2015年8月25日火曜日

ピエロとマンドリン

 いつもサーカスで、へまなことばかりしてみんなを笑わせているピエロですが、じつはたいへん起用で、とても働き者なのです。ところがあるサーカスのピエロだけは、まったくの役立たずでした。
外見は普通のピエロと変わりませんが、中身もまったく同じでした。いつもぼーっとして空想に耽ってばかりいるのでした。
「もうすこし気を入れて仕事をしてもらわないと、このサーカスには置いてやらないぞ。クビだぞ」
 団長さんは、そういっていつもおびやかすのですが、ピエロにはまったく効果がありません。あいかわらずのサーカスのお荷物でした。
だけど、このピエロがどうしてこのサーカスにいられるか、それはただひとつ役立つものを持っているからでした。
 いつもサーカスがおわると、ピエロは、おんぼろなマンドリンを抱えて、テントの屋根にのぼり、ながいあいだ暗い夜空を眺めていました。このマンドリンは死んだおじいさんが持っていたものをお父さんから譲り受けたものでした。代々ピエロ一家で、いつもマンドリンを弾きながら、むかし流行った「サーカスの唄」や「美しき天然」の歌などを歌うのでした。
 やがて、夜も深くなった頃、雲の隙間からお月さまが現れました。
じつは、ピエロはこのときを待っていたのです。人にはまったく見えないのですが、ピエロの空想の世界では、お月さまの上には、マンドリンを弾く女神が座っているのです。そして、いつも静まり返った夜空にその美しいトレモロが鳴り響くのでした。
「今夜は、じつにみごとなセレナーデだ」
 ききほれながら、しばらく耳を傾けていましたが、やがて自分でも真似して弾いてみたくなりました。
普段は、仕事もなかなか覚えられないピエロでしたが、このときばかりは頭が働くのでした。
 何回か真似して弾いているうちに、すっかり覚えてしまいました。やがて、向こうの空がすこしずつ明るくなる頃には、月の姿もしだいに見えなくなり、女神もどこかへ消えていきました。
ピエロは、すっかり覚えたその曲を何回も弾いてみました。
そして、二番鶏が鳴く頃になると、自分の寝床へ戻っていくのです。
 朝になると、またサーカスの仕事がはじまります。
団長さんにたたき起こされて、ピエロは眠い目をこすりながら、楽屋へ行ってお化粧して仕事の準備をはじめます。
でもあいかわらずへまばかりで、いつも団長さんに怒られてばかりいるのです。
「きみの仕事は、お客さんを笑わせることなんだ。いつもぼーっと突っ立っていたのでは、だれも笑ってくれないぞ」
 いわれながら、空中ブランコから落っこちる芸をやるのですが、高いところが苦手なので、それも無理なのです。一輪車に乗る芸も何回やってもできません。馬や象に乗らせても、すぐに振り落とされてしまいます。
そんなふうなので、まったくサーカスでは使い物にならないのです。
 慌ただしいサーカスの仕事もようやく終わると、サーカスの芸人たちは、みんな自分たちの楽屋に帰っていきます。
「ああ、やっと一日がおわった。くたびれた」
 みんなそういって、お酒を飲んだり、お風呂に入ったり、晩御飯を食べたりします。そうやってくつろいでいると、いつものようにテントの屋根から、ピエロの弾くマンドリンの音色が聴こえてきます。
「おっ、また弾いてるな。でもいい音色だ、これを聴いてると今日の仕事の疲れもすっかりとれるからうれしい。そして夜はぐっすりと眠れるんだから」
 そういってサーカスの人たちは、みんないつもよろこんで聴いていました。
 その音色は、団長さんの部屋にも流れていきます。
「また、いつものマンドリンかっ。ピエロのやつ、マンドリンの腕だけはいいんだから。でも、もっと仕事のほうもしっかりやってくれないかなあ」
 団長さんはそういいながら、お風呂の中で疲れた身体をほぐしていましたが、そのうち、ピエロが弾く「サーカスの唄」が流れてくると、いつの間にか自分でもその歌を口ずさんでいました。
 
 旅のつばくろ(つばめ)
 寂しかないか
 おれもさびしい
 サーカス暮らし。
 
 とんぼ返りで
 今年も暮れて
 知らぬ他国の
 花を見た。

 団長さんは歌いながら、これまでの旅のことをいろいろと思い出しました。北海道から本州、四国、九州、沖縄まで、日本全国くまなく、このサーカスを引き連れて歩いてきました。
 そして、それらの土地のいろんな花も見ました。いろいろな町や村へも行きました。何回も行った町もありました。そして、その土地の人々をサーカスの芸でみんなを楽しませたのです。
 台風でテントが飛ばされそうになったり、大雪になって、みんなと山の中で野宿したこともありました。動物たちが病気になって、獣医さんを探しに、みんなで町中を駆け回ったこともありました。
 芸人たちはよく働いてくれます。みんな毎日疲れて眠りにつくまで働くのです。芸のすぐれた腕のいい芸人さんが特に好きでした。でも、みんながみんな腕の良い芸人ばかりでないことも知っています。
 そんなことを思っているうちに、団長さんの心の中でこんな気持ちが湧いてきました。
本当に仕事だけで人を評価するのは正しいことなのか。世の中には仕事をしたくても働く所がない人もいることです。また重い病気を患って働きたくても働けない人たちもいるのです。ほんとに生きてることだけでやっとの人もいます。とりたててなんの能力もないけれど、人に親切な人もいます。風変わりな性格でも、何かいいものを持っている人もいるのです。そんな人たちをどうやって評価したらいいのかまったく見当がつきません。
 そんなことを考えると、一概に仕事だけで人を評価するのはよくないことだと思うのです。もしかしたら、このサーカスのピエロもそういう人間のひとりかもしれません。
 団長さんが、そんなことを考えているあいだにも、テントの上からは、ピエロの弾く心地よいマンドリンの音色がいつまでも夜空に響いていました。

 


(文芸同人誌「青い花第23集」所収)


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