2025年10月2日木曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

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 K氏はどこへ行ったのか。1か月前、彼は突然いなくなった。まるで煙のように消えたのだ。彼がいなくなって一番困ったのは薬局の店長だった。
 薬剤師が一人いなくなったことで、仕事が回らなくなった。早急に新しい薬剤師を募集したが、なかなか見つからなかった。
「彼に何が起こったのだろう」
 店長もほかの薬剤師もその理由が全くわからなかった。
 K氏は年齢が30歳。この薬局で6年勤めていた。研究熱心なところがあり、非番のときは自宅で薬の開発に没頭していた。だから彼の部屋はまるで研究室のようにいろんな薬品が並んでいた。
 あるとき、薬科大学に在籍した頃親しかった同級生のM氏が遊びに来た。思い出話に花を咲かせていた時、ふとM氏はこんなことを言った。
「君は覚えているかい。僕がガン細胞を消滅させる新しい薬を開発していたとき体験したことを」
「覚えてないな。どんなことだっけ」
「ある冬の寒い夜、ストーブの前で粉薬を調合していた時、指先が消えたことだよ」
 同級生の話にK氏は思い出したのだ。
「ああ、あれか。不思議な話しだったな。それで消えた指先はどうなったんだ」
「苦労したけど。再生できたんだ」
 同級生は両手を広げて指先を見せて言った。
「あれは不思議な体験だった。でもずいぶん心配もした。もとに戻らなかったらどうしようかと心配したんだ」
「でもすごいな、そんな体験をしたのなら、どうしてすぐに学会に報告しなかったんだ」
「まだ偶然性のことだったし、理論的にも説明がつかなかったからだ」
「君は、そのとき使った薬のことを覚えているのか」
「ああ、覚えているよ。ちゃんと記録しておいたのだ。君がそれを尋ねると思ってノートを持って来たんだ」
 同級生はそういって上着のポケットから小型のノートを取り出した。
「これにあの時使った薬のことが書いてある。これらの薬を混ぜていたとき指先が消えたのさ」
「その薬でまた試してみたのか」
「いや、あのときの恐怖はもう体験したくないからやっていない」
「じゃ、そのノートをぼくに貸してくれないか。ぼくがその現象を理論的に証明してあげよう。そうすれば学会にも報告が出来るから」 
「それはありがたい。成績優秀だった君ならしっかり証明してくれるだろう」
 M氏は、そのノートをK氏に渡した。
「それで消えた指先をもとに戻す薬のことは書かれてあるのか」
「ああ、もう一冊のノートに書いてある。次の日曜日にまた訪ねるから持ってくるよ」
 M氏が帰ったあと、さっそくK氏はノートを読んでみた。内心ではそんな非現実なことはありえないと思ったが、もしそんな不思議な薬が出来るのなら大いにやり甲斐いがあると思った。
 ノートに書き込んである薬は、ほとんど自分の部屋にそろっている。いくつか足りない薬があるが、それは店にあるものを買ってくればよいのだ。
 翌日、薬局へ行ったとき、それらの薬を買ってきてその夜実験をはじめた。
 しかしまったく上手くいかなかった。いくら記録どおりに試してみたが、指先は消えなかった。薬の濃度が足りないと思い、濃度を強めてみた。しかし結果は同じだった。何度も繰り返していた時ふと気づいた。
「M氏は、ストーブの前で薬を調合していたときに指先が消えたのだ。そうか、部屋の温度が関係してるのだ」
 いま9月で、壁に掛けてある温度計を見ると25℃だった。
 K氏は、エアコンのリモコンを暖房に切り替えて、部屋の温度を30℃に設定した。しかし、薬を触っていても変化はなかった。そこで32℃まで上げた。すると変化があった。指先がぼんやりかすんで見えるのだ。
「驚いた。やっぱりそうか」
 K氏は、室温を35℃まで上げた。するとどうだろう。指先が完全に消えたのだ。
 その夜は興奮が収まらなかった。夢のような出来事がK氏にも起きたのだ。
「日曜日にM氏がやってくる。それまでにこの薬の論文を書いておこう。時間がかかるから店長に電話して1週間休ませてもらおう」
 K氏は、何かに憑りつかれたように1週間の間、寝食を忘れて論文を書いた。そして土曜日の夜、ようやく論文の草稿が完成した。
 K氏は、明日訪ねて来るM氏を驚かせるために、ある途方もないことを思いついた。それは自分の身体をすべて消し去ることだった。つまり透明人間になることだった。その方法も当然考えた。
 お風呂のお湯の温度を35℃に設定し、薬をばらまき、それに浸かればいいのだ。
 その夜、K氏は、それを見事に実行した。(つづく)















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