2018年9月13日木曜日

恐怖の館(短篇小説)

 今年の夏はずいぶん暑かった。冷房ばかりの生活では身体を悪くするので、山へキャンプに行った。山なら平地よりも涼しくて、夜もぐっすり眠れそうだから。
 ある日、キャンプ道具一式を車に積み込んでさっそく出かけた。途中、コンビニで食料品を買い、山めざして走っていた。町を抜け、田舎道を走り、やがて山道に差しかかった。
 天気予報では数日間は晴れを予想していた。でも山だから雷雨があるかもしれない。
 山の渓流のそばで車を止めた。家を出てから3時間ぐらい走った。
「昼食にしよう」
 渓流の水でお湯を沸かして、コーヒーを入れた。コンビニで買ってきたサンドイッチを食べた。地図によると、このまま北へ行くと、山を越えたところに山の湖がある。今夜はそこでキャンプをすることにした。昼食が終わってからまた山を登って行った。しばらく空は晴れていたが、しだいに雲が多くなってきた。2時間くらいすると、積乱雲がぽかぽかと浮かんできた。
「雷雨になるかもしれない。天気が悪くならないうちに、山を越えよう」
 山道はだんだん細くなり、勾配もきつくなってきた。空を見ると雷が光っている。
「山の上だから心配だな」
 そのうちに、真っ黒い雲から雨が降り出した。雨はすぐに激しくなった。山道の木の下で何度も休みながら、雨を避けた。そのとき凄い音がした。近くで落雷があったのだ。心配しながら進んで行くと驚いた。雷に当たった樹木が倒れて道を塞いでいる。
「困った。大きな木だ。あんな木は移動させられない。そうだ。さっき別の道があったな」
 引き返して道を探した。しばらく行くと、やっと車が一台通れそうな小道があった。
「この道を行ってみよう。北の方へ行けば、何とか山を降りられるかもしれない」
 まわりが暗いのでライトをつけて走った。そのうち樹木も草地も少なくなり、岩だらけの道になった。厚い雲は取れないまま、雷もまだ鳴っている。
 山道から見えるまわりの風景は恐ろしい。谷底が真下に見え、雨のために緑の林はかすんでいる。車がどうにか一台通れるくらいの崖の細い道を走りながら、下り坂にならないか期待して走った。視界が悪いので何度もひやりとした。そのとき前方に建物が見えた。雷の光で家の窓ガラスが何度も光った。
「人家だ」
 岩の上に建つお城のような館だった。不気味でビクッとしたが、雨が止むまでしばらくあの館で休ませてもらおうと思った。強い風と雨を受けながら細い道を走って行った。
 やがて、館の門へやって来た。鉄製の柵はずいぶん錆びついていて、門の扉も開いたままだった。空き家のようだ。
「まるでお化け屋敷だな」
 車を中庭に止めて、館の玄関へ歩いて行った。玄関の扉には鍵が掛かっていたが、ぼろぼろに錆びついていて、衝撃を与えるとすぐに外れた。扉を開けて中へ入った、真っ暗な室内は居間だった。蜘蛛の糸が天井や壁、テーブルや椅子にたくさん掛かっていた。
「幽霊が出てきそうだ。でもよかった今夜はここに泊まろう」
 ロウソク台があり、ぼろぼろになったロウソクに火を着けた。居間の中が明るくなった。窓のそばへ行くと、そとは雷がまだ鳴っている。雷光で谷底の景色がよく見えた。車のところへ戻って寝布団と食料を持ってきた。
「食事を取ろう、お腹がぺこぺこだ」
 暖炉があったので、薪に火を着けてお湯を沸かした。食事をしながら居間の様子を詳細に観察した。壁には花の絵がやたらに飾ってあった。絵はどれも煤けていたが、描かれたときは色彩豊かな絵だったに違いない。いったいどんな人が住んでいたのだろう。
 食事が終ってから、館の中を調べることにした。石の階段を登って行った。窓が二つくらいしかなく、ずいぶん暗い館だった。驚いたことに二階の廊下の壁に掛かっている絵画も花の絵ばかりだった。南国に咲く花がずいぶん多かった。
 ひとつ、ひとつの部屋に入ると、やはり花の絵が掛かっている。ある部屋に、自画像らしい一枚の中年の女性の絵が掛かっていた。この館の持ち主だろうか。窓のそばに本棚があり、花に関する専門書や図鑑がたくさん入っていた。
「ずいぶん花が好きな住人だな」
めずらしい本ばかりなので少しの間、本を眺めていた。
 二階から降りてくると、館の台所と倉庫を調べてみた。倉庫には花の栽培に使う、鉢や花の種、スコップ、剪定バサミ、水差し、除草剤などが置いてあった。倉庫の奥は酒蔵だった。ワインや洋酒の棚があり、ワインを数本もらってきた。
 食事が終ってから、翌朝、ここを出てどうやって山を降りようかといろいろと思案した。明日もこんな雷雨にあったら大変なので、家に帰った方がよいと判断した。でも登ってきた山道はちゃんと通れるだろうか。雨が凄かったので心配だった。
 あれこれ考えているうちに午後11時になっていた。雷の音はもう聞こえないが、まだ雨が降り続いている。
「そろそろ寝ようか」
居間のソファーに寝ころんでロウソクの火を消した。
 寝入ってからしばらくは何事も起こらなかったが、そのあとから奇妙な夢で起こされた。どこかからカサカサと音がして居間の中を何かが浮遊しているのだ。真っ暗なので何がいるのか分からない。目を覚ますと居間の中は何も変わっていなかった。
「変な夢だ」
 やがてまた眠りについた。今度は両足に何か巻き付いた。海藻のような柔らかいもので、ぴったりと絡みついている。目を開けようとしたが、どうしたわけか目が開かない。それどころか身体が動かないのだ。金縛りにあったような感じだった。
 やがて、両腕にも柔らかいものが巻き付いた。部屋中に花の匂いが充満している。花の温室にいるみたいだ。
 そのうちにそれらが全身に巻き付いて、身体が宙に浮かんでいるような感じがした。やっとの思いで目を開けてみるとびっくりした。階段の上を登っているのだ。
 壁に掛かっている絵画から花の蔓や枝が外に伸びてきて、つぎつぎに身体に巻き付き、運んで行くのだ。恐ろしくて声も出ない。
「ああ、どうしたらいいんだ」
 やがて二階の廊下を移動しながら、いちばん奥の肖像画が飾ってある部屋の前まで運ばれた。部屋のドアが開き、肖像画の人物の背景に描かれている花の蔓と枝が外に伸びてきて身体に巻き付いた。そのときだった。スーッと身体が絵画の中に吸い込まれた。吸い込まれた拍子にクラッとめまいがした。
 絵の中は暖かい南米の知らないジャングルの庭園の中だった。庭にはハイビスカス、プルメリア、ランタナなどたくさんの南国の花が咲いていた。だけどそれらの花はどこか変で、人間のように大きく息をしているみたいだ。そばに二階建ての木造の家があった。玄関へ行ってチャイムを鳴らしたが、留守のようで誰も出てこない。
 ドアを開けてみた。家の中にも花がたくさん飾ってある。もう一度声をかけてみたが、誰も出てこないのでしかたなく廊下を歩いて行った。二階へ上がる階段があり登って行った。中央の部屋の扉が半開きになっていた。そばへ行って覗いてみた。
「あっ」
 ひとりの中年の女性が窓辺の椅子に腰かけている。後ろ向きなので顔が分からない。そばに大きな鏡があり、女性は手にパレットと絵筆を持っている。すぐ横にはキャンバスが立ててあり、絵具箱、ペインティング・オイル、うすめ液などが置かれたテーブルがあった。部屋の周りには、たくさんの花を生けた花瓶が置かれていた。この部屋はアトリエで、女性は自画像を描いていたのだ。絵はほとんど完成している。
「この家は別荘かな」
 後ろから女性に声をかけてみたが振り向かない。死んだように動かない。窓辺に行って顔を見た。肖像画の女性だとすぐに分かった。眼は開いていたが、首には何かによって絞められた跡が残っていた。
 そのとき、後ろから冷たいものに巻き付かれた。花瓶に生けてある花の蔓や枝だった。身体に次々に巻き付いてくる。きっとこの女性も花によって殺されたのだ。
 部屋の中を逃げ回ったが、蔓や枝が追いかけてきて両足にも巻き付いた。窓の方へ行って飛び降りようかと窓を開けた。足を折るかもしれないが、殺されるよりましだった。蔓や枝はどんどん伸びてくる。やがて全身に巻き付いた。首が苦しい。喘ぎながらやがてだんだんと意識が遠くなっていった。
 しばらくして不思議なことがおこった。身体が妙に肌寒い。目を開けるとまわりの様子がまったく違っていた。岩山の館の二階の開いた窓に顔を出していた。真下に谷底が見えた。昨夜の雷雨のために濃い霧が出ていた。悪夢を観ていたのだ。もう夜が明けようとしていた。
「すぐにこの館を出よう」
 居間へ降りて、すぐに出発の準備をした。車は雨でびしょ濡れだった。荷物を積み込んで館をあとにした。山道は昨夜の強雨のために所々で崖崩れが起きていたが、どうにか通ることができた。登ってきた道を間違えないように山を降りて行った。途中で、後ろの方で山が崩れる音がした。あの館も一緒に崩れ落ちたかもしれない。



(オリジナルイラスト)




(未発表作品)





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