楽を期待しておりましたが、全曲は明るく、にぎやかな部分が多く、(静かな部分は最初と最後のアリアの部分だけ)で、とても眠りにつくことが出来ません。この曲では不眠症は治らないような気がします。ほかの音楽家の方、ヘンデルさんか、ヴィヴァルディさんにお願いするつもりでいます。無理をお願いしまして申し訳ありませんでした。では失礼いたします。今後ともあなた様のご活躍とご健康をお祈り致しております。

ードレスデン駐在ロシア大使伯爵 W・Tカイザーリンク拝。

 手紙を読み終わったバッハは、がっくりと肩を落とすと部屋のソファーに寄りかかった。
「そうだった。わたしは勘違いをしていた。依頼主は静かな音楽を求めていたのである。私は子供たちの騒々しさに負けないような曲を書いていたのだ。力作であることは間違いないが、心休まる曲ではなかった」
 バッハは、カイザーリンク伯に申し訳ないことをしたと思うと同時に、早急に別の曲を贈り届けることにしたのである。
 幸い、行きつけの教会のオルガンの取替え工事もおわり、静かな環境の中で落ち着いて仕事ができる。その日の午後、さっそく騒々しい家から抜け出したバッハは、五線紙と筆記用具を携えて、教会へ走っていった。そして、異例ともいえるもうスピードで曲を完成させ、ロシア大使館で激務にさらされている依頼主に曲を贈ったのである。
 その曲の感想についてはバッハのどの伝記を読んでも書かれていないが、その後カイザーリンク伯とバッハは親友になったといわれるから、おそらく依頼主は送られてきた曲に満足したものと思われる。






(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)





2017年1月16日月曜日

まわる男の物語

 その男には不思議な能力がありました。回るものをみてると身体もいっしょに回るのです。朝、顔を洗いに洗面所へ行き、蛇口をひねっただけで身体も回るのです。
目覚めにコーヒーを入れて、スプーンでかき混ぜていると、身体も回るので、身体が壁にぶつかって仕方がありません。
 外に出ると、もっといろんな回るものがあるので大変です。走っている自動車のタイヤ、自転車のタイヤ、遊園地のメリーゴーランド、風力発電用の風車、気象台の風速計など。だからいつも下を見て歩かないといけません。
 でも便利なこともありました。空を飛ぶことが出来るのです。昨日も、雲の上まで散歩に行ってきました。
 男の家の洗濯機は外に置いてあり、シートがかぶせてあります。洗濯するときは蓋をして回さないといけないのですが、空を飛ぶときは、蓋を外してじっと中を覗き込みます。
 しばらくすると、ふんわり身体が浮き上がってきます。手首と足首を内側に曲げると浮力で上まで登って行けます。まるで竹とんぼです。
「そうだ、もっといい方法があるぞ!」
 ある日、玩具店でモーターで動く小型の扇風機を買ってきました。それを両手に持って、じっと観ながら回転して、空の散歩に出かけました。
 風に流されるまま、どこへでも飛んでいきました。鉄塔や電信柱に注意さえしていれば、どこへでも飛んで行けるのです
 あるとき、山のてっぺんに登って、岩の上で缶コーヒーを飲んでいると、後ろから日本の山にはいないと思っていた毛むくじゃらの雪男が立っていました。
「あんた、どこからやってきたんだ」
 一瞬男は身構えましたが、雪男は親切で、洞窟の住み家へ案内してくれました。洞窟の中は意外と暖かく、中で雪男手作りのイノシシの肉やシカ肉、熊肉、山菜などが入った鍋を一緒に食べながら、いろいろ話をしました。
 雪男はどこで見つけてきたのか、携帯ラジオを持っていて、いつも天気予報や世の中のニュースなどを聞いていました。
 昔は、ヒマラヤに住んでいる親戚の雪男たちが、テレビのリポーターや新聞記者たちに追いかけ回される話題があって、自分も用心しないといけないと思っていましたが、最近では、そんなニュースはまったくなく、雪男の存在も忘れられてしまい退屈しているといっていました。
 最近は、アメリカの大統領選挙のことや、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領のスキャンダルなんかを興味を持って聞いているそうです。ご馳走になったあと、帰りに記念写真を撮ってきました。
 あるときは、冬の季節に分厚いジャンバーを着て山へ出かけたこともありました。
山の湖でイササギ釣りをしている人を見に行ったのですが、帰りにジャンバーがかちかちに凍って、身体が重くなって、氷の壁で一夜泊まったこともありました。
 ほかに何度も空飛ぶ円盤と間違えられて、UFOマニアや新聞記者に追いかけられたこともありました。
 一番、印象に残っているのは、鳴門の渦潮を見に出かけたときのことです。
大鳴門橋(おおなるときょう)までやってきたとき、海がぐるぐると渦を巻いていました。
「これが、鳴門の渦潮か」
 ふと、昔、読んだ、エドガー・アラン・ポーの「メエルシュトレエムに呑まれて」を思い出しました。漁に出かけた漁師が嵐の日に、渦潮に飲み込まれる物語でした。
 渦潮にばかり気を取られて、身体が下の方へ降りて行きました。
「まずいー!」
思った瞬間、もう遅かったのです。海の中に引き込まれて、渦と一緒に身体が回りはじめました。
海の水は冷たいうえに、息もできません。
「ああ、もう、だめだー」
男は、観念しました。次第に意識が遠くなってきました。
 長い時間が経過しました。
ふと、男は意識を取り戻したのです。そこは、奈良時代か、平安時代の貴族の住居のようでした。襖の絵は見事で、屏風も置いてあり、丸窓から庭の様子がよく分かりました。庭の中ではヒラメやカレイがのんびり泳いでいました。男は、美しい刺繍を施した布団の中で眠っていたのです。
 しばらくしてから、巫女のような装いをした若い女性がやって来て、すっかり目覚めた男に、
「こちらへどうぞ」
といって、どこかへ案内してくれました。廊下を歩いて行くと、突き当たりにりっぱな扉があり、扉の向こうから、賑やかな声が聞えてきました。
 巫女に扉を開けてもらうと、中は広い大広間で、たくさんの来客が来ていて、みんな食事をしながらお酒を飲んだり、ルーレットのようなゲームをしたり、中央のステ-ジでは踊り子が芸をしていました。
「もしかして、ここは竜宮城?」
 ドラが鳴り響き、乙姫さまが、家来を従えて入ってきました。
 巫女に連れられて、男は乙姫さまのところへあいさつに行きました。
珍しいTシャツとジーパン姿に、乙姫さまは驚いていましたが、
「時間のゆるすかぎり、どうぞごゆっくりおくつろぎください」
といってくれました。
 男はお腹も減っていたので、テーブルに行って料理を食べることにしました。家では、カップラーメンやカップ焼きそばしか食べてなかったので、たいやヒラメ、まぐろのお刺身、エビ、さざえ、あわび、うにの味噌和え、ワカメのお味噌汁、海がめの卵で作った茶碗蒸しなど美味しい物ばかりでした。お酒は、沖縄の泡盛に似たおいしいお酒でした。
 お腹が脹れたので、こんどはルーレットを観に行きました。
 みんな大金を手にして、ゲームに夢中でした。クルクルと回るルーレット台を観ているうちに、男の身体が回りはじめました。まわりの来客は驚いてそばから離れました。
 男の身体は浮き上がり、竜宮城の天井を突き破って、海面に向かって勢いよく回って行きました。
 海の上に顔を出してみると、そばにボートが浮かんでいて、麦わら帽子を被ったおじいさんが釣りをしていました。
「あんたは、どこからやって来たんじゃ」
「竜宮城からです」
 いくら話してもおじいさんはぜんぜん信じてくれませんでしたが、なんとかに助けられて、ようやく無事に帰宅することができました。
 その後も、男はまったく懲りずに、あちこちへ出かけて行きました。
 空を見上げると、こんな男が飛んでいるかもしれません。







(未発表童話です)




2017年1月6日金曜日

幽霊ホテル

  山の麓に、古びたホテルがありました。
 ある日、ひとりの会社員が、そのホテルに泊まりました。
「都会と違って、なんて静かなところだろう」
 会社員はお風呂に入り、晩御飯を食べると早めに寝ました。
 夜半が過ぎた頃、ホテルの廊下をぞろぞろと人が歩く音で目が覚めました。
「おかしいな。このホテルにはおれひとりしか泊まってないのに」
 会社員は不思議に思いながらも、また眠ってしまいました。
 明け方近くになった頃です。エレベーターがさかんに動いている音で目が覚めました。
「こんな時間に誰なんだ」
 会社員は、ベッドから抜け出すと、部屋の鍵穴から、そっと廊下の様子を眺めてみました。
「ひえー!」
 会社員は思わず悲鳴をあげました。
 ホテルの廊下を歩いていたのは、タオルと石鹸を持った作業服姿の男たちでした。
 みんな顔が妙に青ざめて、なんだか寂しそうなのです。
 会社員は、このホテルに向かう途中、山の大きな吊り橋を渡ったことを思い出しました。
 受付の従業員から聞いた話によると、昔、その吊り橋を作る工事のとき、事故が起きてたくさんの作業員が亡くなったということでした。
 作業員たちは仕事が終わると、よくこのホテルのお風呂に入りに来たそうです。
 朝になり、会社員は朝食も食べずに、すぐにこのホテルから出て行きました。昨夜のことがよほど怖かったのでしょう。
 その後も、このホテルには、何人かのお客がやってきましたが、やっぱりみんな夜になると、お風呂へ入りに来る作業服姿の男たちを見ました。
 そんなことがたびたび繰り返されていくうちに、お客がすっかり来なくなり、いつのまにかこのホテルは取り壊されたということです。




(未発表童話です)




2016年12月27日火曜日

海の魚の話

 南の遠い海のなかで、魚たちがみんな仲良く泳いでいました。
ある日、網を引いた船がやってきて、魚たちを釣り上げていきました。
「 ぼくたちは、どこへ連れていかれるのだろう」
魚たちは、船の冷凍室に入れられて、みんなしくしくと泣いていました。
 やがてある港についたとき、魚たちは市場でより分けられました。
大きな魚はお寿司屋さんが買っていきました。小さな魚は缶詰工場へいきました。
缶詰工場へついた魚たちはバラバラにされ、味付けされて缶のなかにいれられました。
「ああ、なんて狭苦しい場所なんだ、息もできやしない」
バラバラにされた魚たちは、音もしない缶詰のなかでじっとしていました。
 何日かして、缶詰になった魚たちは、町のスーパーへ連れていかれました。
みんな棚の上に並べられて、退屈そうにしながら、南の海のことを考えたりしました。
「もう一度帰りたいな。こんなところはまっぴらだよ」
 でも、缶詰の棚には、いろんな海からやってきた魚の缶詰たちのほかにも、山や畑、川、湖からやってきた果物や、野菜、豆、川魚などの友だちがたくさん出来ました。
 スーパーが閉まり、夜になると、みんな自分たちのことを互いにいいあいました。
南国で育ったパパイア、パイナップル、マンゴーの話、山の渓流で育ったイワナやヤマメの話、凍てついた北の寒い海で育ったカニの話など面白くて珍しいものばかりでした。
 またペルーやブラジルで育ったコーヒー豆や、ロシアやノルウエーで育ったサーモンたちの話も聞きました。
 ある日のこと、ひとりのお客さんが魚の缶詰をたくさん買っていきました。
缶詰は袋に入れられて、スーパーから出て行きました。
 何日かして、夕食の時間になり。缶詰が開けられました。
「わあ、ここはいったい、どこなんだ」
 缶詰のなかの魚は驚きました。でも、耳をすますと、波の音が聴こえてきます。それに懐かしい海の匂いもしました。
「わあ、ぼくが暮らしてた海だ」
 缶詰を買った人は船員さんでした。
船員さんは、食事が終わると、台所でお皿を洗いました。お皿の表面には魚の油が残っていました。油は水と一緒に、船の外へ出ていきました。
 油は、やがて海の上に浮かび上がりました。
しばらくすると、なかまの魚たちがたくさん集まってきました。
「やあ、ひさしぶりだね。どこへ行ってたんだ」
 みんな油を取り囲んで尋ねました。
「遠いところさ」
「これからどうやって暮らすの」
「波にゆられてのんびりとね」
 油になった魚はそう答えると、自分の旅の思い出をみんなに話してあげました。








 (自費出版童話集「本屋をはじめた森のくまさん」所収)