2026年8月3日月曜日

(連載推理小説)空からの目撃者

     2

 矢原譲吉は東舞鶴の七条通りに住んでいる。独り暮らしのアパート生活だ。部屋の壁には、ドローンで撮影した写真がずらりと並び、動画も数多く制作した。空からの視点で捉えた舞鶴市の風景は、どれも見応えがある。
 学生時代、舞鶴市に一軒しかない映画館で半年ほどアルバイトをしていたことがある。そこでは宇宙船や航空機のSF映画もよく上映されており、譲吉はスクリーンを眺めながら、
「自分もこんな空撮映像を撮ってみたい」と思うようになった。
 それ以来、市内の公園や舞鶴港へ行って、ドローンで映像を撮りためてきた。最近、You Tubeチャンネルを開設して、10本近く動画もアップした。譲吉にとって、ドローンを飛ばすことは唯一の趣味だった。しかし、先日の事件現場を目撃して以来、ドローンを飛ばす勇気も気力も失ってしまった。彼は何よりも、事件に関わることを恐れた。
「あの日、あそこへ行かなければよかった……」
 後悔しても時間は戻らない。
 譲吉は現在、近所のセルフ式ガソリンスタンドで働いている。アパートから近いので徒歩で通勤している。勤めて七年になる。店は店長と年下の男性二人、そして譲吉の四人で回している。24時間営業のため夜勤もあるが、仕事は比較的単調だ。給油の開閉ボタンを押すほか、オイル交換や冬季のタイヤ交換など、雑務はそれほど多くない。夜九時を過ぎると車の数も減り、あとは店の掃除や使用済みのタオルの洗濯くらいしかやることがない。
 事件から10日が過ぎたある日、夜勤に入ると、店長が客と立ち話をしていた。
「西舞鶴で殺人死体遺棄事件があったらしい。現在警察が調べているそうだ」
「舞鶴で殺人事件なんて珍しいな。場所はどこだ?」
「女布のショッピングセンター裏の栗の林の中だ。農家の人が枝を伐採しに来たとき、地面が不自然に盛り上がっているのに気づいたらしい。埋められていたのは若い女性だ」
その会話を耳にして譲吉の心臓は凍りついた。
(思っていたより、早く見つかったのだ……)
 個室で作業着に着替え、仕事を始めた。午後7時に店長が帰り、午後9時を過ぎると車の数はぐっと減った。譲吉はひと仕事を終え、レジ横の椅子に腰を下ろした。
 夕刊を読んでみたが、まだ事件の記事は載っていなかった。しかしその夜、彼の心は不安に満ちていた。妄想が次々と頭をよぎる。
「警察は今頃、事件現場周辺の聞き込みをしているはずだ。犯人らしい人物がいなかったか。不審な車が停まっていなかったか……」
 最も気がかりなのは、ドローンを飛ばしていた自分の姿を誰かに見られているかどうかだ。広い田畑の周囲に民家はあるが、距離がだいぶ離れている。それに夕方で周りは薄暗かった。もうひとつ、簡易郵便局の前で出会った高齢者と女性だ。警察はもう二人にも聞き込みをしているかもしれない。おそらく二人は近隣住民だ。
 いろんな妄想に耽けりながら、やがて夜が明け、朝刊がスタンドに届いた。譲吉はすぐに紙面を開いた。仕事どころではなかった。
 記事を読んだ譲吉は、ついに恐れていた事態が現実になった。新聞の記事に10日前の事件のことが書かれていたからだ。
 8時になって日勤者と交代して、アパートへ帰った。でも少しも落ち着かず、テレビをつけると女布の女性殺害死体遺棄事件のニュースばかりが流れていた。食事をとったが、ほとんど喉を通らなかった。
 その日は外出せず、夜勤の疲れもあってすぐに眠りについた。夕方5時、目を覚ますと夕食の準備を始めた。ご飯を炊き、昨日スーパーで買ってきた焼き鳥を温め、インスタントのみそ汁を添えた。
食 事中、テレビをつけると女性殺害死体遺棄事件の続報が流れていた。事件現場の栗の林から150メートル離れた民家の主婦が、テレビ局のリポーターの質問に答えていた。
「10日前でした。夕方6時頃、農道に車が停まっていて誰か知らない人が畑で何かしていました。すぐに家に入ったのであとのことは知りません。停めてあった車の色はダークブルーでした。どの家も夕食の準備中だったので外へ出る人は少なかったと思います」
 譲吉は青ざめた。主婦は警察にも同じことを話しているはずだ。人通りのない場所で、ドローンを飛ばしていたのは自分だけだ。警察はすでに、自分と車のことも調べているはずだ。あの高齢女性を連れた女性にも聞き込みをしているだろう。
 妄想が次々と頭をよぎる。目撃者たちの証言をもとに、警察が自分のところへやって来る可能性がある。譲吉は犯人ではない。しかしあの日事件現場にいたのは犯人と自分だけだ。もし警察がやって来たらどうするか。そのときは正直に話すだけだ。撮影した映像を見せればいい。
 女布の栗の林の遺体発見後1週間して、ガソリンスタンドへ行くと、店長がそばに来て譲吉に言った。
「昼頃、警官が二人やって来た。この店にダークブルーの乗用車が給油に来なかったかしつこく聞いた。もし見かけたら知らせてくれと言った」
 店長に言われて、心臓が止まりそうになった。
「ほかに何か聞きましたか……」
「警察は事件の捜査で、舞鶴市のすべてのダークブルーの乗用車を全部調べているといっていた」
 店長から話を聞いて、さらに不安が広がった。
 譲吉は自分がドローンを趣味にしていることを店長やほかの同僚に話さなかったことは幸いだった。(つづく)























2026年7月2日木曜日

(連載推理小説)空からの目撃者

    1

 舞鶴市女布に、大型のショッピングセンターがある。かつては田畑ばかりで民家もまばらだったが、20年前にこの店がオープンして以来、様子は一変した。周囲の民家も増え、広い駐車場には、平日でも多くの車が並んでいる。
 ショッピングセンターの西側は、今も田畑が広がり、林も残っている。北側の50メートル先には京都丹後鉄道宮津線が走り、並行するように市道66号が通っている。この市道を西へ1キロ行くと真壁峠があり、峠を越えると由良川へ出る。
 9月のある夕方、一台の車がその近くの農道脇に停車した。農道には「駐車禁止」の標識が立っていた。運転していた男は、それを知っているのか、周囲を気にしながら落ち着かない様子だった。
 車に乗っていたのは、矢原譲吉という30歳の男。後部座席から黒塗りの機械を取り出すと、畑の方へ歩いていった。それは数日前にネットで購入したドローンで、今日は初飛行だった。
 矢原がドローンに興味を持ったのは2年前。最初に買ったのは、3万円の機体重量100グラム未満のミニドローンだった。しかし操縦が未熟で、すぐに墜落させて壊してしまった。その後も数台買い替え、ようやく安定して飛ばせるようになった。今回購入したのは、8万円の機体重量200グラムのドローン。100グラムを超えるドローンは航空法の対象になり、申請が必要で、彼も許可を得ていた。操縦技術も向上し、今では空撮映像を編集して短編映画を作るのが趣味となっていた。
 最近は、人のいない田舎でなければ飛行を十分楽しめない。とはいえ、どこの道路も駐車禁止で困る。夕方なら人も少なく、問題ないだろうと考えた。今日は風もなく、飛行には絶好の条件だった。
 彼は送信機を片手に、ドローンを畑の小道に置いてスタートボタンを押した。ローターが回り出し、機体を5メートル上昇させて空中停止させた。
「しばらく低空で試してみようか」
 つぶやきながら、機体を20メートルの高さまで上昇させた。
 10分ほど畑の景色を撮影していたとき、西側の100メートル先の栗の林の中で何かが動いた。近くに農作業小屋がある。農家の人だろうと思ってモニター画面を見ていると、様子がおかしい。
 そこにいたのは、黒い帽子をかぶり、黒いジャンパーを着た30代後半くらいの男性。シャベルで穴を掘っている。そばに大きめの布袋が置かれており、何かはみ出ている。
「何をしてるんだ……」
 矢原は高度を下げて様子をうかがったが、気づかれたら大変なので、ドローンを畑の方へ戻した。しかし、さっきの光景が頭から離れなかった。
 それからも15分ほど空撮を続けたが、バッテリーも残り少なくなり、あたりも暗くなってきたので、ドローンを着地させて帰ることにした。車に戻り、ドローンを後部座席に積み込んでエンジンをかけた。運転しながら、さっきの男のことが妙に気になった。
「あの男は何をしていたのだろう。あの袋は、いったい……」
 農道を走って簡易郵便局の前にやって来たとき、二人連れの女性が歩いていた。一人は高齢者だった。突然、その高齢者が転倒して道路側に飛び出した。矢原は慌ててブレーキを踏み、車はすぐに止まった。付き添っていた中年の女性が高齢女性を抱き起こして、「すみません。大丈夫ですーー」
と言った。おそらく親子だろう。
 帰宅後、夕食をとり、風呂に入ってから、今日撮影した映像を観ることにした。録画時間は約30分。栗の林の上空から撮った映像が気になり、早送りで再生した。10分を過ぎたところで、目当ての映像が現れた。
 高度20メートルからの映像なので人物は小さく、木々が邪魔をしてはっきりとは見えない。でも途中で高度を下げて撮影したので状況がわかった。枝の隙間に30代後半くらいの男がスコップで穴を掘っている。ドローンは飛行音がほとんど聞こえない。男も作業に集中しているので上空にドローンがいることに気づいていない。
 男のそばにカーキ色の大きな布袋が置かれている。映像を止めてその部分を切り取った。はじめ小さくてよくわからなかったが、拡大すると、それが何なのかがわかった。布袋からはみ出ているのは女性の白い腕だった。赤いものが付着しているのは血だろうか。肌が異様に白く不気味だった。もしそれが女性の死体だとしたら、死後硬直はまだ始まっておらず、死亡してからそれほど時間は経っていない。この男が殺害したのだろうか。
 矢原譲吉は画像と動画を繰り返し見ながら、事件の状況を推理してみた。
 もしこれが犯罪ならば、映像を警察に届ける必要がある。重要な証拠品だからだ。しかし、すぐに難問にぶつかった。
 それは出来ないのだ。警察は、なぜその場所でドローンを飛ばしていたのか詳しく尋ねるだろう。矢原はその地区の住民ではなく、自宅から30分もかかる東舞鶴から車でやって来た。この場所は駐車禁止区域だ。警察は車をどこに停めたか聞くだろう。矢原は昨年、駐車違反で捕まったことがある。
 いろいろ考えた末、警察への届け出は無理だと考えた。さらに、別の心配事がある。帰るとき高齢女性を連れた女性に目撃されていることだ。農道に自分以外の車は見あたらなかった。もし栗の林の中から遺体が発見されたら、警察はその日の目撃情報を集めるだろう。あの女性にも聞き込みが行われるはずだ。
「簡易郵便局の前で、ダークブルーの乗用車を見かけました。その車は農道から走ってきて、私たちの前で急停車しました。30歳くらいの男性が運転していました」
 そう証言するだろう。
 あれこれ考えた末、矢原譲吉は警察への届け出はやめることにした。(つづく)





















2026年6月1日月曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

     4

 N警察署の刑事・村瀬(47歳)は、捜査会議を終えて自席に戻った。彼は先日起きた書店店長殺害事件の担当刑事であり、犯人とされる投資家・池上亮一の調査を受け持っていた。
 池上は現在、精神病院に収容されている。数か月前にも出前配達員殺害容疑で逮捕されたが、統合失調症のため不起訴となり、病院へ送られた経緯がある。病院側は彼の病歴を詳細に調査し、警察へ報告済であった。
 村瀬が病歴を読んで特に注目したのは、池上の10代の頃の症状だった。
 14歳の池上は自閉症の傾向から不登校となり、半年ほど精神科に通院していた。その頃から妄想の兆候が見られたが、病状は軽度と判断され、通院は終了した。
 中学時代の池上の病歴には、興味深いエピソードがある。
 ある雨の日、授業後、帰宅するために下駄箱へ行くと自分の傘がなくなっている。「誰かが盗った」と池上は激しく怒り、数日間にわたって犯人捜しを続けていた。
 また、昼食時に弁当の味がおかしいと感じ、「誰かが殺虫剤を入れた」と信じ込んだ。クラスメートを一切信用せず、常に疑いの目を向けていた。その執念深さに教師たちも驚いたという。しかし、これらの症状は数年後には回復し、学校生活も順調だった。
 村瀬はこれらの記録を読み、今回の犯行が精神病の再発によるものと推測した。
 だが、病歴と事件調書を読みながら、いくつかの不可解な点に気づく。池上は供述の中で、頻繁に送られてくる白紙の手紙の事と無言電話について語っていることだ。
 村瀬は事実確認のため、池上の住居周辺の郵便局を訪れ、職員に聞き込みを行った。すると、20代の若い男性が、頻繁に手紙を投函していたことが分かった。その人物が池上であるのか、別の人物なのかは確認出来ていない。池上自身が精神病の混乱の中で自分宛に白紙の手紙を送った可能性もあり、本人もその行動を覚えていない。
 では、無言電話は誰なのか。
 村瀬の脳裏に浮かんだのは、書店で一緒に働いていたという男・鈴木の存在だった。しかし、鈴木は遠洋マグロ漁船で水死したとされている。死者がよみがえるなどありえない。
だが、池上に執拗に付きまとっていた人物はこの人物以外には考えられない。もし鈴木が生きているとしたら――。
 村瀬は鈴木が乗船していた漁業会社に問い合わせてみた。漁業会社の担当者の話では、その年の冬、インド洋で操業中だったマグロ漁船の漁師が一人、水死したことが分かった。だが、遺体はいまだに発見されていない。名前は「鈴木」だが、年齢は48歳だった。
「水死した漁師は48歳? 名前は同じだが、年齢が違う」
 村瀬がさらに詳細に調べると、そのマグロ漁船が出航する前に、下船した漁師がいたことが分かった。その漁師は年齢が29歳(池上亮一と同年齢)で、同じ鈴木という人物だった。しかし苗字は同じだが名前が違っていた。海で死んだ男は鈴木儀雄だが、乗船しなかった男は鈴木義雄だった。読みは同じだが、漢字が少し違っている。
「そうか。池上の同僚だった鈴木は、海で死んだのではない。死んだのは別人だったのだ」
 村瀬は推理をやり直した。出航前に姿を消した鈴木義雄は、身を潜めながら池上に接近していた疑いがある。目的は、おそらく池上の資産を奪うためだろう。
 白紙の手紙、無言電話、アパートの窓越しの男――すべて鈴木義雄の仕業だったのではないか。
 目的が資産を奪うためならば、池上の銀行口座を早急に調査する必要がある。おそらく池上が入院中に彼の口座から不正に現金を引き出した可能性があるからだ。
 村瀬は池上が利用していた郵便局、銀行に問い合わせて口座を調べてもらった。
 池上が頻繁に利用していた郵便局の口座を調べてみると、この数か月の間に、すべての現金がカードで引き出されていた。池上はほかにも3つの銀行に口座を持っており、それぞれ5000万円が預けられていた。鈴木という男が犯人であれば、近いうちに、これらの金も狙うはずだ。村瀬は他の刑事と一緒に3つの銀行を張込むことにした。数日間は何事もなかった。しかし10日後――。
 この町のR銀行I支店のATMに、午後3時過ぎ、サングラスとマスクを掛けた若い男がやってきた。その男はカードで現金を下ろすと、そのあとすぐにM銀行N支店へ行き再び現金を下した。次にF銀行のD支店でもカードで現金を下ろした。それを確認した刑事がその場に飛び込んだ。サングラスの男は驚き、逃げようとしたが、刑事に腕を掴まれ、すぐに手錠を掛けられた。
 男は警察署に連行され、取り調べの結果、村瀬刑事の推理通り、鈴木義雄であることが分かった。鈴木は過酷なマグロ漁船の仕事に耐えられず、もっと楽に金を得る方法、つまり池上に接近し資産を奪うことを思いついたのだ。鈴木は刑事の追及に完全に屈服し、自分の罪を認め、犯行のすべてを自供し、この事件は解決した。(完)
















2026年5月2日土曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       3

 数日後、俺は警察署の取り調べ室にいた。だがすぐに警察病院の精神科へと移送された。
体力は落ちていたが、高カロリーの食事を摂るうちに徐々に回復し、会話もできるようになった。
 ある日、医師の問診を受けることになった。
俺は、ある友人との関係、投資のこと、そして数か月前から続く異常な出来事について、できる限り詳しく話した。
何度かの問診の後、医師は診断を告げた。
「あなたには統合失調症の疑いがあります。特に“追跡妄想”の症状が顕著です。誰かに尾行されている、監視されていると感じる症状です。さらに“関係妄想”も強く現れています。周囲の出来事に特別な意味があると感じ、根拠なく自分に関連づける妄想です。ノイローゼでも似た症状は出ますが……」
「統合失調症? 違います! 俺は実際に、サングラスをした“鈴木”という男に追われていたんです。白紙の手紙も届きました!」
 医師は否定するように、冷静に説明を続けた。
「白紙の手紙は、あなた自身が自分宛に送ったものです。郵便局のATMをよく利用していたようですね。その際に投函した可能性があります。ただし、追跡妄想と関係妄想だけで統合失調症と断定はできません。しかし、あなたには“被毒妄想” が見られます。誰かに毒を盛られていると確信する症状です。これはノイローゼでは少ないです」
 俺は何度も否定した。
「パソコンの画面に映っていたサングラスの男は、間違いなく鈴木だった!」
 だが医師はそれも否定した。
「画面に映っていたのは、あなたの背後にあったテレビの映像です。取引に夢中になっていたので消し忘れたのでは?。パソコンの不具合はマウスの電池が切れでは?。」
 医師の言葉を聞くうちに、俺の頭は混乱していった。
 だが、どうしても腑に落ちないことがある。
手紙は自分が書いたとしても、電話をかけたのも俺なのか?
そんなはずはない。通話履歴を調べれば分かるはずだが、俺の固定電話は古く、履歴が残っていない。
 訳も分からぬまま、俺は地元の町の郊外にある精神病院で生活することになった。
薬物治療のおかげで妄想の症状は徐々に薄れていったが、俺の頭の中では、あの事件のことが消えることはなかった。
 ある日、ふとある人物のことが頭に浮かんだ。
それは、俺がよく知る人物――以前勤めていた書店の店長だった。
「まさか……これまでの出来事は、すべて店長が仕組んだことなのではないか? そうだ。書店を辞めるとき、店長は俺の投資資産についてしつこく聞いた。鈴木が水死したことも墓のこともよく知っている。店長は、俺の資産を狙っているんだ」
 その疑念は、やがて確信へと変わっていった。
病院の中は、職員に監視され、まるで監獄だった。週に一度、精神科医の診察がある以外は、ひとりで病室に閉じこもる日々。事件の記憶が頭から離れず、落ち着くことができなかった。
自分が精神病者であることは否定しない。
だが、出前の配達員を殺害したのは、ある人物が仕向けた結果なのだ。
このままでは、すべての責任を俺が負わされてしまう。
「店長に復讐しなければ、俺は報われない」
 二週間後の深夜、俺は病院から抜け出した。数日前から計画していた脱走だった。
病室の窓の鍵を壊し、中庭の塀を乗り越え、冷たい夜道を歩いた。
星も出てない曇り空の夜。店長の家は病院から5キロほど離れた市営住宅のそばにある。
俺は1時間近く歩き、ついにその家の門の前にやって来た。
庭に侵入し、石を拾い、音を消すために持ってきたタオルを巻いて1階の窓ガラスを割った。鍵を開けると家の中へ入った。暗闇の中、寝室を探す。寝室は2階の奥にあった。
寝室のドアを開けると、店長は布団をかぶって眠っていた。
 俺はタオルを固く縛り、店長の首にかけて力を入れて締めた。
店長は息苦しさで目を覚まし、激しく抵抗したが、数分後には息が絶えた。
 その後の記憶は断片的だ。
俺は家を飛び出し、行き先もわからぬまま走っていた。
やがて雨が降り出し、びしょ濡れになりながら歩き続けた。体は冷え、歩くのも限界だった。
 そのとき、前方から車のライトが見えた。
俺はそれをタクシーだと思い込み、止めようと前に飛び出した。だが転倒し、頭を強く打って倒れた。
その後の記憶はまったくない――。(つづく)




















2026年4月1日水曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       2

 鈴木からの手紙は、その後も届き続けた。
 郵便配達のバイク音が聞こえるたびに身をすくめた。ノイローゼが再発し、症状は悪化していった。
 ひと月の間に届いた白紙の手紙は10枚にもなった。すぐに破り捨ててゴミ箱へ放り込んだ。
 だが、それだけでは終わらなかった。今度は無言電話が昼夜を問わず掛かってきた。
受話器の向こうに鈴木がいる――そんな確信があった。働いていたとき、固定電話の番号を教えなければよかったと後悔した。
 外出は避けたかったが、買い物には行かねばならない。だが、狭い路地に入ると、背後から足音が聞こえる。振り返っても誰もいない。
「鈴木は死んだはずなのに、なぜ俺のもとに現れる? まさか……」
 ある日、買い物帰りに、以前勤めていた書店の店長に出会った。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
 店長は笑顔で声をかけてきた。
 俺は鈴木のことを尋ねた。
「あいつは確かに遠洋漁業の操業中に水死したよ」
 店長は、俺の真剣な目つきに驚いていた。
「墓はとなりのE町の山の中にある。そこに埋葬されているよ」
 店長に墓の場所を教えてもらい、翌日、山へ行った。
 墓地の中に鈴木の墓は確かにあった。苗字と名前、没年が刻んである。
「ここであいつは眠っているのに……なぜ俺につきまとう?」
 焼香を済ませて山道を下っていると、林の中に人の気配を感じた。
 目の錯覚だろうか。林の中にサングラスとマスクを掛けた男が立っているのだ――。
「あれは……鈴木ではないのか?」
 俺は恐怖に駆られ、逃げるように山道を駆け下りた。
 それ以来、外出はほとんどしなくなった。家にいれば、鈴木の幽霊に会わずに済むからだ。
 そんな不安な生活の中、突然希望の光が差し込んだ。マーケットが再び活況を呈し、どの銘柄も値上がりを始めたのだ。チャートを見るのに夢中になり、恐怖心も次第に薄れていった。
 取引を重ね、資金は莫大な額に膨れ上がった。
 毎日パソコンのマウスを動かして売買を繰り返した。
 だが、あるときからトラブルが頻発に起きるようになった。売却しようとするとパソコンが動かなくなるのだ。証券会社のサーバーに不具合があるのかと思って、問い合わせたが、証券会社では、こちらのサーバーには異常はないと答えた。
パソコン業者にも調べてもらったが、
「特に問題はありません。念のためクリーニングだけしておきます」
と言われただけだった。
 それでもトラブルは続いた。
 ある銘柄が予想以上に値上がりし、売れば数千万円の利益になるというチャンスが訪れた。
 だが、またしてもマウスが動かない。 
「どうしたっていうんだ……!」
 冷汗を流しながら必死にマウスを動かす。でもカーソルがまったく動かない。
 そのとき、液晶画面に黒い影が映っているのに気づいた。
「何だ、これは……!」
 それは、テレビのうしろの窓ガラスに映った何かだった。黒い影がじっと画面に留まっている。
「まさか……」
 俺は恐る恐るうしろを振り返った。
 カーテンが半分開いており、黒い影はすぐにカーテンの裏に隠れ、そして消えた。
「確かに……人間の顔だった」
 そんな異様な精神状態の中で、俺はその日、数千万円を儲けそこなった。
「これは呪いなのか……?」
 俺は再びノイローゼになり、完全に引きこもった。苛立った神経の中で、別の不安が頭をよぎる。
 鈴木が、外で待ち構えている気がしてならないのだ。食料も買いに行けず、出前を頼むようになった。玄関前には、使い終えた皿や茶碗が並ぶようになった。
 ある日、配達員の姿が気になり出した。
 階段を駆け上がる足音が聞こえると、玄関ドアの覗き穴から確認するのだが、いつもサングラスとマスクをしているのだ。背丈も死んだ鈴木と同じだ。
「あれは……鈴木じゃないのか?」
 混乱する頭の中で、いろんな妄想が浮かんできた。
「持ってきた料理に毒を入れてるかもしれない……」
 俺は身の危険を感じた。
「これまでの出来事は、すべて鈴木の仕業だ。
鈴木は幽霊ではない。生きている――」
 そう確信するようになった。
 俺は自分の命を守るため、ある計画を立てた。
 それは恐ろしいことだったが、やらなければ殺される――そう思った。
 ある夕方、俺はそれを実行した。
 代金を支払うとき、準備していた刺身包丁で配達員に斬りかかった。
 悲鳴とともに血が流れ、配達員は床に倒れた。
 俺は気が動転し、死体に触れることも出来ずに、ベッドに潜り込んで病人のようにうずくまった。そのうちアパートの住人たちが俺のことを噂し始めた。
 ゴミの日にも姿を見せず、洗濯物も干さない。何をしているのかさっぱりわからない。
 ある日、管理人が住人の話を聞いて俺の部屋を訪ねた。返事がないので、合鍵で中に入った。
 部屋はゴミだらけだった。空き瓶、食べ物のくず、使い終えた箸、湯呑茶わん……。
 そして、部屋の隅に横たわる血まみれの死体を発見し驚愕した。
 隣の部屋では、俺が憔悴しきった様子で寝ていた。管理人はすぐに警察へ通報した。(つづく)














2026年3月3日火曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

       1

 池上亮一は、かつて書店で働いていた。6年勤めたが、今は無職。悠々自適な生活を送っている。
 それには理由がある。彼は投資の腕に長けていたので、幸運も重なって億万長者になったのだ。ある商品の取引で大金を手にし、今ではアパート暮らしながらも、何不自由ない快適な日々を過ごしている。
 もともと友人は少なく、酒を飲みに出かけたり、遊びに行くこともほとんどない。唯一の趣味は読書――それもミステリー小説ばかりだった。かつて自分でも書いてみようとしたが、文章がまるでダメで、すぐに諦めた。それ以来、他人の作品を読むことだけが楽しみとなった。
 食事は自炊が中心だが、時々外食もする。近所のファミリーレストランやラーメン店、丼物の店などが定番だ。お金は有り余るほどあるが、贅沢は好まない。車も持たず、自転車だけで平凡な暮らしを続けている。
 そんな池上に、最近異変が起きた。外出するとき、見知らぬ人物が後をつけてくるのだ。昼間でも夜でも、まるで尾行されているようで気味が悪い。
「俺が何か悪いことでもしたのか? 誰かの恨みを買ったのか?」
 理由はまったく分からない。道を歩きながら何度も振り返るが姿を見せない。しかし、確かに誰かが後をつけてくる気配がある。
 ある夕方、ファミリーレストランで夕食を済ませた帰り道、自宅へ向かう寂しい路地を歩いていると、背後から靴音が聞こえた。振り返っても誰もいない。寒気がして、池上は走ってアパートへ逃げ込んだ。
 そんなことが毎日のように起きる。最近では外出を控えるようになった。でも家に閉じこもってばかりいられない。買い物や散髪、お金をおろしにATMへも行かなければならない。だから人通りの多い昼間に出かけるようにしている。でも狭い路地に入ると、またあの足音が聞こえる。
「いったい誰なんだ。俺に何の用がある? なぜ姿を見せない?」
 ついにはノイローゼになり、外出すらできなくなった。布団をかぶって震える日々が続いた。
「警察に届けようか」とも考えたが、姿を見たこともない相手ではどうにもならない。「気のせいですよ」と言われるのがオチだ。結局、届けは出さなかった。
 そんな折、幸運が舞い込んだ。投資していた商品が再び値上がりし、売買を繰り返して多額の利益を得たのだ。気分が晴れ、外へ出たくなった。
「明日、お金をおろしに行こう」
 ノイローゼだったことも忘れて、翌朝、郵便局のATMへ向かった。カードを差し込み、現金を引き出す。そのとき背後に人の気配を感じた。振り返った瞬間、心臓が凍りついた。
ガラスドアの向こう側に、サングラスを掛け、マスクをした男が立っていたのだ。
―が、すぐに姿を消した。
「いったい、あいつは誰だ……!」
 それ以降も、不審者は外出のたびに現れた。まるで影のように、池上の後をつけてくる。
 ある日、書店時代に仲の良かった同い年の鈴木という男から手紙が届いた。だが彼の噂を聞いていた池上は不審に思った。封筒を開けると、中には何も書かれていない白紙が入っていた。
「なんだ、これは……」
 背筋が寒くなった。
 鈴木とは、よく投資の話をした。池上が利益を出しているのを見て羨ましがり、「投資を教えてくれないか」と頼んできた。
「教えてやってもいいけど、損しても恨むなよ」 
 そう言って池上は、最近注目していた商品を勧めた。鈴木は200万円を元手に購入したが、価格は急落し、半値になった。
「なんとかしてくれ。投資資金はサラ金で借りたんだ」
 鈴木は青ざめた顔で、毎日相談にやってきた。
「気にするな。一時的な下落だ。いずれ上昇する」
 そう励ましてナンピン買いを進めた。鈴木は新たにサラ金から借金してその商品を買い続けた。しかし価格は回復せず、鈴木の不安は募るばかりだ。一方、池上の投資は順調で、利益を出し続けた。
 ある日、鈴木は書店を辞めた。借金を返済するために遠洋マグロ漁船に乗ったのだ。
 一年ほど経ってから鈴木が操業中に海に落ちて死んだという噂を耳にした。だが、その彼から手紙が届いたのだ。
「彼は生きている……いや、幽霊となって戻ってきたのか?」
 白紙の手紙は恨みの証だった。池上は背筋が凍る思いだった。
「外出のたびに後をつけてくるのは、幽霊になった鈴木なのか……」
 池上は再び布団に潜り込み、震えが止まらなかった。(つづく)















2026年2月2日月曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

       5

 K氏の事件は解決した。しかしM氏をはねたひき逃げ犯人はまだ捕まっていなかった。警察は引き続き捜査を続けていた。
 そんな時期に再び不可解な事件がたびたび起きるようになった。
 それらの事件は、町の銀行、郵便局、信用金庫から多額の現金が盗まれる事件だった。
 犯人は証拠も残さずに現金を奪ったのだ。警察はK氏の事件と類似性があるので捜査を続けていた。
 あるとき、容疑者の車のことが分かった。車の所有者はO氏という薬剤師でとなり町で暮らしていた。O氏といえば、M氏の訃報の知らせてくれた同級生である。その彼がひき逃げ犯人の容疑者としてマークされているのである。まさかM氏を意図的にはねたのは彼だったのであろうか。
 刑事はK氏から聞き込んだ話をまとめて次のような推理をした。
 M氏は指先が消えた話をO氏にもしたのではないか。その実験を記録したノートを彼に見せたかもしれない。そうだったらO氏は、その薬を使って犯罪を企んだ。M氏を車ではねた後、K氏の住所を調べ、訃報のハガキを送り、K氏の留守中に忍び込んでノートをコピーした。おそらく薬のことを知っているK氏もあとから殺害する計画を立てていた。O氏はK氏と違い凶悪犯なのだ。
 警察は服役中のK氏からさらに詳しく話を聞き、O氏の行方を追っていた。しかし容易に姿を消したO氏を捕らえることは出来なかった。O氏はそれをいいことにしてそれからも数々の犯罪を引き起こした。警察は姿の見えない犯人を見つけることはまったく不可能と思われた。
 しかしO氏にも思わぬ不運が起きることがある。ミスを犯したり、事故や病気で死んでしまうことがあるからだ。
 それは数年経ったある年の夏に実際に起きた。その頃O氏は大型のクルーズ船に乗船して世界一周の旅に出ていた。彼はたびたび姿を消して船客の貴重品や現金を盗んだ。しかし彼は疑われることはなかった。
 O氏は入港したいろんな国の港でも、姿を消して犯罪を繰り返した。ホテルやデパート、宝石店、銀行へ行き、現金、貴金属、宝石を盗んだ。彼に出来ないことは何もなかった。彼は大いに満足して船旅を楽しんだ。
 ところがある深夜、大西洋を航行していたときO氏に不運が襲った。彼は船のパーティーで酒を飲み過ぎて酔いを覚まそうとデッキに出たとき、足を滑らせて船の手すりから海の中へ落ちたのだ。それを目撃した船客は誰もいなかった。
 パスポートもなく船客名簿にも彼の名前はなかった。だから彼が死んだことは誰も知らない。勿論、死んだあと彼の墓はどこにもない。O氏は誰にも看取られず、ただひとり死の世界へ旅立ったのである。世間を驚かせたこれらの一連の不可解な犯罪は終わった。M氏が開発した身体を消し去る薬はそれ以降使われることはなかった。(完)












2026年1月3日土曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

      4

 翌朝、警察署では出勤してきた警官が不自然なことに気づいた。廊下のあちこちが濡れており、各課の戸棚の引き出しが少し開いていたのだ。誰かが昨夜無断で侵入した疑いがある。どの課でもそうだった。
「いったい、誰だろう」
 防犯課の刑事も出勤してきた。その中に先日K氏とデパートで格闘した刑事がいた。
 みんなの話を聞いて数日前の出来事を思い出した。
「部屋へ無断で入って来たのは、あのときの透明人間ではないのか」
 刑事は各課の防犯カメラの記録を調べてみた。驚いたことに誰も写っていないのに戸棚の引き出しが勝手に動くのだ。カメラの記録を見ると、交通課に長い時間いたことが分かった。その戸棚には死亡事故の資料が保管されていた。
 刑事は交通課へ行って、最近の死亡事故を調べてみた。死亡事故は3件あった。その中に横断歩道で轢かれた若い薬剤師の死亡事故があった。そのときに見つかった遺留品の中に奇妙なノートがあり、現在、鑑識課で調べていた。
「警察署へ侵入した人物は、そのノートを探しに来たのではないか」
 刑事は、最近デパートやスーパーマーケットで盗難が相次いで起きている事件もその人物の仕業ではないかと疑った。
 盗難にあった品物は、薬と食料品ばかりで、現金や重要な物はなにも盗んではいない。凶悪犯ではないのだ。
 さらに警察では最近、謎の失踪をしている人物の捜査も行っていたので、それとの関連性についても考えてみた。失踪中の人物も薬剤師で、町の薬局に勤めていた。名前と住所も分かっている。
 数日後、鑑識課から報告があった。科学捜査研究所でノートを調べた結果、そのノートには消した指先をもとに戻す薬のことが書かれていたのだ。
 刑事はこう推理した。
「警察署に侵入した人物は、何らかの理由で自分の身体が消えたため、もとに戻す方法を知りたがっている」
 刑事は、この事件を解決する方法はそのノートが決め手だとわかった。
 そんなことなど知らないK氏は、毎日S氏からの手紙を待った。
 1週間してから、K氏の家にS氏からの手紙が届いた。
―Kさん、お久しぶりです。突然のお手紙驚いています。私も元気でやっています。薬科大学の頃はいまでも懐かしく思い出します。私は現在、科学捜査研究所の第一研究室で働いています。Kさんも薬局の勤務の傍ら熱心に薬の開発に取り組まれているとのこと頼もしいことです。また近いうちにお会いしましょう。そのときはお酒でも飲みましょう―。
 K氏は手紙を読んで、興奮が収まらなかった。
「よかった、S氏の働いている部署がわかった」
 K氏はその夜、さっそくノートを探しに出かけた。友人を騙して悪いことをしたと思ったが、この際仕方がなかった。科学捜査研究所の第一研究室を一晩中探した。しかしどうしたことだろう。研究室にはノートはなかった。ノートは数日前に警察署に送り返されていたのだ。
 K氏は失望して研究所から出て行った。 
 数日後、K氏が家の郵便ポストを見ると、差出人不明の小包が入っていた。取り出してみると驚いた。M氏のノートが入っていたのだ。
「誰が送ってくれたのだろう」
 K氏は不可解な出来事に頭が困惑した。でも探していたノートが見つかったので、すぐに部屋に戻って薬を作ることにした。しばらくして玄関のチャイムが鳴った。K氏はノートを持ったまま玄関へ行きドアを開けた。すぐに異変に気づいた。三人の刑事が立っていたのだ。
「家の中を調べさせてもらう」
 刑事が捜査令状をK氏の前に突き出した。
 K氏は驚愕したが、すぐに刑事たちがノートだけが空中に浮かんでいるK氏の周囲を取り囲んだ。すぐに両手を掴まれ、手錠を掛けられた。
 K氏は、刑事に連行されて警察署へ行った。そして取調室がはじまった。
「君が実験によって身体を消し去ったことは分かっている。われわれは消えた身体を元に戻す方法を知っている」
 刑事はそれを証明しようと言った。K氏を浴室に連れて行き、薬がばらまかれたお風呂に入るようにいった。
 数分後、K氏の姿が現れ、元の身体になった。刑事はすぐにK氏に衣服を着せて写真を撮った。K氏は犯罪を認めてこれまでの経緯をすべて話した。
 1か月後、K氏は住居侵入と窃盗の罪で1年6か月の刑を受けた。受刑者となったK氏は悲しんだが、自分の身体が元に戻ったことに安心した。(つづく)














2025年12月1日月曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

         3

 K氏は、始発の電車で帰って来た。でもやっぱり風邪を引いて、その日はどこへも出かけずに寝込んでしまった。
 昼過ぎに電話が掛かってきた。薬局の店長からだった。電話に出るか迷った。電話は再三かかって来た。仕方なく受話器を取った。
 店長は怒っていた。一週間も休んでおきながら今日も連絡なしで無断欠勤は困ると言った。明日からちゃんと出勤するように言った。
 K氏は返答に困った。どう説明していいのか分からなかった。
「仕方がない、店を辞めよう」
 K氏はそのことを店長に告げた。午後、退職届を書き、封筒に切手を貼って郵便ポストに入れた。
「これで仕事のことは解決した」
 でもK氏は無職になった。これからどうやって暮らしていくか悩んだ。しかし一番の問題は自分の姿を元通りにすることだった。
 数日間K氏はどこにも出かけず、ノートを探し出すことを考え続けた。M氏の部屋にノートはなかった。事故現場にもなかった。病院にもなかった。いったいノートはどこにあるのだろう。そのうち冷蔵庫に入っていた食べ物がすっかりなくなった。お腹が空いては考えることも出来ない。K氏は、スーパーマーケットへ行ったり、デパートへ行ったりして食べ物を調達してきた。
「ノートが見つからなければ自分で薬を作るしかない」
 K氏は試行錯誤しながら自分の身体をもとに戻す薬の実験を繰り返した。いろんな薬を混ぜて試したが容易に薬は出来なかった。
 そのうち薬もなくなってきた。だから町の薬店に行って調達してこなければならなかった。同じ店に行くことは危険だった。気づかれてしまうからだ。だから違う薬店へ足を運んだ。
 あるとき、デパートの薬売り場で、薬を持ち出していたとき人にぶつかった。
 相手は背広を着たがっしりした男性で周囲を見渡していた。空中に薬が浮かんでいるのを見つけてぐいっとそれを掴んだ。
手も一緒に掴まれたので「痛いー」と思わず声を出してしまった。
 背広の男は、姿の見えない相手に驚きながら、手を掴んだままK氏を押し倒した。そして二人はしばらく格闘になった。K氏はなんとか立ち上がって、男のそばを離れた。足元を見ると黒い手帳が落ちていた。それは警察手帳だった。K氏は驚きその場からすぐに立ち去った。
 家に帰ってからも、K氏はしばらく落ち着かなかった。最近、デパートやスーパーマーケットで商品の盗難が相次いで起きていたので警察が警戒を強めていたのだ。
「姿が見えないので捕まることはないが、これからは大変だ」
 そんなときK氏は、あることに気づいた。
「そうだ、ひき逃げ事件の犯人はまだ捕まっていないのだ。警察は現場に残された被害者のノートも調べているはずだ。ノートは警察署にあるのだ」
 でもK氏はためらった。姿が見えないとはいえ、警察署へ捜しにいくことはまったく無謀だった。
 しかし翌日の雨が降る夜、K氏は大胆にも警察署へ捜しに出かけたのである。
 警察署には夜勤勤務の職員しかいなかった。姿が見えないので誰も気づく者はない。音を立てないように各課を回った。
 最初に交通課へ行った。事故のときの資料が揃っているからだ。ノートも保管されているだろう。戸棚の引き出しに最近の死亡事故のファイルがあった。でもノートが見当たらない。ファイルの中にM氏の事故のことが書かれた資料があった。警察ではひき逃げ犯人が故意に被害者をはねたと疑っていた。車はスピードを落とさず、ブレーキを踏んだ形跡がないからだ。
 さらに被害者の上着のポケットに奇妙な薬のことが書いてあるノートも見つけた。ノートは鑑識課で調べていることが分かった。
 K氏はすぐに鑑識課へ行ってみた。鑑識課長の机の上に先日のひき逃げ事件の資料が置いてあった。薬のことが書かれたノートは、現在、科学捜査研究所で調べていることが分かった。
「でも研究所のどの研究室にあるのだろう。すべての部署を調べる訳にもいかない」
 K氏はふと科学捜査研究所の受け取り担当者の名前に見覚えがあった。「S研究員」。それは自分と同じ薬科大学の頃の同級生の名前だった。
「そうか、彼は科学捜査研究所に勤めているのか」
 K氏は妙案を思いついた。S氏に手紙を送り、今どの研究室で働いているかを尋ねることだった。
「手紙を出せば、きっと研究室のことを教えてくれるだろう」
 K氏は警察署から出て行った。家に帰って来ると、懐かしい同級生に手紙を書くことにした。S氏から返信の手紙が来れば助かるのだ。(つづく)

















2025年11月1日土曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

         2 

 日曜日がやって来た。K氏は、寝床から出ると洗面所の鏡の前に立った。何も写っていなかった。当然だった。
「M氏がやってきたら驚くだろうな」
 時間が経過し昼になった。しかしM氏はやって来ない。昼食を食べてから少し昼寝をした。午後2時になった。でもM氏はまだやって来ない。
 その日は、とうとうM氏はやって来なかった。メールアドレスも電話番号も住所もわからないから連絡も出来なかった。
 翌日の夕方、郵便ハガキが届いた。
 O氏という薬科大学の時の同級生からだった。ハガキはM氏の訃報を知らせるものだった。
 M氏が交通事故で亡くなったのだ。
 当然、友達の死を悲しんだが、同時に深刻な事態に直面した。
「大変だ。もう一冊のノートがないと元の姿に戻れない」
 K氏は考え込んだ。心を落ち着かせてもう一度ハガキを読んでみた。 
 葬儀は明後日の午後、自宅で行われると書いてある。住所も印刷してあった。
「じゃ、明後日葬儀に出かけよう。そしてM氏の部屋に行ってノートを探そう」
 葬儀の日、K氏はM氏の自宅へ行った。たくさん車が来ていた。ハガキを送ってくれたO氏の姿は見当たらなかった。家の中からお経をあげる声が聞こえる。K氏は多くの参列者の間を通り抜けて、祭壇の前に行き、友達の死を悼んだ。姿が見えないので誰も気づかない。焼香をしようと思ったが、焼香が勝手に動いたら誰もが驚くのでそれは止めた。
 すぐに退席して、M氏の部屋を探した。何度も廊下で人にぶつかりそうになりながら、ようやく部屋を見つけた。M氏の部屋は二階だった。ドアを開けて中へ入った。
 机の引き出し、本棚、洋服ダンス、押入れの中を時間を掛けて探した。でもノートは見つからなかった。
「どこへ入れたのだろう」
 思ったとき、あることに気づいた。
「そうだ、M氏は私の家に向かう途中に事故に会ったのだ。だからM氏はノートを持って出たはずだ」
 K氏は、事故のあった現場へ行くことにした。
 一階へ降りると、参列者たちが事故のことを話していた。事故現場はこの町の駅前の横断歩道であることが分かった。ひき逃げ犯人はまだ捕まっていないらしい。M氏はすぐに近くの病院に運ばれたのだ。
 K氏は駅前に行った。ビルがたくさん建ち並んでいる駅前通りは交通量が多い。M氏は横断歩道を渡っていた時、車に轢かれたのだ。K氏はその周辺を探した。
 姿が見えないので周りを気にする必要はなかった。一時間近く捜したがノートは見つからなかった。
「M氏は事故にあった後、すぐに病院へ運ばれたのだ。もしかしてノートは病院にあるのかもしれない」
 K氏はM氏が担ぎ込まれた病院へ行った。受付に行くと、先日運ばれた人身事故の記録がホワイトボードに書いてあった。名前を見るとM氏であることが分かった。
「そうか、この病院に運ばれたあと死亡したのだ」
 K氏はM氏がいた病室へ行った。病室には別の病人が寝ていた。音を立てないように部屋の中を時間をかけて捜し回った。でもノートはみつからなかった。
 K氏は肩を落として病院を出た。
 そのうち夜になった。身体が冷えて来た。K氏は、ふと気づいた。家を出るとき自分が裸であることを忘れていた。昼間は気にならないが、夜になれば当然冷えて来る。
「風邪をひいてしまう。何か身に付けないと」
 近くにデパートがあった。そこで透明のレインコートを盗もうと思った。夜だから気づかれにくいからだ。この際、犯罪を犯しても仕方がなかった。
 二階の洋服売り場へ行き、透明のレインコートを探した。人がたくさんいたけど、姿が見えないのでありがたい。ちょうどいいレインコートがあった。それを持って逃げるとき、人にぶつかりそうになった。中年の女性がレインコートが宙に浮かんでいるのに驚いていた。
 K氏はすぐにデパートから出て行った。
「危なかった」
 K氏は、近くの公園へ行き、ベンチに座った。帰りの電車はもう終わっていた。
 身体が冷えて仕方がない。今夜どうして過ごすか考えていたとき、公園の向こうに銭湯の煙突が見えた。
「よかった。あの銭湯の湯に浸かろう」
 公園から出てすぐに銭湯へ行った。
 銭湯のドアを開けて中へ入った。営業時間が過ぎていたので客はいなかった。
「もうすぐお湯を抜かれる。その間にお風呂に浸かろう」
 お湯はまだ暖かだったので、お店の人が掃除に来るまでK氏はゆっくり浸かった。そのうちお店の人が入って来きて、お湯を抜いた。もう少し浸かっていたかったけど仕方がない。お店の人が掃除をしているそばを通り抜けてお風呂場から出た。出て行くとき新聞紙を何枚か貰ってきた。
 公園に戻ってくると、レインコートの上に新聞紙を広げてベンチで眠ることにした。ふと新聞の記事に目がいった。新聞は今日の夕刊だった。一昨日のひき逃げ事件のことが書いてあり、現在、警察で犯人の行方を追っていると書かれていた。(つづく)












2025年10月2日木曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

        1

 K氏はどこへ行ったのか。1か月前、彼は突然いなくなった。まるで煙のように消えたのだ。彼がいなくなって一番困ったのは薬局の店長だった。
 薬剤師が一人いなくなったことで、仕事が回らなくなった。早急に新しい薬剤師を募集したが、なかなか見つからなかった。
「彼に何が起こったのだろう」
 店長もほかの薬剤師もその理由が全くわからなかった。
 K氏は年齢が30歳。この薬局で6年勤めていた。研究熱心なところがあり、非番のときは自宅で薬の開発に没頭していた。だから彼の部屋はまるで研究室のようにいろんな薬品が並んでいた。
 あるとき、薬科大学に在籍した頃親しかった同級生のM氏が遊びに来た。思い出話に花を咲かせていた時、ふとM氏はこんなことを言った。
「君は覚えているかい。僕がガン細胞を消滅させる新しい薬を開発していたとき体験したことを」
「覚えてないな。どんなことだっけ」
「ある冬の寒い夜、ストーブの前で粉薬を調合していた時、指先が消えたことだよ」
 同級生の話にK氏は思い出したのだ。
「ああ、あれか。不思議な話しだったな。それで消えた指先はどうなったんだ」
「苦労したけど。再生できたんだ」
 同級生は両手を広げて指先を見せて言った。
「あれは不思議な体験だった。でもずいぶん心配もした。もとに戻らなかったらどうしようかと心配したんだ」
「でもすごいな、そんな体験をしたのなら、どうしてすぐに学会に報告しなかったんだ」
「まだ偶然性のことだったし、理論的にも説明がつかなかったからだ」
「君は、そのとき使った薬のことを覚えているのか」
「ああ、覚えているよ。ちゃんと記録しておいたのだ。君がそれを尋ねると思ってノートを持って来たんだ」
 同級生はそういって上着のポケットから小型のノートを取り出した。
「これにあの時使った薬のことが書いてある。これらの薬を混ぜていたとき指先が消えたのさ」
「その薬でまた試してみたのか」
「いや、あのときの恐怖はもう体験したくないからやっていない」
「じゃ、そのノートをぼくに貸してくれないか。ぼくがその現象を理論的に証明してあげよう。そうすれば学会にも報告が出来るから」 
「それはありがたい。成績優秀だった君ならしっかり証明してくれるだろう」
 M氏は、そのノートをK氏に渡した。
「それで消えた指先をもとに戻す薬のことは書かれてあるのか」
「ああ、もう一冊のノートに書いてある。次の日曜日にまた訪ねるから持ってくるよ」
 M氏が帰ったあと、さっそくK氏はノートを読んでみた。内心ではそんな非現実なことはありえないと思ったが、もしそんな不思議な薬が出来るのなら大いにやり甲斐いがあると思った。
 ノートに書き込んである薬は、ほとんど自分の部屋にそろっている。いくつか足りない薬があるが、それは店にあるものを買ってくればよいのだ。
 翌日、薬局へ行ったとき、それらの薬を買ってきてその夜実験をはじめた。
 しかしまったく上手くいかなかった。いくら記録どおりに試してみたが、指先は消えなかった。薬の濃度が足りないと思い、濃度を強めてみた。しかし結果は同じだった。何度も繰り返していた時ふと気づいた。
「M氏は、ストーブの前で薬を調合していたときに指先が消えたのだ。そうか、部屋の温度が関係してるのだ」
 いま9月で、壁に掛けてある温度計を見ると25℃だった。
 K氏は、エアコンのリモコンを暖房に切り替えて、部屋の温度を30℃に設定した。しかし、薬を触っていても変化はなかった。そこで32℃まで上げた。すると変化があった。指先がぼんやりかすんで見えるのだ。
「驚いた。やっぱりそうか」
 K氏は、室温を35℃まで上げた。するとどうだろう。指先が完全に消えたのだ。
 その夜は興奮が収まらなかった。夢のような出来事がK氏にも起きたのだ。
「日曜日にM氏がやってくる。それまでにこの薬の論文を書いておこう。時間がかかるから店長に電話して1週間休ませてもらおう」
 K氏は、何かに憑りつかれたように1週間の間、寝食を忘れて論文を書いた。そして土曜日の夜、ようやく論文の草稿が完成した。
 K氏は、明日訪ねて来るM氏を驚かせるために、ある途方もないことを思いついた。それは自分の身体をすべて消し去ることだった。つまり透明人間になることだった。その方法も当然考えた。
 お風呂のお湯の温度を35℃に設定し、薬をばらまき、それに浸かればいいのだ。
 その夜、K氏は、それを見事に実行した。(つづく)















2025年9月1日月曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

        8

 これまでの捜査で、犯人は黒田という税理士であることは間違がない。彼は妻の多額の損失を支払うために被害者を殺害し、資産を奪ったのだ。おそらく彼の妻はどこかに身を隠している。警察は逃げた黒田という税理士の行方を追うことにした。
 税理士の住んでいた住居は、綾部市N町の5階建てのマンションだった。管理人の話では6月29日に退去したといった。どこへ移ったのか知らない。担当刑事が管理人に変わったところはなかったかと尋ねると、
「はい、退去する日にいつも乗っていたシルバーメタリックのトヨタカムリが駐車場になく、歩いて出て行きました。大きな旅行鞄を持っていました」
と答えた。
 その話を裏書するように、数日してから犯人の車と思われる重要な情報が警察署に入った。
 事件当日(6月28日)の夜、綾部市から高浜町へ通じる府道1号で、一台の車がガードレールに車体をぶつける事故があった。近くにシカの死骸があり、恐らく車で轢いたものと思われる。車はスリップして運転席側の車体が反対車線のガードレールにぶつかった跡があった。ガードレールにはシルバーメタリック車の塗装が付いていた。その時も雨と風が相当強まっていた。
 担当刑事はその報告を聞いて、その事故を起こしたのが税理士の車だとすると事件当夜、税理士がかなり慌てていたのではないかと考えた。
 税理士は青葉トンネル入り口付近の事件現場で、被害者を線路上に寝かせていたとき、強風でマスクを飛ばされた。税理士はマスクを必死で探していたと思われる。もしもマスクに自分の唾液が付いていたら血液型を調べられる。税理士はそのような精神状態だったため、事故を起こしたのではないか。
「税理士は事故で車が傷ついたためマンションの駐車場に置くことが出来ずにどこかに隠した。逃走するには車が必要である。車を処分していなければその車をまだ使っている可能性がある」
 警察は京都府全域の警察、交番、駐在所に問い合わせて、電車轢死事件発生後の6月28日以降に車体が傷ついたシルバーメタリックのトヨタカムリを調べさせた。綾部市から京都市方面へ向かう国道27号からの情報で、車体が破損している車がその日以降数台目撃されたがいずれも車種と色が違っていた。
 高速道路からの情報ではそのような車は見かけなかったと連絡してきた。
「では、車をどこかへ破棄して、ほかの手段で逃げたのかもしれない」
 もっとも考えられるのは電車である。事件当日の翌日(6月29日)に、綾部駅から乗車した人物について駅に問い合わせた。大きな旅行鞄を持っているのでその日に目撃者がいるのではないかと考えられるからだ。
 数日して、綾部警察署に次のような連絡があった。逃走中の車が、綾部市の伊佐津川河川敷近くの林の中で発見されたのだ。落ち葉や枯れ枝が被せてあり、発見が遅れたのだ。その車は右側車体が酷く破損したシルバーメタリックのトヨタカムリだった。車体ナンバーから黒田税理士の車に間違いなかった。
 翌日、綾部駅から次の報告があった。
 犯人と思われる眼鏡とマスクをした背の高い20代男性が6月29日に、大きな旅行鞄を持って9時56分発JR山陰本線特急きのさき10号京都行のホームに立っていた。右手首に包帯を巻いており、衣服は白のワイシャツ、ブルーのネクタイ、グレーのスーツ、黒の革靴だった。男性はその電車に乗ったと話した。右手首に包帯をしていたのは、事故の時のケガと思われる。
 さらに当日その電車に乗っていた乗客からの目撃情報があった。その乗客の話によると、2号車のドア近くの右側の座席で、盛んにスマホばかり見ている手首に包帯をした眼鏡とマスクをしたスーツ姿の若い男性がいた。10時36分に園部駅を発車してからトイレに行こうと思ってその場所へ歩いて行くと、男性のスマホの画面が見えた。それには福井県高浜町の記事が表示されていた。トンネルの写真が写っていて、その周りを多くの警官が何かを探している写真だった。男性はその記事を食い入るようにいつまでも見ていた。
 あとでニュースを見たので、それは福井県高浜町の電車轢死事件だったと知った。
 犯人と思われる人物を目撃したという報告はほかにもあった。
 同日、11時05分頃、京都駅のホーム内売店近くのベンチに手首に白い包帯をした背の高い眼鏡とマスクをした20代のスーツ姿の男性が腰かけていた。白のワイシャツ、ブルーのネクタイ、グレーのスーツ、黒い革靴で、綾部駅のホームに立っていた男と同じである。男性は11時30分京都駅発の関西国際空港行特急はるか23号が着くまで、始終スマホを見ていたが、ホームの売店に入り、ジュースと新聞を買った。電車が入って来るまで新聞を熱心に読んでいた。ジュースを飲んでいるときマスクを外しており、右耳の下に大きなホクロがあるのが見えた。また、特急はるか23号の車内でも目撃者がいた。その男性は右手首に包帯をした人物で、1号車の入り口近くの座席に座り、同じようにスマホと新聞ばかりを見ていた。
 また関西国際空港のターミナル内と出発ロビーでも複数の目撃者がいた。体型、衣服など同じで、その人物は手首に包帯をした若い男性で搭乗口が開くまで熱心にスマホを見ていた。
 警察は黒田税理士が関西国際空港発の旅客機で国外に逃げたと断定した。
 関西国際空港に問い合わせて、当日の搭乗者名簿を調べると、黒田明良という人物が6月29日15時15分発のフィリピン航空マニラ行A321便に乗ったことが分かった。おそらく彼の妻は、先にマニラにいるものと思われる。二人はハネムーンで行ったマニラのどこかの町に隠れているのだ。被害者から奪った暗号資産はすでにフィリピンの暗号資産取引所で売却している可能性がある。
 日本警察はマニラの警察署へ連絡を取り、犯人逮捕の協力を求めた。マニラ警察は日本警察の依頼を受けて早速捜査を開始した。黒田夫妻は、ハネムーンでマニラに来た時、すでにマニラの銀行に口座を持っていたと思われるので、マニラの銀行に問い合わせて、個人の銀行口座の中で最近、暗号資産取引所から多額の振込がなかったかどうか調べてもらった。調査の結果、マニラの支店ではそのような振込がなかったことが分かった。
 では黒田という税理士はマニラ以外の離島に移ったのであろうか。離島の小さな銀行で他人名義の口座を作り、現金を振り込んだのかもしれない。フィリピン警察は引き続きほかの離島でも捜査を行った。
 1週間してから、犯人逮捕につながる重要な知らせがパラワン島の警察署に入った。パラワン島はフィリピンのルソン島の西に位置する細長い島である。
 それはパラワン島のF市のお祭りの記事が新聞に掲載されていたからだった。
 その日、マニラ警察署に勤める一人の刑事が久しぶりにパラワン島の実家に帰っていた。ある朝、新聞を見ると祭りの記事と写真が出ていた。写真は大きなカラー写真で祭りの様子が隅々まで映し出されていた。
 刑事はふと、その写真の左端に目がいった。そこには町の銀行が背後に写っており、銀行の入り口に、片手に白い包帯を巻いた背の高い日本人らしい若い男性と、その妻と思われる日本人女性が銀行へ入っていく姿が写っていたのだ。周囲はフィリピン人ばかりだったので、肌の色の白いその二人はよく目立った。
 刑事の報告を受けて、パラワン島警察は早速その銀行に問い合わせて、その日に銀行へ入店した人物をすべて調べてもらった。
 その結果、当日の午後2時頃、多額の現金を引き出した日本人がいたことがわかった。日本円で1億5000万円だった。また7月10日以降にも、たびたび数億円の現金が引き出されていた。二人の名前と住所もあとで判明した。やはり税理士は妻と離島で暮らしていたのだ。
 1か月後、マニラ警察から日本警察へ税理士逮捕の知らせが届いた。税理士と妻は身柄を日本へ移され、日本警察によって取り調べを受けた。
 パラワン島の銀行口座を調べると、日本を出国してから10日後に、日本円で約20億円の現金が暗号資産取引所から振り込まれていた。やはりビットコインを全額フィリピンの暗号資産取引所で売却したのだ。その金の半分は妻の投資の損失に当てられていた。
 取り調べを受けた税理士はこれらの事実をすべて認め、被害者(浅井武史)の資産を着服する目的で今回のJR小浜線電車轢死事件を実行したことを自供した。(完)











2025年8月1日金曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

         7

 翌日、第2班の担当刑事は税理士法人「木下会計事務所」へ出かけた。
この会計事務所の職員は女性ばかりで現在4人だった。刑事は警察手帳を取り出して所長を呼んでもらった。所長は60代半ばの白髪頭の男性で、刑事の姿を見ると、
「黒田君のことですね。こちらへどうぞ」
 刑事を事務室の隣の応接間に案内した。
 ソファーに腰かけるとすぐに、
「電話でお話したとおり、黒田君は6月下旬に退職しました。黒田君について何か」
 担当刑事は単刀直入に尋ねた。
「いまJR小浜線電車轢死事件について調べていますが、被害者と関係を持つ人たちの中に黒田さんも含まれているのです。でも彼が犯人というわけではありません」
 所長はそれを聞いて顔色が変わった。
「そうですか、私が分かる事でしたら、何でもお答えしましょう」
 担当刑事は礼を言って早速質問をはじめた。
「事件が発生したのは新聞でもご存じだとおもいますが、6月28日の夜です。お聞きしたいのはその事件があった1か月前からのことです。退職された黒田さんの出勤状況を先ず教えて下さい」
「分かりました」
 所長はそう答えて職員を呼んで、先月の出勤簿を持って来させた。
 担当刑事は手帳を取り出して、出勤簿と照らし始めた。手帳には犯人が目撃された日にちが詳細に書き込まれていた。担当刑事は古い順から照らし始めた。6月5日午後3時頃に、高浜港での目撃情報があり、その日の勤務を確認すると、黒田職員は午後は外勤となっていた。同じく6月8日午後4時頃を調べるとやはり外勤となっている。この日に名田庄村から海釣りにやって来た家族に目撃されたのだ。
 次に高浜海水浴場で目撃された6月12日午後2時頃と6月18日午後4時頃を照らし合わせてみた。これらの日も午後は外勤となっていた。さらに6月21日午後1時30分頃に下見で事件現場の青葉トンネル近くの踏切で目撃された日も午後は外勤となっていた。いずれも平日なので担当刑事は不思議に思った。どうして土日に行かなかったのだろう。しかし所長に尋ねてみて理由が分かった。
「黒田君は綾部のクラシックギターのサークルに所属していて土日は練習で忙しい人でした。それに毎月数回はギターの演奏会に出演していました。小浜市や高浜町のギターサークルの人たちとも親しかったようです。ギターの腕前はなかなかのもので、いつもソロ演奏で客を楽しませていました」
 所長の話を聞いて担当刑事は気づいた。
 被害者(浅井武史)と黒田税理士はギターの演奏会の時に顔見知りになったのではないか。
 それで浅井武史は黒田税理士の職業を知って暗号資産のことを相談したのではないか。
 さらに所長は次のようなことも話した。
「彼は一年ほど前から奥さんのことで悩んでいました。新婚当時は仲がよくて、ハネムーンはマニラに行きました。奥さんは投資家で色んな投資商品を売買して毎年多額の利益をあげていましたが、昨年、ブラジルの複数の金鉱山の倒産で大変な損失を出したそうです。その額は億を超える途方もない金額だったと聞いています。それが原因かと思いますが離婚も考えたそうです。子供はいませんでした。お金には困っていたみたいです。奥さんのことでいつも悩んでいましたが、仕事はきちんとする人でした」
 所長からこの話を聞いて担当刑事は驚いた。「そうだったのか。黒田税理士は妻の投資の損失を解決するために今回の事件を起こしたのだ。これで事件の動機がはっきり分かった」
 考えながら担当刑事は、次に黒田職員の担当業務を尋ねた。
「彼は投資関係の税の確定申告を主にしていました。株式や金、不動産の申告もそうです。最近では暗号資産も担当していました」
 刑事はそれを聞いて目を輝かせた。
「暗号資産!、その仕事は黒田さんひとりが担当されていたんですか」
「そうです。新しい商品ですから、黒田君の得意分野でしたから。いつも机の上には暗号資産の税についての専門書が置いてあり、よく勉強していました」
 所長は黒田職員がどうしてそんな事件に関係しているのか理解が出来ない顔つきだった。
「失礼ですが、黒田さんの履歴書を見せてもらえますか」
「ええ、いま持ってきます」
 所長は職員に頼んで履歴書を持って来させた。履歴書には本人の顔写真もあり、好青年の印象がある。名前は黒田明良。生年月日から現在の年齢は27歳である。出身地は兵庫県の豊岡市で、5年前に兵庫県の大学を卒業し、税理士免許を取得していた。綾部市にやって来たのは4年前で、結婚は2年前だった。意外だったのは資格の欄に税理士免許のほかに気象予報士免許と書かれていたのだ。
「黒田さんは、気象予報士免許をお持ちだったのですね」
「はい、彼は気象についても詳しかったです。中学生の頃、新田次郎の小説「芙蓉の人」(明治時代、はじめて富士山頂に登って気象観測を行った人物を描いた作品)や「孤島」(鳥島で気象観測に従事する測候所職員の物語)などを読んで当時は気象庁に入りたかったと話しました。それで気象予報士免許も大学生の時に取得したと言いました」
 刑事は話を聞いて、事件当日の天気を事前にその税理士が知っていたと推察した。犯罪を行う場合、悪天時を利用した方が都合がよい。黒田という人物は台風のことも事前に予測し、その日を選んだのである。
 刑事は話題を変えて続けて質問した。
「外勤のときは自分の車を使っていましたか」
「はい、事務所に一台車がありますが、自分の車の方が運転しやすいからといっていました。燃料代は毎月渡しました」
「ネクタイとスーツはどんな色のものを好んでいましたか」
「ネクタイはブルー系のものでした。スーツはいつもグレーでした。背が高いのでよく似合ってました」
「黒田さんの血液型をご存じですか」
「昨年、献血バスがこの地区を回って来て、一緒に献血をしました。確か彼はB型でした」
「職務は外勤が多いようですが」
「はい、週に4~5日は外勤ばかりでした。税務署やお得意さんの家を回らないといけませんから」
「ちなみに、黒田さんの右耳の下にホクロがありますか」
「はい、よくご存じで。大きなホクロがあります。本人はホクロを気にしていたので、いつも大きめのマスクを掛けていました」
「わかりました。今日はありがとうございました。またお聞きすることがあるかもしれませんが、そのときはどうぞよろしく」
 担当刑事は事務所を出た。すぐに小浜警察署へ戻ると今日の聞き込みの内容を捜査課長に報告した。(つづく)
















2025年7月1日火曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 事件発生から3週間が経過した7月19日に、捜査本部では、第1班と第2班の報告をまとめた。
 先ず、今回の電車轢死事件の動機は、被害者(浅井武史)が投資(暗号資産)で利益を出した金を着服する目的で行われた。犯人ははじめ金融機関の人間(銀行員、証券マンなど)が考えられたが、第2班の捜査で、税理士の可能性が高い。その理由として、被害者は暗号資産で多額の利益を出していたが、海外取引所の閉鎖によって確定申告に必要なデータが取り出せなくなり悩んでいた。これを解決するために税理士を探して相談した。
 その税理士は、ビットコインを着服するため被害者を殺害する機会をうかがっており、事件発生の1か月前から度々高浜港、高浜海水浴場、事件現場のJR小浜線青葉トンネル入り口付近へ下見に行っていた。
 その税理士は京都ナンバーのトヨタカムリの所有者で、年齢は20代、ブルーのネクタイ、グレーのスーツを常に着用し、眼鏡を掛け、マスクをしていた。
 その税理士は、事件発生の夜以前にも居酒屋(ウェーブ)で被害者と会っており、被害者から暗号資産の情報(利益額)などを聞いて知っていた。
 その税理士は、事件当日の夜に被害者を誘って高浜町の居酒屋で会い、泥酔した被害者を車に乗せ、青葉トンネン入り口付近の線路上に連れて行った。おそらく居酒屋で被害者のグラスに睡眠薬を混入させたと考えられる。被害者を殺害後、高浜町の被害者の住んでいた白木アパートへ行き、被害者が持っていたアパートの部屋の鍵で侵入し、パソコン、スマホ、預金通帳、印鑑などを奪って逃走した。
 警察はこのようにこれまでの捜査をまとめた。
 第1班と第2班の担当刑事はこの中で、犯人がどうしてパソコンまで持ち出したのか不思議に思った。それは被害者が暗号資産を既に現金に変えていると思ったからだ。しかし、ギターサークル(あじさい)の高木氏の話を思い出したとき、ふとこんな考えが浮かんだ。
「浅井武史は、まだビットコインを売却していないのではないか。別の海外取引所に移した200ビットコインはそのまま残っている」
 そう考えると疑問が解消できるのだ。
「その税理士は、パソコンを持ち出してどこかでビットコインを売却することを考えている」
 さらに担当刑事は思った。その税理士がどうして殺害までして、ビットコインを奪おうとしたのかその動機を調べなければいけない。
 さらにもう一つの疑問がある。それは犯人が被害者を殺害するために頻繁に高浜港や高浜海水浴場へ下見に行き、水死させるつもりであったにもかかわらず、どうして電車による轢死を実行したのかである。担当刑事はこれらの疑問を早く突き止めたいと思った。
 捜査会議が終わってから数日後に、住民からの新たな情報が小浜警察署に寄せられた。
 その情報は事件発生の20日前、名田庄村から高浜港へ海釣りに来ていた子供連れの家族からの目撃情報だった。高浜港の船着き場でシルバーメタリックのトヨタカムリから降りてきた背の高いスーツ姿の20代の男性を見たというのだ。20日前といえば6月8日である。
 父親と母親の話によると、午後4時頃、背の高い(身長が180㎝くらい)の男性が車から降りてきた。グレーのスーツ、青色のネクタイをしており、眼鏡を掛けていた。その時はマスクを外して海をじっと眺めていた。小学生の女の子が、その男性の右の耳の下に大きなホクロがあるのを記憶していた。男性は20分くらい船着き場をうろついていた。
その家族は今回の事件を新聞で読んで知っており、情報を提供してくれたのだ。これで犯人と思われる人物の特徴が更に詳しく分かった。
 ではどうして犯人は事件当日の夜、電車による轢死を実行したのか。頻繁に下見にやって来た高浜港や高浜海水浴場ではいけなかったのかについて調べることにした。
 担当刑事は事件当日の天候を調べるために、京都地方気象台に問い合わせてみた。事件当日、天気予報を担当した予報官に話を聞いてみた。予報官は次のように説明した。
「あの日(6月28日)は、台風第7号が紀伊半島から強い勢力を維持したまま北上してきました。この台風はいわゆる迷走台風で、本州に近づく頃から進路と速度が頻繁に変わるようになりました。奈良県北部からはじめ進路を北東に変えて北陸地方へ向かうコースを予想しましたが、京都府南部から進路を北に向けて速度を上げて若狭湾を通過して行きました。台風本体の雨雲がこれらの地域で大量に雨を降らせました。  
 福井県西部の小浜市、高浜町では時間雨量で100㎜の雨を降らせた場所がありました。これは滝のような雨で視界も非常に悪いです。問題は、台風が予想よりも早く抜けため、午後9時過ぎには、北寄りの吹き返しの風に変わりました。ですから海上は高波で海には近づけません」
 予報官の話を聞いて、担当刑事はこう推理した。
「そうか、犯人は、最初、高浜港か高浜海水浴場で被害者を水死させるつもりだったが、台風が予想に反して進路を北に向け、速度を上げて若狭湾を抜けたために、北寄りの吹き返しの風で波が高く海に近づけなかった。それで電車による轢死を実行したのだ」
 担当刑事は、犯人が事前に当日の天候を十分に調べていることから、気象に詳しい人物だと考えた。今回の台風第7号は、進路予想が非常に難しく、犯人も当日の台風の進路を予測出来なかったのだ。
 数日後、遺留品を調べていた鑑識課から次のことが報告された。
 轢死現場近くの田んぼの中に落ちていた白いマスクからわずかな唾液が検出されたのである。その唾液から血液型が判明した。血液型はB型であることがわかった。被害者浅井武史の血液型はA型であり、マスクを付けていたのは犯人のものと推定できる。マスクは新しく汚れはなかった。
「その税理士を調べよう」
 担当刑事は、綾部市と福知山市に事務所を置く税理士事務所を一つずつ調べることにした。
 その結果、税理士事務所があるのは、綾部市で4店、福知山市で6店だった。年配者が多く、20代の職員はすべて女性ばかりだった。その中で綾部市の会計事務所に一人20代の男性の税理士が働いていることがわかった。「木下会計事務所」という税理士事務所で、電話による聞き込みで、その男性税理士は黒田という名前で、この事務所で先月まで働いていたと話した。しかし現在は連絡がとれないといった。だが、第2班の刑事がこの税理士事務所を調べた結果、今回の電車轢死事件の犯人が特定できたのである。(つづく)












2025年6月1日日曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 1週間後、第2班の担当刑事は、ギターサークル「あじさい」の会員の中で被害者と親しかった者を調べていた。このギターサークルが結成されたのは12年前で月に一、二度演奏会を行っている。また京都府のギターサークルとも交流があり、これまでにもたびたび合同演奏会を行っている。
「あじさい」の会員は全部で11人だった。男性8人、女性3人である。年齢は20代から70代と幅広い。
 殺害された浅井武史がこのサークルに入会したのは5年前である。学生の頃からギターを弾いていたが、クラシックギターははじめてだった。サークルでは主に伴奏を担当していた。
 担当刑事は先ず代表者に電話をして、浅井武史と親しかった会員を尋ねてみた。それによると、同じ年に入会した高木という会員がいることが分かった。二人は小学校からの幼馴染で、浅井武史のことをよく知っていると言った。
 担当刑事は、その高木という会員の自宅を訪ねた。
「亡くなられた浅井武史さんのことを調べています。ご協力ください」
 高木という会員は、
「浅井君のことは新聞で読みました。大変驚いています。尋ねたいこととは何ですか」
 担当刑事は次のような質問をした。
「浅井さんは、昔から株式などの投資をしていたそうですが、ご存じですか」
 高木氏は答えた。
「ええ、何度か本人から聞いています。彼は最近、予想もしなかった利益が出ていると話しました」
「私は投資をやらないのでわかりませんが、株式などでそんな莫大な利益が出るのでしょうか」
「株式では無理です。それに二十代の人がそんな資金はありませんから」
「ではどのような投資で儲けたのでしょう」
 高木氏は教えてくれた。
「暗号資産です。以前は仮想通貨って一般的に呼ばれていました」
「暗号資産―?私は投資の知識がないのでよくわかりません。どんな商品なんですか」
 高木氏は詳しく話してくれた。
「暗号資産は2008年頃に作られたインターネット上で取引されるデジタル通貨のことです。国や中央銀行などの管理者が存在せず、個人間で自由に取引ができるブロックチェーン技術を使った新しい通貨です。代表的なものとしてビットコインがあります。当時の価格は数千円程度でしたが、現在は1000万円を超えています。将来的にはもっと値上がりすると言われています。浅井君はそれを期待して買ったのです」
 高木氏は続けた。
「彼の話では、当時1ビットコイン6千円くらいの価格だったそうです。将来的には現金は無くなってデジタル通貨が流通するようになるからいま買っておけば大儲けが出来ると言ってました」
 担当刑事は、その話を聞いていままで被害者がどのような投資で多額の利益を出したのかはっきりと分かった。
「亡くなった浅井武史さんは、どの程度の利益を出していたのでしょうか」
 高木氏は教えてくれた。
「彼の話では、ビットコインの価格が安かった時に、確か貯金をほとんど取り崩して、200ビットコインを買ったそうです。それが現在では1600倍まで値上がりして20億円の利益が出ていると言いました」
「20億円―。それだったら、大変機嫌もよかったでしょう」
 しかし高木氏は首を振って、
「彼は億万長者になれて喜んでいました。でも、なぜか心配そうでした」
「何を悩んでいたのですか」
「彼は海外の取引所を使っていましたが、今年の春にその取引所がハッキング被害に遭いました。幸い、数日前に取引手数料の安い別の海外取引所にすべてのビットコインを移したので資産を失うことはありませんでした。しかし被害にあった取引所に記録されていたデータが取り出せなくなり、来年の確定申告が出来ないと非常に困っていました。被害にあったその取引所はその後廃止されました。そんな理由で彼は確定申告の相談に乗ってくれる税理士を探していました」
「税理士ですか」
「はい、いま売却すれば20億円の利益が出るが、確定申告をしないと脱税になってしまう。税務署に尋ねようと思ったそうですが、それでは多額の税金を納めなければいけない。暗号資産は雑所得扱いなので最大55%の税金が掛かるので、税理士の知識を借りてなんとか課税額を少なくしたいと言っていました。しかしその話を聞いて私は少し疑問に思いました。いくら税理士に相談しても課税される額は変えられないのです。浅井君は投資には長けていましたが、税金についてはまったく無知なところがありました。彼は私の顔を見るたびに親しい税理士を知っていたら紹介してくれと言いました」
 担当刑事は居酒屋「ウェーブ」の店員から聞いた話を思い出した。
 事件発生の前、「ウェーブ」で被害者と一緒に来店した若いサラリーマン風の男のことである。警察では、はじめその男は銀行員か証券マンと考えていたが、この話を聞いてそれを訂正した。その人物は税理士で、被害者と来年の確定申告の打ち合わせをしていたのだ。また、アパートの住民からの聞き込みで、何度か被害者の部屋にやってきたのもその人物ではないか。アパートの傍の路上にシルバーメタリックの乗用車が駐車しているのを見た住民もいたからである。
 そうだとすると、その人物と被害者は数か月前から親しい間柄にあった。その人物がもし税理士だったら被害者が利益を出した金を着服する計画を立てていたと考えられる。
担当刑事は捜査の焦点をその税理士に当てることにした。(つづく)











2025年5月2日金曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

         4

 第1班の担当刑事は、京都運輸支局から回答があった二つの市(綾部市、福知山市)のシルバーメタリックのトヨタカムリの所有を調べていた。
 綾部市、福知山市で、20代でシルバーメタリックのトヨタカムリの所有者は24人である。職業別では、会社員15人、自営業6人、公務員2人、無職1人だった。
 第2班の聞き込みから、居酒屋(ウェーブ)で被害者(浅井武史)と一緒に飲んでいた人物が金融機関に従事している者と考えられるので、先ず銀行員、信用金庫職員、農協職員、証券会社社員を重点的に調査することにした。
 銀行員(A氏)について調べると、京都銀行福知山支店勤務の男性で年齢は25歳。独身者。この行員について聞き込みを行った結果、事件当日の夜は自宅に帰っていることが分かった。しかし当日の夜に在宅していたのかは不明。支店には3年前に採用されている。
 信用金庫職員(B氏)はほくと信用金庫綾部支店勤務で年齢28歳。既婚者の男性で事件当日は家族で在宅。町内会の役員をしており、当日午後7時30分から9時00分まで役員会に出席していた。
 農協職員(C氏)は、農業協同組合JAバンク福知山支店に勤務。27歳。既婚者。事件当日は研修のため東京に出張中。研修期間は6月26日から7月2日まで。研修センターに問い合わせて確認済み。当日は自宅には家族のみ在宅。
 証券会社社員(D氏)は、山川証券綾部支店勤務。年齢24歳。独身者。事件当日は、午後8時30分まで証券会社で仕事をしており、会社にて確認済み。支店には2年前に採用されている。以上のことが数日後に分かった。
 担当刑事は、この中で事件当日、研修のため東京へ出張中だった農協職員(C氏)を除いた3人について事件発生の6月28日以前の行動を詳細に調査した。
 先ず、高浜町でシルバーメタリックの乗用車に乗った人物が目撃された日時を照らし合わせた。最も多く目撃されているのは高浜港と高浜海水浴場である。その日時に3人がどこにいたのか調べてみた。
 事件発生以前の6月5日午後3時頃と、6月8日午後4時頃に犯人と思われる人物が高浜港で住民に目撃されている。調査の結果、6月5日と6月8日の午後に職場に居なかった者は銀行員1人だけだった。他の2人は職場で仕事をしていることが確認された。職場にいなかった銀行員は当日外勤で綾部市内の得意先の会社を回っていたらしい。綾部市から高浜町までは、府道1号を使えば30分で行ける距離である。外勤中に行けないこともない。担当刑事はそれを疑った。しかし同じく高浜海水浴場で目撃された6月12日午後2時頃と、6月18日午後4時頃について照らし合わせてみると、目撃された時刻は3人とも職場で勤務中であることが確認された。
 また事件現場の青葉トンネルの踏切のそばの空き地で目撃された1週間前の6月21日午後1時30分頃を照らし合わせた結果、やはり3人とも職場にいたことが分かった。
 6月5日と6月8日の午後に外勤をしていた銀行員については、数日後にその時間帯はT会社を訪問していることがあとで確認された。
 担当刑事はこれらの調査によって研修中の農協職員を含めた4人には全員アリバイがあることがわかった。
 では犯人と思われる人物はほかの人間であろうか。そんなとき担当刑事はふと被害者には借金があり、事件当日、居酒屋「ウェーブ」で一緒に飲んでいたのは消費者金融の社員だったかもしれないと考えた。
 そこで消費者金融社員を次に調べることにした。
 その人物(E氏)は年齢26歳。独身者、入社4年目だった。事件当日は年休を取って自宅にはいなかった。近所の人の話によると、台風が近づいていた6月28日の夜、風と雨が強まっているのに車で出て行ったのではよく覚えていた。自宅を出たのは午後7時30分頃だったと話した。
 担当刑事はこの人物が事件当日に高浜町の居酒屋(ウェーブ)で被害者と飲んでいたのではないかと疑った。
 数日後の日曜日、この人物の自宅を訪ねて任意で警察署へ来てもらった。本人は非常に驚いたが、事件当日のことを次のように話した。
「あの日は、仕事を休んで朝から舞鶴市瀬崎の親戚の家に行き、瀬崎漁港で海釣りをしていた。台風はまだ紀伊半島の南海上だったので天気は悪くなかった。夕方になって帰宅してから 瀬崎の親戚の家から電話があって、漁港に停めてある自分の釣りボートが流されそうなので手伝いに来てくれといわれた。波も高くなって午後9時過ぎまで作業をしていた」
と話した。
 親戚の人に電話で確認すると(E氏)はその夜は親戚の家に泊まり、翌日綾部の自宅に戻ったと答えた。担当刑事が疑いがあると思われた5人にはすべてアリバイがあるのだ。
捜査はふり出しに戻った。担当刑事はこれら5人以外の者を調べる必要が出て来たのだ。残りのシルバーメタリックのトヨタカムリの所有者の中に間違いなく犯人がいるはずなのだ。いったい誰だろう。担当刑事は捜査のやり直しをはじめた。
 残りの会社員10人、自営業6人、公務員2人、無職1人を調べることにした。しかし事件当日及び住民によって目撃された日時には多くがアリバイがあり、捜査は難航した。
しかしその後第2班の調査によって、捜査は大きく進展することになった。(つづく)











2025年4月2日水曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

         3

 第2班の捜査は、同じく事件発生から3日後に開始された。担当刑事は、被害者(浅井武史)の住居である白木アパートの捜索を先ず行った。管理人の付き添いで被害者の部屋へ入れてもらった。部屋は2階の202号だった。部屋は6畳2間で台所、トイレ、風呂があった。日当たりのよい北側の6畳に机と椅子があり、本棚には週刊誌や文庫本などが入っていたが、株式や金投資の本も多かった。机の上には何もなかった。パソコンが置かれていた跡があり、何者かが持ち出したようだ。携帯、スマホなども無かった。押入れの中に簡易な金庫があり、鍵が開いており、開けて見ると預金通帳、印鑑などが無くなっていた。
「留守中に誰か入ったな」
 担当刑事は管理人に入居者は何人か尋ねた。
 管理人は全部で6世帯、1階は4世帯、2階は2世帯と答えた。
 刑事は各部屋を回って事件当日の6月28日の夜、被害者の部屋に誰かやって来なかったか尋ねた。
 各部屋の住人は、誰も気づいていなかったが、102号室の住人が、事件当日の夜、2階へ誰かが駆け上がる音を聞いていた。
「その日は遅く帰宅してお風呂に入ろうかと思っていたとき、外で階段を駆け上がる音を聞きました。午後10時半頃でした」
「その足音は202号へ入りましたか」
「たぶんその室だったと思います」
「何時頃に降りてきましたか」
「お風呂に入っていたので知りません」
 刑事は話を聞いて、階段を登って行ったのは被害者を殺害した犯人ではないかと疑った。
 アパートの住人の話によると、被害者の男性は、いつも車を駐車場に置きっぱなしにしており、普段は自転車を使っていた。車はブルーのカローラだった。免停中で車の運転が出来ないためだった。
「浅井武史さんはどんな仕事をしていましたか」
 管理人に尋ねると、
「ホームセンターで働いていました」
 ほかの入居者に被害者の人物像を尋ねてみると、あいさつもするし、明るい性格の男だという印象だった。
 いつも部屋の中は静かで、夜は遅くまで照明が着いていた。めったに人も来なかったが、1か月前から夜遅くに誰かが階段を登っていく音を聞いたと入居者は話した。夜になってからで、どんな人か見たことがないので人相などは知らないといった。二、三度シルバーメタリックの車が道路わきに駐車していたのを見たと言った。
 担当刑事はそれらのことを手帳に細かくメモした。
 恐らくこの部屋に忍び込んだのはシルバーメタリックのトヨタカムリに乗っていた人物だと刑事は推察した。犯人は、事件当夜、青葉トンネルの入り口付近で被害者を電車で殺害した後、車でこのアパートへやって来たのだ。金品を奪うためだろう。殺害した被害者の部屋の鍵を持っていたので、容易に入れたはずだ。でもパソコンまで持ち出しているのはどうした訳だろう。
 刑事が部屋の中を念入りに捜査していた時、ゴミ箱の中に紙屑がたくさん入っているのに気づいた。取り出して確認するとそれはメモの切れ端で、何かを計算していたような跡があった。
「これは損益を計算したものだ。株式か何かの投資商品だな」
 刑事は部屋の写真を撮り、外へ出た。
 2日後、被害者が働いていたホームセンターを調べることにした。ホームセンターは福井銀行のすぐ向かいにあった。その前を国道27号が通っている。
 ホームセンターの店長は荷物の仕分けをしていた。
「警察の者ですが、この店に勤めていた浅井武史さんのことで少しお話を伺いたいことがあります」
「浅井君ですか。5日前から無断欠勤ですよ。連絡がないので困っています、どこへ行ったのかぜんぜん知りません」
「浅井さんはいつからここで働いていたのですか」
「2年前からです。明るい性格の男ですけど」
「浅井さんは、休日は何をしていましたか」
 店長は刑事が何を調べにきたのか不思議に思ったが、
「彼は高浜のギターサークルに入っていました。休日はギターの練習に行ってました」
「サークルの名前はわかりますか」
「一度聞きましたが、忘れました。週に一度、練習があると言ってました」
「ほかに趣味などはなかったですか」
「お酒が好きでしたから、よく居酒屋へ行ってました」
「それだったら、ギターサークルの人たちとも一緒に飲みに行ってたでしょう」
「演奏会が終わると行くといってました」
 店長から話を聞いて、担当刑事は店を出た。
 翌日、被害者の財布の中に入っていたレシートに記載された居酒屋を当たってみた。居酒屋の名前は「ウェーブ」で高浜駅から少し離れた場所にあった。
 店に入るとすぐに店長を呼んで事情を話した。店は準備中だったので、店員をひとりひとり呼んで聞き込みをした。
 店員のひとりに、被害者の顔写真を見せたとき、次のような重要なことを聞いた。
「その写真の方は、よく店に来られていました。ホームセンターで働いておられたので顔は知っています」
「お店には誰と来られていましたか」
「あの人はクラシックギターのサークルに入っていていつもサークルの人たちと7、8人で来られました」
「なんというグループ名ですか」
「確か「あじさい」とか聞いています。高浜町文化会館や公民館などでよく演奏会をしていました」
「台風第7号が来た6月28日は来店されましたか」
「はい、凄い雨の中、歩いて来られました。あの日は客が少なかったのでよく覚えています」
「そのときも7~8人でしたか」
「いいえ、その日は2人でした」
「時間帯はいつですか」
「午後8時過ぎでした」
「相手はどんな容姿の方ですか」
「眼鏡をかけた背の高いグレーのスーツと青いネクタイの若い方で、食事する時以外はずっとマスクを掛けていました。仕事帰りのようで、業務用の鞄を持っていました。いつもはギターサークルの演奏会のことばかり楽しそうに話しておられましたが、そのときは熱心にお金の話をしていました」
「どんな会話でしたか」
「料理とお酒をテーブルに運んでいた時に聞いたのですが、なんでも、投資で多額の利益をあげているとかいっていました。」
「その眼鏡の人もお酒を飲んでいましたか」
「いいえ、ウーロン茶だけでした」
「その時のレシートを見ると、二人が清算を終わってお店を出たのは21時10分ですね」
「そうです。相手の方は車で来たようです」
「車の種類は覚えていますか」
「いいえ、確認していません」
 刑事はそれらのことを手帳にメモした。
「この写真の方は、その眼鏡をした男性とその日以前に来店したことはなかったですか」
「確か、ひと月前に一度来店されました。でもどんなことを話しておられたのか知りません」
「そのときもグレーのスーツと青いネクタイでしたか」
「はい、同じ服装でした」
 担当刑事は、「ウェーブ」の店員から話を聞くと店を出た。
 警察署に戻ったあと、これまでの聞き込みの内容をまとめてみた。「ウエーブ」の店員の話では被害者は何かの投資によって多額の利益をあげて、そのことを眼鏡とマスクを掛けたスーツを着た人物(銀行員か証券マンと思われる)も承知しており、その多額の金を金融機関に預けるか、あるいは投資に回すかの相談をしていたのではないかと推察した。しかしその人物は、内心ではその金を着服することを考えており、事前に被害者を殺害する計画を立てていた。それが今回の事件の動機ではないかと疑った。
そうだとすれば事件当夜、被害者と「ウェーブ」で会っていたその男のことを徹底的に捜査する必要がある。また、被害者が入っていたギターサークルの会員の中に、被害者が投資で多額の利益を出したことを知っている者がいないかも調べる必要がある。
 第2班の担当刑事は第1班の刑事とお互いに情報交換を行いながら捜査を続けた。(つづく)







2025年3月3日月曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

         2

 第1班による捜査は3日後に行われた。担当刑事は先ず事件現場の聞き込みから開始した。事件当夜、殺害された現場に誰かやって来なかったか聞き込みを行った。
 轢死事件のあったこの地区は、民家が40戸しかなく、住民以外の者がここへやって来ることはほとんどない。この地区にやって来た者があればすぐに眼に着くはずである。
 その結果、集落のある民家の50代男性から次のような情報が得られた。事件当日の午後9時40分頃、残業を終えてこの集落の自宅に帰って来たその男性が、轢死現場から70メートル離れた場所にある踏切を渡ろうとしたとき、踏切横の狭い空き地に、シルバーメタリックの乗用車が駐車しているのを見かけた。エンジンは止まっていてライトも消えていた。人は乗っていなかった。その時間帯は風と雨が強まり、車の中の様子はわからなかった。車のナンバーは覚えていないが、車種はトヨタカムリだと話した。
 担当刑事は、その時間は轢死時刻の約30分前に当たるので、恐らく犯人がその車に被害者を乗せてきて轢死現場まで運んでいたのではないかと推察した。この目撃情報は非常に重要なものである。
 その男性の話を聞いて担当刑事は、犯人は事件当日以前に、ここへ下見に来ていた可能性があると考えた。引き続き集落を一軒ずつ回って聞き込んだ結果、次のような情報を40代の主婦から聞いた。
 それは事件のあった1週間前の6月21日午後1時30分頃、同じ踏切の空き地にシルバーメタリックの車が停まっていた。20代の眼鏡を掛けた大柄な若い男性がマスクをして乗っていた。顔はよくわからないが、ブルーのネクタイをしていた。この集落の人ではなく見たこともない人だった。車は京都ナンバーだったと話した。
 担当刑事は、50代男性と、40代の主婦からの聞き込みで、その人物は京都ナンバーのシルバーメタリックのトヨタカムリでこの場所へ下見に来ていたのではないかと疑った。京都ナンバーの車であれば舞鶴市方面から青葉トンネルを抜けて、この地区へ入って来たと思われる。更に担当刑事は、下見に来たのはこの地区だけではないと考えた。頻繁に舞鶴市(京都府)方面からやってきたのであれば松尾寺駅から西へ1キロ先にある志楽交番の前をよく通過したのではないかと考えた。刑事は志楽交番へ問い合わせて確認してもらった。
 しかし交番の巡査は、
「シルバーメタリックのトヨタカムリですか、いや、見た覚えはありません。何度もこの国道を走っていったのなら一度くらいは見たと思いますが」
との返答だった。
 意外な答えに刑事は驚いたが、京都ナンバーの車であれば間違いなく京都府側からやってきたのである。
「轢死事件があった夜、その車はトンネルを抜けて舞鶴方面へ逃げて行った可能性があるが、見なかったか」
 巡査は、
「その夜は凄い強雨と風でとても外の景色は分かりませんでした。その時間帯はほとんど車は通らなかったと思います」
と返答した。
 担当刑事は、それならば犯人は国道27号以外の道を使ったのではないかと考えた。刑事の一人に、舞鶴市を通っている国道27号以外に高浜へ通じる道を調べさせた。その結果、京都市方面から舞鶴市へ向かう同じ国道27号の京都府綾部市山家の信号から山間を通って高浜、小浜方面へ通じている府道1号があることが分かった。綾部市は舞鶴市の南に位置する隣の市である。この府道を利用すれば舞鶴市を通過せずに直接、高浜、小浜方面へ行けるからだ。また交通量も少なく道幅も広い道なのである。
「犯人はその道を使った可能性があるな」
 担当刑事は、早速、山家の交番に問い合わせて事件当日から数か月前に、シルバーメタリックのトヨタカムリが頻繁に通らなかったか確認することにした。
 数日して山家の交番から連絡があり、6月上旬頃からその道を度々シルバーメタリックの乗用車が走って行くのを地域の住民が目撃していた。
 その目撃情報の中で重要と思われるものが一つあった。それは府道1号沿いの川上村の集会所の前にジュースの自動販売機があり、その前でシルバーメタリックの乗用車が停車しているのを農家の人が度々目撃していたのだ。ジュースの自動販売機はこの場所にしかなく、夏場や冬場はよく車が停車してジュースを買っていく。シルバーメタリックの車も停まっていた。顔は覚えていないが背の高い眼鏡を掛けたマスクをしたグレーのスーツ姿の若い男性だったと話した。
 担当刑事はその車は犯行に使われたものではないかと疑った。
 翌日、高浜町の交番から次のような新たな情報が小浜警察署に寄せられた。
 その情報は高浜港と高浜海水浴場の駐車場に、6月に入ってから、度々シルバーメタリックの乗用車が停まっているのを目撃した住民がいたのだ。6月5日の午後3時頃と、6月8日の午後4時頃、高浜港の船着き場に同色の京都ナンバーのトヨタカムリが停まっており、マスクと眼鏡を掛けた背の高いスーツ姿の若い男性が海を見ていた。また6月12日午後2時頃と6月18日午後4時頃には高浜海水浴場の駐車場に同色の京都ナンバーのトヨタカムリが停まっていた。人は乗っていなかったが、砂浜に背の高いグレーのスーツ姿の若い男性が長い時間海を見ていた。暑いのにマスクを掛けて海を見ていたのでよく覚えていた。まだ梅雨時期なので海水浴客は少なく、車の数も少なかった。砂浜で何をしていたのか分からないと話した。
 捜査本部ではその人物は、府道1号の川上村のジュースの自動販売機の前と、事件現場の青葉トンネンル近くの踏切の空き地に駐車していた同一人物ではないかと疑った。車と年齢、容姿、衣服などが一致するからだ。捜査本部では、この人物が事前に被害者を殺害する場所を調べていたのではないかと推察した。また事件当日は豪雨で、犯人はその悪天候を利用して殺害を計画していた可能性が考えられる。
 担当刑事は近畿運輸局(京都運輸支局)に問い合わせて、京都ナンバーでシルバーメタリックのトヨタカムリの所有者を調べてもらった。目撃情報で年齢が20代なので調査も限定される。また土地勘があり(高浜町に詳しい)ので遠方の人間とは考えにくい。手始めに舞鶴市、宮津市、綾部市、福知山市などを限定に調べてもらった。
 1週間後、京都運輸支局から次のような回答があった。20代でこの車種の所有者は、舞鶴市で12人、宮津市で9人、綾部市で11人、福知山市で13人であることが分かった。
この中に、事件当日にその車種の車に乗ってこの地区へやってきた人物がいると考えられる。犯人が国道27号を使った形跡がないことから、舞鶴市、宮津市方面の人間の可能性は少ない。反対に綾部市の山家の信号から高浜、小浜方面へ向かう府道1号で度々目撃されていることから、綾部市と隣市である福知山市の人間である可能性が高くなった。その理由から綾部市、福知山市の2つの市の所有者24人について重点的に調べることにした。(つづく)










2025年2月6日木曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 福井県高浜町青郷のJR小浜線青葉トンネル入り口付近で、若い男の轢死体が発見されたのは台風第7号が若狭湾を通過した6月28日の夜だった。その日は台風の影響で夕方から夜にかけて風と雨が強まった。このトンネルは福井県と京都府の県境にあり、トンネルを抜けた1キロ先には京都府舞鶴市松尾寺駅がある。この付近は小浜線と国道27号が並行するように走っている。
 当日の午後10時15分頃、集落の農家の人が、懐中電灯を持って田畑の様子を見に行った時、降りしきる雨の中、トンネル入り口付近の線路の周囲に服の切れ端が散在しているのに気づいた。そばに行って見ると、線路のあちこちに血の付いた服の切れ端や肉塊が飛び散っているのに驚いた。それは電車に轢かれた人間の死体だと分かった。
すぐに4キロ離れた高浜交番に電話して巡査に来てもらった。ミニパトカーでやって来た巡査は、降りしきる雨の中、現場を見ると、
「これは酷いな。最終電車に轢かれたな」
 巡査は携帯で小浜警察署に連絡した。小浜警察署ではその連絡があった数分前に、小浜駅から敦賀駅発西舞鶴行きの最終電車が午後10時06分頃、同トンネル入り口付近で、野生動物らしいものを轢いたという連絡を受けていた。この場所は緩やかなカーブになっており、前方を確認しにくい。電車の運転手の話によるとその時刻に現場に差し掛かったとき強雨のため視界が悪く、何かを轢いような感触があったが、急停車はせず、松尾寺駅に着いてから報告したと話した。
 遺体発見後30分して小浜警察署からパトカー4台が現場へ駆けつけた。すぐに鑑識官による現場鑑識が行われた。その騒ぎに驚いた集落の住民が傘をさしてその様子を見に来たが、警官の指示で、現場鑑識が済むまで現場に近づかないようにしていた。20分遅れで二人の刑事を乗せたパトカーが到着した。雨はやや小降りになった。
 二人の刑事はさっそく現場を視察した。鑑識官による遺体の状況は次のとおりだった。遺体は4つの部分に切断されており、一つは頭部、一つは胴体、両足が2つ。頭部は轢死した場所から右側の草むらの中から見つかった。距離にして13メートルも飛んでいた。胴体は両腕が付いており、線路からわずかに5メートル離れた場所で見つかった。右足と左足は太腿部分から切断され、8~9メートル離れた田んぼの中で見つかった。
 ほかに轢死現場から西側20メートル離れた田んぼの中から白いマスクが発見された。風が強かったため飛ばされたものと思われる。被害者が付けていたものかは不明。
 二人の刑事はその状況を見て、轢死者は線路上に真横に寝た状態で電車に轢かれたと推察した。頭部を調べると酒をかなり飲んでいたと思われるようにアルコールの匂いがした。しかしこんなところに一人で来るはずもないので、誰かにここまで連れて来られて意図的に殺害されたものと推理した。
 衣服のほかには茶色のスニーカーを履いていた。ズボンのポケットに、財布とメモ帳が入っていた。本人を確認する免許証などはなかった。財布には一万円札1枚と千円札6枚とわずかな小銭とレシートが数枚入っていた。メモ帳には乱雑に数字が書いてあった。刑事たちはこれらの遺留品をさっそく持ち帰って調べることにした。
 初動捜査は雨の中で約6時間にわたって行われた。遺体は遺体搬送車に乗せられて鑑識課に回された。その後1週間ほどこの場所は立ち入り禁止になり、警察が轢死した周囲を丹念に調べていた。
 小浜警察署では現場の状況から他殺が疑われるので直ちに捜査本部を立ち上げた。
 数日後、鑑識課から次のような解剖結果が報告された。
採取された指紋から被害者の氏名、本籍、住所、年齢などが特定できた。氏名は浅井武史、本籍は福井県小浜市F町21番地。住所は高浜町S5番地(白木アパート)。年齢26歳。前科なしだが、今年3月、若狭自動車道路でスピード違反と危険運転で免許停止中になっている。そのときに取られた指紋より確認。被害者の血液型はA型、身長161㎝、体重53㎏。小柄である。胃の中からアルコールと睡眠薬が検出された。アルコールはウイスキーであることが分かった。被害者は事前にこれらを飲まされていたのである。頭部は外傷があるが判別可能。胴体は内臓が半分近く飛び散っていた。両足は切断部分以外損傷が少ない。衣服は水色のシャツ、紺色のジーンズ。胴体部分の3メートル離れた場所に腕時計が外れて落ちていた。轢死時刻に針が止まっていた。死亡推定時刻は当日午後10時06分。死亡前は熟睡していたと思われる。鑑識課からこれらのことが報告された。
 当日は上述のように台風第7号が強い勢力を維持しながら紀伊半島を上陸し、その後北上を続け、夜に若狭湾を通過した。福井県でも台風の接近に伴って雨と風が強まった。
 そのような天候だったので、電車の運転手は雨による視界不良のため、動物か人かの確認ができず、そのまま通過した。このあたりは山が近く、夜は頻繁に野生動物が出没する。これまでにも幾度も野生動物を轢いた事例があった。
「今回の電車による轢死は、現場の状況から初動捜査どおり他殺が考えられる」
 捜査課長は現場の様子から、何者かが被害者をこの現場に運んで線路上に寝かせて電車に轢かせたと想定した。
 捜査課長の指示により、捜査は2班に分けられて行うことになった。第1班は、被害者を現場に運んで殺害し、その後逃走した人物の行方を追うこと。また事件当日及びそれ以前に事件現場に犯人と思われる人物が住民によって目撃されていないか聞き込みを行うことである。
 第2班は、轢死した現場で収集された遺留品から被害者の身元を調査し、殺害された動機などを調べることだった。(つづく)







2025年1月2日木曜日

(連載推理小説)夢遊病者の犯罪

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「夢遊病者の分析と行動心理の研究」

 私は大学の医学部で精神病者の臨床を行う内に、夢遊病の研究に時間を費やした。組織の中での仕事が嫌いな私は開業医としてつつましく生活をしていた。その片手間に無意識の状況下で起こる夢遊病の研究に没頭していたとき、ある実験がしてみたくなった。それは人間を自分の思い通りに行動させることが出来るかどうかの実験だった。それが可能であればこれまでの私の研究の立証もできるからだ。はじめは夢遊病の症状のある患者を意図的に歩かせたりしていたが、やがて彼らに仕事を与えることを思いついた。恥ずかしい話だが、医院を開業したにもかかわらず、人当たりが悪い私は評判も悪く、来院者はほとんどなく、私はいつも金欠病に悩んでいた。また私には心臓に持病があり、常にその治療のために多額のお金が必要だった。私はそれらを解決するために別の仕事をしなければならなかった。しかしそれはずいぶん危険を伴う仕事だった。他人の家に忍び込んで金品を奪うことだったからだ。先ず、どんな鍵でも開けられる技術を習得しなくてはならなかった。幸い私は医学部の学生の頃、合鍵を作る会社にアルバイトで働いたことがあった。そこでどんな鍵でも開けられる技術を習得した。その技術を夢遊病者に教えることによって目的を達せられるのだ。
 私は臨床の時に使っていた多数の夢遊病患者のリストを所持していたので、氏名、住所などの個人情報を容易に手に入れることが出来た。私はそのリストの中から、私の仕事をこなせる者を選んだ。私の仕事を達成させるにはどんな鍵でも開けられる器用さが必要なのである。だから不器用な者は除外した。私は職業に注目した。リストの中から器用さが求められる職業、例えば工芸職人、時計修理師、絵画修復師、美容師、理髪師などを選んだ。これらの職業に従事している者は習得が早いからだ。
 次にリストから選んだ人物の住所を調べた。住所が分かると、毎夜、その人物の家に行き、息を潜めてその人物の行動を監視した。でも、その人物が夢遊病の症状が現在も続いているのかどうかは今の私の仕事を行わせるうえで重要ではなかった。重要なのはその人物が現在も症状が続いていることを信じ込ませることだった。私の暗示によってその人物に現在も症状が続いていることを自覚させることが出来ればいいのだ。なんとか彼らと顔見知りになり、その病気をただで治療する約束ができれば成功である。あとは医院に来させ、催眠によって鍵を開ける技術を習得させることなのだ。
 私は催眠の技術も心得ていた。それについての論文も書いたことがある。あとひとつ重要なことがあった。それは催眠状態の中で人間は善悪の判断が出来るのかどうかの問題であった。その問題について私の実験結果で新事実を知った。無意識の状況下でも人間には善悪を判断する能力が備わっていることだった。一部の悪人を除いて、多数の人間には無意識化でも善悪の判断が出来る。しかしそれは私の仕事を行う上で障害になった。私はその問題を解決する方法を考えそれにも成功した。それは行動させる理由を正当化させればいいのだ。それによって夢遊病者は納得して行動するからだ。例えば、この会社では秘密裏に細菌兵器を製造するための資金を集めているから、その資金を奪って止めさせなければいけないと暗示をかける。夢遊病者はその説明に納得して行動を起こすことが出来るのだ。それによって本人は罪の意識を持たない。まして夢の中での出来事なので、目覚めたときは何の記憶もないからだ。
 次にどのようにして彼らに作業を学習させたかだ。医院で催眠によってそれらの技術を教え込み、実践する時は、夢遊病者に小型のイヤフォンを付けさせて、無線によって指示するやり方だった。そのために私は目的の会社のことを徹底的に調べた。どこの部屋に金庫があるか、鍵はどんなものか、その下準備に私は時間を費やした。そして、行動する日に患者に指示した。作業が終わると私は自分の車に患者を乗せて帰った。
 彼らは夢の中で行った行動なので事件のことは何も覚えていない。しかし、断片的なことは記憶しているようで、作業が終わった後、そのことを話させて記録した。そうやってこの三年ほどの間に、いくつかの犯罪をやった。だが、今回イヤホンを紛失するというミスを犯してしまった。私は焦った。イヤホンには私の指紋が付いているからだ。私には前科がある。警察はそれを見逃す筈はない。逮捕されるのは時間の問題なのだ。心臓の疾患もあり、最近、作業で動き回ったせいか、体調が思わしくない。いろんな薬を飲み、またいろんな医者にかかったが、改善する見込みがないのだ。盗んだ金銭もすべてそれに使ってしまった。この市へ来てひと月経つが、今はもうこのような事件を起こす気力もなくなった。
 数日前、私は交番から盗んだ拳銃をつかって死ぬことを計画した。拳銃を盗んだ理由は万一の時の自殺用だった。しかし、いざ覚悟を決めて拳銃を握ると、手が震えて引き金が引けなかった。これでは死ぬことも出来ないのだ。私は悩んだ、そのときいい考えが浮かんだ。
「そうだ、夢遊病者に引き金を引かせよう。それも私が眠っている間にー」
 私は自分を殺害してくれる夢遊病者を探し暗示を与えた。日程と時間を指定し、拳銃によって私を撃ち殺すように指示したのだ。それによって安心して死ぬことが出来るのだ。今夜、夢遊病者が指示どおりに私の家にやってくる。私はその時、この世と永久に分かれることになるのだ。―
 手記はこのように書かれていた。この手記によってこれまでの事件の全容が解明された。脇田正也は、心神喪失状態であることが認められ拘置所から出ることが出来た。しかし、しばらくの間はいままでの事件の夢を頻繁に見た。(完)