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二週間が経ったある日のこと、脇田正也はいつものように店で仕事をしていた。近所の常連客がやって来て散髪を頼んだ。脇田正也は毎日鋏を動かしながら仕事に集中していた。あるとき客のひとりからこんな話を聞いた。
「あんた知ってるかね。昨日の深夜、となり町の交番で拳銃が盗まれたんだ。巡査が仮眠していたとき誰かが入って盗んでいったらしい」
客の話に脇田正也も驚いた。
「本当ですか。大胆なことをする泥棒ですね」
「いま警察で犯人の行方を追っている。なんでも拳銃が保管されていた部屋の机の引き出しの鍵を外して奪ったそうだ。素人には出来ない芸当だな」
「でも、拳銃を奪って何に使うのでしょうね」
「そりゃあ、決まってるさ。強盗をやるのさ」
その事件は早速その日の新聞に載った。店が終わってから脇田正也もすぐに読んでみた。新聞の記事によると昨夜は小雨が降っており、どの家も電灯を消して眠りについていた。事件が起きた時刻、交番から東へ百メートル離れた場所にタクシー会社があり、深夜勤務の従業員が、犯行が行われた時間帯に、黒いレインコートを着た人物が交番の方へ歩いて行く姿を目撃していた。黒い帽子を被っていたので顔はわからない。その時間帯は人通りもなくほかには誰も通行していなかった。警察は事件が起きた時刻に交番の方へ歩いて行ったその人物に焦点を当てて調べていた。
店にやって来る客たちも新聞を読んでその話題を盛んに脇田正也に話した。
「盗まれた拳銃で事件が起きないといいが。でも犯人はどんな奴だろう」
客の話を聞きながら鋏を動かす脇田正也だったが、その事件のことよりも最近気になることがあった。それは夜中に見る夢のことだった。夢の中で奇妙な音が聞こえるのだ。それは雨の音であったり、歯車が回る音だったり、はっきりと分らない。が、そんな音が頻繁に聞こえてくるのだった。
「以前はそんな音のする夢など見なかったのに、どうしてだろう」
月曜日が来て、脇田正也は約束どおりとなり町の医院へ行った。
医者はいつものように脇田正也をソファーに寝かせて精神分析を行った。脇田正也は最近よく見る夢のことを医者に話してみた。
「その症状はいつから起きている」
「二週間くらい前からです」
「そのような夢をこれまで見たことはなかったかね」
「はい、一度も」
医者は話を聞きながらカルテに記録していく。
「最近、働き過ぎではないかね。その音は仕事で使う鋏が触れ合うような音ではないか」
「そうかもしれません。いや、分かりません」
「ほかに夢の中でどんな景色が見えるかね」
「夜道を歩いている夢が多いです。雨降りの中をー。断片ばかりでよく覚えていません」
「そうかね、でも心配することはない。君はお店でいつも客の髪を洗っている。たぶん水道を流す音だ。誰にでもある夢だ。さあ、心の中にあることをすべて話してみたまえ」
医者に言われて脇田正也は夢の内容を詳しく話した。
診察は二時間くらいだが、いつも眠り込んでしまい目覚めると、精神安定剤だと言って薬をくれた。そして日当五万円を貰って帰った。
一週間が過ぎたある日のこと、客が言ったように、別の町で盗難事件が起きた。その夜も雨が降っていた。事件があったのは高級貴金属店だった。深夜、一時頃、その店に何者かが侵入し、ガラス棚に保管されていた二千万円相当の貴金属が盗まれたのだ。
犯人は店のドアの鍵を難なく外し、店内に侵入したのだ。深夜のことで目撃者はいなかった。だが、事件が起こる一時間前、近くの公園の中を、黒いレインコートを着た男が公園の中をうろついている姿を近所の人が目撃していた。また事件が起こった後、黒い乗用車が猛スピードでこの町から出て行ったとの情報があった。
警察は犯人がその車に乗って逃げたと推察した。店に侵入したのは黒いレインコートを着た男だが、車を運転していたのは別の人物だと睨んだ。
「先日の交番の事件と犯人の人相が似ているな。おそらく同一犯人の仕業だな」
店にやって来る客はいつも事件の話をした。
脇田正也は鋏を動かしながら客たちの話を聞いていたが、ふと気になることがあった。それは犯人が着ていた黒いレインコートのことだった。脇田正也も黒いレインコートを持っているのだ。若い頃は車を所有していなかったので、いつも自転車を使っていたとき着ていたのだ。でも今は洋服ダンスの奥に閉まってある。
「まさかー」
変に思ったが、自分が持っている黒いレインコートと今起きている事件とは何の関係もないので、それ以上のことは深く考えなかった。
客の髪を切り終えると、脇田正也は、髭剃りの準備をはじめた。
客はその間、店に飾ってある帆船模型を眺めながら、
「今も帆船模型は作っているのかね」
客が尋ねたので、脇田正也は、
「はい、数日前に、ネットで三万円の帆船模型を注文しました」
「そうかい、また完成したら見せてくれ」(つづく)
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