嘴がなくて、人間の口だし、目もそうだ。顔だけ羽毛も生えていない。でもきょろきょろと顔がよく動く。見た目はスズメに違いない。
「夢でも観てるのかな」
洗面所へ行き顔を洗った。戻ってきてからまた外を観た。スズメはいなかった。どこかへ飛んで行ったのだ。
それからしばらくして異変に気づいた。鼻がずいぶん高くなっている。ちょっと手で触ってみた。ものすごく硬い。それに先が尖っている。もう一度洗面所へ行き、顔を観た。「スズメの顔だ!」
その日一日、どこへも出かけずにじっと家の中にいた。外に出られるはずがない。
「困ったな。どうしよう。この顔じゃ買い物にも行けないし、散歩にも行けない」
昼になっても同じことを考えていた。これはすべて夢なのだ。悪夢だ。もう一度寝たら夢から覚めるかもしれない。そう思って昼寝をはじめたがぜんぜん寝つかれない。いろんな心配事が浮かんできた。
「もし夢でなく現実だったら。もしいまだれかやってきたらどうしよう」
あいにく友だちも少ないのでその心配はない。でも郵便配達員が書留や小包を持って来たらどうしよう。
考えながらやがて夜になった。お腹なんかぜんぜん空かないので、じっとベットの上で寝ころんでいた。
「あのスズメを観たせいで、とんだことになった。でも、あのスズメの顔はどこかで見たことがある。ーあ、そうだ、俺の顔だ。でもどこへ飛んで行ったのかな」
いろいろ考えているうちに、だんだん眠くなってきた。
「奇跡を待つしかない。朝になったら結果が分かるだろう」
でもそれから一週間の間、おれの顔はそのままだった。どこへも行けないので部屋の中に閉じこもっているしかなかった。
「ああ、いつまでこんな悪夢がつづくのだろう」
一週間が経ったある朝のことだった。
ずいぶん寝たせいか気分が良い。そのときだった。すぐに気づいた。高くなってた鼻が視界から消えている。もしかしてー。と思って洗面所へ行った。
「あっ、もとどおりの顔になっている」
その朝は、人生の中で一番嬉しい日だった。すぐにアパートを出ると近所を歩き回った。通行人に出会ってもだれも変な目で俺を見る人はいない。公園へ行ったり、ついでにコンビニで買い物したりして帰ってきた。
その夜は久しぶりにぐっすりと眠れそうに思った。だけど、そうはいかなかった。何回も変な夢で起こされたからだ。
最初の日に観た夢はこんなだった。俺はスズメになってどこかの町の空の上を飛んでいた。仲間のスズメも一緒になってそばを飛んでいる。でも、みんな知らん顔してあちこちを飛んでいる。空を飛ぶスピードには驚いた。時速は100キロくらい。羽もよく動くし、少しも疲れを感じない。
俺は池のある公園の方へ飛んで行った。周りは松林で、日曜日なのかたくさんの人が散歩していた。池のほとりで釣りをしている人や親子連れがベンチに座ってアイスクリームやアイスキャンデーを食べていた。
池の向こう岸にアイスクリームの屋台が出ていたので、そちらの方へ飛んで行くと、屋台の屋根のうえに止まった。暑い日だったのでアイスクリームが食べたくなった。
観ると屋台のテーブルの上にアイスクリームの汁がこぼれていた。おじさんがアイスクリームを作っている隙を狙って、さ-っとテーブルに降りてチュッチュとすすった。
「ああ、冷たくてうまい」
食べ終わってからまた空へ舞い上がった。
公園の松林の中へ入ると、とても涼しくて松の木の枝に止まって休んだ。木の幹にカブト虫が一匹いて樹液を吸っていた。松林の小道を人が歩いていたりみんな楽しそうだった。松林の中を飛びながら、やがて公園を出て、国道の上を飛んで行った。国道にはたくさん車が走っていた。太陽がギラギラ照って暑いので、ときどきアパートやマンシュンのベランダに降りて日陰で休んだ。
国道のそばにお米屋があった。お米屋の店の中にお米が落ちている。
「あれも食べちゃうか」
お腹も空いていたので、さっそくそちらへ飛んで行った。
お店の中で、主人がお米を積んでいた。その隙に床に落ちてるお米をつんつん食べて行った。ときどきお米を担いでいる主人に踏まれそうになったけど、全部食べてお店から出て行った。
二日目に観た夢はこんなだった。その日も太陽がギラギラ照りつける暑い日だった。
俺は、踏切の信号機の上に暇そうに止まっていた。しばらくしてから信号機が鳴り、電車が向こうから走ってきた。四両編成の電車だった。お客はずいぶん少なかった。ひとり若い女性が本を読んでいた。横顔が魅力的な女性だったので、俺は電車のあとを追いかけて行った。
すぐに追いついて、ガラス越しに女性の顔を覗き込んだ。テレビドラマによく出ている女優とそっくりな女性だった。でも名前が思い出せなかった。読んでいた本は「鏡の国のアリス」だった。活字の間に、よく知られた挿絵が載っていたから分かった。
電車はスピードをさらに上げて行く。だんだん疲れて来た。でも、女性のことが気になって、猛烈に羽を動かして飛び続けた。そのときだった。向こうから折り返しの電車が走って来た。でも女性のことばかりに夢中になっていたのでぜんぜん気がつかなかった。
「あーっ!」
そのあとはどうなったのか知らない。でも、こうして生きているのでうまく電車をさけたのだ。そのあとの記憶はない。
三日目に観たのはこんな夢だった。俺は陸橋の階段の手すりの上に止まっていた。天気は曇りだった。その日はずいぶん蒸し暑い日だった。
陸橋の下にテントやダンボールの小屋があちこちに建っていた。向こうから奇妙な男がやってきた。服はぼろぼろで、髪の毛はボサボサだった。
「乞食だ」
その男の両肩にはカラスが止まっていた。ずいぶん慣れているらしくぜんぜん人間を恐れていない。男は歩きながらゴミ箱を探していた。男がそばまでやって来たとき、その匂いで気分が悪くなってきた。何か月も風呂に入っていないのですごい悪臭だった。
「おれは清潔だった。川でいつも羽と体を洗っているから」
ゴミ箱を見つけると、中から賞味期限の切れた弁当を見つけて、大喜びしながら向こうの方へ歩いて行った。
あとをつけて行くと、公園の屋根付きのベンチに座って、カラスに分け前をやりながら食事をしていた。食べ終わると、どこで拾ったのか、しけもくをスパスパ吸っていた。こんな近くで乞食を観たのははじめてだった。
その公園の離れたベンチにも失業中の30才くらいの男が座っていて、スマホで仮想通貨のチャートを羨ましそうに観ていた。
「ああ、俺もお金があれば、ビットコイン買うのになあ。現在、1ビットコインが200万円だ。今年のはじめ10万円だったから、20倍の値上がりだ。あのとき1ビットコイン買っとけば、安いアパートが借りれたな。たぶん5年後くらいには1000万円まで価格が上がるな。0.01ビットコインいまからでも買っておこうかな。そうしないと人口知能のおかげで、これからますます人間の仕事になくなって、無収入で暮らさなければならなくなるから」
四日目に観たのはこんな夢だった。
この日も暑かった。俺は町の川の上を飛んでいた。ときどき手漕ぎボートが下の方に見えた。川幅がだんだん広くなり、やがて行く手に海が見えて来た。近くに広い砂浜があって、海水浴客がたくさんいた。浜茶屋のところでみんなアイスクリームを食べたり、ジュースを飲んでいた。砂浜ではビキニ姿の若い女性が肌を焼いていたり、ビーチバレーをやっていた。子供たちは楽しそうにスイカ割りをしていた。
海の向こうにテトラポットが見えたので、そちらへ飛んで行った。海は穏やかだった。海の上にくらげが浮かんでいた。すぐ向こうの方に小島が見えた。
「行ってみるか」
小島に向かって飛んで行った。太陽が眩しくて目を開けていられなかった。汗もたらたら出てくる。小島までの距離はわずかだと思ったけどかなり遠い。だんだんくたびれてきた。
ようやく小島の砂浜に辿り着いた。林の中から小鳥の声が聴こえてきた。観ると林の中に小さな家が建っている。窓が開いているので人が住んでいるのだ。
家には小さな庭があって、きれいな花が咲いていた。そのとき家の中から楽器の音が聴こえてきた。弦を上手にはじいて、きれいな音色だった。
「マンドリンか」
町の公園でも何度か聴いたことある。秋になると、町で路上コンサートがあるので、よく電線に止まって聴いていた。
林の中を飛んでいる小鳥たちも毎日マンドリンの演奏を聴いているので、みんなの鳴き声がとても美しい。夕方までその島で遊んで、日が沈まないうちに、また海を渡って帰って行った。
五日目はこんな夢を観た。
俺は町はずれにある精神病院の中庭の松の木の枝に止まっていた。
木の上から病院の窓を眺めていると、昨日、強制入院させられたひとりの元気そうなお婆さんが、窓の外を眺めていた。
とても機嫌がいいのか、部屋の中をいったり来たり、にこにこと落ち着きなく歩いていた。俺は窓のところへ飛んで行ってそのお婆さんの様子を眺めていると、丁度昼ごはんになり、お婆さんは俺を見つけると、パンをひとかけら手に持って、窓を開けてくれた。そしておれのすぐそばにパンのかけらを置いてくれた。少しジャムがついていたので、食べるととてもうまかった。
「明日もくれるかな」
そう思いながら、その日は帰っていった。
翌日の昼に、俺はまた病院へ行った。窓のところにお婆さんの姿があった。でもなんだか様子が変だ。落ち着きがないのは昨日と同じだけど、凄い目つきで大声を張り上げて機嫌が悪いらしい。同室の患者たちにケンカをふっかけているみたいだった。
「昨日とはずいぶん違うな。これじゃ、パンはくれないかも」
そう思ったけど、窓のところへとりあえず行ってみた。
でも当たっていた。お婆さんは俺を見つけると、内側からガラスをばんばん叩いて、俺を地面に突き落とそうとしているみたいだった。
「こりゃ、ほんとの病気だ」
あとで分かったけど、そのお婆さんは躁病患者だった。
六日目に観たのはこんな夢だった。
となり町の市立図書館の近くに、大きな池のある公園があった。夕方になって、みんな家に帰って行った。夜になってから、白髪頭のおじさんが、カップ酒を買ってきてベンチに座ってひとりで飲んでいた。家でもずいぶん飲んでいたのか、しまいにベンチに寝ころんで眠ってしまった。
カップ酒にはまだお酒が残っていたので、自分も飲みたくなった。枝からそっと降りて来て、眠っているおじさんに気づかれないように、容器の上に止まった。ぷんぷんお酒のいい匂いがするので、首を伸ばして飲むことにした。お酒は半分も残っているので、首を伸ばしたら届きそうだった。ところが不運にも足を踏み外してカップの中にぼちゃんと落ちてしまった。お酒で身体はびしょびしょに濡れるし、凄いアルコールの匂いで、すっかり酔っぱらってしまった。瓶の口は狭くて容易に飛び立てない。
「困ったどうしよう」
一時間もお酒に浸かっていると、おじさんが目を覚ました。
目覚めにカップのお酒を飲もうとしたとき、スズメが入っているので、びっくりして瓶を地面に落した。お酒と一緒に外へ出ることができたので、フラフラしながら空へ舞い上がった。でも気分がすごく悪かった。
七日目の夢は昨夜の夢の続きだった。
明け方、二日酔いで町へ戻ると、三階建てのアパートの前の電線にどうにか止まった。まだフラフラしていたので、電線から落ちないように頑張った。
朝になって、仲間のスズメたちの声で目が覚めた。
「やれ、今日も暑くなりそうだ」
考えてると、二階のアパートの窓からひとりの男がこっちを観ている。起きたばかりで寝ぼけまなこだ。
「アパートの中はクーラーがよく効いて涼しいだろうな。俺も一度でいいから人間の生活がしてみたいなあ」
ぼんやり考えていたら、電線から足をすべられせてしまった。きっと地面に落ちたのだ。そのあとの記憶はまったくない。ー
俺がそんな奇妙なスズメになった夢を観たのは一週間だったけど、自分の知らない人間のいろんな生活が見みれて、なんだかためになったような気がする。でもあのスズメはいったいどこへ行ってしまったのだろうか。
(未発表童話です)
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