2025年3月3日月曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 第1班による捜査は3日後に行われた。担当刑事は先ず事件現場の聞き込みから開始した。事件当夜、殺害された現場に誰かやって来なかったか聞き込みを行った。
 轢死事件のあったこの地区は、民家が40戸しかなく、住民以外の者がここへやって来ることはほとんどない。この地区にやって来た者があればすぐに眼に着くはずである。
 その結果、集落のある民家の50代男性から次のような情報が得られた。事件当日の午後9時40分頃、残業を終えてこの集落の自宅に帰って来たその男性が、轢死現場から70メートル離れた場所にある踏切を渡ろうとしたとき、踏切横の狭い空き地に、シルバーメタリックの乗用車が駐車しているのを見かけた。エンジンは止まっていてライトも消えていた。人は乗っていなかった。その時間帯は風と雨が強まり、車の中の様子はわからなかった。車のナンバーは覚えていないが、車種はトヨタカムリだと話した。
 担当刑事は、その時間は轢死時刻の約30分前に当たるので、恐らく犯人がその車に被害者を乗せてきて轢死現場まで運んでいたのではないかと推察した。この目撃情報は非常に重要なものである。
 その男性の話を聞いて担当刑事は、犯人は事件当日以前に、ここへ下見に来ていた可能性があると考えた。引き続き集落を一軒ずつ回って聞き込んだ結果、次のような情報を40代の主婦から聞いた。
 それは事件のあった1週間前の6月21日午後1時30分頃、同じ踏切の空き地にシルバーメタリックの車が停まっていた。20代の眼鏡を掛けた大柄な若い男性がマスクをして乗っていた。顔はよくわからないが、ブルーのネクタイをしていた。この集落の人ではなく見たこともない人だった。車は京都ナンバーだったと話した。
 担当刑事は、50代男性と、40代の主婦からの聞き込みで、その人物は京都ナンバーのシルバーメタリックのトヨタカムリでこの場所へ下見に来ていたのではないかと疑った。京都ナンバーの車であれば舞鶴市方面から青葉トンネルを抜けて、この地区へ入って来たと思われる。更に担当刑事は、下見に来たのはこの地区だけではないと考えた。頻繁に舞鶴市(京都府)方面からやってきたのであれば松尾寺駅から西へ1キロ先にある志楽交番の前をよく通過したのではないかと考えた。刑事は志楽交番へ問い合わせて確認してもらった。
 しかし交番の巡査は、
「シルバーメタリックのトヨタカムリですか、いや、見た覚えはありません。何度もこの国道を走っていったのなら一度くらいは見たと思いますが」
との返答だった。
 意外な答えに刑事は驚いたが、京都ナンバーの車であれば間違いなく京都府側からやってきたのである。
「轢死事件があった夜、その車はトンネルを抜けて舞鶴方面へ逃げて行った可能性があるが、見なかったか」
 巡査は、
「その夜は凄い強雨と風でとても外の景色は分かりませんでした。その時間帯はほとんど車は通らなかったと思います」
と返答した。
 担当刑事は、それならば犯人は国道27号以外の道を使ったのではないかと考えた。刑事の一人に、舞鶴市を通っている国道27号以外に高浜へ通じる道を調べさせた。その結果、京都市方面から舞鶴市へ向かう同じ国道27号の京都府綾部市山家の信号から山間を通って高浜、小浜方面へ通じている府道1号があることが分かった。綾部市は舞鶴市の南に位置する隣の市である。この府道を利用すれば舞鶴市を通過せずに直接、高浜、小浜方面へ行けるからだ。また交通量も少なく道幅も広い道なのである。
「犯人はその道を使った可能性があるな」
 担当刑事は、早速、山家の交番に問い合わせて事件当日から数か月前に、シルバーメタリックのトヨタカムリが頻繁に通らなかったか確認することにした。
 数日して山家の交番から連絡があり、6月上旬頃からその道を度々シルバーメタリックの乗用車が走って行くのを地域の住民が目撃していた。
 その目撃情報の中で重要と思われるものが一つあった。それは府道1号沿いの川上村の集会所の前にジュースの自動販売機があり、その前でシルバーメタリックの乗用車が停車しているのを農家の人が度々目撃していたのだ。ジュースの自動販売機はこの場所にしかなく、夏場や冬場はよく車が停車してジュースを買っていく。シルバーメタリックの車も停まっていた。顔は覚えていないが背の高い眼鏡を掛けたマスクをしたグレーのスーツ姿の若い男性だったと話した。
 担当刑事はその車は犯行に使われたものではないかと疑った。
 翌日、高浜町の交番から次のような新たな情報が小浜警察署に寄せられた。
 その情報は高浜港と高浜海水浴場の駐車場に、6月に入ってから、度々シルバーメタリックの乗用車が停まっているのを目撃した住民がいたのだ。6月5日の午後3時頃と、6月8日の午後4時頃、高浜港の船着き場に同色の京都ナンバーのトヨタカムリが停まっており、マスクと眼鏡を掛けた背の高いスーツ姿の若い男性が海を見ていた。また6月12日午後2時頃と6月18日午後4時頃には高浜海水浴場の駐車場に同色の京都ナンバーのトヨタカムリが停まっていた。人は乗っていなかったが、砂浜に背の高いグレーのスーツ姿の若い男性が長い時間海を見ていた。暑いのにマスクを掛けて海を見ていたのでよく覚えていた。まだ梅雨時期なので海水浴客は少なく、車の数も少なかった。砂浜で何をしていたのか分からないと話した。
 捜査本部ではその人物は、府道1号の川上村のジュースの自動販売機の前と、事件現場の青葉トンネンル近くの踏切の空き地に駐車していた同一人物ではないかと疑った。車と年齢、容姿、衣服などが一致するからだ。捜査本部では、この人物が事前に被害者を殺害する場所を調べていたのではないかと推察した。また事件当日は豪雨で、犯人はその悪天候を利用して殺害を計画していた可能性が考えられる。
 担当刑事は近畿運輸局(京都運輸支局)に問い合わせて、京都ナンバーでシルバーメタリックのトヨタカムリの所有者を調べてもらった。目撃情報で年齢が20代なので調査も限定される。また土地勘があり(高浜町に詳しい)ので遠方の人間とは考えにくい。手始めに舞鶴市、宮津市、綾部市、福知山市などを限定に調べてもらった。
 1週間後、京都運輸支局から次のような回答があった。20代でこの車種の所有者は、舞鶴市で12人、宮津市で9人、綾部市で11人、福知山市で13人であることが分かった。
この中に、事件当日にその車種の車に乗ってこの地区へやってきた人物がいると考えられる。犯人が国道27号を使った形跡がないことから、舞鶴市、宮津市方面の人間の可能性は少ない。反対に綾部市の山家の信号から高浜、小浜方面へ向かう府道1号で度々目撃されていることから、綾部市と隣市である福知山市の人間である可能性が高くなった。その理由から綾部市、福知山市の2つの市の所有者24人について重点的に調べることにした。(つづく)










2025年2月6日木曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 福井県高浜町青郷のJR小浜線青葉トンネル入り口付近で、若い男の轢死体が発見されたのは台風第7号が若狭湾を通過した6月28日の夜だった。その日は台風の影響で夕方から夜にかけて風と雨が強まった。このトンネルは福井県と京都府の県境にあり、トンネルを抜けた1キロ先には京都府舞鶴市松尾寺駅がある。この付近は小浜線と国道27号が並行するように走っている。
 当日の午後10時15分頃、集落の農家の人が、懐中電灯を持って田畑の様子を見に行った時、降りしきる雨の中、トンネル入り口付近の線路の周囲に服の切れ端が散在しているのに気づいた。そばに行って見ると、線路のあちこちに血の付いた服の切れ端や肉塊が飛び散っているのに驚いた。それは電車に轢かれた人間の死体だと分かった。
すぐに4キロ離れた高浜交番に電話して巡査に来てもらった。ミニパトカーでやって来た巡査は、降りしきる雨の中、現場を見ると、
「これは酷いな。最終電車に轢かれたな」
 巡査は携帯で小浜警察署に連絡した。小浜警察署ではその連絡があった数分前に、小浜駅から敦賀駅発西舞鶴行きの最終電車が午後10時06分頃、同トンネル入り口付近で、野生動物らしいものを轢いたという連絡を受けていた。この場所は緩やかなカーブになっており、前方を確認しにくい。電車の運転手の話によるとその時刻に現場に差し掛かったとき強雨のため視界が悪く、何かを轢いような感触があったが、急停車はせず、松尾寺駅に着いてから報告したと話した。
 遺体発見後30分して小浜警察署からパトカー4台が現場へ駆けつけた。すぐに鑑識官による現場鑑識が行われた。その騒ぎに驚いた集落の住民が傘をさしてその様子を見に来たが、警官の指示で、現場鑑識が済むまで現場に近づかないようにしていた。20分遅れで二人の刑事を乗せたパトカーが到着した。雨はやや小降りになった。
 二人の刑事はさっそく現場を視察した。鑑識官による遺体の状況は次のとおりだった。遺体は4つの部分に切断されており、一つは頭部、一つは胴体、両足が2つ。頭部は轢死した場所から右側の草むらの中から見つかった。距離にして13メートルも飛んでいた。胴体は両腕が付いており、線路からわずかに5メートル離れた場所で見つかった。右足と左足は太腿部分から切断され、8~9メートル離れた田んぼの中で見つかった。
 ほかに轢死現場から西側20メートル離れた田んぼの中から白いマスクが発見された。風が強かったため飛ばされたものと思われる。被害者が付けていたものかは不明。
 二人の刑事はその状況を見て、轢死者は線路上に真横に寝た状態で電車に轢かれたと推察した。頭部を調べると酒をかなり飲んでいたと思われるようにアルコールの匂いがした。しかしこんなところに一人で来るはずもないので、誰かにここまで連れて来られて意図的に殺害されたものと推理した。
 衣服のほかには茶色のスニーカーを履いていた。ズボンのポケットに、財布とメモ帳が入っていた。本人を確認する免許証などはなかった。財布には一万円札1枚と千円札6枚とわずかな小銭とレシートが数枚入っていた。メモ帳には乱雑に数字が書いてあった。刑事たちはこれらの遺留品をさっそく持ち帰って調べることにした。
 初動捜査は雨の中で約6時間にわたって行われた。遺体は遺体搬送車に乗せられて鑑識課に回された。その後1週間ほどこの場所は立ち入り禁止になり、警察が轢死した周囲を丹念に調べていた。
 小浜警察署では現場の状況から他殺が疑われるので直ちに捜査本部を立ち上げた。
 数日後、鑑識課から次のような解剖結果が報告された。
採取された指紋から被害者の氏名、本籍、住所、年齢などが特定できた。氏名は浅井武史、本籍は福井県小浜市F町21番地。住所は高浜町S5番地(白木アパート)。年齢26歳。前科なしだが、今年3月、若狭自動車道路でスピード違反と危険運転で免許停止中になっている。そのときに取られた指紋より確認。被害者の血液型はA型、身長161㎝、体重53㎏。小柄である。胃の中からアルコールと睡眠薬が検出された。アルコールはウイスキーであることが分かった。被害者は事前にこれらを飲まされていたのである。頭部は外傷があるが判別可能。胴体は内臓が半分近く飛び散っていた。両足は切断部分以外損傷が少ない。衣服は水色のシャツ、紺色のジーンズ。胴体部分の3メートル離れた場所に腕時計が外れて落ちていた。轢死時刻に針が止まっていた。死亡推定時刻は当日午後10時06分。死亡前は熟睡していたと思われる。鑑識課からこれらのことが報告された。
 当日は上述のように台風第7号が強い勢力を維持しながら紀伊半島を上陸し、その後北上を続け、夜に若狭湾を通過した。福井県でも台風の接近に伴って雨と風が強まった。
 そのような天候だったので、電車の運転手は雨による視界不良のため、動物か人かの確認ができず、そのまま通過した。このあたりは山が近く、夜は頻繁に野生動物が出没する。これまでにも幾度も野生動物を轢いた事例があった。
「今回の電車による轢死は、現場の状況から初動捜査どおり他殺が考えられる」
 捜査課長は現場の様子から、何者かが被害者をこの現場に運んで線路上に寝かせて電車に轢かせたと想定した。
 捜査課長の指示により、捜査は2班に分けられて行うことになった。第1班は、被害者を現場に運んで殺害し、その後逃走した人物の行方を追うこと。また事件当日及びそれ以前に事件現場に犯人と思われる人物が住民によって目撃されていないか聞き込みを行うことである。
 第2班は、轢死した現場で収集された遺留品から被害者の身元を調査し、殺害された動機などを調べることだった。(つづく)







2025年1月2日木曜日

(連載推理小説)夢遊病者の犯罪

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「夢遊病者の分析と行動心理の研究」

 私は大学の医学部で精神病者の臨床を行う内に、夢遊病の研究に時間を費やした。組織の中での仕事が嫌いな私は開業医としてつつましく生活をしていた。その片手間に無意識の状況下で起こる夢遊病の研究に没頭していたとき、ある実験がしてみたくなった。それは人間を自分の思い通りに行動させることが出来るかどうかの実験だった。それが可能であればこれまでの私の研究の立証もできるからだ。はじめは夢遊病の症状のある患者を意図的に歩かせたりしていたが、やがて彼らに仕事を与えることを思いついた。恥ずかしい話だが、医院を開業したにもかかわらず、人当たりが悪い私は評判も悪く、来院者はほとんどなく、私はいつも金欠病に悩んでいた。また私には心臓に持病があり、常にその治療のために多額のお金が必要だった。私はそれらを解決するために別の仕事をしなければならなかった。しかしそれはずいぶん危険を伴う仕事だった。他人の家に忍び込んで金品を奪うことだったからだ。先ず、どんな鍵でも開けられる技術を習得しなくてはならなかった。幸い私は医学部の学生の頃、合鍵を作る会社にアルバイトで働いたことがあった。そこでどんな鍵でも開けられる技術を習得した。その技術を夢遊病者に教えることによって目的を達せられるのだ。
 私は臨床の時に使っていた多数の夢遊病患者のリストを所持していたので、氏名、住所などの個人情報を容易に手に入れることが出来た。私はそのリストの中から、私の仕事をこなせる者を選んだ。私の仕事を達成させるにはどんな鍵でも開けられる器用さが必要なのである。だから不器用な者は除外した。私は職業に注目した。リストの中から器用さが求められる職業、例えば工芸職人、時計修理師、絵画修復師、美容師、理髪師などを選んだ。これらの職業に従事している者は習得が早いからだ。
 次にリストから選んだ人物の住所を調べた。住所が分かると、毎夜、その人物の家に行き、息を潜めてその人物の行動を監視した。でも、その人物が夢遊病の症状が現在も続いているのかどうかは今の私の仕事を行わせるうえで重要ではなかった。重要なのはその人物が現在も症状が続いていることを信じ込ませることだった。私の暗示によってその人物に現在も症状が続いていることを自覚させることが出来ればいいのだ。なんとか彼らと顔見知りになり、その病気をただで治療する約束ができれば成功である。あとは医院に来させ、催眠によって鍵を開ける技術を習得させることなのだ。
 私は催眠の技術も心得ていた。それについての論文も書いたことがある。あとひとつ重要なことがあった。それは催眠状態の中で人間は善悪の判断が出来るのかどうかの問題であった。その問題について私の実験結果で新事実を知った。無意識の状況下でも人間には善悪を判断する能力が備わっていることだった。一部の悪人を除いて、多数の人間には無意識化でも善悪の判断が出来る。しかしそれは私の仕事を行う上で障害になった。私はその問題を解決する方法を考えそれにも成功した。それは行動させる理由を正当化させればいいのだ。それによって夢遊病者は納得して行動するからだ。例えば、この会社では秘密裏に細菌兵器を製造するための資金を集めているから、その資金を奪って止めさせなければいけないと暗示をかける。夢遊病者はその説明に納得して行動を起こすことが出来るのだ。それによって本人は罪の意識を持たない。まして夢の中での出来事なので、目覚めたときは何の記憶もないからだ。
 次にどのようにして彼らに作業を学習させたかだ。医院で催眠によってそれらの技術を教え込み、実践する時は、夢遊病者に小型のイヤフォンを付けさせて、無線によって指示するやり方だった。そのために私は目的の会社のことを徹底的に調べた。どこの部屋に金庫があるか、鍵はどんなものか、その下準備に私は時間を費やした。そして、行動する日に患者に指示した。作業が終わると私は自分の車に患者を乗せて帰った。
 彼らは夢の中で行った行動なので事件のことは何も覚えていない。しかし、断片的なことは記憶しているようで、作業が終わった後、そのことを話させて記録した。そうやってこの三年ほどの間に、いくつかの犯罪をやった。だが、今回イヤホンを紛失するというミスを犯してしまった。私は焦った。イヤホンには私の指紋が付いているからだ。私には前科がある。警察はそれを見逃す筈はない。逮捕されるのは時間の問題なのだ。心臓の疾患もあり、最近、作業で動き回ったせいか、体調が思わしくない。いろんな薬を飲み、またいろんな医者にかかったが、改善する見込みがないのだ。盗んだ金銭もすべてそれに使ってしまった。この市へ来てひと月経つが、今はもうこのような事件を起こす気力もなくなった。
 数日前、私は交番から盗んだ拳銃をつかって死ぬことを計画した。拳銃を盗んだ理由は万一の時の自殺用だった。しかし、いざ覚悟を決めて拳銃を握ると、手が震えて引き金が引けなかった。これでは死ぬことも出来ないのだ。私は悩んだ、そのときいい考えが浮かんだ。
「そうだ、夢遊病者に引き金を引かせよう。それも私が眠っている間にー」
 私は自分を殺害してくれる夢遊病者を探し暗示を与えた。日程と時間を指定し、拳銃によって私を撃ち殺すように指示したのだ。それによって安心して死ぬことが出来るのだ。今夜、夢遊病者が指示どおりに私の家にやってくる。私はその時、この世と永久に分かれることになるのだ。―
 手記はこのように書かれていた。この手記によってこれまでの事件の全容が解明された。脇田正也は、心神喪失状態であることが認められ拘置所から出ることが出来た。しかし、しばらくの間はいままでの事件の夢を頻繁に見た。(完)