2016年12月5日月曜日

バイオリンが弾けたら

 50歳を過ぎたおじさんが、バイオリンを習ってみたいと思いました。
「でも、この齢になってからバイオリンなんて弾けるだろうか」
不安な気持ちで電話をかけてみました。
「だいじょうぶです。やる気があるのでしたら」
バイオリン教室の先生がいいました。
 翌日、仕事がおわってから教室へ行ってみました。
「楽譜も十分に読めないんですが、弾けるようになるでしょうか」
バイオリンの先生は、
「毎日練習していれば、楽譜も読めるようなります」
気を良くしたおじさんは、さっそく最初のレッスンを受けてみました。
 最初は、バイオリンの構え方と弓の持ち方の練習でした。
「バイオリンを弾くためには、まず正しい姿勢を身につけなければいけません」
先生に教えてもらって何度もバイオリンの構える練習と弓の持ち方を練習しました。
「背筋をちゃんとのばして、体をやや後ろに反らすように」
なんとかバイオリンの構え方はできましたが、弓がうまく持てません。
 バイオリンの弓は、親指と中指、薬指で持って、人差し指と小指は軽く添えるだけです。
「いや、むずかしいな。家に帰ったらたくさん練習しないといけないな」
 それから3か月間というもの、おじさんにとって最大の試練がはじまりました。いくらがんばっても弓がうまく持てないのです。だから、音を出す練習をさせてもらえません。毎週教室へ行くのが苦痛になってきました。
「今日は行くのやめようかな。今日は焼き鳥屋へよって酒でも飲もうかなあ」
ストレスが溜まってきたおじさんに、なまけ心が出てきました。
 ある日家でビールを飲んでいたとき、こんなことを思い出しました。
「そういえば、バイオリンの先生は、3歳からバイオリンをはじめたっていってたな」
そんなことを口にしながら、自分が3歳の頃のことを思い出してみました。
「おれが3歳のときは、毎日家の中で積み木をしたり、飼い犬のポチといっしょに、いつも泥だらけになって庭で遊んだりしてたな。それとくらべたら、バイオリンの先生はなんて高尚でレベルの高い幼年期を過ごしていたんだろう」
 おじさんはつぶやきながら、もっと早いうちからバイオリンを習っておけばよかったなあと後悔しました。
 でも、今からそんなこといったってどうしようもありません。なんとか今年いっぱいはまじめに通おうと思いました。だけど、現実は甘いものではありません。教室へ行っても、いつも弓の持ち方とバイオリンの構え方の練習ばかりです。
疲れてしまったおじさんは、思い切って先生にいってみました。
「お願いです。少しだけでいいですから、弾かせてもらえませんか」
すると先生は、
「だめです。基本的なことが出来てないうちは」
と怖い顔でいいました。おじさんは、がっかりです。
「やっぱり、齢とってからのバイオリンなんて無理なのかなあ。芸術の世界もきびしいものだなあ」と思いました。
 ある日、おじさんがゆううつそうな顔をしていたとき、友達から、クラシック音楽のコンサートのチケットをもらいました。それは、バイオリンリサイタルのチケットでした。
「本物の演奏を聴いたら、少しはやる気が出てくるかなあ」
 当日、おじさんが町のコンサートホールへ行くと、たくさん人が来ていました。おじさんは一番うしろの席に座って開演をまちました。
 やがて、美しいステージ衣装を身につけた、女性バイオリニストとピアニストがステージに現れました。拍手がおわると、演奏がはじまりました。
 その日演奏された曲はどれもおじさんがよく知っている曲ばかりでした。中でも、アンコールに演奏された、「ゴセックのガボット」を聞いた瞬間、やっぱりバイオリンを続けようと思いました。
「ゴセックのガボット」はおじさんが小学生のときに、レコード鑑賞の授業のとき、はじめて聴いたバイオリンの曲だったのです。
 おじさんは、コンサートから帰ってくると、押入れの中から、クラシック音楽のレコードを取り出してみました。
 その中にむかしの有名なバイオリニストたちの演奏を集めた復刻盤のレコードがありました。

クライスラー「愛の喜び」「愛の悲しみ」
ハイフェッツ「チゴイネルワイゼン」
ティボー「フォーレ子守歌、ドリー」
エルマン「タイスの瞑想曲、ユモレスク」
エネスク「サン=サーンス白鳥」
 
 録音は古いですが、どれも味わいのあるすぐれた演奏ばかりです。
解説書には、五人のバイオリニストたちの演奏会のときの写真が載っていました。みんな、背筋をちゃんとのばして、先生が教えてくれたように、きちんと同じ弓の持ち方をしています。おじさんは、それを見て気がついたのです。
「そうなんだ。バイオリンを上手に弾くためには、やっぱり正しい姿勢と弓の持ち方が大切なんだ」
おじさんはそう理解すると、また練習にやる気が出てきました。
そして、自分にいいきかせました。
「いまは苦しいけれど、これからもがんばって続けて行こう」
 翌日から、おじさんはまじめにバイオリン教室へ通いはじめました。
それから2か月後、努力のかいがあって、ようやく音を出すことを許されました。
今は、まだ初歩的な曲しか弾けませんが、数年後には、教則本に載っている「ゴセックのガボット」も弾けるようになるでしょう。
 おじさんは、毎日仕事から帰ってくると、夜遅くまで、バイオリンの練習に励みました。そして、懐かしい復刻盤のレコードを何度も聴きながら、
「早く、クラシックのいろんな名曲が弾けるようになりたいなあ」
と、今はそんなことを思っています。






(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)





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