2024年10月31日木曜日

(連載推理小説)夢遊病者の犯罪

         3 

 四日後、注文していた帆船模型が宅配で届いた。以前は模型店へ行って買っていたが、品数が多いネットでの購入はやはり便利だった。帆船模型の制作は時間が掛かるので、仕事が暇なときに制作した。大航海時代のスペイン船やポルトガル船、イギリス船などが好みだが、その日は十九世紀に活躍したフランス海軍のナポレオンという軍艦を買った。塗料を塗りながらの作業はさらに時間が掛かるが仕上がりは実によい。
 数日後、店が終わってから自宅で帆船模型を作ることにした。ところがいつも使っているピンセットと小型のドライバーが見当たらないのだ。どこにしまったのだろう。机の引き出し、戸棚の中を調べたがないのだ。洋服ダンスの中もついでに調べてみた。洋服ダンスの隅に黒いレインコートが入れてあった。ところがその黒いレインコートを見た時驚いた。最近まったく着ていないのに雨に濡れたあとがあるのだ。更に驚いたのは、レインコートのポケットに手を入れた時、中から、探していたピンセットと小型のドライバー、それから白い手袋と数本の針金が入っていたのだ。こんな物を入れた覚えはない。なぜだろうと考えたがまったく分からなかった。
 そのような時期に次の事件が起きた。
 運送会社の事務室から三千万円の現金が金庫から盗まれたのだ。事務室は三階にあり、何者かが会社の裏口のドアの鍵を開けて中へ入り、事務室の金庫のダイヤルを器用に外して盗んだのだ。
 その夜も雨の日で、犯行が行われた時間帯に近くのアパートの住民が、窓の外の歩道を歩いて行く黒いレインコートを着た人物を目撃していた。その男は運送会社の前で長い時間立ち止まっていた。歳は三十代くらいの男だったと話した。警察はその黒いレインコートを着た男の行方を追っていた。
 翌日、店にやって来た客たちも各々その事件のことを話した。
「犯人は、何度も運送会社を下見に来ているな。金庫が置かれている部屋を知っているんだから。そうなるとこのあたりの人間だな」
 客の話を聞きながら脇田正也もそう思った。
 頻繁に発生する事件のために、住民たちはまったく落ち着かなかった。地域の警察は犯人の割り出しを急いでいた。不可解な事件がいくつも起こるので脇田正也は次第に自分自身に疑いの目を向けるようになった。
「もしかしてこれらの事件は、すべて自分の仕業ではないのか」
 理由は分からない。しかし事件の犯人の特徴が自分によく当てはまるのだ。
「ひょっとして俺はあの医者に暗示をかけられて、犯行をさせられているのではないか。病気を治してやるといいながら、まったく症状は改善していないのだ。それどころか病気が前よりも悪くなっている。奇妙な夢を見るのもそのせいだ」
 脇田正也はそう感じたので、今度医院に行ったら医者のことを調べてみようと思った。
 月曜日がやって来ると医者に会いに行った。ところが、医院へ行くと、入口のドアに「本日休診」と札が掛かっていた。
「おかしい、どんな用事があるのだろう。それに俺には何の連絡もない」
 その日は仕方なく帰ることにした。
 しかし次の月曜日に出かけると、医院の看板は外されて、入口のドアは閉まっており、ただの空き家になっていた。
「いったい、あの医者はどこへ行ったのだろう」
 不可解なことばかりなので、脇田正也は驚き、呆然となった。でもそれは最初の序章に過ぎなかった。家に帰って来てから、しばらくした時玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、二人の警官が立っていた。
「最近起きている盗難事件の件で、任意で調べたいことがある。ご足労だが署まで来てくれないか」
 警官の言葉に脇田正也は驚いたが、自分に容疑が掛かっていることに自分自身気づいていたので、この際、すべてのことを警察に話した方がよいと思った。
「分かりました」
 警官に連れられて脇田正也は警察署へ行った。
 警察署の取調室に入ると刑事から次のような質問を受けた。刑事は封筒の中から何枚かの写真を取り出して言った。
「この写真の人物は君じゃないかね。盗難のあった運送会社の駐車場の監視カメラで映った映像の一部だ」
「私はそんな所へ行った覚えはありません」
 脇田正也は、刑事の指摘に真っ向から否定した。でも、写真をよく見ると確かに自分に似ている。帽子を被っているので正確のところは分からない。でもよく似ている。
「しかし、事件現場にいたのは君だ。それから、あとの二つの盗難事件もそうだ。犯人はいくつかの証拠を残している。最初の交番に侵入した事件からだ。犯人が拳銃の入っている机の引き出しの鍵を外したときに使った針金とピンセットに付着していた塗料が検出できた。君の趣味は帆船模型の製作だね。君の店の常連客から聞いた。塗料は模型製作の時に使うものだと分かった。次の事件でも同様に外した鍵穴に塗料が着いていた。
 ほかにも証拠がある。金庫室の床に無線用のイヤホンが落ちていた。片方の耳に付けていたものだ。どうして犯人は落としたことに気付かなかったのだろう。正常な人間ならすぐに気づくはずだ。その答えは簡単だ。犯人が半睡眠状態で、正常な意識ではなかったからだ。君にはその症状があるね。君は無線によって誰かの指示を受けて運送会社へ入ったのだ。我々はその人物を探している。君が黒いレインコートを持っていることも知っている」
 刑事は近所の人や常連客から自分のことをすべて聞き込んでいたのだ。
 脇田正也は呆然となった。これまでの一連の事件がすべて自分がやったことだったからだ。それも自分の病気を利用しての犯行だった。証拠はそろっているのだ。無実を証明しないと全部自分の犯行にされてしまう。脇田正也は、自分が夢遊病者で、医者に暗示を掛けられて犯行を行ったこと、そして毎週医院に通院していたことをありのままに話した。(つづく)








2024年10月1日火曜日

(連載推理小説)夢遊病者の犯罪

         2

 二週間が経ったある日のこと、脇田正也はいつものように店で仕事をしていた。近所の常連客がやって来て散髪を頼んだ。脇田正也は毎日鋏を動かしながら仕事に集中していた。あるとき客のひとりからこんな話を聞いた。
「あんた知ってるかね。昨日の深夜、となり町の交番で拳銃が盗まれたんだ。巡査が仮眠していたとき誰かが入って盗んでいったらしい」
 客の話に脇田正也も驚いた。
「本当ですか。大胆なことをする泥棒ですね」
「いま警察で犯人の行方を追っている。なんでも拳銃が保管されていた部屋の机の引き出しの鍵を外して奪ったそうだ。素人には出来ない芸当だな」
「でも、拳銃を奪って何に使うのでしょうね」
「そりゃあ、決まってるさ。強盗をやるのさ」
 その事件は早速その日の新聞に載った。店が終わってから脇田正也もすぐに読んでみた。新聞の記事によると昨夜は小雨が降っており、どの家も電灯を消して眠りについていた。事件が起きた時刻、交番から東へ百メートル離れた場所にタクシー会社があり、深夜勤務の従業員が、犯行が行われた時間帯に、黒いレインコートを着た人物が交番の方へ歩いて行く姿を目撃していた。黒い帽子を被っていたので顔はわからない。その時間帯は人通りもなくほかには誰も通行していなかった。警察は事件が起きた時刻に交番の方へ歩いて行ったその人物に焦点を当てて調べていた。
 店にやって来る客たちも新聞を読んでその話題を盛んに脇田正也に話した。
「盗まれた拳銃で事件が起きないといいが。でも犯人はどんな奴だろう」 
 客の話を聞きながら鋏を動かす脇田正也だったが、その事件のことよりも最近気になることがあった。それは夜中に見る夢のことだった。夢の中で奇妙な音が聞こえるのだ。それは雨の音であったり、歯車が回る音だったり、はっきりと分らない。が、そんな音が頻繁に聞こえてくるのだった。
「以前はそんな音のする夢など見なかったのに、どうしてだろう」
 月曜日が来て、脇田正也は約束どおりとなり町の医院へ行った。
 医者はいつものように脇田正也をソファーに寝かせて精神分析を行った。脇田正也は最近よく見る夢のことを医者に話してみた。
「その症状はいつから起きている」
「二週間くらい前からです」
「そのような夢をこれまで見たことはなかったかね」
「はい、一度も」
医者は話を聞きながらカルテに記録していく。
「最近、働き過ぎではないかね。その音は仕事で使う鋏が触れ合うような音ではないか」
「そうかもしれません。いや、分かりません」
「ほかに夢の中でどんな景色が見えるかね」
「夜道を歩いている夢が多いです。雨降りの中をー。断片ばかりでよく覚えていません」
「そうかね、でも心配することはない。君はお店でいつも客の髪を洗っている。たぶん水道を流す音だ。誰にでもある夢だ。さあ、心の中にあることをすべて話してみたまえ」
 医者に言われて脇田正也は夢の内容を詳しく話した。
診察は二時間くらいだが、いつも眠り込んでしまい目覚めると、精神安定剤だと言って薬をくれた。そして日当五万円を貰って帰った。
 一週間が過ぎたある日のこと、客が言ったように、別の町で盗難事件が起きた。その夜も雨が降っていた。事件があったのは高級貴金属店だった。深夜、一時頃、その店に何者かが侵入し、ガラス棚に保管されていた二千万円相当の貴金属が盗まれたのだ。
犯人は店のドアの鍵を難なく外し、店内に侵入したのだ。深夜のことで目撃者はいなかった。だが、事件が起こる一時間前、近くの公園の中を、黒いレインコートを着た男が公園の中をうろついている姿を近所の人が目撃していた。また事件が起こった後、黒い乗用車が猛スピードでこの町から出て行ったとの情報があった。
 警察は犯人がその車に乗って逃げたと推察した。店に侵入したのは黒いレインコートを着た男だが、車を運転していたのは別の人物だと睨んだ。
「先日の交番の事件と犯人の人相が似ているな。おそらく同一犯人の仕業だな」
 店にやって来る客はいつも事件の話をした。
 脇田正也は鋏を動かしながら客たちの話を聞いていたが、ふと気になることがあった。それは犯人が着ていた黒いレインコートのことだった。脇田正也も黒いレインコートを持っているのだ。若い頃は車を所有していなかったので、いつも自転車を使っていたとき着ていたのだ。でも今は洋服ダンスの奥に閉まってある。
「まさかー」
 変に思ったが、自分が持っている黒いレインコートと今起きている事件とは何の関係もないので、それ以上のことは深く考えなかった。
客の髪を切り終えると、脇田正也は、髭剃りの準備をはじめた。
 客はその間、店に飾ってある帆船模型を眺めながら、
「今も帆船模型は作っているのかね」
 客が尋ねたので、脇田正也は、
「はい、数日前に、ネットで三万円の帆船模型を注文しました」
「そうかい、また完成したら見せてくれ」(つづく)






2024年9月2日月曜日

(連載推理小説)夢遊病者の犯罪

         1

 脇谷正也は、ある町で理髪店を経営していた。店を開店して五年になる。歳は三十六歳。結婚には縁がなくいまだに独身だった。
 手先が器用だったので、理髪師になったのは当然といえた。それに子供の頃から模型作りが好きで、自分で制作した世界の帆船模型を店内に飾って客を楽しませていた。
 物静かで平凡な人物だったが、人には言えないある秘密があった。それは子供の頃からの病気で、夢遊病の症状が起きることだった。両親は早く亡くなったが、その病気は小学生の頃から現在も続いていた。それは決まって真夜中に起きた。夜眠っていると無意識にベッドから起き出して家の庭や近所を歩き回ったり、近くの公園の中を徘徊したり、べンチに長い時間腰かけていることがあった。でも朝、目が覚めると何も覚えていないのだ。彼にそんな症状があることを知っているのは、亡くなった両親と近所のごく親しい人たちだけだった。
 ある日のこと、彼の理髪店に眼鏡をかけた六十歳くらいの細身の背広服の男がやって来た。
「少し切ってくれないか」
「髭は剃りますか、シャンプーは」
 男は全部頼むと言った。
 脇田正也は手際よくケープを掛けて、さっそく作業を始めた。
 慣れた手つきで髪を切っていると、男は周りの帆船模型をちらちら見ながら、
「君が制作したのかね。上手く作るね」
「店が暇なときに作っています」
 男はそれを聞きながらしばらく何か考えてから徐に言った。
「私はとなり町で医院を開業している医者だが、君のような手先が器用な人を探している。どうかね、週に一度医院に来てくれないか」
 鋏を動かしながら脇田正也は驚いた。
「ご覧のとおり、毎日働いています。そのような余裕はないですね」
「日当五万円払うが、どうだね」
 その金額を聞いて、鋏を動かす手が止まった。
「まさか、冗談じゃないのですか」
「いや、本気だよ。大事な仕事をしているから伝って欲しいんだ」
「どんな仕事ですか」
「医院に来てくれたら詳しく話す。なあに、そんなに難しい仕事ではないよ」
 脇田正也は当然迷ったが、日当五万円が頭から離れず、
「じゃあ、一度伺いますか」と気軽に答えた。
 五日後の月曜日、店が休みのときに、脇田正也はとなり町の医者の医院へ出かけて行った。医院は町はずれの竹藪に囲まれた静かな場所にあり、近くには家もなかった。 
 二階建ての旧い木造の建物で、正面入口には「兵藤精神科医院」と表札が掛かっていた。ドアを開けて中へ入った。中はがらんとして額縁ひとつ飾られていなかった。受付の机の上に呼び鈴があったのでそれを鳴らした。しばらくして医者がドアを開けて現れた。
「よく来てくれた。どうぞこちらへ」
 医者の後ろからついて行った。廊下を歩いて一番奥の部屋に通された。六畳の狭い洋室で、ソファーに座るように言われた。
「ご足労だったね。まあ気楽にしたまえ」
 医者は笑って言った。
「医院は先生おひとりですか」
「ああ、昨年まで受付けの女性がひとりいたのだが、家庭の事情で辞めてしまってね」
 あいさつを済ませると早速話に入った。
「あなたに引き受けてもらって感謝している。手伝いをする人がいなくて困っていたのだ」
「どんな仕事をするのですか、まずそれを教えてください」
 脇田正也は早く仕事の内容が知りたかった。
「仕事のことを話す前に、あなたはご存じないと思うが、私はあなたと二度ほど会っている」
 医者の話を聞いて、脇田正也は驚いた。
「どういうことですか、何のことかさっぱりわかりません」
「そうだろう。あなたが覚えていないのは当然だ。一度目は、自宅から五分ほど離れた歩道だ。もう一度は自宅近くの公園の中だ。いずれも深夜だった。私はあなたの住んでいる町へ用事で頻繁に出かける。そのときお会いしたのだ」
 脇田正也は声も出なかった。どうして自分の病気のことをこんなによく知っているのだろうか。
 医者は話を続けた。
「私は長年、医院の仕事の傍ら、あなたのような病気をお持ちの方の研究を続けている。できればあなたの病気を治してあげたいのだ。あなたにやってもらう仕事は慎重さがいります。その前に先ずあなたの病気を治してからにしたいのです」
 医者の話に、脇田正也は訳が分からなくなってしまった。私がやる仕事とは何なのか、またどうして私の病気を治療してあげようというのかさっぱり分からないのだ。
「どうですか、私のいうとおりになさればあなたにとっては二つの利益になります」
 脇田正也はどう判断してよいのか分からなかった。仕事の内容を教えてくれないのですぐに断ろうかと思った。しかし日当5万円は魅了的だった。それに無料で自分の病気も治してくれるのだ。脇田正也はしばらく考えていたが、医者の頼みを引き受けることにしたのだ。
 その日からその医者との付き合いが始まった。毎週月曜日が来ると、その医者に会いに行った。医者は、ソファーに脇田正也を寝かせて長い時間を掛けて精神分析を行った。医者も疲れてくるのか、ときどきポケットから錠剤を取り出して飲むことがあった。だが、いつになっても仕事の内容を教えてくれないのだ。しかし医者の指示には従わなければいけない。帰るときは約束どおり日当五万円を貰った。(つづく)







2024年8月1日木曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         7

 数日後、重体の彫刻家は病院に運ばれて治療中だった。しかし依然意識がなかった。
 警察署の取調室では、担当刑事が背の低い外国人の男から話を聞き出していた。最初はなかなか話さなかったが、やがて次のような供述をはじめた。
 男が彫刻家とはじめて出会ったのはフランスのパリだった。彫刻家はその頃、パリの美術学校に在籍しており、歳は二十代半ばだった。パリの裏町のアパートの2階に住んでおり、男も同じアパートの1階に住んでいた。男の職業は、教会から依頼された墓堀り人夫で、よく彫刻家から、死んだ人間を埋める前にスケッチさせて欲しいと頼まれたそうだ。妙に明るく、多弁でいつもスケッチブックを持ち歩いていた。
スケッチが終わると、死体を平気で念入りに触ったりするので気味の悪い人だと思ったが、少額だが金をくれるのでいつも引き受けていた。しかし、親方にそのことが知られてしまい、それからはいつも断っていた。
 彫刻家とは四年ほどそのアパートで暮らしていたが、あるとき同業者から、「深夜、墓を掘り起こしている奴がいる」との噂を聞いた。まさかと思ったが、ある日、アパートに警官がやって来て彫刻家の部屋を調べてみると、埋葬されている死人とそっくりな顔、形の彫刻作品が何点も部屋で発見された。警官はすぐに彫刻家を逮捕して留置した。裁判を受けて半年間、刑務所に入れられたと話した。
 担当刑事は男の話を聞いて、山崎医師の説明を思い出した。山崎医師は、彫刻家の躁病の症状が二十代の頃からはじまっており、その年齢の頃が酷かったと説明した。担当刑事はそのような異常行動が今回も躁状態の時に起きたのではないかと推察した。また、山崎医師は、「躁状態の時には二重人格が出現することがあり、本人も覚えていないことが多い」とも説明した。
 これらの異常行動は正常な人間には起こりえないことである。男はさらに日本へ来てからのことも話した。
 四十年が経ったある日、その彫刻家から手紙をもらって日本へやって来た。昔の事件のことも忘れていたし、妻も数年前に亡くなって貧乏暮らしをしており、彫刻家が金をくれるというので喜んで日本へ来たと言った。
彫刻家から、今野生動物や野鳥の剥製を制作しているから一緒に捕まえに行ってくれと言われ、毎日、山の中に入って素材になる野生動物や野鳥を探しに行った。ある時期から彫刻家の趣味が人間の剥製に興味が変わり、引き続き協力するようになった。悪いことだと分かっていたが、パリにいた時、ある美術商の人から剥製の置物は金になるということを聞いていた。
その人の話によると、世界には剥製のコレクターがたくさんいるとのことで、剥製を高額の値段で取引している。中には人間の剥製を収集しているコレクターもいて、動物の剥製よりも高額の値段で買い取ってくれる。男はそのコレクターたちに売りつけていたと供述した。でもそんな世界に疎い彫刻家は何も知らず、ただ芸術品として寝食を忘れて狂ったように制作を続けていたのだ。
 彫刻家の指示で、若い女性を誘拐して洋館へ連れ込んで殺害し、不要な臓器を取り除いて山の中へ捨てたと言った。女性たちはM市立病院の待合室で顔見知りとなりその女性たちを狙ったと話した。
 刑事たちは、男の供述を聞き終わってこれまでの謎が解明したことを喜んだ。しかし、依然、美術教諭と男子生徒の行方が分かっていないのだ。それを早急に解決しなければいけない。
「美術教諭と男子生徒はどこにいるのだ」
 男は、二人は逃げたと話した。どこへいったのか自分にも分からないと言った。
 二人が洋館から逃げたのなら警察や知人に連絡があるはずである。それがないのはどういう訳だろう。
 警察では再び地元の人たちからの聞き込みをはじめることにした。
 そんなある日のことである。犯人を逮捕してから数日後、警察署に一本の電話が掛かってきた。
電話を掛けてきたのはどこかで聞いたことがある人物の声だった。その声は「樹氷」の店主だった。担当の刑事さんをお願いしますと電話を掛けてきたのだ。
 刑事が出てみると、行方不明の美術教諭と男子生徒の容態がよくなり、明日にも退院できると話した。店主の話によると、二人の刑事が店にやって来た日、刑事の話を聞いて美術教諭のことが心配になり、自分も一週間後の深夜に洋館へ探しに出かけたのである。午前0時頃洋館に行くと、すでにトラック2台が来ており、運送屋が洋館から荷物を積み込んでいた。運送屋のふりをして、地下室から二人を助けたと言った。二人は手足を縛られ、睡眠薬を飲まされて意識朦朧状態だったが、何とか歩かせて洋館から連れ出し、農道に止めてあった自分の車に乗せて救い出したのだ。深夜のことで病院はどこも閉まっており、その夜は自分の家に泊めたと言った。警察への連絡は二人の容態が良くなってからにしたのだ。サスペンス映画の愛好者だった店主は、まさに探偵のような活躍をしたのである。
 刑事たちは店主の話を聞いて、この猟奇事件のすべてが解明したのでほっと胸をなでおろした。あとは治療中の彫刻家の回復を待って話を聞き出し、精神鑑定を行うことである。精神鑑定資料には山崎医師のカルテが不可欠である。
 警察では無事に救い出された美術教師と男子生徒から洋館の中での彫刻家の行動とアトリエの様子などを詳細に聞き取った。
事件の異常性から責任能力の有無が問題になるが、刑法上、心神喪失(精神障害により事物の是非・善悪を弁別する能力、又はそれに従って行動する能力が失われた状態)の場合はその責任を追及することが出来ずに無罪になる。
だが、重体の彫刻家は心臓近くを撃たれており、意識不明の状態はその後も続き、一週間後治療のかいもなく死亡した。 (完)






2024年7月5日金曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         6

 高島教諭が行方不明になってから二週間が過ぎ、勤めていた県立高校では不安な毎日が続いた。特に野球部の中田という男子生徒は勉強も頭に入らずいつも心配していた。
「きっと高島先生はあの洋館で何かを掴んだのだ。それは彫刻家の秘密に違いない。でもいったいどこに居るのだろう」
 思いながら、これはただ事ではないと感じた。もう一度あの洋館へ行って調べてみることにした。
 数日後、洋館へ行ってみた。洋館の庭を歩きながら中の様子を見ていた時、近くの林の中から足音が聞こえて来た。中田はすぐに藪の中に隠れた。しばらくして足音と共には話し声が聞こえて来た。
「困った。警察がかぎつけてるようだ。ここは危険だ。どこかへ引っ越さなければならん」
 中田は藪の中から声のする方へ目を凝らした。そこにいたのは、白髪頭の背の高い彫刻家と背の低い外国人の男だった。
「早急に荷造りをしてU県の山へ行きましょう。作品は先に送ります。あの山にいれば大丈夫です」
 彫刻家は頷きながら、
「そうだな。何者もわしの仕事の邪魔をするやつは許せん」
 そのとき、二人は藪の中が動いたように思った。学生がよろけてしまったのだ。
 外国人の男が藪の中を調べた。
「こいつー、隠れていたんだ」
 学生はすぐに二人に捕らえられてしまった。
「連れて行こう。お前も大事な素材だ」
 男子生徒は洋館の中へ連れていかれた。その後男子生徒も行方不明者となった。
 その頃、二人の刑事は、事件が起こった町の薬品店を丹念に調べていた。それは防腐剤を扱っている店だった。刑事たちは事件の異常性から容疑者が、剥製の制作に関わっていると疑ったからだった。
 死体は臓器ばかりが破棄されている。剥製を作るのにそれらは不要なものだ。小骨も針金で代用するので特に必要がない。臓器は取り除いて藁を詰めて防腐剤を掛けてしまえば腐ることもない。こうしてこれまで彫刻家は多数の野生動物や野鳥の剥製を作っていたのだ。まったく個人の趣味で行われた猟奇的犯罪なのだ。はじめは野生動物や野鳥が素材だったが、それが人間に変わったのである。
 ある店で聞き込みを行った結果、次のことが分かった。
 三年前から年に何回か、大量に防腐剤を買っていく小柄な外国人の男が来たというのだ。その男はトランク一杯の防腐剤を買い込み、車の後部座席にはこれも大量の針金と藁が積んであったと話した。車は灰色だった。
 二人の刑事がそれらの捜査をしていたとき、鑑識課からビニール袋の切れ端に、血液と若い女性の毛髪が数本付着しているのを見つけた。血液型は行方不明のY校の女子生徒と同じA型の血液型であり、DNA鑑定でも被害者のものと一致した。
 一週間後、H村の山中でも行方不明の郵便局の女性職員の臓器が土の中から発見され、血液型とDNA型が被害者のものと一致した。
 刑事たちはこれらの調査結果から、今回の犯行が山の洋館に住む彫刻家と小柄な外国人の男の仕業だと断定した。さっそく署に戻り、逮捕令状を作成してもらい洋館を本格的に捜索することにした。
 数日後、車で洋館へ行くと、洋館の呼び鈴を鳴らした。しかし誰も出てこなかった。庭にはタイヤの跡が無数に残っていたが車は無かった。
「留守らしい、強制捜査に乗り出そう」
 玄関の鍵を壊して中へ入った。
 部屋の中は暗かったので照明をつけた。廊下があり静まり返っていた。見たところ普通の部屋だった。一階から三階まで時間をかけて調べたが何も見つからなかった。一階の階段の後ろにドアがあった。ドアを開けてみると地下室へ降りる階段があった。
「降りてみよう。何かありそうだ」
 刑事たちは階段を降りて行った。暗いので持参したポケット型の懐中電灯を点けた。細い廊下の突き当りにドアがあった。鍵を壊してドアを開けた。部屋の中には何もなかった。しかし、以前は何かが置かれていたことが様子で分かった。
「引っ越したのかもしれないな」
 ひとりの刑事が何かに気づいた。
「部屋のあちこちに血痕があります。ふき取ったようですが、少し残っています」
「恐らく、この部屋は彫刻家のアトリエだったのだ。剥製もこの部屋で作られていたのだ。でも奴はどこへ逃げたのだろう」
 刑事たちはこの地下室にあった大量の剥製を運ぶのに、運送屋を雇ったのに違いないと思った。それも大型のトラックが必要である。町の運送屋に問い合わせて、この数日間に依頼があったものを当たってみることにした。
 刑事たちは半日をかけて洋館の捜査を行ったが、目新しいものは何も発見できなかった。
 数日して運送屋を調査していたある刑事が次のようなことを突き止めた。それは四日前に、この町のある運送会社に電話があり、大量の袋詰めされた置物をトラック2台でU県に運んだというのだ。依頼主は洋館に住む外国人だった。運送屋は荷物の多さに困惑したが、何とか積み込んで運んだといった。外国人からお金を多めにもらって誰にも話さないように指示されたと言った。
「やっぱりトラックで運んだのだ」
 警察は運送会社から送り先の住所を聞いた。U県E村というずいぶん山奥の山荘だった。
 警察はU県の警察署へ連絡を入れて、共同で捜査をすることにした。
 翌日の午後2時頃に、パトカーでU県E村の現場に到着した。警官を含めて11人で山荘の捜索を始めた。山荘は二階建てだった。車庫のシャッターは閉まっていた。玄関のチャイムを鳴らしたが、誰も出てこなかった。見張りの警官を玄関に待機させて、刑事たちは逮捕令状を持って中へ踏み込んだ。やはり誰もいなかった。しかし、部屋に入ると、袋詰めされた置物がたくさんあった。袋をめくってみると、すべて野生動物の剥製だった。
「人間の剥製もあるはずだ。全部調べろ」
 警官たちは手分けして山荘の中をくまなく探した。一階と二階の各部屋には野鳥や野生動物の剥製が多数置かれていた。日本に生息するすべてといってもいいくらいの種の多さであった。一階の部屋を捜索していた刑事が書斎の中に隠し部屋があるのを見つけた。壁に掛かっていた絵画を何気なく外してみると、押しボタンがあり、壁の一部がドアになっていたのだ。
「この中にも剥製が入れてあるはずだ。調べよう」
 中が薄暗いので懐中電灯を照らして入った。ドアの隅に照明スイッチがあったので照明を点けてみた。刑事たちは驚愕した。殺された被害者の剥製が置かれていたのだ。
 それは疑いもなく、行方不明になっている女子高生二人と郵便局の女性職員の剥製だった。生きていたときと同じ服を身に着けていた。目を開き、何の感情もない表情をしていた。
「美術教諭と男子生徒の剥製もあるはずだ。別の部屋に隠してあるのだろうか」
 刑事たちは、まだ別に隠し部屋がないか調べてみた。その時玄関で見張りをしていた警官が駆け込んで来た。
「山道を誰か降りてきます」
 刑事たちは、それは彫刻家だと直感した。
「パトカーを見られる前に捕らえよう」
 山荘から出ると、茂みの中へ全員散らばって身を隠した。
 しばらくして紺色のソフト帽をかぶった背の低い外国人の男が歩いてきた。パトカーに気づくと驚いて逃げようとした。刑事たちは飛びかかってその人物を逮捕した。
「山の中で何をしていた」
 男ははじめ抵抗したが、観念したのかしゃべり始めた。
「ご主人様の命令で、散弾銃の弾を取りに戻って来たんだ」
 その男の話によると、四日前にこの山荘へ荷物をすべて運び終わって、午後から彫刻家と一緒にこの山の奥へ素材になる野鳥を撃ちに行っていたと説明した。
「その彫刻家のいる場所へ案内しろ」
 背の低い男は仕方なく従った。刑事たちを案内してまた山道を登って行った。
 しばらくして山の中から銃声が聞こえた。散弾銃の音だった。
「近くだな、さあ急ごう」
 刑事たちは銃声が聞こえて来る方角へ向かって走って行った。
 再び銃声が聞こえたので、彫刻家がいる場所が特定できた。相手が銃を持っているので、刑事たちも拳銃を取り出して近づいていった。50メートル近くまで来た時、彫刻家は刑事たちの姿に気づいた。
「お前たち、何しに来た。仕事の邪魔だ帰れ」
 そういって銃口を向けて散弾銃を撃ち出した。正常な人間ではない。相手は異常者である。何発も撃つので、散弾の流れ弾が刑事のひとりに当たった。
「仕方がない、銃を使え」
 しばらくして藪の中に身を隠していた彫刻家に警官の弾が命中し、銃声が止んだ。
 刑事たちがその場に走って行くと、彫刻家はうつ伏せの状態で倒れていた。重体で意識がなかった。
「すぐに署に連絡して救急車を呼ぼう」
 刑事たちはパトカーが置いてある山荘の方へ急いで引き返して行った。(つづく)







2024年6月1日土曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         5

 店に入ると数人客がいた。店内はエアコンがよく効いていた。二人の刑事は一番奥の席に座って、レモンソーダを注文した。
 壁に貼られた映画のポスターを眺めながら、
「どれも懐かしいサスペンス映画ばかりだな」
 二人の刑事が話をしていると店主がレモンソーダを持ってきた。
「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
 刑事はポケットから警察手帳を取り出して見せた。
 店主は驚いたが、いかにも興味ありげに、
「いや、本物の刑事さんですか、いつも物語の中で刑事さんをお見かけしますが、これは光栄ですな。何でも聞いてください」
 店主は目を輝かせて言った。
「いい人に出会った。それじゃ聞きやすいです。実はこの町の県立高校の美術の先生のことで伺いたいんですが」
 刑事はそういって行方不明の美術教諭の顔写真を見せた。
 店主は写真を見ると、
「この先生なら知っています。何度か店に来ましたから。どうかしたんですか」
「一週間前から行方不明なんです。いま警察で調べています」
 店主はそれを聞いて、
「あの人は山の洋館に住んでいる彫刻家のことを詳しく聞きました」
 刑事たちは目を輝かせた。こんなところで新たな情報が得られるとは思ってもみなかった。
「彫刻家ー。どんなことを聞きましたか」
「あの人は彫刻家にいつも会いたがっていました。実際、何度も出かけて行ったようです」
「そうですか、何か情報が得られたのでしょうか」
「いえ、いつも留守で会えないと言っていました」
 店主は参考になるのではないかと次のようなことも話した。
「二十年も昔のことですか、あの洋館の彫刻家がこの店に何度かやって来たことがありました。多弁で明るく快活で、盛んに制作のことを話しました。いま美術展に出品する彫刻を制作しているとか、いまモデルを探しているとか実に楽しそうでした。でもその後はまったく来なくなりました。変わった性格の人でした」
「何か理由でもあったのですか」
「はい、噂ですが、精神病で何度も精神科へ通院していたようです」
「そのことは美術の先生にも話したのですか」
「いいえ、プライベートなことですから話していません」
 二人の刑事は聞きながら細かく手帳にメモした。
「その彫刻家の名前は分かりますか」
「畔柳と聞いてます」
「畔柳。ありがとうございます。実に貴重な情報です。それで現在はどうなんですか」
 刑事の問いに店主は、
「通院はしてないという噂です。精神病が治ったのかどうかはわかりません」
「通院していた病院を教えてください」
「はい、M市立病院の精神科です」
 刑事たちは店主に礼を言って店を出た。車に乗って署に戻ると、捜査課長に店主の話を報告し、明日、M市立病院へ行くことにした。
 翌日、二人の刑事はM市立病院を訪ねた。
 精神科へ行き、彫刻家の名前を言って過去のカルテを調べてもらった。カルテはすべて残っていた。
「その時、担当された先生は現在この病院におられますか」
 看護師は首を振って、
「いいえ、担当されたのは山崎先生ですが、いまはR市立病院の精神科におられます」
「そうですか分かりました。そのカルテをお借りしてもいいですか」
「病院長の許可があれば出来ます」
 刑事たちは病院長の許可を得てカルテを借りた。
 その日の午後、すぐに刑事たちはR市立病院へ行くと、当時、担当した山崎医師を訪ねた。
「はい、私が畔柳さんの診察をしました。特徴のある人だったのでよく覚えています」
 刑事たちは、その人物がいま話題になっている猟奇事件の容疑者の可能性があることを話した。山崎医師は了解すると刑事が持参したカルテを見ながら次のようなことを話した。
「あの人が最初に来られたのは、八年前でした。とても快活でよく喋り愛想のいい人で、なぜここへ来たのか不思議に思いました。しかし話を聞いているうちに正常な人でないことが分かりました。かなりの妄想性の躁状態が現れており、この六日間はまったく眠っていないと言いました。なんでも職業が彫刻家だということで、食べることも忘れて昼夜制作に使っていると話しました。気になったのは私の質問には余り答えたがらず、本人ばかりが話すことです。私が話し出すと機嫌を悪くして乱暴な言い方が出てきます。ときどき立ち上がって部屋の中を歩き回わって話すこともあります。本人は睡眠不足を自覚しているようでこのままだと身体に障害が出るので治療をして欲しいと言いました」
 山崎医師はカルテをめくりながら、
「これがそうです。はじめて来院されたときの記録が書いてあります。初診ですぐに躁病の症状顕著とあります。主な症状としては、誇大妄想、被害妄想、気分の高揚感、活動性の亢進、多弁、睡眠欲求の減少(不眠)とあります。数回の来院で、うつ病の症状もあることが分かりました。それは周期的に起きるそうで、うつ状態の時は、悲観にくれて何もやる気が起こらず、仕事もはかどらず困っていると言いました。すっかり自信をなくしてしまうので、自分が制作した彫刻作品を壊したりすると話しました。周期的に起こるその感情の変化を調べてみると、ほぼ十年の間隔で起きているのが分かりました。躁状態の時は二重人格の症状も出現するようで自分がやったことを忘れていることもあります。
 本人の話ではフランスで彫刻の勉強をしていた時期(二十代)の頃に躁状態が酷かったと話しました。しかし三十代から鬱状態で何もやる気が起こらず、何度も自殺未遂を起こしています。四十代の頃に日本へ帰って来てからは再び躁状態に戻っています。五十代から再び鬱状態となり、六十代の躁状態のときに初めて来院されたのです。病状が酷かったのですぐに一年ほど入院させて、薬物治療を続け、症状が幾分かよくなり、睡眠もとれるようになったので六年前の春に退院させました」
 刑事たちは山崎医師の話を聞きながらその後のことを質問した。
「それで、そのあとはどうなったんですか」
「はい、二年後、秋に再び病状が悪くなったので来院されました。躁状態が引き続き顕著でまったく眠れないと訴えました。薬物治療を行ったので症状はよくなりました。一時的にうつ状態に変わったようで性格も暗くなり、悲観的な話が多くなりました。もう制作はやめたい、ただの石を彫る彫刻は、温もりもなく冷たいばかりで興味をなくしてしまったと話しました。そんな状態だったので再び一年ほど入院させました」
「そうですか、最後に来院したときはどうでしたか」
「退院してから一か月後、経過を見るために来院されたときは性格も明るくなっていました。制作意欲も出てきたようで今新しいものに取り組んでいると言いました。彼がいうには、彫刻は私にとって無意味だ、もう制作することはない。気分が再び高揚したときは新たな制作に取り組んでいくと話しました」
「新たな制作ですか、それはなんです」
 刑事が口を挟むと、
「それはいまは語りたくない。芸術家の秘密だと言いました。ただー」
と山崎医師は、言葉を止めた。
「ただとは何ですか」
「ええ、最後に来院された時に、上着の袖のあちこちに血が付いていました。それは動物の血だとわかりました。本人に尋ねると、山で死んだキジを見つけて剥製にしてみようと思って持ち帰ったそうです。そのときに付いた血だと言いました」
「剥製ねー」
 刑事たちは不思議に思いながら頷いた。
「病院へはひとりで来てましたか」
「いつも背の低い外国人が一緒でした。本人は車の免許を持っていないのでその男の車で来ると言いました。診察が終わるまでじっとその男は待合室で待っていました」
「そうですか、背の低い外国人の男ですかー」
 二人の刑事はその男がいつもM市立病院の待合室で待っていたことを聞いて、そこで女子生徒二人と郵便局の女性職員の家庭の事情を知ったのではないかと疑った。親が入院中であれば女性たちは度々病院へ来院する。女性たちは待合室で何度も男と顔を会わした可能性があるからだ。 
 二人の刑事は医師の話を聞いて確信を持った。それにしてもその彫刻家が特異な性格の人間であることがよくわかった。
「どうも貴重なお話を聞かせていただいて助かりました。また必要な時はよろしくお願いします」
 二人の刑事はそういって病院から出て行った。署に戻った刑事たちはさっそく翌日の捜査会議で山崎医師から聞いた話を報告した。
「お手柄だった。この情報は実に有益な情報だ。その彫刻家を引き続き調べてくれ」
 捜査課長は、担当の二人の刑事にその彫刻家を徹底的に捜査するように指示した。鑑識課では刑事たちが持ち帰ったビニール袋の分析を進めていた。(つづく)







2024年5月9日木曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         4

  一週間経ってから、高島教諭は休みの日に、もう一度山の洋館へ自転車で行ってみた。農道を登っていくと、山の上から軽自動車が一台降りて来た。軽自動車には集落のこの前出会った男子生徒の母親が運転していた。
「先生、今日もお散歩ですか。今から町へ買い物に行くんですよ」
 主婦は車を止めて笑って言った。
「ああ、先日はどうも、実はお聞きしたいことがあります」
「何ですか」
「最近この農道を灰色の車が通りませんか」
 主婦はそれを聞いて、
「そういえば、何度か通っていくのを見かけます。その車がどうかしたんですか」
 高島教諭はその問いには答えなかった。
「いや、別に。どうもありがとうございます。町までは遠いので大変でしょう」
「ええ、でも車がありますから助かります。それにしても最近は、となり町では物騒な事件ばかりですね。女子高生が殺害されたり、埋められたり」
 高島教諭は主婦から話を聞くと、礼を言って洋館の方へ走って行った。
 洋館に着くと庭へ入ってみた。今日は車は置かれていない。
 玄関へ行って呼び鈴を鳴らしてみた。しばらく待ったが誰も出てこなかった。そのとき、二階の雨戸が少し動き、中から誰かが庭の方を見ている目があった。高島教諭はそれには気づかずに、そっと玄関のドアノブを回してみた。驚いた。鍵が掛かっていなかった。ドアを開けると声をかけてみた。何の返事もなかった。その時、傍で物音が聞こえたと思ったら、頭に激痛が走った。誰かに鈍器のようなもので殴られたのだ。その場で高島教諭は倒れ込んでしまった。
 気が付いたのはずいぶん後だった。長い時間気を失っていた。目を覚ました時、周りの様子を見て驚いた。そこは地下室のようだった。窓がなく暗かった。
「誰なんだ。こんな所へ閉じ込めるなんて、まるで囚人だ」
 部屋の中は薬品の匂いと動物の血の匂いが漂っていた。壁と床のあちこちに血の跡があり、まるで解体場のようだ。部屋の隅には血がこびりついたゴミ箱が置いてあり、その傍に鋭い刃物が幾つも立て掛けてあった。
 部屋のあちこちにカーテンが掛かっていた。カーテンの後ろに何か隠してあるのだ。起き上がってカーテンの傍へ行って外してみた。
「これはー」
 カーテンの後ろには数えきれないくらいの剥製の置物があった。その数に驚いた。小動物から大きな動物まであり、まるで動物博物館だ。知っている動物だけでも、野鼠、リス、モグラ、狐、狸、テン、アナグマ、ムササビ、コウモリ、イノシシ、ニホンザル、シカ、ツキノワグマ、鳥類では、カラス、山鳩、キジ、トンビ、鷹、カモ、みみずく、フクロウなどすべて剥製なのだ。部屋の奥にもカーテンがあった。そのカーテンを外したとき、恐怖で腰が抜けた。それは人間の剥製だった。それらは三体の若い女性だった。どちらも生前身に着けていたと思われる服を着ていた。
 高島教諭は、すぐにその人間の剥製が新聞の写真で見た行方不明の二人の女子生徒と郵便局の女性職員であることが分かった。
「やっぱりそうだったのか。この洋館で作ったものだ。それじゃ、この家の彫刻家の仕業か」
 しばらくして二階から足音が聞こえてきた。
 その足音はドアの前で止まった。鍵を外す音が聞こえてドアが開き、薄暗い部屋に光が差し込んだ。
 懐中電灯の光がまぶしくて、相手の顔がよく分からない。その人物は呟いた。 
「誰だか知らんが、人の住居に無断で入るとは無礼な奴だな」
 高島教諭は、殴られた頭を摩りながら、
「無断で館の中へ入ったのは悪かった。でもこんな所に閉じ込めるなんて酷いじゃないか」
 懐中電灯を持った人物は、ライトの光を高島教諭の顔に照らし続けたまま話を続けた。
「何の用でここへ来た。わしに何の用事だ」  
 高島教諭は、顔がよく分からないその相手に事情を話した。
「私はこの町の高校で美術を教えている教師だ。あなたが彫刻家で、この洋館で作品を制作している噂を聞いた」
 懐中電灯を照らし続けるその相手は、それを聞いて少し様子が変わった。
「美術の先生。それは驚いた。まさか彫刻でも教えているのかね」
 高島教諭は、どうにか相手を落ち着かせることが出来たと思った。しかし彫刻家は、
「美術の教師だかなんだか知らんが、わしの仕事の邪魔をする奴は黙ってはおけん。申し訳ないが、あんたをここから出すわけにはいかない」
 言い終わると、部屋のドアを閉めて鍵をかけ、また階段を登って行った。
 高島教諭は、ガックリとうなだれてしまった。
「困った。何とかここから抜け出す方法を考えないと」
 薄暗い部屋の中にしゃがみこんで高島教諭は思案をめぐらした。
「あの男は異常者だ。私を同じように剥製にするつもりだ」  
 腕時計を見ると午後の6時だった。しばらくしてから階段を誰かが降りてくる音がした。ドアが開くと、背の低い外国人の男がスープを入れた皿を持ってきた。そして床に置くとすぐにドアを閉めて鍵を掛け、また階段を登って行った。
「これが夕食か」
 がっかりしたがお腹も空いていたのですぐに飲んだ。しばらくすると眠気を模様してまた眠ってしまった。
 数日後、高島教諭の高校では大騒ぎになっていた。
「高島先生が今日も学校へ出てきません」
 ほかの教師たちも、みんな不思議な顔をした。教頭も心配して、
「高島教諭は病気かな。でも連絡がないのはおかしい」
 五日が経ったが、高島教諭は行方不明のままだった。学校では職員会議を開いて、警察に届けることにした。
 地元警察ではこれまでの行方不明者の事件が依然解決していないので、県警本部から新たに刑事二人を派遣していた。ひとりはこれまで難事件をいくつも解決した秀英刑事で、もう一人はやる気のある若い刑事だった。二人はこれまでの女子学生と郵便局の女性職員の事件簿を丹念に読み、新たに届けられた高校の美術教諭の失跡届を読んで調査を始めたのである。
 二人の刑事は行方不明になっている美術教諭が勤めている県立高校へ行き、教師や生徒からの聞き込みを行った。調べていくうちにある野球部の男子生徒から次のような話を聞いた。
「高島先生は、山の洋館へ行ったのではないかと思います。その洋館には彫刻家が住んでいて、たびたび訪ねて行ってましたから」
  この情報は有益なものだった。詳しくその男子生徒から聞き込んだ。二人の刑事は翌日山の洋館へ車で出かけた。途中、農家の人に出会ったので、高島教諭のことを聞いてみた。農家の人は、
「本当ですか、県立高校の美術の先生が行方不明なんですか」
と驚いた。農家の人は、山を越えた集落に住んでいる奥さんからよくその先生の話を聞いていたので二人の刑事はその家に行ってみることにした。奥さんは畑で仕事をしていた。
「すみません。警察のものですが、少しお話を聞かせて下さい」
 主婦は何事かと思って刑事の車の傍へやって来た。
「高島先生がどうかしたんですか」
 刑事は行方不明だと話すと、
「あの先生は、自転車でよくここへやってきて洋館のことを尋ねましたよ。何度か訪ねて行ったようです。でもまさか行方不明だなんて驚きました。あの洋館と何か関係があるんですか」
「それはまだ分かりません。最後に出会ったのはいつですか」
「一週間前です」
 主婦は美術教諭から灰色の車のことを尋ねられたと言った。
 刑事たちはそれを聞いて、今回の猟奇事件を美術教諭も調べていたのではないかと推察した。刑事たちは話を聞くと、主婦に礼を言って再び洋館の方へ走って行った。  
 二人の刑事は洋館へ着くと、館の周りを調べはじめた。庭には何もなかった。玄関の戸は閉まっており留守だと分かった。
「捜査令状がないので勝手に調べるわけにはいかないな。しかしこの家には何かありそうだ」
 二人の刑事は洋館の周辺の林の中も調べてみた。林の中は雨が降ったせいでずいぶんぬかるんでいた。ある場所に動物や人の足跡があり、破れたビニール袋の切れ端が散らばっていた。近くの土が掘り起こされており、何かを埋めたような跡があった。
「ビニール袋に指紋や血液などが付着しているかもしれない」
 二人の刑事はビニール袋の切れ端を集めるとハンカチに包んで持ち帰ることにした。町に戻るとホームセンターの傍に喫茶店があった。捜査で喉も乾いていたので店に入ることにした。その喫茶店は高島教諭も入った「樹氷」だった。(つづく)






2024年4月6日土曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         3

 数日後のことである。学校へ出勤すると職員室の中は慌ただしかった。教頭が教員を集めて次のようなことを話した。
「今朝、となりのY町のY高校の教頭から電話があってY校の女子生徒が通学途中に何者かに誘拐されて行方不明になっているとのことだ。現在、警察が捜査中だ」
この事件は翌日に地元の新聞に報道され、警察や新聞記者がY高校にもやって来て話を聞きに来た。
「何者の仕業だろう。女子生徒はどこにいるのだろう。犯人はだれだろう」
地域住民はだれもが不安がった。特に女生徒の親たちは心配でならなかった。
 となり町のY警察署では、行方不明になっているY校の女子生徒の捜査が本格的に始まっていた。
 事件当日の住民からの聞き込みで次のことが分かった。
 先ずY高の女子生徒の自宅から1・2キロ離れた県道で、当日の朝八時過ぎ、女子生徒が自転車に乗って学校へ向かっている途中、停車していた一台の灰色の乗用車に呼び止められて、何か話をしたあと乗用車に乗せられて走っていったとの目撃者からの情報が入った。通学時間中だったので人通りも多かった。自転車はそのまま歩道に置かれたままだった。連れ去られた場所は、大手通りのバス停近くだった。通報者はバスを待っていた会社員だった。
 同日、近くのクリーニング店から次のような情報が寄せられた。
「あの朝、開店の準備をしていたとき、灰色の車が道路わきに長い時間止まっていました。誰かを待っているようでした」
「運転手ひとりでしたか」
「そうです。人相などは覚えていません」
 店員はそう答えた。
 ほかに目撃者がいないかその周辺の家でも聞き込みをした。するとある家で情報を得た。
「あの朝、私は犬を連れて散歩に出ていました。八時過ぎでしたが、道路わきに灰色の乗用車が止まっていて、向こうから自転車で走ってきた高校の女子生徒を呼び止めて声をかけていました。
「運転手だけでしたか」
「そうです。紺色の帽子をかぶった中年の男でした」
「女子生徒はその車に乗ったのですか」
「ええ、乗りました。急いでいたようです」
 刑事たちはその話を聞いて、当日の朝、女子生徒を車に乗せた紺色の帽子をかぶった中年の男を調べることにした。
 数日後、新たな情報が警察に寄せられた。事件当日の午前9時頃、Y町とこのF町を通っている国道4号で工事作業をしていた作業員が、Y町から猛スピードで走ってくる灰色の車を見かけたのである。丁度カーブの所で工事をしていたので、その車は急ブレーキを踏んで停止した。もう少しで事故を起こしかねない状態だった。作業員はその車に運転手と高校の女子生徒が乗っているのを覚えていた。
「女子生徒は眠っているようでした」
と答えた。
 その車はすぐにまたスピードを上げてF町の方へ走っていったと話した。
 担当刑事は、その車を運転していたのはY町で女子生徒を誘拐した紺色の帽子を被った男ではなかと推察した。Y警察署ではF町の警察署にも問い合わせてその男の調査をはじめた。
 それから一週間後のことである。高島教諭が勤めている県立高校で次のようなことがあった。ある日、高島教諭が職員室で昼食を食べ終わって休んでいたとき、この前の野球部の中田という男子生徒がやってきた。
「先生、お話があります」
 廊下に出て話を聞いてみると、昨日、男子生徒がいつものように農道の山道を走っていたとき、洋館の近くの雑木林の中で野良犬が数匹集まって動物か何かの臓器のようなものを食べていた。土が掘り起こされており、周りには血の付いた破れたビニール袋の切れ端が散らばっていた。野良犬がいなくなってからその場所へ行ってみると、臓器はほかの動物にも食べられたようでほとんど残っていなかった。男子生徒はすぐにそこを通り過ぎたが、あの光景はしばらく頭の中に残ったと言った。
高島教諭は異様な話で驚いたが、まさかそれが新聞で報じられているY校の女子生徒のものではないかとふと疑ったが、何の根拠もないので深くは考えなかった。
 二週間後、同様の高校の女子生徒の誘拐事件がこのF町から北へ20キロ先にあるB町の私立高校で起きた。事件現場は駅だった。同じ色の乗用車が目撃されている。通学時間の八時頃、電車を待っていた女子生徒が、小柄な中年の男に声を掛けられて、駅に止めてあった車に乗って町から出て行ったというのだ。小さな駅だが、何人かの目撃者がいた。
 警察は、同一人物による犯行とみて捜査を開始した。
「どちらの事件も小柄な男と、灰色の車ですね」
「目的は何だろう。ただの誘拐ではなさそうだ」
 担当の刑事たちは、誘拐された二人の女子生徒の家庭の事情を調べてみた。すると共通点がいくつかあった。どちらの家も両親のひとりが重い病気を抱えて長期入院していたことである。
 二人の女子生徒は、事件のあった日に、小柄な男から何らかの情報を聞いて、急いでM市立病院へ向かったと思われる。しかし、二人の家庭の事情をどうしてその小柄な男が知っていたのだろうか。それに見も知らない男の情報を信じてどうして車に乗ったのであろうか。その真相を突き止めなければいけないのだ。
 刑事たちが捜査に全力を挙げていたある日のことである。次のような情報が入った。
 その情報は、このF町の山間にある村の林道の傍に、午後10時頃、灰色の車が止まっているのを残業を終えて自宅へ帰ってきた会社員が見かけたのである。車には誰も乗っていなかった。会社員は新聞の記事で灰色の車のことを知っていたのでまさかと思ったそうだ。もしその車が犯人のものなら、その林の中で何をしていたのか。警察は通報を聞いて、その現場へ行き捜査をはじめた。すると、林の中のある場所に人間の臓器らしいものが埋められているのを発見した。
 血液型はB町の駅で行方不明になっている私立高校の女子生徒と同じO型だった。臓器のほかに両腕の筋肉、両足の筋肉の一部がビニール袋に入れて捨ててあった。血液を分析した結果、DNA型が被害者のものと一致した。
 警察はその夜、現場に止めてあった灰色の車を運転していた人物が、それを埋めたと推察した。
「この事件はまったく猟奇的だ。犯人はなんのために臓器や筋肉だけを埋めたのだろう」
 警察は引き続き、灰色の車の行方を追うことにした。
 このニュースは新聞でも報道されたので高島教諭も読みながら、数日前の男子生徒の話を思い出した。
「まさか、あの洋館の傍の林の中に、Y高校の女子生徒の死体が埋められているかもしれない」
 高島教諭はそう疑ったので学校が休みときに、自分でも一度その雑木林へ行って確かめてみることにした。
 そんな矢先のことである。次の事件が起きたのである。十日後、このF町から東へ6キロ離れた山間のK村で郵便局の20代の女子職員が帰宅途中に行方不明となり、警察に捜索願いが出されたのだ。警察では同一犯人の仕業とみてすぐに捜査を開始した。
 警察の調べによると、郵便局の女子職員は自宅へ向かう途中に何者かが運転手する車で連れ去られた可能性が高い。
 家庭の事情を調べると、女性職員の父親が重い病気でM市立病院に長期入院しており、当日、容態が急変した電話を受けてその人物の車に乗ったと思われる。それ以外のことはその時点では何も分かっていない。
 数日後、高島教諭は、仕事が休みの日に自転車に乗って彫刻家が住んでいる山の洋館へ行ってみた。農道の山道を登って行くと、やがて下り坂になり、男子生徒が目撃した雑木林の場所へやって来た。さっそく雑木林の中を調べてみた。落ち葉が踏み荒らされて野良犬の足跡が残っていた。ある場所が掘り起こされて、血の付いたビニール袋の切れ端が散らばっていた。
「ここへ女子生徒の臓器を埋めたのかもしれない」
 そう思いながらここから見える洋館の方を眺めて見た。見た瞬間に目を疑った。洋館の庭に車が止まっているのだ。シートが掛けられているのでどんな車なのかわからない。もし灰色の車だったらどうだろう。高島教諭は洋館を調べてみることにした。自転車を押して洋館の方へ歩いて行った。
 洋館の周囲は相変わらず静かだった。門は開いており、車があるので彫刻家がいるのではないかと思った。車の傍へ行ってシートを上げようとしたとき、玄関の扉の鍵を開ける音がした。高島教諭は車から離れると近くの茂みの中へ姿を隠した。
 洋館から出てきたのは背の低い小柄な中年の男だった。高島教諭は驚いた。
「あの男はー」
 小柄な男は、海鮮市場で出会った外国人だった。男は周りを見渡しながら、車の方へやってくると、車に掛けてあるシートを少し外した。しかし向こう向きなので車体の色は分からない。男はトランクを開けると、中を覗き込んだ。トランクの中には束になった針金がたくさん入っていた。男はその針金の束を両脇に抱えるとトランクを閉め、また車にシートを掛けて洋館の中へ入って行った。
「針金なんて何に使うのだろう」
 高島教諭は不思議に思ったが、男がまた洋館から出てくると大変なのでその日は引き上げることにした。しかし洋館には彫刻家しか住んでいないのにあの小柄な男はいったい誰だろう。高島教諭は考えながらその場から立ち去った。(つづく)




2024年3月6日水曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         2
 
 ある日、高島教諭はいつものように美術室で授業をしていた。授業では生徒たちに彫刻デッサンを教えていた。
「絵を描くには物の形、質感、明暗など基本的なことがわかっていないといい絵が描けない。今日は彫刻を見ながら、物の形、質感、明暗について学んでほしい」
 美術室の中央にギリシャ彫刻の胸像を机に載せて、その周りを生徒たちが自由に椅子を動かして絵を描いている。みんな苦心しながら描いているが、木炭の使い方に慣れていないので、なかなかうまく描けないでいる。ある生徒などはやり直しをしすぎて、絵が真っ黒になっている者もいる。高島教諭は、生徒たちのデッサンを見ながら、ひとりひとりに指導をしていく。
 ある日曜日の午後、高島教諭は自転車に乗って県立高校近くの国道4号を走っていた。 
 先日、野球部の生徒から聞いた山の洋館を見に出かけたのである。国道4号の途中に山を越えて隣村へ行く農道があった。農道の周りには畑があり、農家が点在している。農道の登り坂はそれほど急ではない。しかし途中から急になり、自転車を降りて歩いて行った。十五分ほど登っていくとやがて下り坂になった。遠方に村の集落が見えた。集落の農道をさらに進めばとなりのY町へ向かう。
 自転車で坂道を降りていくと、途中の林の中に柵が見えた。近くに来ると、柵の向こう側に古びた3階建ての洋館がぽつんと建っていた。洋館の周りは木や草がぼうぼうに伸びていた。
「あの洋館だな」
 高島教諭は、洋館まで通じている小道を行き門の前で自転車を止めた。鉄製の門の隙間から洋館を眺めた。洋館の壁板は所々剥がれて、窓は雨戸を閉め切っているので中の様子はまったく分からなかった。庭のあちこちに砕いた彫刻の破片がたくさん落ちていた。
「淋しい所だな。庭もずいぶん荒れている」
 しばらく見ていたが、誰もいないようなので引き返すことにした。でも、せっかくここまでやって来たので、集落も見ておこうと農道を走って行った。学籍簿にはこの集落に自宅がある生徒が数人いる。農道を走っていたとき、農作業をしていた中年の女性に声を掛けられた。 
「県立高校の高島先生ですね」
 その中年の女性は小林という男子生徒の母親だった。
「お散歩ですか。いつも息子がお世話になっています」
「ええ、退屈しのぎにここまでやってきました。ここは静かなところですね」
「この辺は田舎ですから車もほとんど通りません」
 高島教諭は、ふと思いついて、その母親に尋ねてみた。
「さっき下り坂を降りて来る時、古びた洋館を見たのですが、誰か住んでいるのですか」
 それを聞いて母親は、
「ええ、あの洋館は二十年前に建ちました。外国から帰って来られた当時四十代の彫刻家がいまも住んでおられます、でも最近は見かけません」
「県外の人ですか」
「詳しいことは知りません。両親なら知っていると思います」
 高島教諭は、その母親の両親に会って話を聞きたいと思った。
 広い畑には作物がたくさん植えられていた。
「ずいぶんいろんな物をお作りですね。キャベツ、カボチャ、山芋、玉ねぎ、ピーマン、ほうれん草、ジャガイモ、ネギ、トマト、アスパラガス、きゅうり…」
「ええ、どの農家でもたくさん作っています。最近はイノシシなどの野生動物の被害も少ないですから。以前はイノシシによく荒らされて困っていましたが、どうした訳か最近はほとんど見かけません」
 母親は笑って話したが、高島教諭はこの地区のことはよく知らないので「そうですか」とだけ答えた。
高島教諭は、母親から参考になることを聞いたのでその日は帰ることにした。
村をUターンして再び山を越えて海岸沿いを走る国道4号まで戻り町へ向かった。ここからF町までは北へ5キロの距離である。町へ着くとホームセンターの傍に「樹氷」という喫茶店を見つけたので入ることにした。
店に入ると、昔の外国映画のポスター写真がたくさん壁に飾ってあった。どれもサスペンス映画ばかりだった。しばらくして注文を取りに店主がやって来た。店は店主が一人で経営していた。お腹が減っていたのでミックスサンドとアイスコーヒーを注文した。
窓際の方を見ると、本棚が置いてあり、サスペンス小説や推理小説の単行本や文庫本がたくさん入っていた。
しばらくして店主が、ミックスサンドとアイスコーヒーを持って来た。高島教諭は壁の方を見ながら、
「どれも懐かしい映画ですね。ずいぶん集めましたね」
「ええ、若い頃からサスペンス映画や推理小説が好きで、すっかりポスター集めのコレクターになりましたよ」
 高島教諭は店主にそんな趣味があるのなら、この町で有名なあの洋館の事も知っているのではないかと思い尋ねてみた。すると店主は、
「小さな町のことですからよく知っています。みんなあの洋館を「猟奇館」って呼んでいます。この店を開店した同じ年に建ったと思います。そういえば、開店当時はときどき彫刻家が店にやって来ました」
「どんな方だったんですか」
 店主は話した。
「明るい性格の人でした。多弁で自分のことをよく話しました。なんでもフランスに長く暮らしていたそうで、ロダンとかカミーユ・クローデルとかいう彫刻家の作品に影響されて、パリの美術学校で学んでいたそうです。自分の作品には自信を持っているようで、よく制作のことも話しました。その頃は、お金を払ってモデルを捜していましたが、どうしたわけか貧乏になってお金が払えず、気に入った女性を見かけると強引な態度で声をかけていました。それからはまったく見かけません」
「フランスで生活しておられたんですか」
 高島教諭は、興味深く聞いていた。
「私はこの町の県立高校で美術を教えているんですが、風景画や静物画が専門ですから、モデルをやとうことはありません。でも彫刻は人物が主ですからモデルを探すのも大変です。友人にも彫刻家がいるのでモデルさんのことをよく聞きます」
 店主は聞きながら頷いた。
「あの洋館へはもう行かれたのですか」
「ええ、さっき行ってきました。誰もいないようでした。また行くつもりです」
 店主とそんな話をしながら食事を食べ終えると、高島教諭は店を出た。自転車を漕ぎながら、店主が話したことをいろいろ思いだした。
「不思議な彫刻家だ。是非会って話をしたいな」
 高島教諭はこの店が気に入って、ときどき散歩の途中に来店した。
町のF駅までやってくると、吉崎通りの中へ入って行った。郵便局本局のそばに書店があったので中へ入った。
 書店に入ると中学校の生徒が数人立ち読みをしていた。ビアズリーのサロメのペン画集を見つけたのでそれを買って高島教諭は店を出た。アパートへ帰ってもすることがないのでそのまま港へ行った。ふ頭へ行くと、フィリピン国籍の貨物船が数隻、積み荷を降ろしていた。夜になるとこのふ頭では夜釣りをする人がたくさんいる。
帰りに海鮮市場へ寄って今夜のおかづを買うことにした。新鮮な魚が売られていたが、ほ
とんど売り切れていた。何かおかづになるものがないか探していると、
「お客さん、このアワビと牡蠣はどうですか。新鮮ですよ。もうこれしかありません」
と声をかけられた。
 買おうかどうしようかと迷っていると、後ろから男が割り込んできた。
「俺に売ってくれ」
 振り返ってみると、紺色のソフト帽をかぶった色白の背の低い男だった。すぐに外国人だと分かった。
「ありがとうございます。両方で千円です」
 その男は金を払うと、袋にアワビと牡蠣を入れてもらってすぐにそこから立ち去った。
「ああ、おしいことをしたな。何か代わりに買わないと」
 となりの商品棚にアジの干物が数匹残っていたのでそれを買ってアパートへ帰った。帰り道、自転車を漕ぎながらさっきの紺色のソフト帽を被った背の低い男の姿が妙に頭に残った。(つづく)







 

2024年2月17日土曜日

(連載推理小説)猟奇館事件

         1

 日本海に面したS県北部のM市の山の中に地元の人たちから「猟奇館」と呼ばれている木造建築の三階建ての古びた洋館が建っている。六十代後半の白髪頭の痩せた彫刻家が住んでいるが、最近はどこへ行ったのか姿を見せない。
 洋館の庭は草が伸び放題で、柵は錆びつき、庭のあちこちに野生動物や野鳥、人体の彫刻が無造作に置かれており、どれも汚れてひびが入っていた。夜は特別不気味で、雨戸は閉め切っており、玄関の照明も点けたことがない。昔、村の人が回覧板を持って行ったが、何か月も回って来ないので持って行くのを止めてしまった。郵便物もほとんど届いたことがない。
 この洋館の傍には農道が通っている。農道を通って山を越えると海が見え、海岸沿いを走る国道4号に出る。この国道をまっすぐ南へ行くと15キロ先にY町がある。県外の車はこの農道を知らないので、地元の人がたまに近道として使うくらいだった。国道4号を北へ5キロ行くとF町があり、2キロ先には県立高校がある。
 七月上旬のある日、その県立高校の野球部の男子生徒がひとりで国道の歩道を走ってきた。週に何度かやって来るのだ。国道からこの農道へ入り、坂道を登って山を越え、洋館の傍を通って隣村までランニングするのだ。村までやって来るとUターンして戻って行く。だからこの洋館を見るのは村人とこの男子生徒くらいだった。
 あるとき洋館の傍を通ったとき、珍しく彫刻家の姿を見かけた。青白い顔をした痩せた男で庭で何かしていた。男子生徒は走る速度を落として注意深く見つめた。彫刻家は洋館の外壁に彫刻をいくつも並べて金槌でばらばらに砕いていた。せっかく制作した作品なのに気に入らないらしい。
 男子生徒は不思議な光景に驚いたが、そのまま通り過ぎた。家に帰ってから両親に話したが、彫刻などに興味のない両親は「そうかい」といって黙って聞いているだけだった。
 この生徒が通っている県立高校では春に教師が数人入れ替わった。高島克之は美術の教師としてN県の県立高校からやってきた。独身で34歳である。学生の頃から絵が好きで全国の美術展に多数の作品を出品していた。
 美術室には西洋の古典絵画や日本の近代絵画の複製画を入れた額が壁に飾られていた。窓際の棚の上には二体のギリシャ彫刻の胸像も置かれていた。
 ある日の放課後、授業が終わっていつものように職員室で仕事をしていると、校庭で野球部の生徒が練習していた。
 子供の頃からプロ野球を見るのが好きだったので校庭へ出てしばらく練習を見ていた。
 金網の後ろで見ていると、2年生の中田という選手が近寄って来た。
「もうすぐ夏の大会があるのでみんな練習に励んでいます」
「この学校は強豪だと聞いているよ。今年もぜひ優勝してくれ。応援してるよ」
 高島教諭は笑って言った。
 しばらくしてその生徒がこんな質問をした。
「先生、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
 中田は真面目な顔になった。
「何が聞きたいんだね」
「彫刻のことなんですが」
「何だね」
 中田は続けた。
「実はこの高校から2キロほど南へ行ったところに山を越えて行く農道があるんですが、その農道の傍の山の中に古い洋館が建っています。先日、農道をランニングしていた時、洋館に住んでいる彫刻家が、庭の彫刻を金槌でいくつも砕いているのを見かけました」
「砕いていた?」
「ええ、そうなんです。もったいないと思いました。せっかく作った彫刻なのに」
 高島教諭は中田の話を聞いて答えた。
「自作に厳しい彫刻家の中には、気に入らないと作品を破棄してしまう人はいるが、何点も砕くなんて珍しい人だな。相当に完璧主義の芸術家だな」
「そうでしょうね。変な人です。あの洋館だって気味が悪いとみんな言ってますから。わかりました」
 その時、グランドから声が聞こえた。
「中田、守りだ。守備につけ」
 中田という生徒は急いで自分の守備位置へ走って行った。
 高島教諭はいま聞いた彫刻家のことをしばらく考えていたが、練習がはじまるとそれに気を取られて忘れてしまった。
 今日の仕事も終わって高島教諭は学校を出た。帰りに海鮮市場へ今晩のおかづを買いに行った。
 海鮮市場へ行くと、アジ、トビウオ、スズキ、タイ、カレイなどが売られていた。アサリ、ハマグリ、サザエ、牡蠣、イカなども新鮮なものばかりだ。
 何を買おうかと迷っていると、
「お客さん、いまはアジとカレイがおいしいですよ。地元産です。でも魚はやっぱり冬ですよ。ブリや蟹が出回ります。ブリなんかずいぶん脂が乗っています」
 店員に教えてもらった。
 高島教諭は町の民間のアパートを借りて住んでいる。部屋は一階である。転勤族なので引っ越しの際は一階が都合がよい。車は所有していない。いつも愛用の自転車で通勤している。
 アパートへ帰ってくると、さっそく夕食の準備をはじめた。
 独身者の部屋はたいてい乱雑だが、高島教諭は几帳面な性格なので普段からきれいに整頓されている。本棚には授業のときに使う教科書や美術関係の専門書が入っている。部屋の壁には自作の水彩画、油絵が飾ってある。
 海鮮市場で買ってきたアジとカレイをおかづに夕食を食べてから風呂に入った。テレビでプロ野球を見たあと、明日の授業の準備をしていたとき、ふと、今日聞いた野球部の生徒の話を思い出した。
「庭で彫刻家が金槌で彫刻をいくつも砕いていました」
 そのときはたいして気にならなかったが、何日かすると、そのことばかりが気になりだした。
「農道のそばにある洋館か。どんな家か一度見てみたいな」
 そう思いながら高島教諭は部屋の照明を消して眠りについた。(つづく)



2024年1月22日月曜日

病気になった王さま

  王さまは重い病気になりました。
おなかが痛いとか、足が痛いとか、歯が痛いとかではなく心の病気でした。若い頃は外に出たり、いろんな人にあって健康そのものでしたが、年を重ねるにつれて外へ出ることもなく、お城に閉じこもってばかりで、頭の中で夢ばかり追っていました。
 あるときそんな王さまに悪霊がとりつきました。悪霊は退屈している人や暇そうに夢ばかり追ってる人が大好きです。
 悪霊は王さまに語り掛けました。
「隣国が、この国を狙っています。早急に兵隊を増員して守らなければいけません」
 王さまはそれは大変だとばかりに、国中から人を呼び集め、国境の周りを固めました。でも国民は納得できませんでした。この国と隣国は昔から大変仲が良く、この国を狙うはずがないからです。でも王さまの命令ですからどうすることもできません。
 あるとき悪霊が王さまにいいました。
「先手必勝です。兵隊をすぐ隣国へ派遣しなさい。そうしないと先にやられます」
 王さまはそれは大変だとばかりに国境の司令官に隣国へ兵隊を出すように命じました。
 司令官の命令で、兵隊たちは隣国へ攻め込みました。ところが隣国の住民たちは、そんなことなど知らず、仲の良い隣国の兵隊たちが久しぶりにあいさつにきたと思って、家に招いて、お茶を出したり、お菓子を出したりしました。 
 けれどもどうも様子が変なので、「これは隣国が国境を越えて攻めてきたのだ」と思って、武器を取って応戦しました。
 どの町でもそんな様子でしたから、この国の王さまにも通達されました。王さまも理由がわからず、本格的に兵隊を出して戦うか迷っていました。
  これらのニューズは戦争を仕掛けた国の国民にも知らされました。
  ある日、そのニュースを聞いたある教会の司祭が、
「王さまは悪霊にとりつかれている」と判断しました。
 この司祭は、医学の知識もあり、これまで悪霊にとりつかれた人をたくさん治療したことがあったからです。
「私が王さまの病気を治してあげよう」
  さっそく王さまのいるお城へ行って、王さまに面会することにしました。召使に連れられて、王さまの部屋へ行くと、王さまは青い顔をしてうわごとをいったりしてベッドで休んでいました。
  司祭はすぐにそばに行って、悪霊を追い払うために、何度もお祈りをはじめました。
 しばらくすると王さまの様子が変わってきました。顔色がよくなり、うわごともなくなりました。最後の祈りが終わるころには、悪霊がすっかり部屋から出ていきました。
「私は何をしていたのだ。誰か教えてくれ」
  召使たちは、王さまの命令でこの国の兵隊が隣国へ攻めていったことをはなしました。王さまは驚いて、すぐに隣国へ攻め込んだ兵隊を退却させました。
  それからは前のように両国は仲良くなりました。