2016年4月21日木曜日

人魚の子守唄

 その島は、本島からはずいぶん離れた島でした。砂浜は美しく、人々はしあわせに暮らしていました。
島の入り江に一軒の家がありました。その家には、漁師のおじいさんと小さな男の子が暮らしていました。
 ある日、おじいさんが漁から帰ってくると男の子にいいました。
「ぼうや、来てごらん。変わった魚を捕らえてきたよ」
 見ると、網の中に、けがをした幼い人魚の子どもがうずくまってふるえていました。
サメにでもおそわれたのか、からだのあちこちにはたくさんすり傷がありました。
「おじいちゃん、かわいそうだから家で介抱してあげようよ」
 何日かすると、人魚はすっかり元気になり、いつも男の子といっしょに遊びました。
 ある日、おじいさんが漁から帰ってくると、テーブルのうえに、たくさんの貝や魚が置いてありました。男の子にたずねてみると、人魚が海へ取りにいったことをはなしました。
 おじいさんは、それはありがたいことだと喜びました。けれども、おじいさんは、近いうちに人魚を沖へ返しに行こうと思いました。
「人魚はもうすっかり元気になったことだし、自分の家が恋しいだろう。きっと人魚のお母さんも、わが子が帰ってくるのをじっとまっているのにちがいない」
 ある晩、おじいさんは、男の子にそのことをはなしました。男の子はさみしい気持ちになりましたが仕方がないと諦めました。
 翌朝、おじいさんは人魚を船に乗せて沖へと向かいました。人魚はこれからこのおじいさんと男の子と永久に別れることになるとは知るよしもありません。
 やがて、おじいさんは、この人魚を捕らえた場所までやってくると人魚にいいました。
「お前のふるさとはこの海の底だから、気をつけてお帰り。そして、さみしく待っているお母さんの所へもどっていきなさい。もうお前とは会えないが、しあわせに暮らしなさい」
 人魚はそれをきいてとても悲しがりましたが、おじいさんのいうことをきいて、深い海の底へ消えていきました。
 何日かが過ぎました。男の子は、毎日さみしい思いでじっと海を見つめていました。もしかしたら、あの人魚がまたこの浜へもどってくるのではないだろうか。そしてまたいっしょに遊べるのではないか。
 けれども、生まれた海の底へ帰っていった人魚が、ここへもどってくることはなかったのです。
 月日が流れて、男の子はこの島の学校へ通うようになりました。
そして、いつも学校から帰ってくると、浜にきて、きょう習ってきた歌をうたっていました。
 そんなある日のことでした。男の子が浜でうたっていると、海の底から、あの幼い人魚が海面にそっと姿をあらわしたのです。
「あの子が歌っているんだわ。なんてすてきな歌だろう」
 人魚は、耳をすましてじっと聴いていましたが、そのうちに男の子にもう一度会いたいと思いました。けれども、ふと、お母さんのことばを思い出しました。
「お前を助けてくれた人たちは、ほんとうにまれな人なんだよ。大方の人間は大人になると冷酷になるから近づいてはいけない」
 そのことばを思い出すと、男の子のほうへ行くことができないのでした。しかし、人魚は男の子のやさしさを知っていましたから、お母さんのことばを振り切って浜へむかって泳いでいきました。
 海の中から、人魚のすがたを見つけた男の子が喜んだのはいうまでもありません。その日人魚は夕方になるまで、男の子とはなしをしたり、歌を教えてもらったり、たのしい時間を過ごしました。そして、潮が満ちる日には、いつもこの浜で遊ぶ約束をしました。けれども、幼い人魚との楽しい日々はそう長くは続きませんでした。
 ある日のことでした。本島からこの島へ、一隻の大きな貨物船がやってきました。
船が港についたとき、たくさんの船乗りたちが降りてきました。みんな夜になると、島の酒場で毎晩お酒を飲んでいました。そしてよっぱらっては宿へ帰っていきました。
 ある朝、数人の船乗りたちが散歩をしにこの浜へやってきたとき、浜の岩場でひとりで遊んでいる幼い子どもの人魚を見つけたのです。
船乗りたちは、あの人魚を捕らえて本島へ持って帰れば、いい金儲けができると思いました。そして慎重に近づいていくと、人魚を捕らえてしまいました。人魚は泣きながら、船乗りたちに連れて行かれてしまいました。
 しばらくして、男の子が浜へやってくると、悲しげな声が船の方から聞こえてくるので驚いて走っていくと、船に載せられる幼い人魚の姿をみつけました。
 夜になりました。男の子は、船乗りたちが船でお酒を飲んでいる隙をねらって船から人魚を救い出しました。
 そして、すっかり弱りきっている人魚を家へ連れて行きました。
おじいさんは、そんな人魚のすがたを見ると、こころを痛めながら介抱してやりました。そして男の子にいいました。
「お前にもこれでわかっただろう。人魚にとっては海の中が一番安全な場所なのだ。また船乗りたちがやってこないうちに、はやく沖へ返しに行こう」
 おじいさんは、翌朝早く、人魚をつれて海へ返しにいきました。そして男の子にはもう人魚のことは忘れるようにいいました。
 長い年月が過ぎました。
男の子は、りっぱな若者になると、仕事をさがしに島を出ていきました。おじいさんは、若者を見送りながら、本島で仕事をみつけてしあわせに暮らしてほしいと願っていました。
 それから何年かたち、仕事もみつけて、本島でまじめに暮らしていた若者が休暇をもらって島へ帰ってきました。
おじいさんは、久しぶりに若者の元気なすがたを見てたいへん喜びました。
 数日間、ふたりは、いろんなことを語り合いましたが、あしたは島を出て行く日でした。若者は夕焼けを見に、浜へ出てみました。この島で見る夕焼けの美しさは、むかしと少しも変わりません。若者は、ふと、子どもの頃に遊んだ幼い人魚のことを思い出しました。
「あしたはもう本島へ帰らなければいけない。だったら、もういちど子どものときに遊んだあの人魚が暮らす海の沖へ船で出てみよう。もしかしたら、人魚に会えるかもしれない。夜になるまでには時間があるから」
 そういうと、 船をこいで沖へ出てみました。風はなく、静かな波の上をゆっくりとこいでいくと、やがて沖へ出ました。若者は、船の床板に寝転びながら、こころの中でこの深い海のどこかで、あの人魚が元気に暮らしている様子を思い浮かべていました。
 そのうち、気持ちがいいので、うつらうつらと居眠りをはじめました。
やがて、夜空に白い月があらわれて、きらきらと星が美しく輝きはじめた頃、眠りの中で若者はすてきな夢を見ていました。それは、どこからか美しい歌声が聴こえてきて、目を覚ましてみると、むこうのしずかな海の上に、かわいい赤ん坊の人魚を抱いたあのときの幼かった人魚が、りっぱなお母さんの人魚になって、やさしい声で子守唄をうたっている情景でした。
その歌は、若者が子どものときに人魚に教えた歌でした。
 驚いたことはそればかりではありません。あちらの海の方からも、こちらの海の方からも聴き覚えのある歌声がきこえてくるのです。どの歌も、若者があの人魚に教えた歌ばかりでした。
若者は、しばらくそんなふしぎな夢を見ていましたが、やがて目が覚めると、夜も深くなっているのに気づき、浜へ帰ることにしました。
 船をこぎながら、若者はあの幼い人魚がりっぱな母親になっていることを思い浮かべながら、月明かりのしずかな波の上をゆっくりと帰っていきました。
 けれども、さっき若者が見ていたのは夢ではなかったのです。船が浜に近づきはじめた頃、海の底から、子どもの人魚を抱いた母親の人魚が、海の上に姿をあらわしました。そして、悲しげな様子でいつまでも若者がこいでいく船の方を見ていました。
 人魚は、あの若者が船の中で眠っていたとき、じっと船のそばにいて、なんども声をかけようとしたのですが、とうとういうことが出来ませんでした。人魚は船が沖へやって来たときから、すぐにあの若者が幼かった頃いっしょに浜で遊んだ男の子であることを覚えていたのです。
 母親になった人魚は、もう子どものときのように浜へ行ってあの若者と会うことも話すことは出来なくなりました。けれども、自分の子どもが大きくなって、人間のことを尋ねたときは、子どものときの楽しかった思い出を話してあげようと思いました。
  やがて、船は見えなくなりました。人魚の母親もまた海の底へ消えていきました。しずかな夜の海の上には、白い月とたくさんの明るい星がいつまでも美しく波の上に輝いていました。
 翌朝、若者は、おじいさんに見送られてこの島から出て行きました。






(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)



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