2023年8月16日水曜日

(連載推理小説)画廊贋作事件

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 名古屋へ戻って、翌日は職場へ行った。さっそくメールで仕事がたくさん来ていた。名古屋市内の各河川の水位計の定期点検のこと、気象台との業務の打ち合わせのこと、自分の担当業務のことそれらの仕事を早く片付けないといけない。そのあとからもいろんな仕事のメールが入ってきた。仕事を片付けるのに2週間は毎日残業だった。
 仕事がようやく終わったある日、地下鉄に乗って栄町の方へ散歩に出かけた。喫茶店でコーヒーを飲みながら店のテレビを何気なく観ていたときだった。最近全国の画廊で起きている絵画の贋作事件のことが話題になっていた。日本の近代絵画の画家たちの贋作が出回っている事件だった。よく知っている著名な画家たちばかりなので辻昭彦がニュースに釘付けになった。
 これまでに分かっている絵画の贋作は四十数点で、青木繁、佐伯祐三、岸田劉生、小出楢重など著名な贋作が出回っていた。現在、警察で容疑者の特定を急いでおり、事件の解明に向けて全力を挙げて捜査中というニュースだった。
 辻昭彦は著名な画家ばかりだったので、くいいるようにニュースを観ていた。
「犯人たちはどんな方法で贋作を製造して流通させたのだろう」
事件は相当根深いと感じた。
 書店で贋作事件の記事が掲載されている週刊誌を見つけたので読んでみた。記事の中に青木繫の贋作「海景」(布良の海)の下絵のカラー画像も載っていた。
 贋作は次のような未発表作だった。
 
1 青木繁  6点、海景、神話ほか 下絵
2 佐伯祐三 7点、パリ雪景ほか 下絵
3 岸田劉生 6点 麗子像ほか、下絵
4 小出楢重 7点 静物画、裸婦 下絵
5 村山槐多 5点 カンナと少女ほか下絵
6 関根正二 4点 信仰の悲しみほか下絵
7 藤田嗣治 6点 習作 デッサン
 
 これらの未発表作のほとんどが完成作の下絵なのである。上記の画家たちの多くは短命なので長生きした画家と比べて作品数は少なく、下絵の未発表作が出てきても大いに注目される。下絵は完成作の前段階の絵であるから研究者にとっては非常に興味をそそられる。美術史的価値は相当にあり、美術愛好家や研究者にとっては手の出るくらい欲しい貴重なものだ。タブロー(完成を目的に制作された絵画作品)は既に美術館やコレクターが所蔵しており、それらの下絵、デッサン・スケッチなどが新たに出てくれば数百万円から数千万円の値段がつく。青木繁や岸田劉生などのタブローの下絵ならばその価値は非常に高く、数億円の値段がついてもおかしくない。
 辻昭彦は、この事件にはグループが存在していることを感じた。それは、ひとりの画家にそれぞれ贋作を作る担当者がいることである。ひとりの贋作者がすべての画家の絵を真似することは不可能である。画風が全く異なるからである。担当する贋作者は長い期間をかけて受け持つ画家の筆致や色使いを完全にマスターする。また画集などで相当な模写も行う。それらを身に着けた贋作者は画家の好み、生涯などを徹底的に調べて、未発表作を描くのである。
 そんな推理を考えていたとき、辻昭彦は、ふと青木繁の贋作について気になりだした。
それははなはだ想像の範囲を超えていると思われたが、考えれば考えるほど確信を持ちはじめたのだ。
「俺が買った神崎の絵のタッチと色使いは、青木繁の初期の作品「海景」(布良の海)に似ている」
「海の幸」と同時代に描かれた海をテーマにした作品である。波の描き方、筆遣い、色彩。辻昭彦は、週刊誌を買って書店を出た。すぐに千種区の公務員宿舎へ帰って、神崎の絵と見比べるためだった。
 宿舎に着くと、すぐに週刊誌を開いて青木繁の「海景」(布良の海)の下絵と、壁に飾ってある「神崎の海岸」の絵と見比べた。
「似ている。波の描き方、タッチ、色使い」
 贋作者が制作した下絵は、「神崎の海岸」を描いた画家の画風とそっくりなのである。下絵であるので完成作よりも見劣りはするが、完成作にはない荒削りな勢いのあるタッチ、作者が試行錯誤した様子など、研究者やコレクターたちだったらどうしても手に入れたい興味深いものなのである。
 しかしそうかといって絶対に青木繁の贋作者がこの画家とは限らないのである。画風が似ている画家はほかにもいるからである。
 辻昭彦は、この「神崎の海岸」を描いた山川修という画家のほかの作品も観たいと思った。それからでないと青木繫の絵画との比較は出来ないのだ。この画家の作品が市場にはほとんど出回っていないとなるとやはり直接画家の自宅へ行って見るしかない。
 辻昭彦は、青い屋根の家に住む、神崎の画家のアトリエがどうしても見たいと思った。
 ある日、辻昭彦は課長から東京へ研修に行く日を知らされた。研修期間は20日間である。河川局の研修センターで行われる。センター内に寮がありそこに宿泊するのである。20日間毎日講師から河川業務の最新の知識を学ぶのである。教材は相当な量である。
 当日、新幹線で東京へ行き、さっそく寮へ入った。明日から毎日授業である。研修生は40名で全国から集められている。朝から夕方までの研修はとても疲れるが、新しい知識が頭に入るので仕事には役立つのである。
 日曜日は休みで、みんな町へ遊びに行く。辻昭彦も町へ出た。でも彼は前から予定していた美術館巡りをした。
 ある日、授業が終わってから京橋にあるアーティゾン美術館へ行った。幸運にも当日、青木繁の特別展示会が行われており、画集でしか見たことがなかった多くの実物の絵を観ることが出来た。
「海の幸」、「黄泉比良坂(よもつひらさか)」、「大穴牟知命(おおあなむちのみこと)」、「日本武尊(やまとたける)」、「わだつみのいろこの宮」、「天平時代」、「旧約聖書物語」、「少女群舞」、「朝日」、「自画像」など貴重な作品が展示されていた。館内にはほかにも日本の近代絵画の巨匠たちの絵も並んでいた。小出楢重の「帽子をかぶる自画像」がこんなに大きな絵とは思ってもみなかった。また、佐伯祐三の「リュクサンブール公園」、「広告貼り」もあった。佐伯らしい激しい筆致でパリの風景を描いている。
 とりわけ青木繁の作品群は目を引く。28歳で夭折した短命なこの画家が残した未発表の作品があればだれでも手に入れたい気持ちになる。美術的価値はとりわけ高いのである。
 今テレビや新聞で報じられている贋作事件のことを思いながら犯人たちのことを考えた。贋作を製造している担当者は青木の画風の特徴をすべてマスターしているのである。ひょっとしたら、この会場に贋作者たちが来ているのかもしれない。
 辻昭彦は、贋作者たちが身近にいるような気分で美術館を出た。
 翌日からは再び研修である。5日後には名古屋へ帰るのだ。
 研修の最後の日だった。授業が終わって町に出て書店で雑誌を読んでいると、新たな贋作の記事が載っていた。贋作が見つかったのは、これまでの画家の他に、数人の絵画だった。日本の初期のシュールレアリスムの画家、古賀春江と靉光(あいみつ)の作品2点だった。被害者たちは、まったく贋作とは知らずに数百万円で購入していた。コレクターたちは誰よりも早く絵を買いたいので、作品を十分に調べもせずに高額の金を払って贋作を購入してしまうのである。
 書店を出て、神田の街をぶらぶら歩いていると画廊を見つけたのでさっそく入ってみた。名古屋の画廊よりもりっぱな建物だった。展示されている絵も多かった。受付けは二人の女性だった。数人客がいた。ほとんどが現代絵画だったが、壁の両端に写実画も展示されていた。
 その中にふと目につく絵があった。細長い絵で、松の木が群生している砂浜が描かれていた。
「これは天橋立の景色だ」
 それは天橋立を横から描いた絵だった。目を見張ったのは海の描き方と構図だった。「海の幸」を意識した絵であることがわかった。絵の右下に小さなサインがあった。ローマ字で、(OYamakawa)と書かれている。
 辻昭彦は、名古屋の画廊で買った「神崎の海岸」とこの絵を頭の中で見比べてみた。色彩は平凡だが、筆のタッチは似ている。
 この絵は同じ画家の作品だ。製作者の名前は山川修である。製作年が2006と描いてある。おそらく若い頃の作品なのだ。絵の値段を観た。7万円だった。ずいぶん安い。有名画家ではないので、早く処分するために展示したのだ。クレジットカードで買うことに決めた。受付けに行って購入手続きをした。絵は名古屋の公務員宿舎へ送るように伝えて店を出た。名古屋へ帰ったら、2つの絵を改めて検証しようと思った。
 研修が終わってから辻昭彦は名古屋に帰ってきた。研修報告のレポートを1週間で書き上げて課長に提出した。
 来週、2日間の休暇を取ることにした。舞鶴へ帰って神崎の画家の家に行くためである。
                                 (つづく)