数日後、脇田正也は、容疑者の一人として留置場に入れられた。刑事は、脇田正也の供述を聞いて、翌日となり町の医院を訪ねた。供述どおり医院は空き家で、医者は姿をくらまし ていた。担当刑事はその家を調べた。
その家は五年前から空き家で誰も住んでいなかった。不動産屋に聞くと、その家は昔、整体治療院として使われており、現在は誰にも貸していないと話した。そのことからその医者は毎週月曜日の決まった時間だけこの空き家に無断で入り込み、開業医のふりをしていた事が分かった。周囲は竹藪で近くに家はなく、ほとんど誰も気づかなかった。
車のことも分かった。いつも竹藪の中に黒い車が止めてあったのだ。車のナンバープレートには黒い布切れがかぶせてあった。一度、近所の子供がその布を外して車のナンバーを記憶していた。
刑事がその車を調べてみると、その車はC県T市で盗まれた盗難車であることが分かった。更に盗難にあった時期に、いくつかの事件がT市で発生していた。その中で今回の事件と似通った未解決事件があった。
それは二年前、3件の盗難事件が起こっていたのだ。金券ショップ、カードローン会社、高級ブランド店だった。それらの未解決事件も深夜、店の鍵を外して侵入した犯行だった。最近、その事件の犯人が捕まったが、指示を出していた人物は行方不明のままだった。捕まった犯人を鑑定した結果、夢遊病者であることが分かった。今回の事件と同様、本人は犯行のことは何も覚えていなかった。犯人の供述によると、数か月前からある医者に夢遊病の治療を受けていたことが分かった。今回の事件と同じである。
捜査会議では、T市の事件と今回の事件は同一犯人による犯行だと断定した。指示を出していたその人物は、夢遊病の専門知識があり、また催眠術も心得ている。だとすれば真っ先に精神科医が頭に浮かぶ。またその人物は、多くの夢遊病患者のリストを所持しており、それを利用して犯行を行ったのではないかと疑われる。犯罪に常習性があるので、先ず前科のある精神科医を調べてみた。その結果ある医師が捜査線上に浮かんだ。過去に数回、書店で精神医学の専門書を万引きして逮捕されていたのだ。
「その医者を調べよう」
警察は、その医者が逮捕された時の調書、写真、指紋などを詳細に調べた。また事件現場に落ちていた無線用イヤホンについても調査した。その結果、イヤホン本体には指紋は検出されなかったが、イヤホンに改良を加えた跡があり、外枠の内側にわずかな指紋が検出された。指紋を整合させた結果、その精神科医の指紋と一致した。逮捕された時の調書から、医者の名前は神谷俊一という医師だと分かった。夢遊病や夜驚症の専門医で、現在、行方をくらましていた。若い頃、地元の県立病院に勤めていた時期があり、在職中、夢遊病に関する医学論文を多数執筆し、医学雑誌に載せていた。
当時、勤めていた県立病院の同僚からの聞き込みでは、精神科医としては優秀な人物ではあったが、視野が狭く、協調性に欠けるところがあり、組織の中では働けない人間だった話した。また心臓に持病があり、それが原因で早く病院を退職していた。
数週間後、県内のF市郊外のガソリンスタンドで盗難車と思われる黒い乗用車を見たとの情報が寄せられた。事件が新聞に掲載されたため、店員がその車のことを覚えていたのだ。更に車に乗っていた人物の特徴が行方不明の医者と似ていた。
店員の話によると、その人物は最近この市にやって来て、たびたび燃料を補給しに来た。近辺の住民からの聞き込みで、その車はF市郊外の閑静な山の山荘で度々目撃されていた。警察はその山荘の捜索をはじめたが、すでにその人物は引っ越していた。警察はその人物がまだ拳銃を所持しているので、捜査の手を緩めることが出来なかった。引き続き、その医者の行方を追っていた。
事件から一か月が過ぎてから、同県のS市の警察署から連絡があった。容疑者と思われる医者が自宅アパートの一室で死亡したという連絡だった。深夜、銃声が聞こえたので、アパートの住民が警察に通報したのだ。使われた拳銃は、交番から盗まれたものだと分かった。死因は拳銃による自殺と判定された。しかし、後になって他殺と訂正された。訂正された理由は、撃たれた弾痕からだった。拳銃は左後頭部から撃たれている。通常、自殺者が左利きでない限り、右手で右側後頭部を撃つのが普通である。死亡した医者は右利きである。しかし弾痕は左後頭部にあるのだ。だとすると医者は何者かによって頭を撃たれたと考えるが自然である。警察は予想外のことで困惑し、新たな疑問にぶちあった。誰に殺されたのだろう。
また机の引き出しの中に、死亡した医者が書いた一連の盗難事件に関する手記が残されていた。手記には、「夢遊病者の分析と行動心理の研究」と題名が付けられ、医者の名前、神谷俊一と書かれていた。警察はそれを重要参考資料として調べた。捜査会議でこの手記の内容が検討されたが、それにはこれまでの盗難事件のすべての真相が詳細に書かれていたのである。(つづく)