2016年1月29日金曜日

かりゅうどと白鳥

 ふかい森のはずれに、澄んだうつくしいみずうみがありました。
冬のきせつになると、とおい北の国から、たくさんの白鳥たちが、このみずうみにやってきました。
 ある日、ひとりのかりゅうどが、猟をおえて、このみずうみのほとりをとおりかかったとき、足をひきずっている、一羽の白鳥を見つけました。
「きっと空からまいおりたとき、足をくじいたんだな」
かりゅうどは、みずうみの中へはいっていくと、白鳥をとらえて、手当てをしてやりました。
白鳥は、手当てをうけると、空へまいあがり、どこかへとんでいきました。
 ゆきが降ったある朝、かりゅうどは、いつものように森のなかへ、猟にでかけていきました。
ゆきがつもった森の道を、しばらく歩いていくと、のうさぎが一匹、ゆきの中にはえている草をたべていました。
 かりゅうどは、木のうしろに身をかくすと、のうさぎにねらいをさだめてひきがねをひきました。
(ズドーン!)
 ところが、たまはよこにそれて、のうさぎは森の奥へにげていきました。かりゅどは、にげたのうさぎをおって、森の奥へ歩いていきました。でも、なかなかのうさぎを見つけることはできませんでした。
 気がつくと、かりゅどは、ずいぶん森の奥までやってきていました。
「しかたがない、ここらで、引き返すとするか」
そうつぶやいたとき、空から、ちらちらとゆきがふってきました。
しばらくすると、ゆきはだんだんと、はげしくなってきました。
 かりゅうどは、じぶんがつけてきた、足あとをたよりに引き返えしていきました。ところが、ゆきがあまりにひどいので、すっかり足あとは消えていました。
「よわったな、どちらへいけばいいのか、わからなくなってしまった」
やがて、ゆきは、ますますひどくなり、1メートルさきも見えなくなりました。
 かりゅうどは、すっかり道にまよってしまったのです。
「しかたがない。ゆきがやむまで、あの木のしたで休むことにしよう」
 かりゅうどは、木のしたにすわりこむと、ひたすら、ゆきがやんでくれるのを待っていました。
身をきるような寒さに、かりゅうどは、じっとたえていましたが、ゆきはいっこうに、やむけはいはありません。
もしも、あすの朝まで、ゆきがふりつづいたら、かりゅうどは、ゆきにうもれて死んでしまいます。
「きっと、この森で、たくさんのけものの命をうばった、ばちがあったのかもしれない」
かりゅうどは、そんなことを思いながら、ただじっとすわりこんでいました。
 やがて、寒さのために、いしきがもうろうとしてきて、目がかすんできました。
するとそのとき、ふりしきるゆきのなかに、白いきものを身につけた、うつくしいおんなの人のすがたが見えました。かりゅうどは、夢ではないかと、なんどもじぶんの目をこすってみました。
しばらくすると、そのおんなの人は、ゆっくりと、かりゅうどのほうへちかよってきました。
「わたしのあとから、ついてきなさい」
かりゅうどは、そのおんなの人のいうままに、あとからついていきました。
しばらく歩いていたときです。ふと、おんなの人の右足に、ほうたいのようなものが、まきつけてあるのに気がつきました。
(もしかして、このおんなの人は)
けれど、それいじょうのことをかんがえている余裕など、そのときのかりゅうどにはありませんでした。
 やがて、森のむこうが、すこしずつ明るくなってきました。そして、ゆきも、さっきよりもよわまってきたようにおもいました。
そのとき、目のまえに、ぼんやりとみずうみが見えました。
「たすかった、いつもとおっている、みずうみだ」
かりゅうどは、うれしそうに、みずうみのほうへかけていきました。
ところが、さっきまで、道あんないをしてくれた、あのおんなの人のすがたが、どこにもありませんでした。
 かりゅうどが、ふしぎそうにぼんやりとかんがえていたとき、むこうのみずうみのほとりから、一羽の白鳥が、灰色の空にむかって、すーっととび立つすがたを見つけました。
 白鳥は、かりゅうどのほうを一度ふりかえると、北の空にむかってゆっくりととんでいきました。





(自費出版童話集「白馬の騎士とフリーデリケ」所収)


2016年1月22日金曜日

アコーディオン物語

 私はもう三十年も前に作られたアコーディオンです。当時の値段で十万円でした。仲間のアコーディオンたちと同じ工場で作られたのです。みんな今頃どんな所で使われているのか、久しぶりに会ってみたいなあとときどき思うことがあります。
 私は仲間のアコーディオンたちと別れてから、ある町の楽器屋さんの陳列棚に置かれました。このお店には、ほかにもピアノやエレクトーン、ドラム、フルート、トランペット、クラリネット、それにギターやマンドリン、ヴァイオリンなども取り扱っていました。
 このお店には2週間くらいいましたが、ある日、一人のお客さんに買われました。その人はサラリーマンで、仕事が休みのときはいつも自分のアパートの中で弾いてくれました。最初の頃はうまく弾けなくて、いらいらしたあげく私の体をバンバンと叩くこともありましたが、日に日に上手くなってからは、そんなことはしなくなりました。
 その人は、昔の歌謡曲やフォークソングなどをよく弾いていました。
 上達してからは、会社の忘年会や新年会に私を連れて行ってくれて、みんなの前で演奏したこともありました。私も美しい音色を響かせたものです。
 ところが、仕事が忙しくなってからは、少しも弾いてくれなくなりました。私はいつも部屋の片隅に置かれるようになりました。
「もう一度、音を出したいなあ」
私はいつも思っていました。
 ある日、アパートに友だちが尋ねて来ました。
「仕事が忙しくて弾かないのだったら、おれに安く譲ってくれないか。家の子供に弾かせたいから」
といいました。
 サラリーマンの人はすぐに承知して、その友人に安い値段で売ってあげました。私はこのアパートを出ることになったのです。
 数日してから、私は新しい家で、その家の子供さんに弾かれるようになりました。
 その子は、大変練習熱心でしたから、毎日弾いてくれました。でも、その子の体には少し大きすぎるのか、蛇腹を開くのにいつも苦労しているようでした。その子の弾く曲は、童謡やアニメソングばかりでしたが、いつも楽しく弾いてくれました。
 そして自分の誕生日には必ず、家族の人の前で弾きました。わたしも大変ご機嫌でした。
 そうやって数年間、私はこの家で暮らしていましたが、その子がピアノ教室へ通うようになってからは、いつもピアノの練習ばかりするようになって、私はまた部屋の隅で暇な毎日を送っていたのです。
 あるとき、お父さんが「取り引き先の会社で楽器をやりたがっている人がいるからこのアコーディオンを譲ってあげよう」といいました。
 その子も賛成したので、私はこの家を出ることになりました。
 次の家の人も、よく私を弾いてくれました。でも、ぜんぜん素人で楽譜も読めないので、最初はずいぶん変な音ばかり出していました。
 仕事が休みの日は、いつも近くの河原へ行って練習していました。でも、何年かしてその人の会社が不景気で倒産してしまうと、その人も失業してしまいました。
 ある日、いつもの河原でアコーディオンを弾いていると、チンドン屋さんがそばを通りかかりました。男の人はチンドン屋さんに雇ってもらことにしました。
 チンドン屋さんの衣装を借りて、一緒にいろんな町を歩くことになりました。冬の日も、夏の日も、あちこちを歩き回りました。
 私は冬の寒さには平気ですが、夏の暑さは苦手なんです。鍵盤の部品には蝋(ろう)が使われているところがあるので、強い日射で溶けてしまうこともあるのです。
 この町では、年に一度全国のチンドン屋さんがあつまって大会をするイベントがありました。たくさんのチンドン屋さんたちの中で、わたしも大きな音を出して歌いました。
「ひょっとして、昔の友だちがいるかもしれない」
 周りを見渡しましたが、あいにく知っているアコーディオンの友だちはいませんでした。でも、外国製の珍しい木製のアコーディオンや、蛇腹がものすごく伸びるバンドネオンを弾いてる人もいて、たくさんの友だちができました。
 一台の木製のアコーディオンは、むかしパリの街に住んでいて、街頭でいつもシャンソンを弾いていたそうです。「パリの空の下」、「アコーディオン弾き」、「パリのお嬢さん」などをいつも弾いていたそうです。
私も話を聞きながら、一度でいいからパリへ行ってみたいなあと思ったりしました。
 賑やかなイベントが終わると、翌日からはいつものようにチンドン屋さんの仕事をしました。毎日楽しく仕事をしていましたが、、あるとき、親方が病気になってからはこのチンドン屋は突然、廃業してしまったのです。
 男の人はまた失業してしまいました。でも、それからすぐに次の仕事を見つけることができました。
 ある日、公園のベンチに座ってアコーディオンを弾いていると、今では珍しい紙芝居のおじいさんが自転車を引いてやってきました。
荷台から、紙芝居の道具を取り出して準備が終わると、拍子木を打ち鳴らしました。公園にいた子供たちが母親に連れられてやってきました。
みんな揃うと、さっそく紙芝居の始まりです。
出し物は今では珍しい、「黄金バット」と「少年タイガー」を観せてくれました。
 おじいさんの流暢なおしゃべりにみんなひきつけられるように聞いています。
 紙芝居が終わると、男の人はおじいさんのそばへ行きました。
「面白かったです。私の伴奏があればもっと稼げますよ」
「そうだなあ。音楽が入っていると、もっと雰囲気がでるな。じゃあ、やってもらおうか」
話がまとまって、次の日から、町々を一緒に歩くことになりました。
男の人がいったように、どの町でもすごい人気でした。
 でも、このおじいさんも、やがて商売が出来なくなって廃業になりました。
 ある日、この町に小さなサーカスがやって来ました。「従業員募集・楽器が弾ける方」の張り紙がテントの柱に付けてありました。
男の人は行ってみました。アコーディオンが弾けるので雇ってもらえました。
 このサーカスは全国のいろんな町へ興行に行きました。フェリーで海峡を渡っているときでした。
海がシケて船酔いに悩まされたことがありました。船室で静かに寝ていたとき、気晴らしに男の人がデッキで、アコーディオンをみんなの前で弾きました。空は青くて、海の眺めもきれいでしたが、私は気分が悪くて、いつものような陽気で明るい音は出ませんでした。
「おかしいな、音が変だぞ、こわれたのかな」
男の人はそんなことをいっていました。
 このサーカスで評判なのは、空中ブランコでした。

  ♪    空にさえずる 鳥の声
   峯(ミネ)より落つる 滝の音
   大波小波 とうとうと
   響き絶やせぬ 海の音 ♪

「美しき天然」の伴奏で、軽業師がブランコに乗って芸をします。私は音を出しながらその芸をいつも下から眺めていました。でも、よくあんな高い所で芸ができるものだなといつも感心していました。
 このサーカスには5年ほどいましたが、そのうち、サーカスが大きくなって、プロの楽団が入るようになってから、アコーディオンの伴奏はいらなくなりました。
「もう君は必要なくなった」
団長にいわれて、男の人はサーカスを辞めることになりました。
 ある日、男の人が公園のベンチでアコーデオンを弾いていると、知らない人に声をかけられました。
その人は、この町のフォークダンスサークルの会長さんでした。
「上手いもんだ。どうだい私のサークルに入ってくれないかい。これまで伴奏してくれた人が高齢で弾けなくなったから、代わりの人を探していたんだ」
「いいですよ。じゃ、やりましょう」
男の人は、今度はフォークダンスサークルの伴奏者になりました。
 ある日の日曜日、サークルの人たちと一緒に、山の高原へ行くことになりました。その日は、全国のフォークダンスサークルの人が集まるお祭りで、みんなと一緒に自動車で出かけていきました。
山道を登りながら、車のトランクに積まれた私は、あまりゆれるので、また気分が悪くなったりしました。
 やがて、美しい高原が見えてきました。色とりどりの美しい花が咲いていて、ぷんぷんといい匂いがしてきました。
行く手に、たくさんの車が見えました。そしてたくさんの人の姿も見えました。みんなチロルの民族衣装を身に着けて、お祭りがはじまるの待っているのです。
 お祭りの会場に到着すると、会長さんが男の人をみんなに紹介しました。
 そのときでした。どこかから声が聞こえてきました。
「おーい、久しぶりだな。おれだよ」
振り向いてみると、一台のアコーディオンでした。昔同じ工場で作られたアコーディオンでした。
「いやあ、このサークルにいたのか。ひさしぶりだな」
 そういっていると、別の方からも声がしました。
「おーい、覚えているかい。おれだよ」
 そのアコーディオンも昔同じ工場で作られた製品でした。どのフォークダンスサークルのアコーディオン伴奏者も年配者ばかりだったので、当時売られていた同じ製品のアコーディオンをみんな使っていたのです。
久しぶりの再会に、私たちはその日一日、楽しく語り合いました。
 このフォークダンスサークルでは、月に何回か、デイサービス施設や、老人ホームなどへ慰問にいったり、夏は、高原で、バーベキュウー大会をやったりしているのです。
 高原のきれいな空気を吸いながら、フォークダンスを踊るのはとても気持ちがいいものです。
 男の人は、高原のきれいな空気を吸いながら、さらに演奏も上手くなり、友達もたくさんできて、今でもそのサークルでアコーディオンを弾いています。







(未発表童話です)


2016年1月13日水曜日

そよ風のお話

 机の上に、図書館から借りてきた本が置かれていました。でも、この家の主人はいつになっても読んでくれません。最初のページが開いたままなのです。
それは毎日楽器の練習で忙しいからでした。
 季節がまた悪いのです。ちょうど秋の頃で、演奏会がたくさんあって、本なんて読んでいられないからです。
返却日が近づいてきたのにまだ読んでいません。あいかわらず、隣の部屋から音楽が聴こえてきます。
「やっぱりだ。また、無駄な時間を過ごしてしまった」
あきれたように本はいいました。
「こんなことだったら、図書館にいた方が、どんなにかみんなのためになっただろう」
 ある日、開いた窓のカーテンがゆれて、そよ風が入ってきました。
そよ風は、本のページをめくってみました。
「うん面白い。全部読んでみよう」
そよ風は、ぺらぺらとページをめくっていきました。
全部読んでしまうと、そのお話を誰かに話したくなってきました。
 そよ風は、外へ出て行きました。庭を通って近くの原っぱへ行きました。子供たちが遊んでいました。
「面白くてすてきなお話を聞かせてあげましょう」
子供たちは、はじめ退屈そうに聞いていましたが、やがてそのお話に興味を持ちはじめました。
子供たちは聞き終わってから、そよ風にもっとお話が聞きたいといいました。
「図書館へ行けばいろんなお話が読めますよ」
そういってそよ風は、べつの場所へ行きました。
 川のうえを通り過ぎていくと、ある岸辺に、お百姓さんがいました。
「面白くてすてきなお話を聞かせてあげましょう」
「いまいそがしいから、いいよ。家に子供が二人いるから、子供たちに聞かせてあげなよ」
そよ風は、お百姓さんの家に行きました。
 家の中で子供たちがテレビを見ていました。そよ風は、窓から入っていくと、子供たちにいいました。
「テレビよりも、もっと面白いお話を聞かせてあげましょう」
「ええ、どんなお話」
 そよ風は、はなしてあげました。
「面白い、もっと聞きたいな」
「つづきは図書館へ行けば、読めますよ」
「そう、じゃあ、明日いってみよう」
 そよ風は、その家から出て行きました。
 次に行ったのは、町でした。
 町の公園に、おじいさんがベンチに腰掛けていました。
「面白くてすてきなお話を話してあげましょう」
「そりゃ、ありがたい、話してくれ」
 そよ風は、話してあげました。
「ほう、いい話だな。その話を友だちの絵描きさんにも話してあげなさい」
そよ風は、公園の近くに住んでいる絵描きさんの家に行きました。この絵描きさんは、毎日アトリエで絵を描いていました。
 そよ風の話を聞いているうちに霊感が浮かんできました。
「いやあ、いい話だ。絵のアイデアが見つかった。すばらしい絵が描けそうだ。ありがとう」
絵描きさんは、さっそく絵筆を持ちました。
そよ風は、そのあとも、いろんな所へいって、お話を聞かせてあげました。
 ある家に、売れない作曲家が住んでいました。
そよ風は、その作曲家にもお話を聞かせてあげました。
「そのお話のストーリーでミュージカルが書けそうだ。ありがとう、今夜からさっそく仕事をはじめよう」
 何年かたってから、この町の劇場で、そのお話をもとにしたミュージカルが見事に上演されたということです。





(平成28年1月 文芸同人誌「青い花」ホームページに掲載)



2016年1月6日水曜日

湖とマンドリン

 むかし、イタリアのある村に、若いお百姓さんがいました。いつも仕事もしないで、山の湖に出かけてはマンドリンを弾いていました。
 あるとき、湖の中から音楽が聴こえてきたので、そっと水の中を覗いてみると、深い湖の底で、美しい娘が岩の上に腰かけてマンドリンを弾いていました。
「ああ、なんてすてきな響きだ。一度でいいからあの娘といっしょに音楽を奏でたいものだ」
 次の日も、湖のほとりでマンドリンを弾いていると、水の中から音楽が聴こえてきました。今度はその音色は一つではなく、何人かの弾き手によって奏でられていました。
「これは、みごとなものだ。おいらも仲間に入るとしよう」
 お百姓さんはなにを思ったかマンドリンを携えると、さっと水の中に飛び込みました。そして深い湖の底に沈んで行きました。
 日が沈み、やがて夜になりました。
家ではお袋さんが息子の帰りを待っていました。だけどいくら待っても帰って来ないので、心配したお袋さんは、近所の家を回って尋ねてみました。しかし、誰も息子の行方を知りませんでした。
 やがて、ひと月がたったある日のことでした。近所のお百姓さんがあわてて家にやってきました。
「あんたとこの息子さんが、ずぶぬれになって山の湖のほとりで倒れているんだ」
 お袋さんが、おどろいて山の湖へ行ってみると、息子が気を失って倒れていました。ところが家に連れて帰って目をさました息子は、とつぜん変なことをいい出しました。
「マンドリンの弦が切れたので取りに帰ってきた」
 お袋さんは、何の事だか分からずにいましたが、翌朝、息子はまたどこかへ出かけて行きました。お袋さんは、またあちこちへ探しに行きました。でも息子の行方はわかりませんでした。
 それからまたひと月がたったある日のこと、山の湖のほとりで倒れているところを見つけられました。
そして今度はお袋さんに、
「五線紙ノートが足りなくなったので取りに帰ってきた。明日また出かけるから」
といいました。
 お袋さんはこのときとばかりに息子に問いただしてみると、息子はこんなことをいいました。
「おいらは、あの山の湖の底にある王さまの宮殿で暮らしているんだ。それは美しい宮殿で、いつもその宮殿の居間では音楽会が開かれているんだ。ヴァイオリン、ビオラ、チェロの三重奏やピアノの独奏演奏、また美しい声楽のコンサートも開かれてる。おいらも、マンドリン楽団に入団してみんなといっしょに合奏を楽しんでいる。あるとき王さまが、これまで聴いたことがないような美しい新作が聴きたいから誰か曲を書いてくれ。書いてくれた者には金貨を授けよう。それで自分が以前書いた曲を持っていくと、王さまにたいへん褒められた。そんなことが何回もあるうちに、今はその宮殿で作曲の仕事をしている。それに百姓やっているよりも、うーんと報酬がいいから」
と息子はいいました。
そして王さまからもらったご褒美の金貨を十枚お袋さんに渡しました。
 お袋さんは、その金貨を見ておどろきましたが、
「そんな知らないところでこれからもやっていけるのかい。家で百姓やっているほうが気楽じゃないか」
といいましたが、息子は、
「百姓仕事はおいらには合わない。音楽やってる方が楽しんだ」
といって、翌朝にはまた山の湖へ出かけて行きました。







(つるが児童文学会「がるつ第34号」所収)