2023年11月23日木曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

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 辻昭彦は、数日後の土曜日に舞鶴へ帰った。電車で神崎の自宅へ行ってみたが、戸締りがしてあって引っ越したことがわかった。近所の人に尋ねると引っ越したのは27日だと聞いた。辻昭彦は、そのあと宮津へ行って、宮津T病院へ行き、受付の職員に画家のことを尋ねた。
「先月まで入院されていた山川修さんの奥さんのことで少しお話を聞かせて下さい。私は山川さんの古い友人です」
職人は親切に話してくれた。
「山川さんの奥さんは先月30日に群馬県の病院に転院される予定でしたが、22日の日に呼吸困難のため亡くなられました。山川さんが遺体を取りに来られて、お葬式のあと数日後に火葬されたようです。その後のことはわかりません」
 辻昭彦は職員に礼をいって病院を出た。
「そうだったのか、奥さんは転院前に亡くなったんだ」
 そのあと画家が以前訪ねて行ったMカトリック教会へ行ってみた。辻昭彦は、この教会の神父から意外なことを聞くことになった。
 教会の敷地へ入ると、教会の正門からこの前の神父が出てきた。辻昭彦は、傍へ行って話しかけてみた。
「失礼しますが、画家の山川さんの奥さんのことでお話を聞きたいのですが、私、山川さんの古くからの友人です」
 神父は辻の顔をじろじろ眺めたが、友人と聞いて話してくれた。
「山川さんの奥さんにはお気の毒でした。先月24日にこの教会でお葬式のミサをあげました」
 神父は続けて話した。
「山川さんの奥さんは、絵画の修復技師でした。結婚される前はイタリアにお住まいになっていて、教会の宗教画や美術館の絵画の修復をしておられました。とても腕の良い方で、どんな傷んだ絵でも見違えるように修復されました。画風の違う画家の生涯や特徴をすべてマスターして直してしまいます。画家の素養もある方で自分でもいろんなスタイルの絵を描いておられました。昔、この教会でも、聖堂に飾ってある「十字架の道行き」の絵の修復をしていただきました。ずいぶん古い絵ですから、とてもお金を掛けて直すわけにもいかないので大変助かりました。あとでご覧になって下さい。そういえばご主人さまも絵描きさんだったことはあとで聞きました」
 辻昭彦は、神父の話を聞いてまったく驚いてしまった。
「そうだったのか。奥さんは絵画の修復技師だったのだ。それも才能のある修復技師か」
 神父に案内されて聖堂に飾ってある「十字架の道行き」の絵を見せてもらった。絵は福音書に書かれているイエス・キリストの受難の過程を描いた14数枚の絵だった。神父は修復前の絵の写真を持って来て、比較しながら辻昭彦に説明した。それを見てなるほどと辻昭彦は思った。修復前と修復後では絵の印象がまるで違っている。製作された当時のままの生き生きとした絵に生まれ変わっているのである。
 2週間が過ぎても行方不明になっている画家は依然どこへ行ったのかわからないままであった。12月半ばになると、強い寒気が入り、名古屋でもはじめて雪が降った。名古屋の町はすっかり雪景色になった。商店街はどこもクリスマスムードでネオンがあちこちで輝いていた。
 ある日曜日の午後だった。辻昭彦の公務員宿舎の自分の部屋に小包が送られてきた。投稿先は丹後半島経が岬の西部にある網野郵便局からで差出人は山川修と書いてあった。
 小包の中には手紙と何枚かの冬の岬を描いたパステル画と鉛筆デッサンが入っていた。すぐに手紙を読んでみた。こんな内容だった。

―以前、私の家をお訪ねになり、また私の絵の感想をどうもありがとうございました。あなたも新聞やテレビでご存じだと思いますが、私は数年前から青木繫の贋作を制作していた人物です。訳があって妻のアドバイスを受けながら多くの青木繫の贋作を作りました。妻はクリスチャンでもあり、この仕事に強く反対しましたが、病状が悪くなってからは、医療費を稼ぐためには仕方なく協力するようになりました。今思えば妻には本当に迷惑をかけたと思います。私がこの事件にかかわることになったのは才能のない私の絵ではとても生活費も医療費も稼ぐことが出来なかったからです。色彩の乏しい私の絵は魅力がなくほとんど売れませんでした。結婚してからは妻に助けてもらったせいか色彩も出てきて少しは売れるようになりました。あるとき、私と同じような境遇にある画家から贋作の話を聞かされました。その仕事から得られる収入は、現在の収入よりも高額だったからです。その仕事を引き受ければ今の逆境を乗り越えることが出来ると思いました。腕の良い絵画の修復技師である妻をずいぶん説得して、妻に青木繫の絵のスタイルをマスターさせて、私にアドバイスしてくれように頼みました。私は妻のアドバイスに従って本物とまったく違わない贋作を制作することが出来るようになりました。贋作が完成すると依頼者が府外から車で自宅へ取りに来ました。しかし、この仕事がいつかは発覚して捕まることはわかっていました。妻はいつも神の罰を恐れていましたが、それは現実になりました。妻は先月、転院前に息を引きとりました。血友病で亡くなったのです。もう私は贋作を作る仕事をしなくてもいいことになりました。しかしもう遅いのです。近いうちに逮捕されるでしょう。でも私は本来の自分の仕事が好きです。こんな仕事にかかわらずにいたら、貧しいながらも妻と共作した絵を売って幸せに暮らしていけたと思います。先だっては私の絵の購入をありがとうございました。先日描いた絵を送ります。私が好きな経が岬の風景です。これらの絵を描くのが最後になりますー。
 
 手紙にはそんな言葉が綴られていた。
 辻昭彦は、その手紙を読んでこれまでの疑問がすべてわかったのである。神崎の青い屋根の家の応接間の書棚に入っていた青木繫の画集や美術の研究書は画家の妻が贋作の参考に使っていたのである。妻が入院してからも度々画家は病院にやってきて贋作のアドバイスを受けていたのに違いない。そう考えていたとき、ふと不安がよぎった。 
「この画家は死ぬつもりだ」
 翌朝、辻昭彦は、職場に休みの連絡を入れると急いで名古屋から舞鶴へ帰ってきた。すぐに京都丹後鉄道の電車に乗って網野へ向かった。舞鶴から網野までは1時間半かかる。電車の中で辻はいろんなことを考えた。
「あの画家は、どこの宿に泊まっているのだろう。探さなくては」
 電車の窓の外は時々雷が鳴り、あられが降っていた。天気予報では夕方前から強い寒気が入り、夜は雪だと言っていた。
 網野駅に着くと、いくつかの宿へ行き、画家のことを尋ねた。しかしどこの宿にも泊まっていなかった。
 辻昭彦は、手紙を持って網野警察署へ行った。巡査部長に事情を話して近くの海岸を捜索してもらうことにした。警官6名で捜索したが、画家の行方は分からなかった。
 海岸は寒々としていた。カモメが海の上を寒そうに飛んでいた。次第に風も強まり出した。
 夜になってから雪が降り出してきた。捜索は雪のために一時中止になった。明日、宮津警察署からも応援が来ると警官はいった。辻昭彦は仕方なく舞鶴へ引き返すことにした。母親に電話をして今夜は自宅に泊ることを伝えた。
 夜遅く自宅に帰ると母親は夕食を作って待っていた。遅い食事を済ませてその夜は実家に泊った。
 翌日、テレビと新聞で、経が岬西部の岸壁で飛び降り自殺のニュースが流れた。山川修(44歳)職業画家と書かれていた。遺体は一晩中海岸近くの海の上を漂っていたのだ。
 警察の調べで、画家は経が岬の東側の伊根町の旅館に宿泊していたことがあとで分かった。
 画家は数日間、経が岬付近を歩き回って海の絵を描いていたのである。自殺する日の夕方、網野の郵便局から絵を小包に入れて辻昭彦に宛てて郵送したのである。(完)


2023年10月25日水曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

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 宮津駅に着くと、港の方へ歩いて行った。港から天橋立の松林がよく見えた。港の東側を約1キロほど北に向かって歩いて行くと、天橋立が真横から見える。今日は遊覧船が出ていた。海は穏やかで宮津湾が美しかった。
 画家が描いた絵は夏の松林の風景だった。青木繁の「海の幸」と同じ横から描いた構図だった。漁師たちの力強い行進を思わせる「海の幸」の雰囲気ではなく。風に揺れる松林を力強く描いた細長い構図の絵だった。松の間に見える空には金色の絵の具が所々に塗り込まれており、「海の幸」を強く意識した絵であることが分かる。
 辻昭彦はしばらく天橋立の松林を眺めていたが、やがて引き返すことにした。南の方へ歩いて行くと宮津駅に向かった。
 駅前にお土産店があったのでその店に入った。母親に何か買って帰ろうかと思ったが、あいにくたいしたものは売られていなかった。買いたい物もなく、店の前に置かれたジュースの自動販売機で缶コーヒーを買った。傍のベンチに腰を下ろして飲んでいた時である。駅の改札口から乗客が出てきた。
「おやっ」
 辻昭彦は目を鋭くそちらに向けた。出てきた乗客の中に画家の姿が見えたからだ。灰色のジャンバーを着た長身の細い身体の男だった。
「何の用事で宮津にきたのかな」
 辻昭彦は、飲み終わった缶をゴミ箱に放り込むと、画家のあとをつけてみることにした。
 画家は駅を出ると、北側の歩道を歩いて行った。300メートルほど行くと宮津T病院が見えてきた。画家は病院の入り口へ歩いて行った。
 病院の中へ入ると、受付けに行き要件をいった。職員から待つように言われて席に座った。辻昭彦も気づかれないように一番うしろの席に座った。来客がずいぶん多かった。10分くらいしてから画家は受付に呼ばれた。職員は声が大きく、話の内容が遠くからでもわかった。
「奥さんは、予定通り、今月30日に群馬県のみなかみ町の病院へ転院されます。あなたも住所が変わられるのですね」
 画家は、そうだと返事をした。今日は16日である。あと2週間である。職員は転院先の病院の資料などを画家に手渡していた。10分ほど職員と話してから画家は宮津T病院を出た。
 それから西へ500メートルほど歩いて行くと、左道に入って、「Mカトリック教会」と表札が出ている前で立ち止まった。そして教会の中へ入って行った。
 辻昭彦は道路の向かいの電信柱の後ろに身を隠して見ていた。教会の中から神父が出てきて画家と話をしていた。10分ほど話し込んでいたが、終わると駅の方へ歩いて行った。画家はキップを買って西舞鶴行きの電車に乗った。辻昭彦もその電車に乗り、気づかれないように離れた座席に座った。画家は神崎駅で降りた。辻昭彦はそのまま西舞鶴駅へ帰った。
 その日の尾行によっていろいろなことが分かった。画家の妻が病気で宮津T病院に入院していること、そして今月の末に群馬県の病院へ転院すること、画家がクリスチャンであること。この日は多くのことが分かったのだ。
 翌日、辻昭彦は、名古屋へ帰った。職場へ行くと仕事のメールがたくさん来ていた。今月から河川事務所の維持管理業務である、各河川の危険箇所の調査と報告がある。また台風や大雨のときの防災対策の会議が数日おきに予定されている。3週間ほど仕事に追われてほかのことを考える余裕はなかった。
 仕事がようやく落ち着いたある金曜日、辻昭彦は仕事を終えて千種区の宿舎に向かっていた。12月に入り、さらに気温が下がってずいぶん寒かった。途中、千種区の以前絵を買った画廊へ立ち寄った。
 店内に入ると、客がひとりいて店主と最近話題になっている贋作事件のことを話していた。辻昭彦はそばで立ち聞きしていたが、やがて客は店から出て行った。店主が辻に気づいてそばにやってくると、
「どうも、以前は当店の絵をお買い上げいただきありがとうございました。じつはー」
 店主は礼を言った後、こんなことを辻昭彦に告げた。
「あなたが以前お買いになった絵の作者のことですが、なんでもいま話題になっている贋作事件の関係者のひとりだそうです。その画家は現在、行方不明です」
 3週間の間にこんなことが起きていたのかと辻昭彦は驚いた。やっぱりそうだったのか。
「神崎の自宅には1週間前に電話しましたが、住所が変わったのか繋がりません」
 店主から話を聞くと辻昭彦は店を出た。そして急いで自分の宿舎に帰った。
 翌朝、朝刊を読んでみると、贋作事件の記事が出ていた、それには次のように書かれていた。
 今年に入ってから全国規模で発生している有名画家の贋作製造事件の容疑者追及に意欲を燃やしていた警視庁は、先月20日に容疑者9名の名前を公表し全国指名手配した。25日には主犯格の男(A)とほか4名を逮捕、29日には3名を逮捕、残り1名となる。行方不明の容疑者(Y)は京都府舞鶴市神崎在住。山川修。(44歳)現在逃走中。
 辻昭彦は朝食を食べながらこの記事を読んでいた。食事が終わって自室へ入った。部屋の壁には、神崎の画家の絵が2枚飾ってあった。それらの絵をじっと観ながら、あの画家はどこへ姿を隠したのかといろいろ想像を巡らせた。
 しかし神崎の家を訪ねたあの画家が贋作事件の犯人とはどうしても思えなかった。絵の技術や画風は似ているが、あの画家は青木繁の絵のことは何も知らないからだ。
「きっと贋作の協力者がいる」
そう考えないと疑問が解決できないのだ。
 そのとき辻昭彦はふと思い当たった。
「そうだ、度々やってくるあの車だ」
 辻昭彦は、青木繫の生涯や絵の特徴をよく知っている協力者があの家にやって来て、贋作のアドバイスをしていたのだと考えた。協力者は贋作制作のときに常に画家に重要なアドバイスを与えていたのである。
 それによっていかにも青木繫が創作しそうなテーマの絵を描かせるわけである。アドバイスを受けないで勝手な絵を描けば、青木繫の専門家や研究者が見ればすぐに変だと気づかれてしまうからだ。
「警察は画家の家に、度々やってくるダークブルーの車に乗った人物のことを徹底的に調べているに違いない」
 辻昭彦はそう考えたが、ふと疑問にぶち当たった。それは行方不明の山川修以外の関係者はすべて逮捕されているのである。アドバイスをしていた人間もその中に含まれており、既に取り調べを受けている。行方不明の画家の居所もしばらくすれば分かるだろう。でも画家はどこに隠れているのだろう。辻昭彦は再び舞鶴へ帰って調べることにした。
                                  (つづく)


2023年9月6日水曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

 
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 舞鶴へ帰省する前日だった。公務員宿舎に宅急便が届いた。東京の画廊で買った絵が届いたのだ。額に入った細長い大型の絵である。
 さっそく包装を外して、箱から絵を取り出した。長さ1メートル、幅50センチの「天橋立の砂浜」の油絵だった。
「やっぱりすばらしい絵だ。買ってよかった」
 すぐに以前購入した「神崎の海岸」のとなりに飾ってみた。同じ画家の描いた絵なので画風がよく似ている。初期の作品である「天橋立の砂浜」は、色使いは平凡で暗いが、それは若い頃の特徴だと思われる。全体の筆のタッチは同じである。少し気になったことは、サインだった。「神崎の海岸」は苗字だけだが、「天の橋立の砂浜」には苗字の前に名前のOの文字が入っている。でも、それは多くの画家の絵にもあることで、時代によってサインの入れ方が違う。
 それよりもやはり絵が重要なのだ。二つの絵は同じ画家の制作したものと断定できる。
 翌日、休みを取って車で舞鶴へ帰省した。母親はいつもどおりのんびり暮らしていた。寒くなってこれからブリが出回るといっていた。そういえばもう11月半ばだ。ファンヒーターを着けて夕飯を食べた。  明日は車で神崎へ行く。夜は寒冷前線が通過して、寒気が入り一段と寒くなった。夜は暖かくして寝た。
 翌朝、冷たい雨だったので車で神崎へ行った。舞鶴の自宅から30分で行ける距離である。神崎海岸の駐車場には乗用車が1台止まっていたが人はいなかった。 
 辻昭彦は、青い屋根の家に行ってみた。車を家の近くに止めて、敷地の中へ入って行った。ガレージに車があった。画家は在宅だ。玄関へ行ってブザーを押した。しばらくして廊下を歩いて来る音がした。
 玄関のドアが少し開いた。40代半ばの痩せた男が顔を出した。この家の画家だった。
「何かごようですか」
 怪しい目つきで辻にいった。
 辻昭彦は、画家の顔を見ながら訪ねてきた理由を話した。
「じつは、あなたの絵を2点購入しました。「神崎の海岸」と「天橋立の砂浜」という絵です。印象的な絵なので少し絵について聞きたくてやってきました」
 画家はその話を聞くと、少し顔つきが和らいだ。
「そうでしたか。名古屋と東京の画廊から電話がありましたが、私の絵を買ってくれたのはあなただったのですね」
 画家は答えた。
 辻昭彦も男の愛想のよい対応にほっとした。心の中で思っていたことを話してみることにした。
「ぶしつけなお願いですが、さしさわりがなければほかの絵を見せてもらえませんか」
 画家はそれをきくと、にわかに顔つきが変わった。
「いまは外へ出て絵を描くことはめったにないから、あなたが気に入るような絵はないです。昔描いた静物画と風景画が何点かあるだけです」
「いや、それでも結構です。静物画も好きなんです」
 画家は戸惑っていたが、
「じゃあ、少しの間だけですよ。もうすぐ客が来ますので」
 辻昭彦は家の中へ入れてもらった。玄関に入ると10号くらいの静物画が壁に飾ってあった。リンゴ、ナシ、ブドウ、花瓶を並べた厚塗りの作品だった。家の中を見ると、中央に廊下があり、左右に部屋があった。
「こちらへどうぞ」
 画家に案内されて左の部屋に入った。応接間がありソファーに座った。正面の壁には、30号の大きさの「由良の砂浜」の油絵が飾ってあった。色合いも筆使いも「神崎の海岸」の絵と変わらない見事な作品である。
 ソファーの横の書棚には画集と美術の研究書が入っていた。その背表紙をみて辻は驚いた。青木繁に関する本ばかりだった。辻昭彦は、ソファーに座って話し出した。
「私は西舞鶴出身なんですが、仕事の関係で現在、名古屋に住んでいます。関東のご出身だそうですね」
「栃木県です。東京の画塾で絵を習ってその頃は関東の山もずいぶん描きました」
「海外へは行かれたのですか」
「いいえ、国内だけです」
「奥さんがおられるそうですね」
「ええ、でも今は一人で暮らしています」
 辻昭彦は話題を青木繁のことに切り替えた。
「あなたの絵は、青木繁の絵を思わせる画風ですね」
 すると画家は、
「画塾の先生から正統派のデッサンを習いました。その先生は黒田清輝や浅井忠、など近代絵画の絵を研究されていました。青木繁も当時、東京美術学校で黒田清輝の指導を受けたと画塾の先生から聞いたことがあります。そんな理由かもしれません」
「私は日本の近代絵画が好きなんですが、特に青木繫の作品に目がありません。あなたは青木繫のどんな絵が好みですか」
 画家はちょっと困ったような様子で、
「いや、いい絵が多すぎてすぐには答えられません。やはり「海の幸」なんかいいですね」
「日本神話を題材にしたものは、」
「ああ、そんな絵も描いていましたね」
「インドの神話を題材にしたものもありましたね」
「そうでしたね・・・」
 辻昭彦は変な気がした。この画家は青木繫の絵を知っているのだろうか。
「私は日本の近代絵画よりも近代以前の西洋の古典絵画の方が好きですね。クールベだとかアングルなんかです」
 画家は平静な顔つきになってそういった。
「そうですか。古典絵画もすばらしいですね」
 40代の画家にしてはずいぶん古臭い趣味だなと辻は思ったが、初期の「天橋立の砂浜」はダイナミックな絵ではあるが、色彩は古典絵画を思わせる暗い画風である。
 辻昭彦は話題を変えた。
「アトリエはどちらですか」
「2階です」
 見せてくれといったが、画家は「それはちょっと」と断られた。
 画家は自分の絵を買った感想を聞きたがった。辻昭彦は、画風は古典的ではあるが、筆のタッチは鋭く、所々に個性を感じさせる絵だといった。まったく素人の感想である。
 画家はそんな感想をだまって聞いていたが、
嫌な顔もしなかった。
「最近はどんな絵を制作されているんですか。よい絵だったら買いたいと思っています」
 画家は、笑いながら、
「近頃はあまり描いていません。でもこれまで海の絵ばかり描いていたので、今度は山の絵を描きたいと思っています。近いうちに長野県か群馬県へ住所を変えるつもりです」
「へえ、それは遠いところですね。いつ頃ですか」
「年内に予定しています」
「それは早急ですね。何か事情でもあるのですか」
「いえ、事情というほどでもありませんが、早い方がいいと思っています。長野県や群馬県には知り合いも多いので」
 画家はそれ以上詳しくは話さなかった。
「じゃあ、また絵が出来たら、是非拝見したいです」
 辻昭彦は、ポケットに手を入れると名古屋の住所が印刷されている名刺を取り出して画家に渡した。
「絵が市場に出たときは教えて下さい」
「わかりました」
 画家と15分くらい話をしたが、画家も客を待っているようすなので、話を打ち切ることにした。
「もうすぐ客が来るので、これくらいでよろしいでしょうか」
「大変失礼しました。今日はありがとうございました」
 辻昭彦は、この家から出ていくことにした。
 玄関に行き、靴を履こうとしたとき、廊下の奥にある鏡に映った絵が見えた。観てすぐに分かった。青木繁の「海の幸」だった。
「あれはよく出来た複製画ですね」
 画家も複製画を見ながら、
「昔、家内が東京の画廊で安く売っていたものを買ったのです」
「青木繁は土佐の生まれだから、繊細さの中に力強さがありますね」
「そうです。だから人気があるんです」
 画家にあいさつして辻は家から出た。相変わらず雨が降っていた。門のところで2階を見上げた。そして分かったのだ。
「あの画家は青木繫の絵のことも、出身地も知らない」
 路上駐車していた自分の車に乗って帰ることにした。海岸の駐車場にはさっきの乗用車が止まっていた。人は乗っていなかった。
 神崎駅の方へ車で向かって行く途中、駅から傘をさして歩いてくる帽子を被った背広の男を見かけた。そのすぐ後ろからはダークブルーの車が走ってきた。車はすぐに右のわき道に入り、青い屋根の家の方へ走って行った。
「気になる車だな」
 思いながら車を運転して西舞鶴駅まで帰って来た。駅の駐車場に車を止めて、マナイ商店街をぶらぶら歩いた。昔のような賑わいはない。店はたくさん閉まっていた。郵便局で金を降ろしてどこか喫茶店でもはいろうかと思った。
 商店街の中にこじんまりした喫茶店があったので、そこに入ってホットコーヒーを飲んだ。来月は12月だ。日本海側ではまた雪だろう。名古屋や関東では雪はほとんど降らないが、冷たい風が吹きつける。これからが冬本番だ。
 喫茶店を出ると雨は上がっていた。久しぶりに田辺城の方へ歩いて行った。城内に入ってベンチに腰かけた。座っていた時、ふと思い出したのだ。
「そうだ、婆さんが言っていた車は、さっき神崎駅へ向かう途中に見かけたダークブルーの車だ。乗っていたのはひとりだけだった。でも、あの家に何の用事でやって来るのであろうか。いったい誰だろう」
 辻昭彦は、その人物をなんとか特定しようと考えた。
 家に帰って来ると夕飯が出来ていた、今夜はブリ鍋だった。お腹が空いていたので美味しく食べた。
 休みはあと一日だった。名古屋に帰る前にもう一度神崎と宮津へ行くことにした。宮津に行く目的は「天橋立の砂浜」が描かれた場所を見るためだった。
 翌日、昼過ぎに電車で最初に神崎へ行った。天気は曇りだった。画家の家には車がなかった。今日は留守だと分かった。仕方がないので少し遊歩道を散歩した。
 西の方へぶらぶら歩いていた時、向こうから昨日神崎駅で見かけた帽子を被った背広の男ともうひとりの背広の男が歩いて来た。そばまできたとき呼び止められたのでびっくりした。
「失礼ですが、少し伺いたいことがあります」
 辻昭彦は、知らない男に言われて驚いた。
 帽子を被った男が背広のポケットから何か取り出した。警察手帳だった。
「何の用ですか」
 二人は刑事だった。
「実は、あの青い屋根の家を連日張り込んでいるのですが、昨日、あなたが家に入っていかれたところをこの刑事が見ました、私は本署へ用があって昼頃こちらへもどって来ました」
 辻は昨日、神崎駅でこの刑事に会ったのだ。
「ええ、あの家にはたしかに行きました。あの家の画家さんの絵を買ったもので、話を伺いたくていったのです」
 辻昭彦は、この刑事たちがいまニュースで話題になっている贋作事件の捜査をしているのだと直感したので反対に尋ねてみた。
 刑事は辻の質問に驚いたが、それなら聞きやすいと思ったのか、引き続き丁寧な話し方で答えた。
「おっしゃる通りです。ぜひご協力をお願いします。昨日、画家とどんな話をされました」
「ええ、買った絵の感想をしたり、最近はどんな絵を描いているのか尋ねたり、そんなことです」
「ときどきやってくる車のことなどは」
「知りません。ただ客だと言っていました」
 刑事の質問は鋭かった。
「じつはその客と画家がどんな関係にあるのか調べているのです」
 辻昭彦もそのことについては同じように感じていた。
 刑事はさらに尋ねた。
「引っ越しをする話などは」
「年内に、長野県か群馬県に行くとか言ってました」
「早急ですね。理由は聞かれましたか」
「いいえ、なんでも向こうには知り合いがいるとか言ってました」
「ほかに気づかれたことは」
「いえ、ありません」
「家の中にたくさん絵がありましたか。アトリエの中を見ましたか」
「いいえ、数点だけ自作の絵がありました。アトリエは見せてくれませんでした」
 刑事はほかにもいくつか質問をしたが、失礼を詫びると頭を下げて、車が置いてある駐車場の方へ歩いて行った。
 遊歩道には辻昭彦だけが立っていた。
 海は静かだった。ときどき海からの冷たい風が吹きつけていた。
 辻昭彦は神崎駅へ戻るとそのまま宮津に行った。
                                  (つづく)


2023年8月16日水曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

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 名古屋へ戻って、翌日は職場へ行った。さっそくメールで仕事がたくさん来ていた。名古屋市内の各河川の水位計の定期点検のこと、気象台との業務の打ち合わせのこと、自分の担当業務のことそれらの仕事を早く片付けないといけない。そのあとからもいろんな仕事のメールが入ってきた。仕事を片付けるのに2週間は毎日残業だった。
 仕事がようやく終わったある日、地下鉄に乗って栄町の方へ散歩に出かけた。喫茶店でコーヒーを飲みながら店のテレビを何気なく観ていたときだった。最近全国の画廊で起きている絵画の贋作事件のことが話題になっていた。日本の近代絵画の画家たちの贋作が出回っている事件だった。よく知っている著名な画家たちばかりなので辻昭彦がニュースに釘付けになった。
 これまでに分かっている絵画の贋作は四十数点で、青木繁、佐伯祐三、岸田劉生、小出楢重など著名な贋作が出回っていた。現在、警察で容疑者の特定を急いでおり、事件の解明に向けて全力を挙げて捜査中というニュースだった。
 辻昭彦は著名な画家ばかりだったので、くいいるようにニュースを観ていた。
「犯人たちはどんな方法で贋作を製造して流通させたのだろう」
事件は相当根深いと感じた。
 書店で贋作事件の記事が掲載されている週刊誌を見つけたので読んでみた。記事の中に青木繫の贋作「海景」(布良の海)の下絵のカラー画像も載っていた。
 贋作は次のような未発表作だった。
 
1 青木繁  6点、海景、神話ほか 下絵
2 佐伯祐三 7点、パリ雪景ほか 下絵
3 岸田劉生 6点 麗子像ほか、下絵
4 小出楢重 7点 静物画、裸婦 下絵
5 村山槐多 5点 カンナと少女ほか下絵
6 関根正二 4点 信仰の悲しみほか下絵
7 藤田嗣治 6点 習作 デッサン
 
 これらの未発表作のほとんどが完成作の下絵なのである。上記の画家たちの多くは短命なので長生きした画家と比べて作品数は少なく、下絵の未発表作が出てきても大いに注目される。下絵は完成作の前段階の絵であるから研究者にとっては非常に興味をそそられる。美術史的価値は相当にあり、美術愛好家や研究者にとっては手の出るくらい欲しい貴重なものだ。タブロー(完成を目的に制作された絵画作品)は既に美術館やコレクターが所蔵しており、それらの下絵、デッサン・スケッチなどが新たに出てくれば数百万円から数千万円の値段がつく。青木繁や岸田劉生などのタブローの下絵ならばその価値は非常に高く、数億円の値段がついてもおかしくない。
 辻昭彦は、この事件にはグループが存在していることを感じた。それは、ひとりの画家にそれぞれ贋作を作る担当者がいることである。ひとりの贋作者がすべての画家の絵を真似することは不可能である。画風が全く異なるからである。担当する贋作者は長い期間をかけて受け持つ画家の筆致や色使いを完全にマスターする。また画集などで相当な模写も行う。それらを身に着けた贋作者は画家の好み、生涯などを徹底的に調べて、未発表作を描くのである。
 そんな推理を考えていたとき、辻昭彦は、ふと青木繁の贋作について気になりだした。
それははなはだ想像の範囲を超えていると思われたが、考えれば考えるほど確信を持ちはじめたのだ。
「俺が買った神崎の絵のタッチと色使いは、青木繁の初期の作品「海景」(布良の海)に似ている」
「海の幸」と同時代に描かれた海をテーマにした作品である。波の描き方、筆遣い、色彩。辻昭彦は、週刊誌を買って書店を出た。すぐに千種区の公務員宿舎へ帰って、神崎の絵と見比べるためだった。
 宿舎に着くと、すぐに週刊誌を開いて青木繁の「海景」(布良の海)の下絵と、壁に飾ってある「神崎の海岸」の絵と見比べた。
「似ている。波の描き方、タッチ、色使い」
 贋作者が制作した下絵は、「神崎の海岸」を描いた画家の画風とそっくりなのである。下絵であるので完成作よりも見劣りはするが、完成作にはない荒削りな勢いのあるタッチ、作者が試行錯誤した様子など、研究者やコレクターたちだったらどうしても手に入れたい興味深いものなのである。
 しかしそうかといって絶対に青木繁の贋作者がこの画家とは限らないのである。画風が似ている画家はほかにもいるからである。
 辻昭彦は、この「神崎の海岸」を描いた山川修という画家のほかの作品も観たいと思った。それからでないと青木繫の絵画との比較は出来ないのだ。この画家の作品が市場にはほとんど出回っていないとなるとやはり直接画家の自宅へ行って見るしかない。
 辻昭彦は、青い屋根の家に住む、神崎の画家のアトリエがどうしても見たいと思った。
 ある日、辻昭彦は課長から東京へ研修に行く日を知らされた。研修期間は20日間である。河川局の研修センターで行われる。センター内に寮がありそこに宿泊するのである。20日間毎日講師から河川業務の最新の知識を学ぶのである。教材は相当な量である。
 当日、新幹線で東京へ行き、さっそく寮へ入った。明日から毎日授業である。研修生は40名で全国から集められている。朝から夕方までの研修はとても疲れるが、新しい知識が頭に入るので仕事には役立つのである。
 日曜日は休みで、みんな町へ遊びに行く。辻昭彦も町へ出た。でも彼は前から予定していた美術館巡りをした。
 ある日、授業が終わってから京橋にあるアーティゾン美術館へ行った。幸運にも当日、青木繁の特別展示会が行われており、画集でしか見たことがなかった多くの実物の絵を観ることが出来た。
「海の幸」、「黄泉比良坂(よもつひらさか)」、「大穴牟知命(おおあなむちのみこと)」、「日本武尊(やまとたける)」、「わだつみのいろこの宮」、「天平時代」、「旧約聖書物語」、「少女群舞」、「朝日」、「自画像」など貴重な作品が展示されていた。館内にはほかにも日本の近代絵画の巨匠たちの絵も並んでいた。小出楢重の「帽子をかぶる自画像」がこんなに大きな絵とは思ってもみなかった。また、佐伯祐三の「リュクサンブール公園」、「広告貼り」もあった。佐伯らしい激しい筆致でパリの風景を描いている。
 とりわけ青木繁の作品群は目を引く。28歳で夭折した短命なこの画家が残した未発表の作品があればだれでも手に入れたい気持ちになる。美術的価値はとりわけ高いのである。
 今テレビや新聞で報じられている贋作事件のことを思いながら犯人たちのことを考えた。贋作を製造している担当者は青木の画風の特徴をすべてマスターしているのである。ひょっとしたら、この会場に贋作者たちが来ているのかもしれない。
 辻昭彦は、贋作者たちが身近にいるような気分で美術館を出た。
 翌日からは再び研修である。5日後には名古屋へ帰るのだ。
 研修の最後の日だった。授業が終わって町に出て書店で雑誌を読んでいると、新たな贋作の記事が載っていた。贋作が見つかったのは、これまでの画家の他に、数人の絵画だった。日本の初期のシュールレアリスムの画家、古賀春江と靉光(あいみつ)の作品2点だった。被害者たちは、まったく贋作とは知らずに数百万円で購入していた。コレクターたちは誰よりも早く絵を買いたいので、作品を十分に調べもせずに高額の金を払って贋作を購入してしまうのである。
 書店を出て、神田の街をぶらぶら歩いていると画廊を見つけたのでさっそく入ってみた。名古屋の画廊よりもりっぱな建物だった。展示されている絵も多かった。受付けは二人の女性だった。数人客がいた。ほとんどが現代絵画だったが、壁の両端に写実画も展示されていた。
 その中にふと目につく絵があった。細長い絵で、松の木が群生している砂浜が描かれていた。
「これは天橋立の景色だ」
 それは天橋立を横から描いた絵だった。目を見張ったのは海の描き方と構図だった。「海の幸」を意識した絵であることがわかった。絵の右下に小さなサインがあった。ローマ字で、(OYamakawa)と書かれている。
 辻昭彦は、名古屋の画廊で買った「神崎の海岸」とこの絵を頭の中で見比べてみた。色彩は平凡だが、筆のタッチは似ている。
 この絵は同じ画家の作品だ。製作者の名前は山川修である。製作年が2006と描いてある。おそらく若い頃の作品なのだ。絵の値段を観た。7万円だった。ずいぶん安い。有名画家ではないので、早く処分するために展示したのだ。クレジットカードで買うことに決めた。受付けに行って購入手続きをした。絵は名古屋の公務員宿舎へ送るように伝えて店を出た。名古屋へ帰ったら、2つの絵を改めて検証しようと思った。
 研修が終わってから辻昭彦は名古屋に帰ってきた。研修報告のレポートを1週間で書き上げて課長に提出した。
 来週、2日間の休暇を取ることにした。舞鶴へ帰って神崎の画家の家に行くためである。
                                 (つづく)                                          


2023年7月13日木曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

        2

母親は今年89歳になる。頭は呆けてきているが、相変わらず元気で安心した。夕食は久しぶりに新鮮な魚を食べてほっとした。やはり地元で採れる魚は美味しい。食事が終わってお風呂にもゆっくり浸かった。久しぶりに自宅へ帰ってほっとした気分だった。
「明日、午後に神崎へ行ってくる」
 母親にいってその夜はぐっすり眠った。
 翌日、天気が良かったので、昼ご飯を食べてから電車で神崎へ行くことにした。自宅近くにバス停があり、バスに乗って西舞鶴駅に行き、13時30分発の宮津行きの京都丹後鉄道に乗って神崎駅で途中下車した。西舞鶴駅から神崎駅までは20分で行ける。駅は寂しい小さな無人駅だ。この駅からさらに15分行くと終点宮津駅に着く。
 神崎駅を降りて東へ10分ほど歩いて行くと松林が見えてくる。松林の向こうは海である。広い駐車場には軽トラックが一台止まっているだけだった。夏になると、この駐車場は海水浴客でいつも車でいっぱいになる。
 今日は晴れの天気で海は穏やかだ。10月はじめの砂浜は、漂流物や木の枝、貝殻などたくさん落ちていた。あまり美しい砂辺ではない。砂浜には長い遊歩道があり、散歩している人がいた。地元の人だろう。
 辻昭彦は、画家の家を捜す前に、画家が描いた絵の場所を探してみることにした。
「神崎の海岸」の絵の構図は、由良側(西)から東へ向かって海岸線を描いた絵だった。絵の左側は海で、テトラポットに波が打ち寄せていた。その波の様子を見ていたとき、ふと昔のある有名な画家の海の絵を思い出した。誰の絵だったかしばらく考えたが浮かんでこなかった。左側は砂浜が描かれ、絵の中央の奥には金ケ岬が描かれてあった。
 遊歩道を歩き回って、ようやくその場所を見つけた。絵に描いたとおりの風景だった。眺めていると、耳にカモメや海鳥の鳴き声が聞こえてきた。潮の匂いも懐かしい。遊歩道のすぐ後ろは松林で、その周辺にはボート小屋や公衆トイレなどがあった。
 そのボート小屋の近くで麦わら帽子をかぶったひとりの中年の男がスケッチブックを広げて絵を描いていた。
 辻昭彦は、その絵が見たくなった。そばまで歩いて行くと声をかけてみた。
「今日はいい天気ですね。いつもここで描いているんですか」
 麦わら帽子の中年の男は振り向くと、視線を辻の方へ向けた。
「ああ、今日は風も弱くて、波も高くないから絵を描くにはもってこいの日だ」
 中年の男は地元の人で、にこやかに答えた。男は鉛筆と色鉛筆を使って、テトラポットに打ち寄せる波を上手に描いていた。水平線の向こうには小島が描かれている。
 辻昭彦はこの男に、ここで油絵を描いている画家のことを尋ねてみた。
「昨日、名古屋から舞鶴の実家へ帰ってきたんですが、神崎で洋画を描いている画家さんの家をご存じですか」 
「あんたその画家に会いにやってきたのかね」
「ええ、名古屋の画廊で、その人の絵を買ったのです。店主からその画家は神崎の人だと聞いたもので」
 中年の男は辻昭彦の話を聞いて答えた。
「その絵描きの家は、向こうの松林の後ろにある青い屋根の2階建ての家だ。ひょろっとした背の高い無口な男で一度も話したことがない。以前は奥さんと二人で暮らしていたが、最近は奥さんの姿を見たことがない。数年前までは画材道具を持って、由良や宮津、天橋立、経が岬などへ電車に乗って制作をしに行っていた。いつも黒いベレー帽を被っていたよ」
 中年の男はそう話した。辻昭彦はほかにもいろいろと尋ねてみた。
「奥さんがおられるんですね。地元の人なんですか」
「奥さんは宮津の人だ。その画家は十五年前に府外からやってきた。関東出身だとか近所の人から聞いているが、どの県だか知らない。最近は外出もしないで家の中で絵を描いているという噂だ。どんな絵を描いているのか全然知らない。散歩のときに出会ってもあいさつもしない変わった男だ」
 辻昭彦は、中年の男から話を聞いて、変わっているというその画家にぜひ会いたいと思った。画家の家はすぐそこなのだ。たぶん在宅だろう。
 中年の男と別れて、さっそく向こうの松林の後ろにある画家の家の方へ歩いて行った。5、6分ほど歩いて行くと、道路の傍に2階建ての青い屋根の家が建っていた。周囲にも家が何軒かあった。敷地の中にガレージがあり、シャッターは閉まっている。
 辻昭彦は敷地の中へ入ると玄関まで歩いて行った。玄関にはブザーがあった。ボタンを押す前に躊躇した。
「誰かもわからない自分に会ってくれるだろうか。自分はこの家の画家の絵を一枚買っただ  けなのだ」
 思いながら引き返そうかとも考えた。でもせっかくここまでやってきたのだ。ダメでもともとなのだ。そう考えながらボタンを押してみた。
 ブザーの音が耳元にも聞こえた。不安な気持ちで玄関の扉が開くのを待った。
 ところが中は静かで何んの音も聞こえなかった。
「やっぱり留守か」
 しばらく待ったが誰も出てこなかった。辻昭彦はあきらめて帰ることにした。敷地を出て、もう一度玄関の方を振り返ったが、誰も出てくる様子はなかった。駐車場まで戻って来ると、さっきの軽トラックが一台だけ止まっていた。辻昭彦はそのまま神崎駅の方へ歩いて行った。
 西舞鶴駅に着いてから、近くの喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。新聞や週刊誌などを読んでいたら時間がずいぶん経っていた。バスに乗って自宅に帰ったのは午後5時過ぎだった。夕飯が出来ていたのですぐに食べた。
 お風呂に入ってから、「明日、もう一度神崎へ行ってくる」と母親に言ってその夜は早めに寝た。
 翌日、辻昭彦は午後から電車で神崎へ出かけた。神崎駅を降りて海岸の方へ歩いて行った。駐車場には昨日の軽トラックが置き忘れたように止まっていた。
 辻昭彦は、青い屋根の画家の家の方へ歩いて行った。
 敷地の中に入り、玄関のブザーを押した。けれども誰も出てこなかった。今日も不在だ。
 辻昭彦はがっかりして敷地から出た。そのとき、隣の家から年取った婆さんが出てきた。辻昭彦は、その婆さんに尋ねてみた。
「隣の家の方はお留守なんですか」
 その問いに婆さんは、
「隣の方のことはよく知らんのです。大変無口な方ですから。昨年まで奥さんと一緒に住んでおられましたが、離婚されたのか、ご病気なのか最近は見かけません。普段はひとりで生活しておられます。ときどき夕方に遊歩道を散歩している姿を見かけます」
 辻昭彦は、隣の家の人が画家であることを話した。すると婆さんは、
「ええ、15年前から住んでおられます。お仕事は画家さんです。来られた頃はよくこの海岸の絵を描いておられました。いつもベレー帽を被って、絵の道具を持って電車であちこちへも行っておられました。でも最近は見かけません」
 辻昭彦は、この家に誰かやってこないか尋ねてみた。
 すると婆さんは、
「ときどき乗用車がやって来ます。府外ナンバーの車ですよ」
 婆さんはそれ以上のことは話さなかった。辻昭彦は婆さんに礼を言ってその場を離れた。
 せっかくやって来たのに、画家に会うことは出来なかった。でもたくさんの貴重な話を聞くことができた。
 帰りの電車は乗客が数人だけだった。座席に座って、昨日、海岸で絵を描いていた中年の男と、隣に住む婆さんから聞いた話をもう一度頭の中で整理した。
 神崎に住んでいる画家は既婚者で、あの青い屋根の家に十五年前から住んでいること、最近は外で絵を描いていないこと、ときどき府外ナンバーの車がやってくることなど。
 西舞鶴駅へ着くと、バスで自宅へ帰ってきた。
 母親が夕食の準備をしていた。タイ、アジ、イカ、甘エビがお皿に載っていた。
「帰ってきたんか」
 味噌汁を作りながら母親がいった。
 今夜は刺身が食べられるのだ。夕食が済んでからお風呂に入り、しばらく画家のことを考えながら眠った。翌朝、車で名古屋へ帰った。
                                   (つづく)
 

2023年6月26日月曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

      1

 辻昭彦は名古屋市に住んでいた。国土交通省中部地方整備局河川事務所の職員だった。年齢は36歳、独身である。
 住居は千種区にある公務員宿舎で、いつも3階の部屋で生活していた。業務は名古屋市の河川に設置されている水位計の管理と監視、また河川の保全に関する業務だった。
   仕事が休みの日は、美術館巡りをするのが趣味だった。自分でも絵を描いており、自室に水彩画やパステル画を飾っていた。
 写真にも興味があって地下鉄に乗って、知多半島へ出かけて海の風景写真なども撮っていた。そんな暮らしぶりの彼だったので、生活はごく平凡だった。友達も少なくていつも出歩くのは一人だった。
 ある日、地下鉄に乗って名古屋駅に行き、近くの美術館へ見学に出かけた。彼の好みは、古典の西洋絵画や日本の近代絵画だった。
 10年前、河川事務所の研修で東京へ行ったとき、京橋にあるブリヂストン美術館(注 2019年7月1日よりアーティゾン美術館に改称)で、青木繁、藤島武二、佐伯祐三、中村 彝、藤田 嗣治、関根 正二などの作品を見た。また上野公園内にある国立西洋美術館では、ギュスターヴ・クールベ、ポール・セザンヌ、モーリス・ドニ、ポール・ゴーギャン、クロード・モネ、カミーユ・コロー、オーギュスト・ルノワールなどの作品も鑑賞した。
 いつもそうだが、美術館にいるときは普段の生活から解放されて絵の世界に没頭出来る。でも美術館から外へ出るとそんな気分は消えてしまうのだ。歩道を歩くたくさんの人込み、車の音、店から聴こえてくる騒々しいBGMの音。辻昭彦は味気ない普段の生活に戻ってしまう。
 美術館へ行った帰りは必ず書店へ立ち寄った。最近は、クレー、カディンスキー、モンドリアンなどの抽象絵画に興味を持っていたので、画集や評論などを1時間くらい立ち読みすることもあった。
 ある日千種区の裏通りを歩いていたとき、ビルの間に隠れるように建っている小さな画廊を見つけた。隣は骨董屋で店の前には昔の箪笥、テーブル、椅子、本棚、照明器具などが無造作に山積みされており、普段は画廊があることに気づかずに通り過ぎていた。
 わずか15坪ほどのワンルームの店舗の壁には30点ばかりの絵が展示されていた。
店内はひっそりとしていて、どれも6号から8号くらいの絵で、ありきたりの絵ばかりだった。2,3点買ってもいいなと思える絵があったが、その中に1枚気になる絵を見つけた。
「この海の風景はどこかで見たことがある」
 じっと絵を観ているうちに思い出した。
「そうだ、神崎の海岸だ」
 辻昭彦の故郷は京都府舞鶴市だった。神崎海岸は子供の頃、海水浴に行ったのでよく覚えている。
 懐かしい気持ちでしばらく観ていると、店主がそばにやってきて、
「あまり知られていない画家の作品ですが、なかなかいい絵でしょう」
 店主は画家のことを少し話してくれた。店主の話によると、その画家は現在も神崎に住んでいて創作活動をしているそうだ。年齢は44歳で、海の風景をテーマに描き続けているとのことだった。
「この画家の名前と住所はわかりますか、教えてくれたらこの絵を買いましょう。値段は」
 店主は喜んだ顔で、
「名前は山川修さんです。神崎海岸の後ろの民家に住んでおられます。値段は4万円です」
 辻昭彦はその絵を買った。紙にボールペンで画家の名前と住所を書いてもらった。
 公務員宿舎に帰って来るとさっそくその絵を部屋に飾った。
 あまり知られていない画家といったが、絵の技術は優れていた。写実の腕前は抜群だった。絵の右下には(Yamakawa)とサインが書き込まれていた。この画家が描いたほかの絵も売られているかも知れない。辻昭彦はその画家の絵を揃えてみたくなった。同時に自分の創作欲も湧いてきた。
 ある日の日曜日、スケッチブックを持って近くの千種公園へ行き、ベンチに座って鉛筆スケッチをした。辻昭彦は、よくこの公園で絵を描くのだ。松林を散歩している人やベンチに座って本を読んでいる人をすばやく写生する。
 以前、この公園のベンチに座ってヴァイオリンを練習していた爺さんがいて、その姿も描いたことがある。ずいぶん下手糞な演奏だったが、いつも楽しそうに弾いていた。最近は見かけない。
 スケッチをしていると鳩がたくさんそばへ集まってくる。その光景も何枚も描いた。
 絵は鉛筆と色鉛筆で描いて、アパートへ帰ってから水彩絵の具を使って完成させるのだ。
 雨の日は部屋の中で静物画を描く。リンゴやみかん、梨、ブドウなどを買ってきて皿の上に並べて、パステルと水彩絵の具を使って描くのだ。また愛用のマンドリンやギター、リコーダーなども静物画として描いたりする。
 そうやってずいぶんたくさんの絵を描いた。でも海の絵はまだ一枚も描いていない。だからこの前買った神崎の絵のような海の絵が描きたくなった。
 ある日の日曜日、地下鉄に乗って栄町へ行った。歩道を歩きながら画廊を見て回った。神崎以外の場所を描いた、あの画家の海の絵はないか画廊を訪ね歩いた。でもどこの画廊に入っても目的の絵はなかった。店主に画家の名前を言って調べてもらったが、いまのところ仕入れていないとのことだった。
「やっぱり市場に出ているのは神崎の絵だけか」
 夕方まであちこち画廊を捜し回ったが成果はなかった。地下鉄に乗って千種区へ帰ってくると近くのミニスーパーで刺身を買って宿舎へ戻ってきた。夕飯のとき刺身を食べたが、鮮度が落ちていて少しも旨くなかった。
「やっぱり舞鶴の新鮮な魚が食べたいな。来週、帰省しよう」
 夜ネットで絵画販売のホームページで画家の作品を調べてみたが、やはり無かった。
 数日後、2日間の休暇を取った。舞鶴へ帰省することにしたのだ。帰るのは半年ぶりだった。名古屋から中央自動車道で米原に行き、そこから北陸自動車道に乗り変えて、敦賀から国道27号線で舞鶴へ帰った。家には母親がひとりで暮らしていた。
                                  (つづく)