「いやあ、ここなら雨に濡れる心配はない」
それまで杉の木の枝に巣を作って暮らしていましたが、先日の大雨と強風で巣は壊れてしまったのです。
「ここは実にいい住み家だ。夜になると電灯の光に虫が集まってくるし、食べ物にも困らない」
この停留所には日に5回バスがやってきます。
ある日、誰が忘れていったのか、手帳くらいの大きさの旅行ガイドブックが椅子の上に置いてありました。
クモは屋根から降りて来てくるとページを開いてみました。
「きれいな写真がたくさん載ってるな。ここは知床半島だ。北海道の風景だ。一度は行ってみたいな」
考えているうちに本当に行きたくなってきました。
それで旅支度をして、明日のバスでさっそく出かけることにしたのです。
朝になり、バスがやってくると、客席の窓ガラスにしがみつきました。バスは田舎道を走って次々に停留所に停まりました。広い田畑を走ってやがて町が見えてきました。車の数が多くなり、町の停留所にも停まりました。
「次は駅だ。降りる準備をしよう」
バスは駅の停留所に停まってたくさん人を降ろしました。クモもお客さんのバックに飛び乗ってついて行きました。
キップ売り場で、その人は青森行きのキップを買いました。
「よかった。同じ電車に乗るんだ」
そのままついて行きました。
電車がやってくると、電車の屋根に飛び乗りました。
「さあ、長旅だ。のんびり過ごそう」
昼になってから、リュックサックの中からお弁当を取り出して食べました。きのう巣にかかった蚊でした。
電車は快適に走って行きました。
ある田舎の駅に停まりました。待合室の窓ガラスにクモが巣を作っていました。電車の屋根にいるクモを見つけて声をかけてきました。
「おおい、どこまで行くんだ」
「北海道だ」
「いまの季節は最高だな。たっぷり楽しんで来いよ」
「ありがとう」
そのうち電車は走り出しました。
広い田畑が広がったレールの上を電車は走って行きました。やがていくつものトンネルを抜けました。真っ暗なトンネルの中は涼しくて気持ちがいいのです。
山の中の小さな駅に停まると、たくさん温泉が見えました。
「今度来たときは、温泉でもつかろうかな」
長い時間電車に揺られているうちに眠くなってきました。まだ道のりは遠いのです。しばらく昼寝をしました。電車はあいかわらず元気に走って行きます。
やがて青森駅についてから駐車場に止まっていた自動車の屋根に飛び乗ってフェリー乗り場へ行きました。
「函館まで今度はフェリーだ。海の景色もすばらしいだろう」
そのまま自動車に乗って乗船しました。しばらくしてフェリーは出港しました。すこし波があり、船酔いも経験しました。
数時間後、函館港についてから、駐車場にバイクでツーリングしている人たちがいました。ハーレーに乗って旅行をしていました。これから知床半島へ行く話をしています。
「じゃあ、あのバイクにしがみついて行こう」
バイクの後ろ座席にちょこんと飛び乗りました。
しばらくして、ブウウウウウウーンと凄い音がしてバイクが走り出しました。町を抜けて広大な平野を走って行きました。道はまっすぐで気持ちがいいのです。風が強いので振り落とされないようにしっかりしがみついていました。
その夜は山へ行って渓流のそばでキャンプをしました。テントを張って食事の準備です。日が沈むと、ランプを灯してみんなバーベキューをしました。
クモも葉っぱの上に巣を作って、晩御飯の用意をしました。林の中から蚊や蛾がランプの灯にたくさん集まって来ます。それを生け捕りにして食べました。
「明日はいよいよ目的地だ。はやく寝よう」
みんな早めに寝ました。
深夜、林の中で黒い物が動いたので、そばへ行ってみるとヒグマが一頭餌をさがしていました。ツキノワグマより大きいのでびっくりしました。
ツキノワグマやイノシシ、シカ、キツネ、タヌキ、テンなどは山で何度も見かけますが、ヒグマを見るのははじめてです。焚火のそばに残飯が残っているので匂いでやってくるかもしれません。幸いヒグマはどこかへ行ってしまいました。そんなことなど知らないバイクのみんなはぐっすり眠っていました。
朝になって、さっそく出発です。昼頃になると平野の向こうに海が見えてきました。
知床半島が見えます。天気がいいので羅臼岳も見えました。
「やあ、最高の眺めだ」
その日はバイクで、オシンコシンの滝、フレペの滝、プユニ岬、知床五湖などを見てまわりました。知床岬まで行くと、駐車場に観光バスが停車していました。
「そうだ。帰りは観光バスで帰ろう」
バスの屋根に飛び乗ると、すぐにバスが走り出しました。知床半島を後にして、バスは北海道の国道を走って行ました。国道の休憩所で休んでいると、木の上に巣を作っていたクモが話しかけてきました。
「どこまで行くんだい」
「ふるさとへ帰るところさ」
「いま晴れてるけど、午後は雨だっていってたよ」
「そりゃ、困った。傘持って来たらよかった」
クモがいったように、休憩所を出てから空があやしくなってきました。雨が降り出しそうです。
運転席側の窓ガラスのワイパーの後ろでじっとしていると、ポツン、ポツンと雨が降ってきました。ワイパーが突然動き出して、もうすこしで飛ばされそうになりました。ワイパーに必死でしがみついていたので、目は回るし、身体はべしゃべしゃになるし困ったものでした。
そんなことで、次の休憩所で乗客がトイレにいっている間に室内へ忍び込みました。ここなら雨に濡れる心配はありません。
バスが出発すると、バスガイドさんがマイクを片手に歌をうたいはじめました。みんなもあとから「襟裳岬」、「函館の女」、「石狩挽歌」、「津軽海峡冬景色」、「おふくろさん」、「東京だよ、おっかさん」などの懐かしい流行歌を歌ったので、クモも一緒に歌ったりしました。バスの中は涼しくて実に快適でした。
二時間もすると雨はあがりました。室内で身体を乾かしてまた元気になりました。
函館港につくと、フェリーに乗って青森の港に着きました。港から自動車に飛び乗って駅まで行き、電車で帰ってきました。電車の屋根の上でぼんやり空を見上げていたとき、沖縄行きの旅客機が飛んで行きました。
「そうだ、今度は旅客機の翼にしがみついて沖縄へ行ってみようかな」
ふるさとの駅に無事に着いてから、駅に停まっていたバスに飛び乗って無事に田舎のバス停留所へ帰ってきました。ずいぶんの長旅でしたが、とても楽しい旅だったので、全部日記にメモしておきました。
あとで、このメモをもとに北海道旅行記を書くつもりです。この山に住む昆虫、動物仲間が発行している今年の「動物、昆虫同人誌」に投稿しようかなとも思っています。
(未発表童話です)
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