2016年3月9日水曜日

帰ってきたこいのぼり

 子どものこいのぼりが、家の屋根のうえでのんびりと泳いでいました。
「風さん、もっと吹いてくれよ。しなびてしまうから」
「まかせとけー」
すると、ピユーンと突風が吹きました。
「わあい、気持ちいい」
ところが、そのうちかみなりが鳴りだし、もっと強い風が吹きました。
「風さんー、強すぎるよ」
 空はみるまにまっ黒になって、雲の中からたつまきがあらわれました。
「うわあ、たすけてー」
こいのぼりは、竿(さお)からはずれて、空のうえにまいあがりました。ものすごく寒いうえに、まわりではピカピカとかみなりが鳴っています。
 そのとき、かみなり大王の声がしました。
「おまえ、へんな魚だな。食べられるのか」
「ぼくは、布でできてるから食べられないよ」
「なんだ。つまらないやつだな」
そういって大王は、こいのぼりを向こうの雲のうえへ、ぽいっと放り投げてしまいました。
「まったく、きょうのえものはつまらんものばかりだ。きょうは帰るとするか」
しばらくすると、空はきゅうに明るくなって太陽が顔をだしました。
雲のうえに浮かんでいたこいのぼりが、
「どうしよう。地上へ帰れないよう」といってかなしんでいると、向こうの雲のうえに高い塔がそびえたお城を見つけました。
「あっ、お城のてっぺんに竿があるぞ。あれにつかまろう」
雲の中の上昇気流にのって、こいのぼりはふわふわとお城の屋根にむかって泳いでいきました。そして、しっかりと竿につかまりました。
「よかった、これでいつものぼくのすがただ」
 翌朝、お城の王さまがへやの窓を開けるとびっくりしました。
「なんだ、ありゃ、へんな魚だな。どこからやってきたんだろう」
王さまは、こいのぼりを見ながら、
「最近は、おかしなものばかりやってくるな。以前は、風船に乗ったへんなおじさんがやってきて、地上で暮らすのが嫌になったからってもう十年以上もここでいそうろうしている。最近の地上は住みにくくなったのかな。雲のうえのほうが気楽でいいのかな」
やがて、王さまはこいのぼりにはなしかけました。
「おい、あんた。いつまでここにいるつもりなんだ」
「わかりません。ぼくの家がどこにあるのかけんとうがつきませんから」
しかたがないので、しばらくのあいだ、お城の屋根のうえで飼うことにしたのです。
ときどき王さまはこいのぼりのところへやってきて、パンくずをくれることもありました。
 ある日、どこかで見たことのあるおじさんが、窓からこいのぼりを見つけていいました。
「いやあ、ひさしぶりに見るこいのぼりだ。あんた、どこからやってきたんだ」
その人は、むかし世間をさわがしたあの有名な風船おじさんでした。行方不明だといわれていましたが、こんなところで暮らしていたのです。
「そうだったのかい、じゃ、ゆっくり休んでいきなよ。ここの王さまはいい人だから」
そんなわけで、しばらくのあいだこのお城でおじさんといっしょに暮らすことにしたのです。
 ときどきおじさんは、お城の倉庫からヘリウム風船をだしてきて、こいのぼりを連れてのんびりと空の散歩へ連れて行ってくれることがありました。
空を散歩しているといろんなものにであいます。
 あるとき、地上からへんな風船がのぼってきました。それは、上空の風や、気温、気圧、湿度などを測っている気象台のゾンデでした。毎日、高層気象台では、何回かこうしてゾンデを上げているのです。
 ところが、ある日、ゾンデが風船おじさんの風船にひっかかって、おかしなデータが入ってきたので気象台では大さわぎになりました。
さいわい、おじさんがすぐに気づいてゾンデを取り外したので、そのあとは正常なデータが入って来たので気象台の人たちもほっとしました。
 また、ある日のこと、軽井沢の高原の上を飛んでいたとき、浅間山が突然小規模の噴火をはじめました。火口から噴石が飛んできて、風船が何個か破れたことがありました。
 はじめて日本を離れて南の島へ行ったときには、海を泳いでいる二頭のくじらを見つけて、すぐ近くまで降下して眺めていたとき、くじらたちに塩水をぶっかけられたこともありました。
 さらに中国の万里の長城を越えて、広大なチベット高原を見降ろしながら、やがて、中国とネパールの国境沿いにそびえるヒマラヤ山脈の中で一番高いエベレスト山のすぐ近くまで行ったときには、雪山の洞穴から出てきた毛むくじゃらの雪男が、雪で顔を洗ったり、歯磨きをしている姿も見ました。
こいのぼりはそうやって、何日も空のうえで楽しく暮らしていました。
 ある夏の夜のことでした。お城で恒例の花火大会が開かれました。キラキラと星がかがやく夜空に、色とりどりの花火が打ち上げられました。
「わあー、きれいだな」
こいのぼりがうっとりと眺めていたとき、ふと、地上の家のことがぼんやりと浮かんできました。そして人のいる地上の家がこいしくなってきました。
花火を見ながらこいのぼりは、風船おじさんにいいました。
「ぼくは、やっぱり地上へ帰ることにします。お家の人たちが、みんなしんぱいしてますから」
風船おじさんはそれをきいて、
「残念だな。でも、あんたがそういうなら、しかたがないな。あしたおれが送って行ってやるよ」
「ありがとうおじさん。だけど、おじさんは地上へ帰らないの?」
風船おじさんは、それをきくと少しさびしそうな様子で、
「おらあ、死ぬまでここでやっかいになるつもりなんだ。地上での暮らしはすっかり嫌になってしまったからな。それに人にはあまりいいたくないけど、ずいぶん借金も残してきたからなあ。それから信用もさ。だけど、ときどきふるさとがこいしくなって、実家のすぐ近くまで飛んで行ったり、最後に飛び立った琵琶湖湖畔へも何回も行くことがあるんだ。それを空のうえから眺めているだけで十分しあわせなんだ」
風船おじさんは、そう話してくれました。そして、ここへ来てからはじめた趣味のことも教えてくれました。
 風船おじさんは、王さまからもらった天体望遠鏡で毎晩星の観測をするのが日課だということです。
夜になると、部屋の窓から星を眺めながら、将来は自分でロケットを作って、太陽系で一番大きな星の木星へ行きたいと思っているそうです。木星は地球の約318倍もの質量があり、将来はそこに住んで宇宙人相手にインベーダーゲームのお店を開きたいと思っているそうです。
 風船おじさんは、お城の倉庫で、自分で書いた設計図をもとにロケットを作り始めているとのことです。実現すればこんなにすばらしいことはありません。そのときはこいのぼりもいっしょに連れて行ってくれるそうです。
 翌朝になり、こいのぼりは風船おじさんに連れられて、お城からでていきました。
しばらく飛んでいると、向こうの空がきゅうに暗くなってきました。
「どうやら、あらしになりそうだ。しっかりつかまってろよ」
こいのぼりは、風船のへりにしっかりとへばりついていました。
 そのうち、雲の中に入ると、ものすごい突風が吹いてきてまわりの空気が寒くなり、ピカピカとかみなりが鳴りだしました。
そのとき、いつかのかみなり大王の声がきこえてきました。
「なんだ、またえものにもならないやつらが飛び込んできた。こんなところにやってきておもしろいのかな。よおーし、すぐにここからおいだしてやろう」
かみなり大王は、いきおいよく風船にむかって息を吹きかけました。
「うわあー!」
風船がぐらぐらゆれて、地上へむかって急降下をはじめました。
「ダウンバーストだ。しっかりつかまってろよ」
しかし、風船はそうじゅうがきかずに、またたくまに地上へ落ちていきました。こいのぼりは、じっとへばりついていましたが、しばらくすると意識をうしなってしまいました。
 こいのぼりが目をさましたのは、ずいぶん時間がたってからでした。お日さまがかんかんてっている草むらの中でした。
向こうから声がきこえてきました。
「あっー、ぼくんちのこいのぼりだ。こんなところにいたのかー」
その子はこいのぼりの持ち主でした。
こいのぼりは、男の子に連れられて家に帰っていきました。とっくに一年が過ぎていましたが、今日は5月5日の子どもの日でした。
すぐに、家の竿につけられると、以前のように空に浮かびあがりました。
「やっぱり、ここがいちばん居心地がいいな」
こいのぼりがそういっていたとき、向こうの空のうえを、のんびりと飛んでいくヘリウム風船を見つけました。
「あっー、風船おじさんだ。あらしをうまくきりぬけたんだな」
しばらくすると、風船おじさんはこいのぼりに気づいて、手をふってくれました。
こいのぼりも、大きくしっぽをふってこたえました。






(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)



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