2026年8月3日月曜日

(連載推理小説)空からの目撃者

     2

 矢原譲吉は東舞鶴の七条通りに住んでいる。独り暮らしのアパート生活だ。部屋の壁には、ドローンで撮影した写真がずらりと並び、動画も数多く制作した。空からの視点で捉えた舞鶴市の風景は、どれも見応えがある。
 学生時代、舞鶴市に一軒しかない映画館で半年ほどアルバイトをしていたことがある。そこでは宇宙船や航空機のSF映画もよく上映されており、譲吉はスクリーンを眺めながら、
「自分もこんな空撮映像を撮ってみたい」と思うようになった。
 それ以来、市内の公園や舞鶴港へ行って、ドローンで映像を撮りためてきた。最近、You Tubeチャンネルを開設して、10本近く動画もアップした。譲吉にとって、ドローンを飛ばすことは唯一の趣味だった。しかし、先日の事件現場を目撃して以来、ドローンを飛ばす勇気も気力も失ってしまった。彼は何よりも、事件に関わることを恐れた。
「あの日、あそこへ行かなければよかった……」
 後悔しても時間は戻らない。
 譲吉は現在、近所のセルフ式ガソリンスタンドで働いている。アパートから近いので徒歩で通勤している。勤めて七年になる。店は店長と年下の男性二人、そして譲吉の四人で回している。24時間営業のため夜勤もあるが、仕事は比較的単調だ。給油の開閉ボタンを押すほか、オイル交換や冬季のタイヤ交換など、雑務はそれほど多くない。夜九時を過ぎると車の数も減り、あとは店の掃除や使用済みのタオルの洗濯くらいしかやることがない。
 事件から10日が過ぎたある日、夜勤に入ると、店長が客と立ち話をしていた。
「西舞鶴で殺人死体遺棄事件があったらしい。現在警察が調べているそうだ」
「舞鶴で殺人事件なんて珍しいな。場所はどこだ?」
「女布のショッピングセンター裏の栗の林の中だ。農家の人が枝を伐採しに来たとき、地面が不自然に盛り上がっているのに気づいたらしい。埋められていたのは若い女性だ」
その会話を耳にして譲吉の心臓は凍りついた。
(思っていたより、早く見つかったのだ……)
 個室で作業着に着替え、仕事を始めた。午後7時に店長が帰り、午後9時を過ぎると車の数はぐっと減った。譲吉はひと仕事を終え、レジ横の椅子に腰を下ろした。
 夕刊を読んでみたが、まだ事件の記事は載っていなかった。しかしその夜、彼の心は不安に満ちていた。妄想が次々と頭をよぎる。
「警察は今頃、事件現場周辺の聞き込みをしているはずだ。犯人らしい人物がいなかったか。不審な車が停まっていなかったか……」
 最も気がかりなのは、ドローンを飛ばしていた自分の姿を誰かに見られているかどうかだ。広い田畑の周囲に民家はあるが、距離がだいぶ離れている。それに夕方で周りは薄暗かった。もうひとつ、簡易郵便局の前で出会った高齢者と女性だ。警察はもう二人にも聞き込みをしているかもしれない。おそらく二人は近隣住民だ。
 いろんな妄想に耽けりながら、やがて夜が明け、朝刊がスタンドに届いた。譲吉はすぐに紙面を開いた。仕事どころではなかった。
 記事を読んだ譲吉は、ついに恐れていた事態が現実になった。新聞の記事に10日前の事件のことが書かれていたからだ。
 8時になって日勤者と交代して、アパートへ帰った。でも少しも落ち着かず、テレビをつけると女布の女性殺害死体遺棄事件のニュースばかりが流れていた。食事をとったが、ほとんど喉を通らなかった。
 その日は外出せず、夜勤の疲れもあってすぐに眠りについた。夕方5時、目を覚ますと夕食の準備を始めた。ご飯を炊き、昨日スーパーで買ってきた焼き鳥を温め、インスタントのみそ汁を添えた。
食 事中、テレビをつけると女性殺害死体遺棄事件の続報が流れていた。事件現場の栗の林から150メートル離れた民家の主婦が、テレビ局のリポーターの質問に答えていた。
「10日前でした。夕方6時頃、農道に車が停まっていて誰か知らない人が畑で何かしていました。すぐに家に入ったのであとのことは知りません。停めてあった車の色はダークブルーでした。どの家も夕食の準備中だったので外へ出る人は少なかったと思います」
 譲吉は青ざめた。主婦は警察にも同じことを話しているはずだ。人通りのない場所で、ドローンを飛ばしていたのは自分だけだ。警察はすでに、自分と車のことも調べているはずだ。あの高齢女性を連れた女性にも聞き込みをしているだろう。
 妄想が次々と頭をよぎる。目撃者たちの証言をもとに、警察が自分のところへやって来る可能性がある。譲吉は犯人ではない。しかしあの日事件現場にいたのは犯人と自分だけだ。もし警察がやって来たらどうするか。そのときは正直に話すだけだ。撮影した映像を見せればいい。
 女布の栗の林の遺体発見後1週間して、ガソリンスタンドへ行くと、店長がそばに来て譲吉に言った。
「昼頃、警官が二人やって来た。この店にダークブルーの乗用車が給油に来なかったかしつこく聞いた。もし見かけたら知らせてくれと言った」
 店長に言われて、心臓が止まりそうになった。
「ほかに何か聞きましたか……」
「警察は事件の捜査で、舞鶴市のすべてのダークブルーの乗用車を全部調べているといっていた」
 店長から話を聞いて、さらに不安が広がった。
 譲吉は自分がドローンを趣味にしていることを店長やほかの同僚に話さなかったことは幸いだった。(つづく)























2026年7月2日木曜日

(連載推理小説)空からの目撃者

    1

 舞鶴市女布に、大型のショッピングセンターがある。かつては田畑ばかりで民家もまばらだったが、20年前にこの店がオープンして以来、様子は一変した。周囲の民家も増え、広い駐車場には、平日でも多くの車が並んでいる。
 ショッピングセンターの西側は、今も田畑が広がり、林も残っている。北側の50メートル先には京都丹後鉄道宮津線が走り、並行するように市道66号が通っている。この市道を西へ1キロ行くと真壁峠があり、峠を越えると由良川へ出る。
 9月のある夕方、一台の車がその近くの農道脇に停車した。農道には「駐車禁止」の標識が立っていた。運転していた男は、それを知っているのか、周囲を気にしながら落ち着かない様子だった。
 車に乗っていたのは、矢原譲吉という30歳の男。後部座席から黒塗りの機械を取り出すと、畑の方へ歩いていった。それは数日前にネットで購入したドローンで、今日は初飛行だった。
 矢原がドローンに興味を持ったのは2年前。最初に買ったのは、3万円の機体重量100グラム未満のミニドローンだった。しかし操縦が未熟で、すぐに墜落させて壊してしまった。その後も数台買い替え、ようやく安定して飛ばせるようになった。今回購入したのは、8万円の機体重量200グラムのドローン。100グラムを超えるドローンは航空法の対象になり、申請が必要で、彼も許可を得ていた。操縦技術も向上し、今では空撮映像を編集して短編映画を作るのが趣味となっていた。
 最近は、人のいない田舎でなければ飛行を十分楽しめない。とはいえ、どこの道路も駐車禁止で困る。夕方なら人も少なく、問題ないだろうと考えた。今日は風もなく、飛行には絶好の条件だった。
 彼は送信機を片手に、ドローンを畑の小道に置いてスタートボタンを押した。ローターが回り出し、機体を5メートル上昇させて空中停止させた。
「しばらく低空で試してみようか」
 つぶやきながら、機体を20メートルの高さまで上昇させた。
 10分ほど畑の景色を撮影していたとき、西側の100メートル先の栗の林の中で何かが動いた。近くに農作業小屋がある。農家の人だろうと思ってモニター画面を見ていると、様子がおかしい。
 そこにいたのは、黒い帽子をかぶり、黒いジャンパーを着た30代後半くらいの男性。シャベルで穴を掘っている。そばに大きめの布袋が置かれており、何かはみ出ている。
「何をしてるんだ……」
 矢原は高度を下げて様子をうかがったが、気づかれたら大変なので、ドローンを畑の方へ戻した。しかし、さっきの光景が頭から離れなかった。
 それからも15分ほど空撮を続けたが、バッテリーも残り少なくなり、あたりも暗くなってきたので、ドローンを着地させて帰ることにした。車に戻り、ドローンを後部座席に積み込んでエンジンをかけた。運転しながら、さっきの男のことが妙に気になった。
「あの男は何をしていたのだろう。あの袋は、いったい……」
 農道を走って簡易郵便局の前にやって来たとき、二人連れの女性が歩いていた。一人は高齢者だった。突然、その高齢者が転倒して道路側に飛び出した。矢原は慌ててブレーキを踏み、車はすぐに止まった。付き添っていた中年の女性が高齢女性を抱き起こして、「すみません。大丈夫ですーー」
と言った。おそらく親子だろう。
 帰宅後、夕食をとり、風呂に入ってから、今日撮影した映像を観ることにした。録画時間は約30分。栗の林の上空から撮った映像が気になり、早送りで再生した。10分を過ぎたところで、目当ての映像が現れた。
 高度20メートルからの映像なので人物は小さく、木々が邪魔をしてはっきりとは見えない。でも途中で高度を下げて撮影したので状況がわかった。枝の隙間に30代後半くらいの男がスコップで穴を掘っている。ドローンは飛行音がほとんど聞こえない。男も作業に集中しているので上空にドローンがいることに気づいていない。
 男のそばにカーキ色の大きな布袋が置かれている。映像を止めてその部分を切り取った。はじめ小さくてよくわからなかったが、拡大すると、それが何なのかがわかった。布袋からはみ出ているのは女性の白い腕だった。赤いものが付着しているのは血だろうか。肌が異様に白く不気味だった。もしそれが女性の死体だとしたら、死後硬直はまだ始まっておらず、死亡してからそれほど時間は経っていない。この男が殺害したのだろうか。
 矢原譲吉は画像と動画を繰り返し見ながら、事件の状況を推理してみた。
 もしこれが犯罪ならば、映像を警察に届ける必要がある。重要な証拠品だからだ。しかし、すぐに難問にぶつかった。
 それは出来ないのだ。警察は、なぜその場所でドローンを飛ばしていたのか詳しく尋ねるだろう。矢原はその地区の住民ではなく、自宅から30分もかかる東舞鶴から車でやって来た。この場所は駐車禁止区域だ。警察は車をどこに停めたか聞くだろう。矢原は昨年、駐車違反で捕まったことがある。
 いろいろ考えた末、警察への届け出は無理だと考えた。さらに、別の心配事がある。帰るとき高齢女性を連れた女性に目撃されていることだ。農道に自分以外の車は見あたらなかった。もし栗の林の中から遺体が発見されたら、警察はその日の目撃情報を集めるだろう。あの女性にも聞き込みが行われるはずだ。
「簡易郵便局の前で、ダークブルーの乗用車を見かけました。その車は農道から走ってきて、私たちの前で急停車しました。30歳くらいの男性が運転していました」
 そう証言するだろう。
 あれこれ考えた末、矢原譲吉は警察への届け出はやめることにした。(つづく)





















2026年6月1日月曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

     4

 N警察署の刑事・村瀬(47歳)は、捜査会議を終えて自席に戻った。彼は先日起きた書店店長殺害事件の担当刑事であり、犯人とされる投資家・池上亮一の調査を受け持っていた。
 池上は現在、精神病院に収容されている。数か月前にも出前配達員殺害容疑で逮捕されたが、統合失調症のため不起訴となり、病院へ送られた経緯がある。病院側は彼の病歴を詳細に調査し、警察へ報告済であった。
 村瀬が病歴を読んで特に注目したのは、池上の10代の頃の症状だった。
 14歳の池上は自閉症の傾向から不登校となり、半年ほど精神科に通院していた。その頃から妄想の兆候が見られたが、病状は軽度と判断され、通院は終了した。
 中学時代の池上の病歴には、興味深いエピソードがある。
 ある雨の日、授業後、帰宅するために下駄箱へ行くと自分の傘がなくなっている。「誰かが盗った」と池上は激しく怒り、数日間にわたって犯人捜しを続けていた。
 また、昼食時に弁当の味がおかしいと感じ、「誰かが殺虫剤を入れた」と信じ込んだ。クラスメートを一切信用せず、常に疑いの目を向けていた。その執念深さに教師たちも驚いたという。しかし、これらの症状は数年後には回復し、学校生活も順調だった。
 村瀬はこれらの記録を読み、今回の犯行が精神病の再発によるものと推測した。
 だが、病歴と事件調書を読みながら、いくつかの不可解な点に気づく。池上は供述の中で、頻繁に送られてくる白紙の手紙の事と無言電話について語っていることだ。
 村瀬は事実確認のため、池上の住居周辺の郵便局を訪れ、職員に聞き込みを行った。すると、20代の若い男性が、頻繁に手紙を投函していたことが分かった。その人物が池上であるのか、別の人物なのかは確認出来ていない。池上自身が精神病の混乱の中で自分宛に白紙の手紙を送った可能性もあり、本人もその行動を覚えていない。
 では、無言電話は誰なのか。
 村瀬の脳裏に浮かんだのは、書店で一緒に働いていたという男・鈴木の存在だった。しかし、鈴木は遠洋マグロ漁船で水死したとされている。死者がよみがえるなどありえない。
だが、池上に執拗に付きまとっていた人物はこの人物以外には考えられない。もし鈴木が生きているとしたら――。
 村瀬は鈴木が乗船していた漁業会社に問い合わせてみた。漁業会社の担当者の話では、その年の冬、インド洋で操業中だったマグロ漁船の漁師が一人、水死したことが分かった。だが、遺体はいまだに発見されていない。名前は「鈴木」だが、年齢は48歳だった。
「水死した漁師は48歳? 名前は同じだが、年齢が違う」
 村瀬がさらに詳細に調べると、そのマグロ漁船が出航する前に、下船した漁師がいたことが分かった。その漁師は年齢が29歳(池上亮一と同年齢)で、同じ鈴木という人物だった。しかし苗字は同じだが名前が違っていた。海で死んだ男は鈴木儀雄だが、乗船しなかった男は鈴木義雄だった。読みは同じだが、漢字が少し違っている。
「そうか。池上の同僚だった鈴木は、海で死んだのではない。死んだのは別人だったのだ」
 村瀬は推理をやり直した。出航前に姿を消した鈴木義雄は、身を潜めながら池上に接近していた疑いがある。目的は、おそらく池上の資産を奪うためだろう。
 白紙の手紙、無言電話、アパートの窓越しの男――すべて鈴木義雄の仕業だったのではないか。
 目的が資産を奪うためならば、池上の銀行口座を早急に調査する必要がある。おそらく池上が入院中に彼の口座から不正に現金を引き出した可能性があるからだ。
 村瀬は池上が利用していた郵便局、銀行に問い合わせて口座を調べてもらった。
 池上が頻繁に利用していた郵便局の口座を調べてみると、この数か月の間に、すべての現金がカードで引き出されていた。池上はほかにも3つの銀行に口座を持っており、それぞれ5000万円が預けられていた。鈴木という男が犯人であれば、近いうちに、これらの金も狙うはずだ。村瀬は他の刑事と一緒に3つの銀行を張込むことにした。数日間は何事もなかった。しかし10日後――。
 この町のR銀行I支店のATMに、午後3時過ぎ、サングラスとマスクを掛けた若い男がやってきた。その男はカードで現金を下ろすと、そのあとすぐにM銀行N支店へ行き再び現金を下した。次にF銀行のD支店でもカードで現金を下ろした。それを確認した刑事がその場に飛び込んだ。サングラスの男は驚き、逃げようとしたが、刑事に腕を掴まれ、すぐに手錠を掛けられた。
 男は警察署に連行され、取り調べの結果、村瀬刑事の推理通り、鈴木義雄であることが分かった。鈴木は過酷なマグロ漁船の仕事に耐えられず、もっと楽に金を得る方法、つまり池上に接近し資産を奪うことを思いついたのだ。鈴木は刑事の追及に完全に屈服し、自分の罪を認め、犯行のすべてを自供し、この事件は解決した。(完)
















2026年5月2日土曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       3

 数日後、俺は警察署の取り調べ室にいた。だがすぐに警察病院の精神科へと移送された。
体力は落ちていたが、高カロリーの食事を摂るうちに徐々に回復し、会話もできるようになった。
 ある日、医師の問診を受けることになった。
俺は、ある友人との関係、投資のこと、そして数か月前から続く異常な出来事について、できる限り詳しく話した。
何度かの問診の後、医師は診断を告げた。
「あなたには統合失調症の疑いがあります。特に“追跡妄想”の症状が顕著です。誰かに尾行されている、監視されていると感じる症状です。さらに“関係妄想”も強く現れています。周囲の出来事に特別な意味があると感じ、根拠なく自分に関連づける妄想です。ノイローゼでも似た症状は出ますが……」
「統合失調症? 違います! 俺は実際に、サングラスをした“鈴木”という男に追われていたんです。白紙の手紙も届きました!」
 医師は否定するように、冷静に説明を続けた。
「白紙の手紙は、あなた自身が自分宛に送ったものです。郵便局のATMをよく利用していたようですね。その際に投函した可能性があります。ただし、追跡妄想と関係妄想だけで統合失調症と断定はできません。しかし、あなたには“被毒妄想” が見られます。誰かに毒を盛られていると確信する症状です。これはノイローゼでは少ないです」
 俺は何度も否定した。
「パソコンの画面に映っていたサングラスの男は、間違いなく鈴木だった!」
 だが医師はそれも否定した。
「画面に映っていたのは、あなたの背後にあったテレビの映像です。取引に夢中になっていたので消し忘れたのでは?。パソコンの不具合はマウスの電池が切れでは?。」
 医師の言葉を聞くうちに、俺の頭は混乱していった。
 だが、どうしても腑に落ちないことがある。
手紙は自分が書いたとしても、電話をかけたのも俺なのか?
そんなはずはない。通話履歴を調べれば分かるはずだが、俺の固定電話は古く、履歴が残っていない。
 訳も分からぬまま、俺は地元の町の郊外にある精神病院で生活することになった。
薬物治療のおかげで妄想の症状は徐々に薄れていったが、俺の頭の中では、あの事件のことが消えることはなかった。
 ある日、ふとある人物のことが頭に浮かんだ。
それは、俺がよく知る人物――以前勤めていた書店の店長だった。
「まさか……これまでの出来事は、すべて店長が仕組んだことなのではないか? そうだ。書店を辞めるとき、店長は俺の投資資産についてしつこく聞いた。鈴木が水死したことも墓のこともよく知っている。店長は、俺の資産を狙っているんだ」
 その疑念は、やがて確信へと変わっていった。
病院の中は、職員に監視され、まるで監獄だった。週に一度、精神科医の診察がある以外は、ひとりで病室に閉じこもる日々。事件の記憶が頭から離れず、落ち着くことができなかった。
自分が精神病者であることは否定しない。
だが、出前の配達員を殺害したのは、ある人物が仕向けた結果なのだ。
このままでは、すべての責任を俺が負わされてしまう。
「店長に復讐しなければ、俺は報われない」
 二週間後の深夜、俺は病院から抜け出した。数日前から計画していた脱走だった。
病室の窓の鍵を壊し、中庭の塀を乗り越え、冷たい夜道を歩いた。
星も出てない曇り空の夜。店長の家は病院から5キロほど離れた市営住宅のそばにある。
俺は1時間近く歩き、ついにその家の門の前にやって来た。
庭に侵入し、石を拾い、音を消すために持ってきたタオルを巻いて1階の窓ガラスを割った。鍵を開けると家の中へ入った。暗闇の中、寝室を探す。寝室は2階の奥にあった。
寝室のドアを開けると、店長は布団をかぶって眠っていた。
 俺はタオルを固く縛り、店長の首にかけて力を入れて締めた。
店長は息苦しさで目を覚まし、激しく抵抗したが、数分後には息が絶えた。
 その後の記憶は断片的だ。
俺は家を飛び出し、行き先もわからぬまま走っていた。
やがて雨が降り出し、びしょ濡れになりながら歩き続けた。体は冷え、歩くのも限界だった。
 そのとき、前方から車のライトが見えた。
俺はそれをタクシーだと思い込み、止めようと前に飛び出した。だが転倒し、頭を強く打って倒れた。
その後の記憶はまったくない――。(つづく)




















2026年4月1日水曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       2

 鈴木からの手紙は、その後も届き続けた。
 郵便配達のバイク音が聞こえるたびに身をすくめた。ノイローゼが再発し、症状は悪化していった。
 ひと月の間に届いた白紙の手紙は10枚にもなった。すぐに破り捨ててゴミ箱へ放り込んだ。
 だが、それだけでは終わらなかった。今度は無言電話が昼夜を問わず掛かってきた。
受話器の向こうに鈴木がいる――そんな確信があった。働いていたとき、固定電話の番号を教えなければよかったと後悔した。
 外出は避けたかったが、買い物には行かねばならない。だが、狭い路地に入ると、背後から足音が聞こえる。振り返っても誰もいない。
「鈴木は死んだはずなのに、なぜ俺のもとに現れる? まさか……」
 ある日、買い物帰りに、以前勤めていた書店の店長に出会った。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
 店長は笑顔で声をかけてきた。
 俺は鈴木のことを尋ねた。
「あいつは確かに遠洋漁業の操業中に水死したよ」
 店長は、俺の真剣な目つきに驚いていた。
「墓はとなりのE町の山の中にある。そこに埋葬されているよ」
 店長に墓の場所を教えてもらい、翌日、山へ行った。
 墓地の中に鈴木の墓は確かにあった。苗字と名前、没年が刻んである。
「ここであいつは眠っているのに……なぜ俺につきまとう?」
 焼香を済ませて山道を下っていると、林の中に人の気配を感じた。
 目の錯覚だろうか。林の中にサングラスとマスクを掛けた男が立っているのだ――。
「あれは……鈴木ではないのか?」
 俺は恐怖に駆られ、逃げるように山道を駆け下りた。
 それ以来、外出はほとんどしなくなった。家にいれば、鈴木の幽霊に会わずに済むからだ。
 そんな不安な生活の中、突然希望の光が差し込んだ。マーケットが再び活況を呈し、どの銘柄も値上がりを始めたのだ。チャートを見るのに夢中になり、恐怖心も次第に薄れていった。
 取引を重ね、資金は莫大な額に膨れ上がった。
 毎日パソコンのマウスを動かして売買を繰り返した。
 だが、あるときからトラブルが頻発に起きるようになった。売却しようとするとパソコンが動かなくなるのだ。証券会社のサーバーに不具合があるのかと思って、問い合わせたが、証券会社では、こちらのサーバーには異常はないと答えた。
パソコン業者にも調べてもらったが、
「特に問題はありません。念のためクリーニングだけしておきます」
と言われただけだった。
 それでもトラブルは続いた。
 ある銘柄が予想以上に値上がりし、売れば数千万円の利益になるというチャンスが訪れた。
 だが、またしてもマウスが動かない。 
「どうしたっていうんだ……!」
 冷汗を流しながら必死にマウスを動かす。でもカーソルがまったく動かない。
 そのとき、液晶画面に黒い影が映っているのに気づいた。
「何だ、これは……!」
 それは、テレビのうしろの窓ガラスに映った何かだった。黒い影がじっと画面に留まっている。
「まさか……」
 俺は恐る恐るうしろを振り返った。
 カーテンが半分開いており、黒い影はすぐにカーテンの裏に隠れ、そして消えた。
「確かに……人間の顔だった」
 そんな異様な精神状態の中で、俺はその日、数千万円を儲けそこなった。
「これは呪いなのか……?」
 俺は再びノイローゼになり、完全に引きこもった。苛立った神経の中で、別の不安が頭をよぎる。
 鈴木が、外で待ち構えている気がしてならないのだ。食料も買いに行けず、出前を頼むようになった。玄関前には、使い終えた皿や茶碗が並ぶようになった。
 ある日、配達員の姿が気になり出した。
 階段を駆け上がる足音が聞こえると、玄関ドアの覗き穴から確認するのだが、いつもサングラスとマスクをしているのだ。背丈も死んだ鈴木と同じだ。
「あれは……鈴木じゃないのか?」
 混乱する頭の中で、いろんな妄想が浮かんできた。
「持ってきた料理に毒を入れてるかもしれない……」
 俺は身の危険を感じた。
「これまでの出来事は、すべて鈴木の仕業だ。
鈴木は幽霊ではない。生きている――」
 そう確信するようになった。
 俺は自分の命を守るため、ある計画を立てた。
 それは恐ろしいことだったが、やらなければ殺される――そう思った。
 ある夕方、俺はそれを実行した。
 代金を支払うとき、準備していた刺身包丁で配達員に斬りかかった。
 悲鳴とともに血が流れ、配達員は床に倒れた。
 俺は気が動転し、死体に触れることも出来ずに、ベッドに潜り込んで病人のようにうずくまった。そのうちアパートの住人たちが俺のことを噂し始めた。
 ゴミの日にも姿を見せず、洗濯物も干さない。何をしているのかさっぱりわからない。
 ある日、管理人が住人の話を聞いて俺の部屋を訪ねた。返事がないので、合鍵で中に入った。
 部屋はゴミだらけだった。空き瓶、食べ物のくず、使い終えた箸、湯呑茶わん……。
 そして、部屋の隅に横たわる血まみれの死体を発見し驚愕した。
 隣の部屋では、俺が憔悴しきった様子で寝ていた。管理人はすぐに警察へ通報した。(つづく)














2026年3月3日火曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       1

 池上亮一は、かつて書店で働いていた。6年勤めたが、今は無職。悠々自適な生活を送っている。
 それには理由がある。彼は投資の腕に長けていたので、幸運も重なって億万長者になったのだ。ある商品の取引で大金を手にし、今ではアパート暮らしながらも、何不自由ない快適な日々を過ごしている。
 もともと友人は少なく、酒を飲みに出かけたり、遊びに行くこともほとんどない。唯一の趣味は読書――それもミステリー小説ばかりだった。かつて自分でも書いてみようとしたが、文章がまるでダメで、すぐに諦めた。それ以来、他人の作品を読むことだけが楽しみとなった。
 食事は自炊が中心だが、時々外食もする。近所のファミリーレストランやラーメン店、丼物の店などが定番だ。お金は有り余るほどあるが、贅沢は好まない。車も持たず、自転車だけで平凡な暮らしを続けている。
 そんな池上に、最近異変が起きた。外出するとき、見知らぬ人物が後をつけてくるのだ。昼間でも夜でも、まるで尾行されているようで気味が悪い。
「俺が何か悪いことでもしたのか? 誰かの恨みを買ったのか?」
 理由はまったく分からない。道を歩きながら何度も振り返るが姿を見せない。しかし、確かに誰かが後をつけてくる気配がある。
 ある夕方、ファミリーレストランで夕食を済ませた帰り道、自宅へ向かう寂しい路地を歩いていると、背後から靴音が聞こえた。振り返っても誰もいない。寒気がして、池上は走ってアパートへ逃げ込んだ。
 そんなことが毎日のように起きる。最近では外出を控えるようになった。でも家に閉じこもってばかりいられない。買い物や散髪、お金をおろしにATMへも行かなければならない。だから人通りの多い昼間に出かけるようにしている。でも狭い路地に入ると、またあの足音が聞こえる。
「いったい誰なんだ。俺に何の用がある? なぜ姿を見せない?」
 ついにはノイローゼになり、外出すらできなくなった。布団をかぶって震える日々が続いた。
「警察に届けようか」とも考えたが、姿を見たこともない相手ではどうにもならない。「気のせいですよ」と言われるのがオチだ。結局、届けは出さなかった。
 そんな折、幸運が舞い込んだ。投資していた商品が再び値上がりし、売買を繰り返して多額の利益を得たのだ。気分が晴れ、外へ出たくなった。
「明日、お金をおろしに行こう」
 ノイローゼだったことも忘れて、翌朝、郵便局のATMへ向かった。カードを差し込み、現金を引き出す。そのとき背後に人の気配を感じた。振り返った瞬間、心臓が凍りついた。
ガラスドアの向こう側に、サングラスを掛け、マスクをした男が立っていたのだ。
―が、すぐに姿を消した。
「いったい、あいつは誰だ……!」
 それ以降も、不審者は外出のたびに現れた。まるで影のように、池上の後をつけてくる。
 ある日、書店時代に仲の良かった同い年の鈴木という男から手紙が届いた。だが彼の噂を聞いていた池上は不審に思った。封筒を開けると、中には何も書かれていない白紙が入っていた。
「なんだ、これは……」
 背筋が寒くなった。
 鈴木とは、よく投資の話をした。池上が利益を出しているのを見て羨ましがり、「投資を教えてくれないか」と頼んできた。
「教えてやってもいいけど、損しても恨むなよ」 
 そう言って池上は、最近注目していた商品を勧めた。鈴木は200万円を元手に購入したが、価格は急落し、半値になった。
「なんとかしてくれ。投資資金はサラ金で借りたんだ」
 鈴木は青ざめた顔で、毎日相談にやってきた。
「気にするな。一時的な下落だ。いずれ上昇する」
 そう励ましてナンピン買いを進めた。鈴木は新たにサラ金から借金してその商品を買い続けた。しかし価格は回復せず、鈴木の不安は募るばかりだ。一方、池上の投資は順調で、利益を出し続けた。
 ある日、鈴木は書店を辞めた。借金を返済するために遠洋マグロ漁船に乗ったのだ。
 一年ほど経ってから鈴木が操業中に海に落ちて死んだという噂を耳にした。だが、その彼から手紙が届いたのだ。
「彼は生きている……いや、幽霊となって戻ってきたのか?」
 白紙の手紙は恨みの証だった。池上は背筋が凍る思いだった。
「外出のたびに後をつけてくるのは、幽霊になった鈴木なのか……」
 池上は再び布団に潜り込み、震えが止まらなかった。(つづく)















2026年2月2日月曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

       5

 K氏の事件は解決した。しかしM氏をはねたひき逃げ犯人はまだ捕まっていなかった。警察は引き続き捜査を続けていた。
 そんな時期に再び不可解な事件がたびたび起きるようになった。
 それらの事件は、町の銀行、郵便局、信用金庫から多額の現金が盗まれる事件だった。
 犯人は証拠も残さずに現金を奪ったのだ。警察はK氏の事件と類似性があるので捜査を続けていた。
 あるとき、容疑者の車のことが分かった。車の所有者はO氏という薬剤師でとなり町で暮らしていた。O氏といえば、M氏の訃報の知らせてくれた同級生である。その彼がひき逃げ犯人の容疑者としてマークされているのである。まさかM氏を意図的にはねたのは彼だったのであろうか。
 刑事はK氏から聞き込んだ話をまとめて次のような推理をした。
 M氏は指先が消えた話をO氏にもしたのではないか。その実験を記録したノートを彼に見せたかもしれない。そうだったらO氏は、その薬を使って犯罪を企んだ。M氏を車ではねた後、K氏の住所を調べ、訃報のハガキを送り、K氏の留守中に忍び込んでノートをコピーした。おそらく薬のことを知っているK氏もあとから殺害する計画を立てていた。O氏はK氏と違い凶悪犯なのだ。
 警察は服役中のK氏からさらに詳しく話を聞き、O氏の行方を追っていた。しかし容易に姿を消したO氏を捕らえることは出来なかった。O氏はそれをいいことにしてそれからも数々の犯罪を引き起こした。警察は姿の見えない犯人を見つけることはまったく不可能と思われた。
 しかしO氏にも思わぬ不運が起きることがある。ミスを犯したり、事故や病気で死んでしまうことがあるからだ。
 それは数年経ったある年の夏に実際に起きた。その頃O氏は大型のクルーズ船に乗船して世界一周の旅に出ていた。彼はたびたび姿を消して船客の貴重品や現金を盗んだ。しかし彼は疑われることはなかった。
 O氏は入港したいろんな国の港でも、姿を消して犯罪を繰り返した。ホテルやデパート、宝石店、銀行へ行き、現金、貴金属、宝石を盗んだ。彼に出来ないことは何もなかった。彼は大いに満足して船旅を楽しんだ。
 ところがある深夜、大西洋を航行していたときO氏に不運が襲った。彼は船のパーティーで酒を飲み過ぎて酔いを覚まそうとデッキに出たとき、足を滑らせて船の手すりから海の中へ落ちたのだ。それを目撃した船客は誰もいなかった。
 パスポートもなく船客名簿にも彼の名前はなかった。だから彼が死んだことは誰も知らない。勿論、死んだあと彼の墓はどこにもない。O氏は誰にも看取られず、ただひとり死の世界へ旅立ったのである。世間を驚かせたこれらの一連の不可解な犯罪は終わった。M氏が開発した身体を消し去る薬はそれ以降使われることはなかった。(完)