おれは、太陽ががんがん照りつけている熱い砂漠の上を、意識もうろうとしながら歩いていた。
「どうしておれは、こんな所にいるのだろう」
そう考えたが、日射病のせいなのか、まったく頭が回らず、過去の出来事も、自分が何者であるのかもまったく思い出せないのだった。
暑い。おれは、腰にぶらさげた水筒を掴むと、栓を開けて口の中へ流し込んだ。
ごくん。生暖かく、美味くもない水なのだが、今のおれの命をつないでくれる貴重な水なのだ。
(これで、あと二キロは歩けるだろう)
そう思いながら、なにげなく、水筒をゆすってみた。ところが、わずかに底の方で小さな音が聞こえるくらいで、あと一口飲んだら水筒は空になってしまうのだ。
おれは、自分の命が長くないことを悟った。
(これで、おれもおしまいか)
そんなことを考えると、もう歩く気力が無くなってきた。おれは、立ち止まると、しばらくうつろな目で、砂ばかりの丘を眺めていたが、やがて意識がなくなり、その場に倒れこんでしまった。
ところが、焼けた砂の上は熱く、すぐにおれは意識を取り戻した。
(こんな所で、死ねるか)
おれは、また歩き始めた。やがて、砂山をひとつ越えたときだった。目前の砂の上に、動物の死骸が転がっていた。それはもう真っ白い骨だけになっていて、見るに耐えない状態だった。
それを見ながら、おれは身震いしたが、同時にこのおれもあとわずかな時間で、この動物と同じ運命が待ちかまえていることを感じたのだ。
おれは、ふと、空の上を見上げた。そのとき、新たな恐怖がおれに襲いかかってきた。空の上には、一羽の真っ黒い大きな禿鷹が、鋭い目をして、ゆうゆうと空を旋回しながら、弱りきっているおれを狙っていたのだ。
「死神だー」
おれは、まだ禿鷹の餌にはなりたくなかったから、元気さをよそおいながら歩きはじめた。弱ったようすを見せれば、すぐにでも禿鷹はおれ目掛けて、襲いかかってくるのだから。
けれども、おれは、すでに限界を通り越していた。最後の水を飲み干す気力もなく、再び焼けた砂の上に倒れこんでしまった。
うつろな目で空の上を眺めると、一羽だったはずの禿鷹が五羽に増えていた。そして、おれが生き絶える時を、静かにやつらは待っているのだった。
あの耐えがたい激痛さえなければ、おれは、安らかに死んでいたのかもしれない。あまりの激痛に、おれは、意識を取り戻したのだ。禿鷹たちは、おれの身体に覆い被さるようにしながら、おれの服を剥ぎ取り、肉をついばんでいたのだ。
おれは、もがき苦しみながら、どうすることも出来ずに我慢していたが、やがて、まったく意識が無くなってしまった。そのとき、おれはすでに息を引き取っていたのだ。
長い時間が過ぎた。おれは、真っ白い骨になっている自分に気がついた。おかしなことだが、骨になってしまったら、意外と気が楽になった。もう苦しみながら歩くこともなければ、禿鷹に襲われる心配もないのだ。おれは、その後何日も砂の中で眠っていた。
ある日のことだった。砂漠の向こうから、らくだに乗ったキャラバンの一隊がこちらへ向かって歩いてきた。キャラバンの一隊は、骨になったおれのそばにやって来ると、何故だか足を止めた。そして、ひとりの商人がらくだから降りてきて、おれのすぐそばへやって来た。
商人は、真っ白い骨になったおれを、しばらく悲痛な顔つきで見ていたが、ふと、破れた服と一緒に落ちていたおれの手帳を見つけると、興味深そうにページをめくり始めた。そして、あるページに目がいくと、口を小さく動かしながら、おれが書いた幼稚なアラビア語を読んでいたが、読み終わると、おれの骨を何本か拾い、熱くなった骨に水をかけて、らくだの背中に掛けてある皮の袋の中におれの骨を入れたのだ。
おれは、キャラバンの一隊と共に、らくだに揺られ、おまけに水筒の水で冷やされて、いつの間にか心地良い眠気をもよおして長い眠りについた。
どれくらいの日数が過ぎたのだろう。おれは、やわらかく、水分をよく含んだ冷たい土の中で眠っていた。土の上からは、ぷんぷんと花の匂いが土の中までただよってくる。ここは、いったいどこなのか。安らかな気分のなかで、思考も働きだしたのか、忘れていた過去の記憶が少しずつよみがえってきた。
同時に、骨になった自分が、今は生まれた国の故郷のお墓に眠っていることにも気がついた。そして、おれが、あの暑いエジプトの砂漠を、ひとりで歩いていたそもそもの理由も思い出したのだ。
おれは、大学で考古学を専攻する学生だった。ある年のこと、おれは、他の仲の良かった学生たちと、金を出しあって、エジプトへ遺跡の発掘調査にやってきた。子供の頃、他の学生と同じように、おれもギリシャのミケネの遺跡や、トルコのトロヤの遺跡を発掘したドイツの考古学者、ハインリッヒ・シュリーマンのように、まだ発掘されていないエジプトの遺跡を発掘することを夢見ていた。
ある日のこと、おれたち学生は、エル・カタラという町から南へ二十キロほど離れたある村の遺跡を発掘中に、幸運にも古代の純銀の腕輪を探し当てた。見つけたのは、おれだった。
けれども、他の学生は何ひとつ見つけることが出来なかった。おれは、いち早くみんなにそのことを知らせようと思った。ところが、どうしたことか、おれはそのことを言い出すことが出来なかった。おれは、無意識に腕輪を、ポケットの中にしまい込んでいた。
そのうち、時間が過ぎて夜になっていた。おれたちは、疲れた気分でみんな宿へ戻っていった。
おれは、宿へ帰ってからも、腕輪のことをなんども話そうと思ったが、やはり言い出すことが出来なかった。おれは、腕輪を見つけた時、その腕輪の表面に、王家の紋章が刻まれているに気づいていた。
そうであるならば、おれたちが今掘っている、あまり深くない土の中に、古代の王が建てた宮殿あるいは墳墓が埋まっている可能性がある。もし墳墓であれば、われわれ考古学を研究する者にとって、最もよい収穫品が期待できる。なぜならば、古代の王家の喪葬は、非常に丁重であったから、財宝を含む、副葬品も豊富にあるだろう。
(そうだとしたら、とりあえずこの腕輪をお金に換えて、発掘の費用にし、おれひとりで土の中に眠る、宮殿あるいは墳墓を見つけて、その発見をひとりじめにしたい)
そんな邪悪な心が、その時のおれを支配していたのだった。
その夜、みんなが寝静まった後、おれは、静かに宿を抜け出して、昼間の遺跡へひとりで歩いていった。
もしかして、おれが、採掘していた個所の土の中に、まだ発掘品があるのではないだろうか。おれは、かすかな期待を感じながら、土を掘りつづけた。するとどうだろう、おれの予感どおり、しばらくしてから土の中から、純金のつぼが出てきた。その時のおれの心の喜びは、言葉には言い表せないほどだった。そして、今おれが掘っている個所は、まぎれもなく、王家の墳墓がある場所だったのだ。
その夜、おれは、一晩中採掘をつづけ、十数点ほどの貴重な、財宝を含む、発掘品を見つけ出すことが出来たのだ。
ところが、明け方近くなった頃、村の警官がこの遺跡へやって来て、見回りをはじめたことにおれはまったく気づかなかった。
警官は、おれを見つけると、おれを捕らえようと走ってきた。おれは、発掘品を入れた袋を担いで急いで逃げるより仕方がなかった。
おれは、無我夢中で逃げた。どちらの方角へ逃げて行ったのか、おれにも見当がつかなかった。気がつくと、おれは、ずいぶん砂ばかりの丘に立っていた。けれども、どうにか警官をうまく巻くことが出来て、おれは、ほっと安堵のため息をついた。
夜が明けた。おれは村へ帰ろうと思ったが、それは無理だと気がついた。おれは、もうこの土地では、遺跡荒しの犯罪者になっていたのだから。
おれは、この土地から逃げ出す方法を考えたが、この土地の地理に不慣れだったので、とにかくこの村を迂回して、空港のある町へ向かって歩きはじめた。
ところが、午後になってから、風が出てくると、見る間にそれは強風になって、砂が巻き上がり、おれは砂あらしに巻き込まれた、方角も分からなく、おれは狂ったように歩いたが、いつしか疲れ果てて砂の上に倒れ込んでしまった。
数時間後、おれは、あらしの去った砂の上で意識を取り戻した。
けれども、自分がいったい何処にいるのか、かいもく分からなかった。発掘品を入れた袋は、砂に埋もれて、いくら探しても見つからなかった。
おれは、自分の死を予感した。おれは、ポケットから手帳を取り出すと、覚えたてのアラビア語で、おれの犯した罪を告白すると共に、おれの死骸を見つけた人に、なんとか骨だけでも自分が生まれた国へ送って欲しいことを書いておいたのだ。
よみがえった記憶の中で、おれは、あの親切な商人に感謝すると共に、今でも行方不明になっているおれを探している仲間の学生たちに対して、もう詫びる事も出来ないでいる。
おれは、自分の誤った行為によって、自分自身も命を失った事に、しばらくはただ押し黙ったまま、いつまでも後悔の念にかられていたが、やがて、いつしか太陽の日差しで、暖かくなってきたやわらかい土の中で、また、すやすやと眠りはじめた。
どれくらい眠っていただろう、おれは、小鳥たちの楽しげなさえずりを聞いて、ふと目が覚めた。その鳴き声は、春になると、故郷の山や海の見えるこの丘の上にある墓地にもやって来るツバメの鳴き声だった。
おれは、土の中で、そのさえずりを聞きながら、子供の頃、おれもよくこの丘へのぼって来て、このお墓のとなりにある小さな公園へ遊びに来たことを思い出した。
おれは、長い間、故郷へは帰らなかったから、もう一度、生きていたらこの丘へやって来て、丘の上から見える美しい青い海を見たいと思っていた。けれども、その願いも、叶わないまま終わってしまった。
そのとき、丘の下の方から、小走りにかけて来る元気のよい足音が聞こえてきた。それは、この丘の下にある、おれも、子供の頃に通っていた、小学校の子供たちの足音だった。
子供たちは、公園へやって来ると、にぎやかに遊びはじめた。ギーギーと、ぶらんこや、シーソーを漕ぐ音、それから、子供たちの笑い声が土の中まで聞こえてくる。
おれは、その音を聞きながら、ふと、小学生の頃の自分のことを懐かしく思い出した。
おれは、子供の頃から、古代の歴史について興味があり、家にあった百科事典や、古代の偉人たちの伝記を読んで、将来は、歴史学者か、考古学者になりたいといつも思っていた。おれは、図書館から借りてきた古代史の本を読みながら、遠い昔の人々の暮らしの事や、今だに発掘されていない、世界の遺跡を、自分でも発掘してみたいと子供心に思っていた。特に、エジプトの遺跡を発掘することが、最大の夢だった。
けれども、子供の頃から、人間性に欠けるところがあったおれは、自分の野心のためだけに目を奪われ、本来の研究者としての目的を果たす事もなく、こうして自分の命さえも失ってしまったのだ。
おれが、もし今だに、この世に生きていたなら、考古学の発展のために、もっとまじめに研究を続け、人間としても、もっと成長したかったと今は思っている。
おれが、そんな反省めいたことを考えている間にも、公園の方からは、あいかわらず、子供たちの明るい声が絶え間なく聞こえてくる。
おれは、この美しい春の丘の情景を、いろいろと思い浮かべた。ここには、灼熱のエジプトの風景と違って、色とりどりの春の花がいたるところに咲いているのだから。
(きっと、この公園の桜の木の枝には、満開の桜の花が咲いているだろうな。そうだとしたら、この丘から見える春の青い海は、昔のように、本当にすばらしい眺めに違いない)
おれは、子供たちの楽しげな笑い声を耳にしながら、故郷へ帰れたことをいま本当によかったと思っている。そして、おれは、この子供たちが大人になってから、おれのような愚かな行為によって短か過ぎる人生を終わらないことを、心の底から願ったのだ。
(自費出版童話集「白馬の騎士とフリーデリケ」所収)
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