2015年7月24日金曜日

たこ八のぼうけん

 ある日、たこ八が海の中の岩場で遊んでいると、真っ白いからだをした自分とそっくりなたこのともだちが、海面からおりてきた。
「おまえは、いったいだれだ。なんて名前だ」
 ところが、何もいおうとしないので、腹が立ったたこ八は、ぐいっとそのたこのからだをつかんでやった。それが、たこ八にとっては大きな失敗だった。
いきおいよく、そのたこといっしょにつりあげられて、硬いコンクリートのうえにたたきつけられた。そして、すぐにクーラーボックスの中へ入れられてしまった。
 狭苦しいクーラーボックスの中で、たこ八がぶるぶると震えていると、クーラーのふたがとつぜん開いて、ほかのたこが入ってきた。たこ八は、ぽーんとジャンプをすると、まんまとそとへ出ることに成功した。そして、大急ぎでその場から逃げていった。
ところが、あわてていたたこ八は、海とは反対の方向へ逃げていったのだ。
 たこ八がやって来た所は、ある漁師さんの家の中庭だった。
けれども、その家にはかい猫がいて、たこ八は、またまた逃げださなければならなくなった。
 たこ八は、すぐにかい猫に見つかって、さんざん追いかけまわされたあげく、爪でからだをあちこちかきむしられて、命からがら、どうにかその家から出て行くことが出来た。
「おれは、このさき、どんなひどい目に会うかわかんないな。海はどっちなんだい」
 たこ八が、アスファルトの道を歩きながら、そんなひとりごとをいっていたとき、むこうからとてつもなくでっかい車が走ってきた。
「ゴーーー、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーーーーーーーーーッ!」
 それは、超大型のトレーラーで、猛スピードをあげて、たこ八のほうへむかってきた。おどろいたたこ八は、大急ぎで、よこの草むらの中へ飛び込んだ。もしも、あんな大きなトレーラーにひかれたら、いまごろたこ八は、たこ八せんべいになっていたかもしれないのだ。
 草むらの中で、たこ八が、しばらくがたがた震えていたときだった。
空の上から、大きな手がのびてきたかと思うと、その手でぐいっと捕らえられてしまった。
 たこ八が、おどろいて目をあけてみると、そこには髪の毛がぼさぼさで、ひげをぼうぼうに生やした、変な匂いのする、汚い服を着たおっさんが立っていた。
 たこ八は、乞食のおっさんに捕まってしまったのだ。
 乞食のおっさんは、にやにや笑いながら、
「きょうは、ついてるのおー、さっそく飯にしようかのおー」
といいながら、うれしそうに歩きはじめた。
 乞食のおっさんは、陸橋の下の自分のすみ家へやって来ると、さっそく火鉢に火を起こしはじめた。
そして、火力が出てくると、その上にあみをおいて、たこ八を乗せたのだ。
「あっ、ちちちちちちちちちちちちちちちーーーーーーーーーーっ!」
 たこ八は、あまりの熱さに、あみの上から飛びはねた。十メートル以上は飛びはねたと思う。
 たこ八が空の上で、あわてふためいていると、一羽のからすがまいおりてきた。そして、たこ八のからだをしっかりとつかむと、松林のほうへ飛んでいった。
 たこ八は、こんどはからすに捕まってしまったのだ。でも、焼きだこになるよりはましだった。
 からすは、たこ八をつれて、自分のすみかへむかいはじめた。
しばらくしてから、こんどは、一羽のトンビがからすめがけて飛んできた。
おどろいたからすは、たこ八を、おもわず下へ落としてしまった。
くるくるとまわりながら、たこ八が落ちた所は、海の見える旅館の池の中だった。
 池の中で、たこ八がぼんやりしていると、飼われていたコイたちがやってきた。
「おまえ、宇宙人か。どこの星からやってきたんだ」
 コイたちは、めずらしそうにたこ八を見ていった。
「違う、おれは、海からやってきたんだ」
 たこ八が、コイたちに、これまでのいきさつをはなしてやると、みんな気の毒に思い、なんとか、たこ八を海へ帰してやろうと思った。
 そのとき、むこうの家の方から、ピシャン、ピシャンという水の音が聞こえてきた。
「あれっ、ひょっとして、むこうは海かな?」
 たこ八は、池の中から飛び出ると、いそいで、水の音のする方へ歩いていった。
すると、白いけむりがたちこめた中に、なつかしいともだちのすがたが、ぼんやりと見えた。
 たこ八は、おおよろこびで、みんなのいる方へかけていくと、水の中へ飛び込んだ。
「あちちちちちちちちちちちちちちちちちーーーーーーーーーーっ!」
 ところが、たこ八は、あわてて外へ飛び出した。たこ八が入ったのは、旅館の露天風呂だった。たこ八は、もうすこしで湯でだこになるところだった。
そして、湯ぶねに入っていたのは、この旅館にとまりに来ていた、頭のはげた老人会のじいさんたちだった。じいさんたちは、ずいぶんお酒を飲んでいたから、たこが湯ぶねに入ってきても、さしておどろきもしなかった。
たこ八は、じいさんたちに捕まらないように、急いでその場から逃げようとしたとき、露天風呂の岩づたいに、一匹のかにが歩いているのに気がついた。
「やあっ、かに君、きみは、海からきたのかい」
 たこ八の声をきいて、かには、「そうだよ、いまから海へ帰ろうとおもってね」
 かには、よくこの露天風呂へやってきては、自分のからだの汚れを落としていくのだった。
 たこ八が、岩づたいに、かにのあとを追ってついて行くと、やがてむこうの方に、なつかしい青い海が見えてきた。
「やった、海だ。ほんものの安全な海だ」
 たこ八は、目がしらを、あつくさせながら、思わずそうさけんだ。
 近づいていくと、潮のにおいがしてきた。耳をすますと、波の音も聞こえてくる。
 たこ八は、かに君になんどもお礼をいった。
「かに君、どうもありがとう。きみのおかげで、おれの寿命もまだまだ伸びそうだ」
 たこ八は、そういうと、波が打ち寄せている岩場へと走っていった。そして、にこにこ笑いながら海の中へ入っていった。

 


(自費出版童話集「白馬の騎士とフリーデリケ」所収)


2015年7月22日水曜日

コウノトリのおばさんの手助け

 ある日、コウノトリのおばさんの住む森の家に一通の手紙が届きました。
―このたび、わたくしたちめでたく結婚しました。赤ちゃんを届けてください。どうぞよろしくお願いいたしますー 
お百姓の夫婦よりー
 おばさんは読み終えると、さっそく赤ちゃんたちのいる育児室へいきました。
「あしたは早起きしなくちゃね、手紙をくれた若い夫婦の家は五つ山を越えた所にあるのだから」
 翌朝、コウノトリのおばさんは、赤ちゃんを入れた籠(かご)をもって出かけていきました。
すいすい空を飛んでいくと、やがてむこうの原っぱに、いっけんの家が見えてきました。
「あの家だわ」
 コウノトリのおばさんは、籠の中で眠っている赤ちゃんを起こさないように、しずかに降りていきました。
 その家には、若い新婚さんが暮らしていました。
奥さんは家の中でお掃除の最中、だんなさんは広い畑でトラクターに乗って畑をたがやしていました。
「さてと、玄関のところに置いておきましょう」
 コウノトリのおばさんは、籠の中に、『赤ちゃんを可愛がってあげてください』と手紙を添えておくと、この家から出て行きました。そしてまたすいすいと空をとびながら、じぶんの家に帰っていきました。
 ひと仕事を終えてほっとしたおばさんは、お湯をわかして紅茶を入れていっぷくしました。
だけど、おばさんは、最近よく嘆いていることがあるのでした。
それは、人間の赤ちゃんの依頼がむかしと比べてずいぶん少なくなったからです。
 ある国では若い人たちがぜんぜん結婚しないので、おばさんの仕事も減りました。
昔だったら、日に何回も赤ちゃんを届けにあちらこちらの国へ行く大忙しでしたが、それが最近では目に見えて減ってしまったのです。
 「これじゃ、暇すぎてわたしもはやく老け込んでしまうわね…」
 ある日、おばさんの家に変わった手紙が届きました。
―コウノトリのおばさん、お願いがあります。わたし独り者ですけど赤ちゃんが欲しいのです。届けてくださいー
海の家に住む女性よりー
コウノトリのおばさんは、その手紙を読んで、
「まったくへんな手紙だこと、いまの人は何を考えているのかしら」
とあきれてしまいました。
「でも、いったいだれかしら」
 おばさんは、翌日、その手紙の送りぬしのところへいってみました。
東の山を四つ越えた、海の見える砂浜に小さな家がありました。
その家には、事故で夫を亡くした若い女の人がひとりさびしく暮らしていました。毎日、満たされない生活になやんでいたのです。
それでも子供の頃から好きだった趣味の絵を描いたり、本を読んだりしてさみしさをまぎらわせていました。けれども、やはり子供がいないので生きる気力をすっかりなくしていたのです。
「なんて、かなしそうなようすでしょう」
 おばさんはそれをみると、何とかしてあげようと思いました。
でも、夫のいない女性にこどもを持っていくことはできないのです。
おばさんは、どうすることもできずに帰っていきました。
 ところが、二、三日してから、郵便受けの中にこちらも変わった一通の手紙が入っていました。
―子犬を一匹お願いします。独り者でたいくつしてますからー。どうぞよろしくお願いいたします。
山で暮らす男よりー
 その手紙をくれたのは、山の高原に住む、ちょっと変わった詩人さんでした。
詩作の合間に、庭の畑で野菜を作ったり、野山を歩き回って山ぶどうやあけび、スグリなんかを取ってきてジャムを作ったり、自給自足の生活をしていました。
 仕事場ではノートに詩を書いていて、手作りの詩集を作るのを楽しみにしていました。だけど、いまだに一冊も出版したことがありません。きれいな絵の付いた装丁をしてくれる人がいないからです。
「そうだわ」とコウノトリのおばさんは考えました。
 ある日、おばさんは、こっそり小屋に忍び込むと一篇の詩が書かれた紙切れを持ち出すと、こんな手紙を書いて海辺で暮らす女の人に送ってみました。
―わたしは、山で暮らす無名の詩人です。いつも高原を歩きながら、山の清涼な空気のようなやさしい詩を書いています。ある日、ひさしぶりに山を下りて海辺へ出かけた時、砂浜でひとり絵を描いているあなたを見かけました。海の絵を見てとても感動しました。こんなすてきな絵を描く人だったら、わたしの詩にも美しい挿絵を描いてくれるでしょう。どうかお願いします。わたしの詩に絵を描いてください。
山の詩人よりー
 その手紙を受け取った女の人が非常に驚いたのはいうまでもありません。添えられた一篇の詩を読んでみると、とても気にいったとみえて、その日のうちに絵を描いて、翌日手紙といっしに絵を送りました。
 その手紙を受け取った山の詩人さんも大変びっくりしましたが、添えられてきた絵を見て、自分の詩のイメージとぴったり合うので、もう一篇、女の人に送りました。
 数日後にはまた手紙といっしょに絵が送られてきました。そんなふうに手紙のやりとりが何回も続いたある日、一度山へ遊びにきませんかという詩人さんの言葉にさそわれて、女の人は山の家に出かけていきました。
美しい高原の中にある詩人さんの小屋で、楽しい話をしたり、詩人さん手作りのジャムを付けたパンをごちそうになったり、ふたりで将来、協力して詩と絵を組み合わせた詩画集を出版する計画をしたりしました。
 また、こんどは山の詩人さんが、女の人が暮らす海の家にも遊びにでかけました。そして、おいしい魚料理をごちそうになりながら楽しい話をしました。
 やがて、ふたりは恋仲になり、いっしょに山で暮らすことになりました。山の高原の教会で結婚式をあげて、小屋にすみこみました。
 ある日、コウノトリのおばさんのもとへ、ふたりから手紙が届きました。
―わたくしたち結婚しました。かわいい元気な赤ちゃんを届けてください。どうぞよろしくお願いいたしますー
山の夫婦よりー
 コウノトリのおばさんはそれを読むと、ニッコリ笑いながら、赤ちゃんたちが眠っている育児室へ行き、出掛ける準備をはじめました。
 
 
 
 

(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)

 

2015年7月21日火曜日

砂漠の仲間

 焼けつくような砂漠の道を、ラクダにのった商人が旅をしていました。
「ああ、水が飲みたい。水はどこだ」
 ラクダも長旅ですっかり疲れているのか、
 「足が痛い、どこかで休みたい」
とよろよろと歩いていました。
 あるとき、遠くにヤシの林を見つけました。
「あそこで、休むとしよう」
「水もあるかな」
 ところが、行けども行けどもヤシの林は遠のくばかり。
「蜃気楼だ」
「がっかりだ」
 ラクダは、動かなくなりました。
「こら、こんなところで立ち止まっていたら、死んでしまう。はやく水のあるところに行かないと」
「それなら、俺の荷物を持ってくれ」
「ラクダのくせにもんくいうな」
「じゃ、もう歩かない」
 しかたがないので、荷物を持ってやりました。
 やがて、またヤシの林がみえました。
「あれもまた蜃気楼かな」
「どうでしょう。いってみますか」
 歩いて行くと、まさしくヤシの林があります。それに小さな井戸も見えました。
「よかった、今夜はあそこで野宿をしよう」
 けれど、ヤシの葉はどれも枯れていて、井戸も空っぽです。
「ああ、がっかりだ。こんどは、おまえが荷物をもってくれ」
「いやだな」
 ラクダはもんくをいいながら 仕方なくもちました。
 でも、また立ち止まりました。そして荷物にむかって、
「おい、荷物。お前はいいな、のってるだけだから」
 荷物がこたえました。
「そうだよ。おれは荷物だからね」
 それをきいた商人が怒っていいました。
「そんなことあるかい。困っているときはお互いさまだ。こんどはお前がおれたちをせおってくれ」
 荷物は困った顔をしましたが、
「じゃあ、仕方ない。せおってあげるよ」
といって、らくだと商人をせおって歩きだしました。
 でもしばらく行くと、荷物はくたびれて、しゃがみこんでしまいました。
「もうだめだ。かわってくれ」
 こんなことをしていると、だれもせおいたくありません。
「どうだい、ジャンケンして、負けたものが1キロづつ歩いたら」
「そうしよう」
 三人はジャンケンをしました。
「かった」
「かった」
 負けたのは商人でした。
「しかたない」
 そういって、らくだと荷物を背負って歩きました。
1キロ歩くと、またジャンケンして今度は、荷物が負けました。次はラクダでした。
三人とも、そうやってかわりばんこに歩きました。
 やがて、みんなくたびれて、ばったりと砂の上に倒れこんでしまいました。
みんな死にそうなようすで、むこうの丘をぼんやりと見たときです。商人が叫びました。
「みんな起きろ、町が見えるぞ」
 三人は、生き返ったように、町の方へかけていきました。





(つるが児童文学会「がるつ第36号」所収)


2015年7月20日月曜日

声を出す木

 すごい山奥の林の中で、きこりが木をきっていました。
 ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ
きり倒された木が、ギギギギ、ズドーンと音をたてて倒れます。
 一本の木のところへいって、きりはじめたときです。
「痛―い、痛―い、やめてくれ」
と声がきこえました。
 きこりは、あたりを見わたしましたが誰もいません。またきりだすと、
「痛―い、痛―い、きらないでくれ」
と声がきこえました。
「声を出したのは、おまえさんかい」
「そうだよ。おいらだ」
 木は答えました。
「そんなにきられたくないのかい」
「ああ、そうだ。きらないでくれ」
「そりゃ、できんことだ。今日のうちにきってしまわないと、親方にどやされる」
「そんなことあるかい。かってに山にやってきて、おれたちにことわりもしないでたくさん木をもっていくんだから。あんたたちはかってだよ」
 理屈をいう木にきこりは困りましたが、なんとか説得して早くきらないといけないのです。
 きこりは考えました。
「おまえさんは、この山にどのくらい暮らしているんだね」
「二百年になるかなあ」
「ほーっ、こんなさみしいところでそんなに長く」
「いいところだよ。静かでのんびりしてて、空気もおいしいし」
「そりゃ、けっこうだが、町もいいところだぞ。お前さんのお父さんも、おじいさんも、ひいおじいさんも、いまはりっぱな神社の柱になったり、大きな屋敷の壁板になったり、公園のベンチになったり、みんな毎日たのしく暮らしてるんだよ」
「それ、ほんとうかい」
「ほんとうだよ。わしの見たところあんたみたいな丈夫でりっぱな木だったら、豪華客船のラウンジの柱にうってつけだ」
「へえ、それはすごいなあ。それだったら、毎日海を眺めていられるなあ」
「そうだよ。いろんな国をただで旅行ができるからな」
「そうか、じゃあ、行ってみようかな」
 木は話をきいているうちに、きられることに承諾しました。
「じゃあ、いいよ、きってくれ」
「いいんだな」
「うん」
 きこりはきりはじめました。ところがまた「痛―い、痛―い」
と悲鳴がきこえました。
「どうしたんだね、気が変わったのかい」
「ちがうよ、そこは神経が通ってるんだ。もっと下の方だよ」
「ここはどうだい」
「もうすこし下だ」
「ここはいいかい」
「ああ、いいよ、やってくれ」
 きこりは力をいれて、ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ、ギィーコときりはじめました。きられたその木は音をたてて、倒れました。
 そして、ほかの木と一緒にトラックに載せられて山をおりて行きました。
 数年後、その木はきこりがいったように、いまは世界の海をたのしく旅しているそうです。



(つるが児童文学会「がるつ第36号」所収)

旅人とハーモニカ

 親もなく家もない孤独な旅人が、ある土地を歩いていました。
どこへ行ってもよそ者で、ともだちの一人もできませんでした。
 ある日、道ばたでハーモニカをひろいました。
「こどものころをおもいだすなあ」
 旅人は、ひろってふいてみました。
「いい音だ。旅のなかまにしよう」
 野原の道を歩きながら、旅人はハーモニカをふいて歩きました。
 まずしい村にやってきました。
川沿いに家があり、小さなこどもたちと母親がくらしていました。
母親は病気で、家の中はすっかり暗くなっていました。
「そうだ。楽しい曲をふいてあげよう」
 旅人は、家の外で陽気で楽しい曲をふきはじめました。
 すると、こどもたちがその音をきいて、窓から顔をだしました。
みんなハーモニカをきいているうちに、だんだんと愉快で楽しい気分になり、こどもらしい顔つきになってきました。
 旅人はまた歩きはじめました。
 ある町へやってきました。仕事をなくして肩をおとしてふさぎこんでいる労働者がいました。
 旅人は元気づけたいと思い、またハーモニカをふきました。
労働者は、こどものときにきいたことがある曲なのでだんだんと元気がでてきました。
「よおし、またがんばって仕事をみつけにいこう」
 ハーモニカをききおわると、となりの村のほうへ元気に走っていきました。
 旅人はまた歩きはじめました。
 次の町へやってくると、刑務所から出てきたばかりの男が、おなかをすかせて公園のベンチにこしかけていました。
「どこかで食べ物をぬすまないと飢え死にしてしまう。そうだ、あの食料店で万引きしよう」
 男が、店の方へ歩きだしたとき、ハーモニカの音がきこえてきました。
すると、公園の中にいたこどもたちがみんなさわぎだしました。
男は、こどもたちが見ている前でぬすみをするのはみっともないことだと思いました。
「やっぱり、まじめに働こう」
 そういって、公園からでていきました。
 旅人はその町をあとにすると、きれいな小川の流れているしずかな村をとおりかかりました。
川のむこうに病院がありました。
死期のせまった人たちが入っている病院でした。どの人もあとわずかな日々をさびしく過ごしていました。この世にのこされた時間はもうわずかなのでした。
みんなこの世から立ち去る前に、なにか美しいものをみて旅立ちたいと思っていました。
 そのとき、川のむこうからやさしいハーモニカの音がきこえてきました。
「ああ、なんてきよらかな音色だ。この世の最後に、こんなうつくしい音楽がきけるなんて」
 みんなそういって、いつまでもやさしいハーモニカの音をきいていました。
 その旅人が、いまどこへ出かけているのかだれも知りません。
でもそのハーモニカのやさしい音色は、きっとだれの心にもいい思い出として残るのでしょう。


                         
(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)