2016年10月15日土曜日

クモの巣館

 忘年会が終わってすっかり酔っ払って歩いていた会社員が、信号待ちをしていたタクシーを拾いました。
「南町3丁目までお願いします」
すぐにうしろのドアが開いて、会社員を乗せてタクシーは走り出しました。
会社員はすぐにウトウトと眠り込んでしまいました。
 ごとんごとんー。
その音で眼が覚めました。
「なんだ。道路工事でもやってんのか、ずいぶんでこぼこ道だなあ。家まではきれいな道ばかりのはずなのに」
思いながら、ふと窓ガラスに目を向けました。
「あれ、おかしいな。真っ暗闇だ」
よく見ると、どこかの山道を走っているみたいです。月が少し出ていたので、うっすらと外の様子がわかりました。酔いも覚めてしまい、ふと運転席を見たとき、驚いてしまいました。
人が乗っていないのです。不思議です。運転手がいないのに、ハンドルだけが勝手に動いているのです。
「い、いったいこのタクシーは何んだ。まてよ、まさか。俺は夢を見てんじゃないだろうか」
そう思ってほっぺたをつねってみましたが、痛かったので夢ではないとわかりました。
 やがて眼の前に、明かりが見えました。こんな山の中に家があるのです。近づいて行くとそれは一軒の古びた洋館でした。ホラー映画に出てくるような不気味な館なのです。
 門を通って中庭へ入り、玄関の前でタクシーは止まりました。運転手がいないので、料金をソファーの上に置いて降りました。
「幽霊屋敷かな。困ったなあ。どうしよう」
考えていると、玄関のドアがギーと音を立てて自然に開きました。
ぞっとしましたが、会社員は今夜はここに泊めてもらおうと思いました。中に入ってみると、部屋の中は真っ暗で何も見えません。
 ふと、綿毛のようなものが顔にひっつきました。驚いてライターを取り出して火を着けてみるとびっくりしました。
「部屋中、蜘蛛の巣だらけだー!」
叫んでしばらくしたとき、部屋の奥で、キラリと何かが光りました。会社員は驚いて玄関から逃げようとしましたが、ドアには鍵が掛けられていて開きません。そのうち片方の足が蜘蛛の糸に絡んで歩けなくなりました。凄い粘着質の糸でなかな取れないのです。
 慌てていると、その光がゆっくりとこちらへ近づいてきました。
会社員は、はじめその光が何なのか分かりませんでしたが、ライターの火をもう一度着けたとき、その正体がわかりました。それは体長2・5メートルほどもある大蜘蛛の目だったのです。
「助けてくれー!」
会社員は、ライターの火で絡まった片足の糸をなんとか取り除いてしまうと、そばの地下室へ降りる階段の方へ走って行きました。その後を追って大蜘蛛がゆっくりと近づいてきました。
 ライターの火をたよりに、階段を降りて行くと、暗闇の向こうでも、また何かが光りました。
「まさか」と思ったとき、そばの蜘蛛の糸が身体に巻き付いて、まったく身動きがとれなくなりました。
 階段の上からはさっきの大蜘蛛がゆっくりと降りてきます。口ばしを小刻みに動かしながら、蜘蛛の巣にかかった獲物のすぐそばへやってきました。
 そして、動けなくなった獲物の身体をしっかりと6本の足で掴むと大きな口を開けました。鋭い牙がきらりと光りました。
「ああー、もうダメだ。食われるー!」
暗闇の中で、会社員の悲鳴は次第に聞こえなくなりました。・・・ 

 翌日の晩のことです。一組の礼装をした西洋人の夫婦が、ハンドルだけが勝手に動いている運転手のいないタクシーに乗って、この館から出て行きました。タクシーは町のオペラ館に向かっていました。
 タクシーの後部座席では、夫婦のこんな会話が聞こえてきます。
「昨夜はいい獲物だったね。大蜘蛛に変身したのがよかった。これからも同じ手でいこう」
 夫人も、
「そうね、コウモリや狼なんかに化けて、あちこち出歩くのもめんどくさいからそれがいいわ。でも、この国の男性の血は、トランシルヴァニアの男性より美味しくて驚いちゃった」
 亭主も、にこにこ笑いながら、
「わしもたっぷり頂いたよ。さあ、早く行こう、今夜のオペラが楽しみだ」
 タクシーはスピードを上げて走って行きました。 




(未発表童話です)



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