2023年10月25日水曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

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 宮津駅に着くと、港の方へ歩いて行った。港から天橋立の松林がよく見えた。港の東側を約1キロほど北に向かって歩いて行くと、天橋立が真横から見える。今日は遊覧船が出ていた。海は穏やかで宮津湾が美しかった。
 画家が描いた絵は夏の松林の風景だった。青木繁の「海の幸」と同じ横から描いた構図だった。漁師たちの力強い行進を思わせる「海の幸」の雰囲気ではなく。風に揺れる松林を力強く描いた細長い構図の絵だった。松の間に見える空には金色の絵の具が所々に塗り込まれており、「海の幸」を強く意識した絵であることが分かる。
 辻昭彦はしばらく天橋立の松林を眺めていたが、やがて引き返すことにした。南の方へ歩いて行くと宮津駅に向かった。
 駅前にお土産店があったのでその店に入った。母親に何か買って帰ろうかと思ったが、あいにくたいしたものは売られていなかった。買いたい物もなく、店の前に置かれたジュースの自動販売機で缶コーヒーを買った。傍のベンチに腰を下ろして飲んでいた時である。駅の改札口から乗客が出てきた。
「おやっ」
 辻昭彦は目を鋭くそちらに向けた。出てきた乗客の中に画家の姿が見えたからだ。灰色のジャンバーを着た長身の細い身体の男だった。
「何の用事で宮津にきたのかな」
 辻昭彦は、飲み終わった缶をゴミ箱に放り込むと、画家のあとをつけてみることにした。
 画家は駅を出ると、北側の歩道を歩いて行った。300メートルほど行くと宮津T病院が見えてきた。画家は病院の入り口へ歩いて行った。
 病院の中へ入ると、受付けに行き要件をいった。職員から待つように言われて席に座った。辻昭彦も気づかれないように一番うしろの席に座った。来客がずいぶん多かった。10分くらいしてから画家は受付に呼ばれた。職員は声が大きく、話の内容が遠くからでもわかった。
「奥さんは、予定通り、今月30日に群馬県のみなかみ町の病院へ転院されます。あなたも住所が変わられるのですね」
 画家は、そうだと返事をした。今日は16日である。あと2週間である。職員は転院先の病院の資料などを画家に手渡していた。10分ほど職員と話してから画家は宮津T病院を出た。
 それから西へ500メートルほど歩いて行くと、左道に入って、「Mカトリック教会」と表札が出ている前で立ち止まった。そして教会の中へ入って行った。
 辻昭彦は道路の向かいの電信柱の後ろに身を隠して見ていた。教会の中から神父が出てきて画家と話をしていた。10分ほど話し込んでいたが、終わると駅の方へ歩いて行った。画家はキップを買って西舞鶴行きの電車に乗った。辻昭彦もその電車に乗り、気づかれないように離れた座席に座った。画家は神崎駅で降りた。辻昭彦はそのまま西舞鶴駅へ帰った。
 その日の尾行によっていろいろなことが分かった。画家の妻が病気で宮津T病院に入院していること、そして今月の末に群馬県の病院へ転院すること、画家がクリスチャンであること。この日は多くのことが分かったのだ。
 翌日、辻昭彦は、名古屋へ帰った。職場へ行くと仕事のメールがたくさん来ていた。今月から河川事務所の維持管理業務である、各河川の危険箇所の調査と報告がある。また台風や大雨のときの防災対策の会議が数日おきに予定されている。3週間ほど仕事に追われてほかのことを考える余裕はなかった。
 仕事がようやく落ち着いたある金曜日、辻昭彦は仕事を終えて千種区の宿舎に向かっていた。12月に入り、さらに気温が下がってずいぶん寒かった。途中、千種区の以前絵を買った画廊へ立ち寄った。
 店内に入ると、客がひとりいて店主と最近話題になっている贋作事件のことを話していた。辻昭彦はそばで立ち聞きしていたが、やがて客は店から出て行った。店主が辻に気づいてそばにやってくると、
「どうも、以前は当店の絵をお買い上げいただきありがとうございました。じつはー」
 店主は礼を言った後、こんなことを辻昭彦に告げた。
「あなたが以前お買いになった絵の作者のことですが、なんでもいま話題になっている贋作事件の関係者のひとりだそうです。その画家は現在、行方不明です」
 3週間の間にこんなことが起きていたのかと辻昭彦は驚いた。やっぱりそうだったのか。
「神崎の自宅には1週間前に電話しましたが、住所が変わったのか繋がりません」
 店主から話を聞くと辻昭彦は店を出た。そして急いで自分の宿舎に帰った。
 翌朝、朝刊を読んでみると、贋作事件の記事が出ていた、それには次のように書かれていた。
 今年に入ってから全国規模で発生している有名画家の贋作製造事件の容疑者追及に意欲を燃やしていた警視庁は、先月20日に容疑者9名の名前を公表し全国指名手配した。25日には主犯格の男(A)とほか4名を逮捕、29日には3名を逮捕、残り1名となる。行方不明の容疑者(Y)は京都府舞鶴市神崎在住。山川修。(44歳)現在逃走中。
 辻昭彦は朝食を食べながらこの記事を読んでいた。食事が終わって自室へ入った。部屋の壁には、神崎の画家の絵が2枚飾ってあった。それらの絵をじっと観ながら、あの画家はどこへ姿を隠したのかといろいろ想像を巡らせた。
 しかし神崎の家を訪ねたあの画家が贋作事件の犯人とはどうしても思えなかった。絵の技術や画風は似ているが、あの画家は青木繁の絵のことは何も知らないからだ。
「きっと贋作の協力者がいる」
そう考えないと疑問が解決できないのだ。
 そのとき辻昭彦はふと思い当たった。
「そうだ、度々やってくるあの車だ」
 辻昭彦は、青木繫の生涯や絵の特徴をよく知っている協力者があの家にやって来て、贋作のアドバイスをしていたのだと考えた。協力者は贋作制作のときに常に画家に重要なアドバイスを与えていたのである。
 それによっていかにも青木繫が創作しそうなテーマの絵を描かせるわけである。アドバイスを受けないで勝手な絵を描けば、青木繫の専門家や研究者が見ればすぐに変だと気づかれてしまうからだ。
「警察は画家の家に、度々やってくるダークブルーの車に乗った人物のことを徹底的に調べているに違いない」
 辻昭彦はそう考えたが、ふと疑問にぶち当たった。それは行方不明の山川修以外の関係者はすべて逮捕されているのである。アドバイスをしていた人間もその中に含まれており、既に取り調べを受けている。行方不明の画家の居所もしばらくすれば分かるだろう。でも画家はどこに隠れているのだろう。辻昭彦は再び舞鶴へ帰って調べることにした。
                                  (つづく)