2026年6月1日月曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

     4

 N警察署の刑事・村瀬(47歳)は、捜査会議を終えて自席に戻った。彼は先日起きた書店店長殺害事件の担当刑事であり、犯人とされる投資家・池上亮一の調査を受け持っていた。
 池上は現在、精神病院に収容されている。数か月前にも出前配達員殺害容疑で逮捕されたが、統合失調症のため不起訴となり、病院へ送られた経緯がある。病院側は彼の病歴を詳細に調査し、警察へ報告済であった。
 村瀬が病歴を読んで特に注目したのは、池上の10代の頃の症状だった。
 14歳の池上は自閉症の傾向から不登校となり、半年ほど精神科に通院していた。その頃から妄想の兆候が見られたが、病状は軽度と判断され、通院は終了した。
 中学時代の池上の病歴には、興味深いエピソードがある。
 ある雨の日、授業後、帰宅するために下駄箱へ行くと自分の傘がなくなっている。「誰かが盗った」と池上は激しく怒り、数日間にわたって犯人捜しを続けていた。
 また、昼食時に弁当の味がおかしいと感じ、「誰かが殺虫剤を入れた」と信じ込んだ。クラスメートを一切信用せず、常に疑いの目を向けていた。その執念深さに教師たちも驚いたという。しかし、これらの症状は数年後には回復し、学校生活も順調だった。
 村瀬はこれらの記録を読み、今回の犯行が精神病の再発によるものと推測した。
 だが、病歴と事件調書を読みながら、いくつかの不可解な点に気づく。池上は供述の中で、頻繁に送られてくる白紙の手紙の事と無言電話について語っていることだ。
 村瀬は事実確認のため、池上の住居周辺の郵便局を訪れ、職員に聞き込みを行った。すると、20代の若い男性が、頻繁に手紙を投函していたことが分かった。その人物が池上であるのか、別の人物なのかは確認出来ていない。池上自身が精神病の混乱の中で自分宛に白紙の手紙を送った可能性もあり、本人もその行動を覚えていない。
 では、無言電話は誰なのか。
 村瀬の脳裏に浮かんだのは、書店で一緒に働いていたという男・鈴木の存在だった。しかし、鈴木は遠洋マグロ漁船で水死したとされている。死者がよみがえるなどありえない。
だが、池上に執拗に付きまとっていた人物はこの人物以外には考えられない。もし鈴木が生きているとしたら――。
 村瀬は鈴木が乗船していた漁業会社に問い合わせてみた。漁業会社の担当者の話では、その年の冬、インド洋で操業中だったマグロ漁船の漁師が一人、水死したことが分かった。だが、遺体はいまだに発見されていない。名前は「鈴木」だが、年齢は48歳だった。
「水死した漁師は48歳? 名前は同じだが、年齢が違う」
 村瀬がさらに詳細に調べると、そのマグロ漁船が出航する前に、下船した漁師がいたことが分かった。その漁師は年齢が29歳(池上亮一と同年齢)で、同じ鈴木という人物だった。しかし苗字は同じだが名前が違っていた。海で死んだ男は鈴木儀雄だが、乗船しなかった男は鈴木義雄だった。読みは同じだが、漢字が少し違っている。
「そうか。池上の同僚だった鈴木は、海で死んだのではない。死んだのは別人だったのだ」
 村瀬は推理をやり直した。出航前に姿を消した鈴木義雄は、身を潜めながら池上に接近していた疑いがある。目的は、おそらく池上の資産を奪うためだろう。
 白紙の手紙、無言電話、アパートの窓越しの男――すべて鈴木義雄の仕業だったのではないか。
 目的が資産を奪うためならば、池上の銀行口座を早急に調査する必要がある。おそらく池上が入院中に彼の口座から不正に現金を引き出した可能性があるからだ。
 村瀬は池上が利用していた郵便局、銀行に問い合わせて口座を調べてもらった。
 池上が頻繁に利用していた郵便局の口座を調べてみると、この数か月の間に、すべての現金がカードで引き出されていた。池上はほかにも3つの銀行に口座を持っており、それぞれ5000万円が預けられていた。鈴木という男が犯人であれば、近いうちに、これらの金も狙うはずだ。村瀬は他の刑事と一緒に3つの銀行を張込むことにした。数日間は何事もなかった。しかし10日後――。
 この町のR銀行I支店のATMに、午後3時過ぎ、サングラスとマスクを掛けた若い男がやってきた。その男はカードで現金を下ろすと、そのあとすぐにM銀行N支店へ行き再び現金を下した。次にF銀行のD支店でもカードで現金を下ろした。それを確認した刑事がその場に飛び込んだ。サングラスの男は驚き、逃げようとしたが、刑事に腕を掴まれ、すぐに手錠を掛けられた。
 男は警察署に連行され、取り調べの結果、村瀬刑事の推理通り、鈴木義雄であることが分かった。鈴木は過酷なマグロ漁船の仕事に耐えられず、もっと楽に金を得る方法、つまり池上に接近し資産を奪うことを思いついたのだ。鈴木は刑事の追及に完全に屈服し、自分の罪を認め、犯行のすべてを自供し、この事件は解決した。(完)
















2026年5月2日土曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       3

 数日後、俺は警察署の取り調べ室にいた。だがすぐに警察病院の精神科へと移送された。
体力は落ちていたが、高カロリーの食事を摂るうちに徐々に回復し、会話もできるようになった。
 ある日、医師の問診を受けることになった。
俺は、ある友人との関係、投資のこと、そして数か月前から続く異常な出来事について、できる限り詳しく話した。
何度かの問診の後、医師は診断を告げた。
「あなたには統合失調症の疑いがあります。特に“追跡妄想”の症状が顕著です。誰かに尾行されている、監視されていると感じる症状です。さらに“関係妄想”も強く現れています。周囲の出来事に特別な意味があると感じ、根拠なく自分に関連づける妄想です。ノイローゼでも似た症状は出ますが……」
「統合失調症? 違います! 俺は実際に、サングラスをした“鈴木”という男に追われていたんです。白紙の手紙も届きました!」
 医師は否定するように、冷静に説明を続けた。
「白紙の手紙は、あなた自身が自分宛に送ったものです。郵便局のATMをよく利用していたようですね。その際に投函した可能性があります。ただし、追跡妄想と関係妄想だけで統合失調症と断定はできません。しかし、あなたには“被毒妄想” が見られます。誰かに毒を盛られていると確信する症状です。これはノイローゼでは少ないです」
 俺は何度も否定した。
「パソコンの画面に映っていたサングラスの男は、間違いなく鈴木だった!」
 だが医師はそれも否定した。
「画面に映っていたのは、あなたの背後にあったテレビの映像です。取引に夢中になっていたので消し忘れたのでは?。パソコンの不具合はマウスの電池が切れでは?。」
 医師の言葉を聞くうちに、俺の頭は混乱していった。
 だが、どうしても腑に落ちないことがある。
手紙は自分が書いたとしても、電話をかけたのも俺なのか?
そんなはずはない。通話履歴を調べれば分かるはずだが、俺の固定電話は古く、履歴が残っていない。
 訳も分からぬまま、俺は地元の町の郊外にある精神病院で生活することになった。
薬物治療のおかげで妄想の症状は徐々に薄れていったが、俺の頭の中では、あの事件のことが消えることはなかった。
 ある日、ふとある人物のことが頭に浮かんだ。
それは、俺がよく知る人物――以前勤めていた書店の店長だった。
「まさか……これまでの出来事は、すべて店長が仕組んだことなのではないか? そうだ。書店を辞めるとき、店長は俺の投資資産についてしつこく聞いた。鈴木が水死したことも墓のこともよく知っている。店長は、俺の資産を狙っているんだ」
 その疑念は、やがて確信へと変わっていった。
病院の中は、職員に監視され、まるで監獄だった。週に一度、精神科医の診察がある以外は、ひとりで病室に閉じこもる日々。事件の記憶が頭から離れず、落ち着くことができなかった。
自分が精神病者であることは否定しない。
だが、出前の配達員を殺害したのは、ある人物が仕向けた結果なのだ。
このままでは、すべての責任を俺が負わされてしまう。
「店長に復讐しなければ、俺は報われない」
 二週間後の深夜、俺は病院から抜け出した。数日前から計画していた脱走だった。
病室の窓の鍵を壊し、中庭の塀を乗り越え、冷たい夜道を歩いた。
星も出てない曇り空の夜。店長の家は病院から5キロほど離れた市営住宅のそばにある。
俺は1時間近く歩き、ついにその家の門の前にやって来た。
庭に侵入し、石を拾い、音を消すために持ってきたタオルを巻いて1階の窓ガラスを割った。鍵を開けると家の中へ入った。暗闇の中、寝室を探す。寝室は2階の奥にあった。
寝室のドアを開けると、店長は布団をかぶって眠っていた。
 俺はタオルを固く縛り、店長の首にかけて力を入れて締めた。
店長は息苦しさで目を覚まし、激しく抵抗したが、数分後には息が絶えた。
 その後の記憶は断片的だ。
俺は家を飛び出し、行き先もわからぬまま走っていた。
やがて雨が降り出し、びしょ濡れになりながら歩き続けた。体は冷え、歩くのも限界だった。
 そのとき、前方から車のライトが見えた。
俺はそれをタクシーだと思い込み、止めようと前に飛び出した。だが転倒し、頭を強く打って倒れた。
その後の記憶はまったくない――。(つづく)




















2026年4月1日水曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       2

 鈴木からの手紙は、その後も届き続けた。
 郵便配達のバイク音が聞こえるたびに身をすくめた。ノイローゼが再発し、症状は悪化していった。
 ひと月の間に届いた白紙の手紙は10枚にもなった。すぐに破り捨ててゴミ箱へ放り込んだ。
 だが、それだけでは終わらなかった。今度は無言電話が昼夜を問わず掛かってきた。
受話器の向こうに鈴木がいる――そんな確信があった。働いていたとき、固定電話の番号を教えなければよかったと後悔した。
 外出は避けたかったが、買い物には行かねばならない。だが、狭い路地に入ると、背後から足音が聞こえる。振り返っても誰もいない。
「鈴木は死んだはずなのに、なぜ俺のもとに現れる? まさか……」
 ある日、買い物帰りに、以前勤めていた書店の店長に出会った。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
 店長は笑顔で声をかけてきた。
 俺は鈴木のことを尋ねた。
「あいつは確かに遠洋漁業の操業中に水死したよ」
 店長は、俺の真剣な目つきに驚いていた。
「墓はとなりのE町の山の中にある。そこに埋葬されているよ」
 店長に墓の場所を教えてもらい、翌日、山へ行った。
 墓地の中に鈴木の墓は確かにあった。苗字と名前、没年が刻んである。
「ここであいつは眠っているのに……なぜ俺につきまとう?」
 焼香を済ませて山道を下っていると、林の中に人の気配を感じた。
 目の錯覚だろうか。林の中にサングラスとマスクを掛けた男が立っているのだ――。
「あれは……鈴木ではないのか?」
 俺は恐怖に駆られ、逃げるように山道を駆け下りた。
 それ以来、外出はほとんどしなくなった。家にいれば、鈴木の幽霊に会わずに済むからだ。
 そんな不安な生活の中、突然希望の光が差し込んだ。マーケットが再び活況を呈し、どの銘柄も値上がりを始めたのだ。チャートを見るのに夢中になり、恐怖心も次第に薄れていった。
 取引を重ね、資金は莫大な額に膨れ上がった。
 毎日パソコンのマウスを動かして売買を繰り返した。
 だが、あるときからトラブルが頻発に起きるようになった。売却しようとするとパソコンが動かなくなるのだ。証券会社のサーバーに不具合があるのかと思って、問い合わせたが、証券会社では、こちらのサーバーには異常はないと答えた。
パソコン業者にも調べてもらったが、
「特に問題はありません。念のためクリーニングだけしておきます」
と言われただけだった。
 それでもトラブルは続いた。
 ある銘柄が予想以上に値上がりし、売れば数千万円の利益になるというチャンスが訪れた。
 だが、またしてもマウスが動かない。 
「どうしたっていうんだ……!」
 冷汗を流しながら必死にマウスを動かす。でもカーソルがまったく動かない。
 そのとき、液晶画面に黒い影が映っているのに気づいた。
「何だ、これは……!」
 それは、テレビのうしろの窓ガラスに映った何かだった。黒い影がじっと画面に留まっている。
「まさか……」
 俺は恐る恐るうしろを振り返った。
 カーテンが半分開いており、黒い影はすぐにカーテンの裏に隠れ、そして消えた。
「確かに……人間の顔だった」
 そんな異様な精神状態の中で、俺はその日、数千万円を儲けそこなった。
「これは呪いなのか……?」
 俺は再びノイローゼになり、完全に引きこもった。苛立った神経の中で、別の不安が頭をよぎる。
 鈴木が、外で待ち構えている気がしてならないのだ。食料も買いに行けず、出前を頼むようになった。玄関前には、使い終えた皿や茶碗が並ぶようになった。
 ある日、配達員の姿が気になり出した。
 階段を駆け上がる足音が聞こえると、玄関ドアの覗き穴から確認するのだが、いつもサングラスとマスクをしているのだ。背丈も死んだ鈴木と同じだ。
「あれは……鈴木じゃないのか?」
 混乱する頭の中で、いろんな妄想が浮かんできた。
「持ってきた料理に毒を入れてるかもしれない……」
 俺は身の危険を感じた。
「これまでの出来事は、すべて鈴木の仕業だ。
鈴木は幽霊ではない。生きている――」
 そう確信するようになった。
 俺は自分の命を守るため、ある計画を立てた。
 それは恐ろしいことだったが、やらなければ殺される――そう思った。
 ある夕方、俺はそれを実行した。
 代金を支払うとき、準備していた刺身包丁で配達員に斬りかかった。
 悲鳴とともに血が流れ、配達員は床に倒れた。
 俺は気が動転し、死体に触れることも出来ずに、ベッドに潜り込んで病人のようにうずくまった。そのうちアパートの住人たちが俺のことを噂し始めた。
 ゴミの日にも姿を見せず、洗濯物も干さない。何をしているのかさっぱりわからない。
 ある日、管理人が住人の話を聞いて俺の部屋を訪ねた。返事がないので、合鍵で中に入った。
 部屋はゴミだらけだった。空き瓶、食べ物のくず、使い終えた箸、湯呑茶わん……。
 そして、部屋の隅に横たわる血まみれの死体を発見し驚愕した。
 隣の部屋では、俺が憔悴しきった様子で寝ていた。管理人はすぐに警察へ通報した。(つづく)














2026年3月3日火曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       1

 池上亮一は、かつて書店で働いていた。6年勤めたが、今は無職。悠々自適な生活を送っている。
 それには理由がある。彼は投資の腕に長けていたので、幸運も重なって億万長者になったのだ。ある商品の取引で大金を手にし、今ではアパート暮らしながらも、何不自由ない快適な日々を過ごしている。
 もともと友人は少なく、酒を飲みに出かけたり、遊びに行くこともほとんどない。唯一の趣味は読書――それもミステリー小説ばかりだった。かつて自分でも書いてみようとしたが、文章がまるでダメで、すぐに諦めた。それ以来、他人の作品を読むことだけが楽しみとなった。
 食事は自炊が中心だが、時々外食もする。近所のファミリーレストランやラーメン店、丼物の店などが定番だ。お金は有り余るほどあるが、贅沢は好まない。車も持たず、自転車だけで平凡な暮らしを続けている。
 そんな池上に、最近異変が起きた。外出するとき、見知らぬ人物が後をつけてくるのだ。昼間でも夜でも、まるで尾行されているようで気味が悪い。
「俺が何か悪いことでもしたのか? 誰かの恨みを買ったのか?」
 理由はまったく分からない。道を歩きながら何度も振り返るが姿を見せない。しかし、確かに誰かが後をつけてくる気配がある。
 ある夕方、ファミリーレストランで夕食を済ませた帰り道、自宅へ向かう寂しい路地を歩いていると、背後から靴音が聞こえた。振り返っても誰もいない。寒気がして、池上は走ってアパートへ逃げ込んだ。
 そんなことが毎日のように起きる。最近では外出を控えるようになった。でも家に閉じこもってばかりいられない。買い物や散髪、お金をおろしにATMへも行かなければならない。だから人通りの多い昼間に出かけるようにしている。でも狭い路地に入ると、またあの足音が聞こえる。
「いったい誰なんだ。俺に何の用がある? なぜ姿を見せない?」
 ついにはノイローゼになり、外出すらできなくなった。布団をかぶって震える日々が続いた。
「警察に届けようか」とも考えたが、姿を見たこともない相手ではどうにもならない。「気のせいですよ」と言われるのがオチだ。結局、届けは出さなかった。
 そんな折、幸運が舞い込んだ。投資していた商品が再び値上がりし、売買を繰り返して多額の利益を得たのだ。気分が晴れ、外へ出たくなった。
「明日、お金をおろしに行こう」
 ノイローゼだったことも忘れて、翌朝、郵便局のATMへ向かった。カードを差し込み、現金を引き出す。そのとき背後に人の気配を感じた。振り返った瞬間、心臓が凍りついた。
ガラスドアの向こう側に、サングラスを掛け、マスクをした男が立っていたのだ。
―が、すぐに姿を消した。
「いったい、あいつは誰だ……!」
 それ以降も、不審者は外出のたびに現れた。まるで影のように、池上の後をつけてくる。
 ある日、書店時代に仲の良かった同い年の鈴木という男から手紙が届いた。だが彼の噂を聞いていた池上は不審に思った。封筒を開けると、中には何も書かれていない白紙が入っていた。
「なんだ、これは……」
 背筋が寒くなった。
 鈴木とは、よく投資の話をした。池上が利益を出しているのを見て羨ましがり、「投資を教えてくれないか」と頼んできた。
「教えてやってもいいけど、損しても恨むなよ」 
 そう言って池上は、最近注目していた商品を勧めた。鈴木は200万円を元手に購入したが、価格は急落し、半値になった。
「なんとかしてくれ。投資資金はサラ金で借りたんだ」
 鈴木は青ざめた顔で、毎日相談にやってきた。
「気にするな。一時的な下落だ。いずれ上昇する」
 そう励ましてナンピン買いを進めた。鈴木は新たにサラ金から借金してその商品を買い続けた。しかし価格は回復せず、鈴木の不安は募るばかりだ。一方、池上の投資は順調で、利益を出し続けた。
 ある日、鈴木は書店を辞めた。借金を返済するために遠洋マグロ漁船に乗ったのだ。
 一年ほど経ってから鈴木が操業中に海に落ちて死んだという噂を耳にした。だが、その彼から手紙が届いたのだ。
「彼は生きている……いや、幽霊となって戻ってきたのか?」
 白紙の手紙は恨みの証だった。池上は背筋が凍る思いだった。
「外出のたびに後をつけてくるのは、幽霊になった鈴木なのか……」
 池上は再び布団に潜り込み、震えが止まらなかった。(つづく)















2026年2月2日月曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

       5

 K氏の事件は解決した。しかしM氏をはねたひき逃げ犯人はまだ捕まっていなかった。警察は引き続き捜査を続けていた。
 そんな時期に再び不可解な事件がたびたび起きるようになった。
 それらの事件は、町の銀行、郵便局、信用金庫から多額の現金が盗まれる事件だった。
 犯人は証拠も残さずに現金を奪ったのだ。警察はK氏の事件と類似性があるので捜査を続けていた。
 あるとき、容疑者の車のことが分かった。車の所有者はO氏という薬剤師でとなり町で暮らしていた。O氏といえば、M氏の訃報の知らせてくれた同級生である。その彼がひき逃げ犯人の容疑者としてマークされているのである。まさかM氏を意図的にはねたのは彼だったのであろうか。
 刑事はK氏から聞き込んだ話をまとめて次のような推理をした。
 M氏は指先が消えた話をO氏にもしたのではないか。その実験を記録したノートを彼に見せたかもしれない。そうだったらO氏は、その薬を使って犯罪を企んだ。M氏を車ではねた後、K氏の住所を調べ、訃報のハガキを送り、K氏の留守中に忍び込んでノートをコピーした。おそらく薬のことを知っているK氏もあとから殺害する計画を立てていた。O氏はK氏と違い凶悪犯なのだ。
 警察は服役中のK氏からさらに詳しく話を聞き、O氏の行方を追っていた。しかし容易に姿を消したO氏を捕らえることは出来なかった。O氏はそれをいいことにしてそれからも数々の犯罪を引き起こした。警察は姿の見えない犯人を見つけることはまったく不可能と思われた。
 しかしO氏にも思わぬ不運が起きることがある。ミスを犯したり、事故や病気で死んでしまうことがあるからだ。
 それは数年経ったある年の夏に実際に起きた。その頃O氏は大型のクルーズ船に乗船して世界一周の旅に出ていた。彼はたびたび姿を消して船客の貴重品や現金を盗んだ。しかし彼は疑われることはなかった。
 O氏は入港したいろんな国の港でも、姿を消して犯罪を繰り返した。ホテルやデパート、宝石店、銀行へ行き、現金、貴金属、宝石を盗んだ。彼に出来ないことは何もなかった。彼は大いに満足して船旅を楽しんだ。
 ところがある深夜、大西洋を航行していたときO氏に不運が襲った。彼は船のパーティーで酒を飲み過ぎて酔いを覚まそうとデッキに出たとき、足を滑らせて船の手すりから海の中へ落ちたのだ。それを目撃した船客は誰もいなかった。
 パスポートもなく船客名簿にも彼の名前はなかった。だから彼が死んだことは誰も知らない。勿論、死んだあと彼の墓はどこにもない。O氏は誰にも看取られず、ただひとり死の世界へ旅立ったのである。世間を驚かせたこれらの一連の不可解な犯罪は終わった。M氏が開発した身体を消し去る薬はそれ以降使われることはなかった。(完)












2026年1月3日土曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

      4

 翌朝、警察署では出勤してきた警官が不自然なことに気づいた。廊下のあちこちが濡れており、各課の戸棚の引き出しが少し開いていたのだ。誰かが昨夜無断で侵入した疑いがある。どの課でもそうだった。
「いったい、誰だろう」
 防犯課の刑事も出勤してきた。その中に先日K氏とデパートで格闘した刑事がいた。
 みんなの話を聞いて数日前の出来事を思い出した。
「部屋へ無断で入って来たのは、あのときの透明人間ではないのか」
 刑事は各課の防犯カメラの記録を調べてみた。驚いたことに誰も写っていないのに戸棚の引き出しが勝手に動くのだ。カメラの記録を見ると、交通課に長い時間いたことが分かった。その戸棚には死亡事故の資料が保管されていた。
 刑事は交通課へ行って、最近の死亡事故を調べてみた。死亡事故は3件あった。その中に横断歩道で轢かれた若い薬剤師の死亡事故があった。そのときに見つかった遺留品の中に奇妙なノートがあり、現在、鑑識課で調べていた。
「警察署へ侵入した人物は、そのノートを探しに来たのではないか」
 刑事は、最近デパートやスーパーマーケットで盗難が相次いで起きている事件もその人物の仕業ではないかと疑った。
 盗難にあった品物は、薬と食料品ばかりで、現金や重要な物はなにも盗んではいない。凶悪犯ではないのだ。
 さらに警察では最近、謎の失踪をしている人物の捜査も行っていたので、それとの関連性についても考えてみた。失踪中の人物も薬剤師で、町の薬局に勤めていた。名前と住所も分かっている。
 数日後、鑑識課から報告があった。科学捜査研究所でノートを調べた結果、そのノートには消した指先をもとに戻す薬のことが書かれていたのだ。
 刑事はこう推理した。
「警察署に侵入した人物は、何らかの理由で自分の身体が消えたため、もとに戻す方法を知りたがっている」
 刑事は、この事件を解決する方法はそのノートが決め手だとわかった。
 そんなことなど知らないK氏は、毎日S氏からの手紙を待った。
 1週間してから、K氏の家にS氏からの手紙が届いた。
―Kさん、お久しぶりです。突然のお手紙驚いています。私も元気でやっています。薬科大学の頃はいまでも懐かしく思い出します。私は現在、科学捜査研究所の第一研究室で働いています。Kさんも薬局の勤務の傍ら熱心に薬の開発に取り組まれているとのこと頼もしいことです。また近いうちにお会いしましょう。そのときはお酒でも飲みましょう―。
 K氏は手紙を読んで、興奮が収まらなかった。
「よかった、S氏の働いている部署がわかった」
 K氏はその夜、さっそくノートを探しに出かけた。友人を騙して悪いことをしたと思ったが、この際仕方がなかった。科学捜査研究所の第一研究室を一晩中探した。しかしどうしたことだろう。研究室にはノートはなかった。ノートは数日前に警察署に送り返されていたのだ。
 K氏は失望して研究所から出て行った。 
 数日後、K氏が家の郵便ポストを見ると、差出人不明の小包が入っていた。取り出してみると驚いた。M氏のノートが入っていたのだ。
「誰が送ってくれたのだろう」
 K氏は不可解な出来事に頭が困惑した。でも探していたノートが見つかったので、すぐに部屋に戻って薬を作ることにした。しばらくして玄関のチャイムが鳴った。K氏はノートを持ったまま玄関へ行きドアを開けた。すぐに異変に気づいた。三人の刑事が立っていたのだ。
「家の中を調べさせてもらう」
 刑事が捜査令状をK氏の前に突き出した。
 K氏は驚愕したが、すぐに刑事たちがノートだけが空中に浮かんでいるK氏の周囲を取り囲んだ。すぐに両手を掴まれ、手錠を掛けられた。
 K氏は、刑事に連行されて警察署へ行った。そして取調室がはじまった。
「君が実験によって身体を消し去ったことは分かっている。われわれは消えた身体を元に戻す方法を知っている」
 刑事はそれを証明しようと言った。K氏を浴室に連れて行き、薬がばらまかれたお風呂に入るようにいった。
 数分後、K氏の姿が現れ、元の身体になった。刑事はすぐにK氏に衣服を着せて写真を撮った。K氏は犯罪を認めてこれまでの経緯をすべて話した。
 1か月後、K氏は住居侵入と窃盗の罪で1年6か月の刑を受けた。受刑者となったK氏は悲しんだが、自分の身体が元に戻ったことに安心した。(つづく)














2025年12月1日月曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

         3

 K氏は、始発の電車で帰って来た。でもやっぱり風邪を引いて、その日はどこへも出かけずに寝込んでしまった。
 昼過ぎに電話が掛かってきた。薬局の店長からだった。電話に出るか迷った。電話は再三かかって来た。仕方なく受話器を取った。
 店長は怒っていた。一週間も休んでおきながら今日も連絡なしで無断欠勤は困ると言った。明日からちゃんと出勤するように言った。
 K氏は返答に困った。どう説明していいのか分からなかった。
「仕方がない、店を辞めよう」
 K氏はそのことを店長に告げた。午後、退職届を書き、封筒に切手を貼って郵便ポストに入れた。
「これで仕事のことは解決した」
 でもK氏は無職になった。これからどうやって暮らしていくか悩んだ。しかし一番の問題は自分の姿を元通りにすることだった。
 数日間K氏はどこにも出かけず、ノートを探し出すことを考え続けた。M氏の部屋にノートはなかった。事故現場にもなかった。病院にもなかった。いったいノートはどこにあるのだろう。そのうち冷蔵庫に入っていた食べ物がすっかりなくなった。お腹が空いては考えることも出来ない。K氏は、スーパーマーケットへ行ったり、デパートへ行ったりして食べ物を調達してきた。
「ノートが見つからなければ自分で薬を作るしかない」
 K氏は試行錯誤しながら自分の身体をもとに戻す薬の実験を繰り返した。いろんな薬を混ぜて試したが容易に薬は出来なかった。
 そのうち薬もなくなってきた。だから町の薬店に行って調達してこなければならなかった。同じ店に行くことは危険だった。気づかれてしまうからだ。だから違う薬店へ足を運んだ。
 あるとき、デパートの薬売り場で、薬を持ち出していたとき人にぶつかった。
 相手は背広を着たがっしりした男性で周囲を見渡していた。空中に薬が浮かんでいるのを見つけてぐいっとそれを掴んだ。
手も一緒に掴まれたので「痛いー」と思わず声を出してしまった。
 背広の男は、姿の見えない相手に驚きながら、手を掴んだままK氏を押し倒した。そして二人はしばらく格闘になった。K氏はなんとか立ち上がって、男のそばを離れた。足元を見ると黒い手帳が落ちていた。それは警察手帳だった。K氏は驚きその場からすぐに立ち去った。
 家に帰ってからも、K氏はしばらく落ち着かなかった。最近、デパートやスーパーマーケットで商品の盗難が相次いで起きていたので警察が警戒を強めていたのだ。
「姿が見えないので捕まることはないが、これからは大変だ」
 そんなときK氏は、あることに気づいた。
「そうだ、ひき逃げ事件の犯人はまだ捕まっていないのだ。警察は現場に残された被害者のノートも調べているはずだ。ノートは警察署にあるのだ」
 でもK氏はためらった。姿が見えないとはいえ、警察署へ捜しにいくことはまったく無謀だった。
 しかし翌日の雨が降る夜、K氏は大胆にも警察署へ捜しに出かけたのである。
 警察署には夜勤勤務の職員しかいなかった。姿が見えないので誰も気づく者はない。音を立てないように各課を回った。
 最初に交通課へ行った。事故のときの資料が揃っているからだ。ノートも保管されているだろう。戸棚の引き出しに最近の死亡事故のファイルがあった。でもノートが見当たらない。ファイルの中にM氏の事故のことが書かれた資料があった。警察ではひき逃げ犯人が故意に被害者をはねたと疑っていた。車はスピードを落とさず、ブレーキを踏んだ形跡がないからだ。
 さらに被害者の上着のポケットに奇妙な薬のことが書いてあるノートも見つけた。ノートは鑑識課で調べていることが分かった。
 K氏はすぐに鑑識課へ行ってみた。鑑識課長の机の上に先日のひき逃げ事件の資料が置いてあった。薬のことが書かれたノートは、現在、科学捜査研究所で調べていることが分かった。
「でも研究所のどの研究室にあるのだろう。すべての部署を調べる訳にもいかない」
 K氏はふと科学捜査研究所の受け取り担当者の名前に見覚えがあった。「S研究員」。それは自分と同じ薬科大学の頃の同級生の名前だった。
「そうか、彼は科学捜査研究所に勤めているのか」
 K氏は妙案を思いついた。S氏に手紙を送り、今どの研究室で働いているかを尋ねることだった。
「手紙を出せば、きっと研究室のことを教えてくれるだろう」
 K氏は警察署から出て行った。家に帰って来ると、懐かしい同級生に手紙を書くことにした。S氏から返信の手紙が来れば助かるのだ。(つづく)