どこもかしこも白一色で、おまけにその夜は猛吹雪だった。そんなすさまじい夜に、車を走らす一人の医者がいた。
吹付ける粉雪をワイパーで跳ね除けながら、ただっぴろい雪の原っぱの道をもくもくと走っていた。
走りながら医者は、何度も自分に呟いた。
(待ってろよ。あと少しで着くのだから)
医者は、眠い目を擦りながら、自分を待っている村はずれの家へ急いでいた。
医者は疲れていた。今日も診療所にはたくさんの患者がやって来た。朝から晩まで患者たちの診察に追われていた。医者は休みたかった。
ところが、夜遅くなってから、村はずれの家から、往診依頼の電話がかかってきた。
「先生。早く着て下さい。うちの子供が死にそうです。昨夜から熱が下がりません」
そんな深刻な知らせを受けたこの医者は、冬の嵐の夜にもかかわらず、自分を待っている病気の子供の家に向かっているのだった。
医者は疲れていたが、仕事を投げ出してしまうような人間ではなかった。
(早く病人の所へ行きたい。そして、その子供の命を救いたい)
そんな思いが、彼を奮い立たせているのだった。けれども、診療所からその家までは20キロも離れてる。それに、今夜は猛吹雪。車は何度となく雪にタイヤを取られ、スリップしそうになった。
突き刺すような雪混じりの風を受けながら、やっと半分ほどの所までやってきたとき、とうとう車は雪に埋まり、先へ進めなくなった。
(ちくしょう。これ以上は車では無理か)
医者は、診察カバンを持つと車から降りた。そして、あとの半分の距離を自分の足で歩くことにしたのだった。
腰まで積もった雪の道を、医者は雪をかきわけながら歩いていったが、吹雪のために前もよく見えないくらいだった。
しばらくすると、手足がちくちくしてきた。それに身体も冷えてきて、時間がたつうちに次第に意識がもうろうとしてきた。
(がんばるんだ。あと数キロの道のりだ)
医者は、自分にいいきかせながら歩いていったが、吹雪はいっこうにおさまらず、いつしか医者は、疲れのために雪の上にばたりと倒れこんでしまった。
しばらくしたときだった。吹雪の音に混じって、不気味な魔物の声が聞こえてきた。
「お前は、いったいこんな所で、何をしてるんだ」
魔物の声に、医者はふと、意識を取りもどすとその声に答えた。
「おれは、病気で苦しんでいる子供の所へ行こうとしてるんだ」
「はっはっはっ、自分の命を犠牲にしてまでもか。お前は、気の毒なやつだな」
魔物はそういうと、すーっとどこかへ消えてしまった。
ところが、医者が寒さのために、目を閉じかけた時、また現れて声をかけてきた。
「ずいぶん疲れているみたいじゃないか。そんな身体では、とても人の命なんて救えないぜ。さっさと、自分の家に戻ることだな。それがりこうな人間のやることだ」
医者はそれを聞くと、一瞬魔物のいうことに耳を傾けようとしたが、
「いいや、おれは人の命を救うことが仕事なんだ。それが、医者としてのおれの使命なのだから」
医者はいいながら、立ち上がろうとしたが、また、ばたりと倒れこんでしまった。
「馬鹿なやつだな。そんな弱った身体で、病人を診ることが出来るのか。それよりも、俺と一緒に来ないか。俺と来れば、お前はもうこの寒さと疲労感から、永久に解放されるんだぞ。もう、人のことなんか考えないことだ。それが普通の人間なんだから」
魔物の声に、医者は薄れゆく意識の中で、ぼんやり聞き入っていたが、ふと、その時、頭の中で、母親に抱かれて病気で苦しんでいる子供の姿が現れた。
「お母さん、ぼく、どうなってしまうの」
子供は、弱々しい、かぼそい声で母親にいった。
「元気を出すのよ、坊や。もうじき、お医者さんが来てくれるからね」
母親の声を聞くと、子供は落ち着いたようすで眠りはじめた。その情景を見た医者の意識は、突然目覚めたのだった。
医者は、疲労しきった自分の身体をゆっくりと起こすと、診察カバンをしっかと握り、前のように歩きはじめた。だが、吹雪はいっこうにおさまる気配はない。ときどき、さっきの魔物の声が医者に話しかけてくる。けれども医者は、気力を振り絞って、雪の道を歩いて行った。
やがて、目前に、うっすらと、明るい光が見えてきた。それは、医者を待っている村はずれの家の灯りだった。
医者は、死ぬくらい疲れていたが、家の前へ無事に辿り着いたときには、服に付いた雪をふり落とし、力強く家の戸をたたいた。
すぐに、戸が開いて、母親が嬉しそうな顔で出てきた。医者は母親の顔を見ると、やさしく、そして、しっかりとした口調でいった。
「もう、心配はいらない。私が来たからねー」
(自費出版童話集「白馬の騎士とフリーデリケ」所収)
2016年3月31日木曜日
2016年3月24日木曜日
野良犬と銅像
前橋市の前橋文学館の正門前に、詩人の萩原朔太郎の銅像が建っています。 和服姿で腕を組み、いつもぼんやり考え込んだような様子で広瀬川の桜の木を眺めています。いつこの像が建ったのか私は知らないのですが、よく散歩がてらにこの像の前を通ることがあります。
ある晩秋の夕暮れ時、住所不定の野良犬がこの銅像の前を通ったとき、どこからか変な声が聞こえてきました。
「ああ、今夜もよく冷えるなあ、寒くってしょうがない」
野良犬はきょろきょろとあたりを見渡しましたが人の気配はありません。不思議だなと思ってまた歩きだしたとき、
「こんな夜は、熱燗が飲みたいなあ」
見上げると、しゃべっていたのは、そばに建っている銅像でした。夏服の和服で、靴下もはいてない下駄ばきで、ずいぶん寒そうです。
野良犬は、お金でも落ちていたら、拾ってきてあげようかなと思いました。
ある日、繁華街を歩いていたとき、財布が落ちていたので夜になってから銅像のところへ持っていきました。
「どうもありがとう。だけど財布の中には、ちゃり銭しか入ってないな。これじゃ飲み屋に行けないしなあ」
銅像がかっかりしていると、野良犬が和服の裾をひっぱりました。どこかへ連れて行ってくれるみたいです。あとをついて行くと、広瀬川の向こう岸に、お酒の自動販売機がありました。そこにワンカップ酒が売っていました。
「そうだった。これがあった」
銅像は、お金を入れてボタンを押しました。
そして栓をぬいて、おいしそうに飲みはじめました。
「ああ、うまい、久しぶりの酒だ」
こんなことがそれからも何回かあり、銅像は野良犬と一緒に夜の散歩に出かけるようになりました。
昔と比べると、町のどの通りもすっかり変わっていました。すずらん通りのお店も知らない店ばかりで、子供の頃によく行った駄菓子も今はありません。
あるとき、銅像はふと呟きました。
「久しぶりに、自分の家を見たいなあ」
銅像が住んでいたのは、千代田町の2丁目です。この文学館から歩いて15分ほどの距離です。歩いていくと、千代田町2丁目のところに交差点があり、信号を渡るとすぐそばに高いビルが建っていました。銅像は首をかしげました。
「変だな。自宅はこのあたりだと思ったが、道を間違えたかな」
ふと、目の前を見ると小さな石碑が建っていました。
―詩人・萩原朔太郎生家跡―
「ありゃ、家が無くなっている。困ったな」
銅像ががっかりしていると、野良犬がとなりの看板を見ろと吠えました。そこにはこんな文章が書かれていました。
―詩人・萩原朔太郎の生家の一部(蔵、離れ座敷、書斎)は現在、敷島公園ばら園の中に移設されているー
「そうか。ありがたい。じゃ、敷島公園まで行ってみよう」
銅像と野良犬は歩き出しました。
この石碑のある通りは、昔も裁判所があって、「裁判所通り」と呼ばれていましたが、現在では「朔太郎通り」と標識が立っています。銅像は標識を見ながら、自分も死んでからずいぶん有名になったものだなあと思いました。
やがて向こうの方に前橋公園が見えてきました。最近、公園の中は新しく改装されて、ベンチも木製のものからプラスチック製になっていました。
公園の中へ入っていくと、静かなベンチに腰掛けました、昔、銅像はここに座って、文学雑誌に発表する詩を作ったり、マンドリン倶楽部のための楽譜のアイデアを考えたりしました。
「あの頃はいろんな詩も書いたし、たくさんの楽譜も出来た。この公園のベンチに座って、いろいろとイメージを膨らませたものだ」
銅像がそんな思い出に耽っていたとき、向こうのベンチのところで若い男が寝込んでいました。乞食かなと思いましたが、身なりは普通なのでそうでもなさそうです。
「世の中はいま不景気だと聞いている。リストラや、非正規労働者の数が増えて、特に若者の就職難が続いているという。わたしも生きていた頃は定職がなく、おまけに詩人という人に理解されない仕事をやっていたので、ずいぶんと肩身の狭い人生を送っていたからなあ」
銅像は呟きながら、やがてベンチから立ち上がりました。
前橋公園のそばを利根川が流れています。
銅像は、利根川沿いを歩きたくなってきました。国道6号線の歩道を、野良犬を連れて歩きました。ひんやりとした月明かりの夜で、川は昔と変わらず勢いよく流れていました。
行く手に橋が見えてきました。昔、よく渡った「大渡橋」とは別の橋でした。
「昔は、こんな橋は無かったのに、新しく架けられたものかな」
橋を通り抜けると、向こうの方に「大渡橋」が見えました。昔は鉄橋のごつごつとした巨大な橋でしたが、今は、すらりとした近代的な橋になっていました。
やがて「大渡橋」の下を通り抜けると、利根川の遠方にうっすらと雪をかぶった越後の山々が見えました。右手にはすそのの長い赤城山、左手には榛名山と妙義山が見え、その遠方には浅間山も見えます。
冬の季節は、あの越後の山を越えて、日本海側で雪を降らせた冷たい乾燥した風がこの群馬県の平野に流れ込んできます。この風のことを「からっ風」と呼びますが、今も昔も変わらないこの地方の冬の名物です。
利根川の向こう岸は、たくさんの家々が並んでいて、昔とずいぶん景色が違うなと銅像は思いました。昭和のはじめの頃は、川向こうは畑と田んぼばかりが広がった寂しい土地でした。それが今では、見違えるくらい変わっているのです。
やがて向こうの方に敷島公園の松林が見えてきました。この公園は前橋でいちばん大きな公園です。松の木と桜の木がどこまでも続いていました。
「久しぶりだな。さあ、中へ入ってみよう」
銅像と野良犬は、静かな公園の中へ入って行きました。この公園の北の方角へ歩いて行くと、ばら園があるのです。街灯のほとんどない公園の中は真っ暗です。まるで幽霊でもでそうな気分でした。
やがて敷島公園の池までやってきました。この場所には街灯がついているので、夜でもずいぶん明るいのです。池にはカモ池があって、カモたちは岸辺でみんな眠っていました。池の船着き場には手漕ぎボートのほかに、ハクチョウの形をした白く塗られたボートなどもありました。
カモ池を過ぎてさらに歩いて行くと、やがてばら園の門の所へやって来ました。ばらが美しく咲く季節になるとこの場所はまるで別世界になります。鮮やかなばらの花がこの場所一面を覆い、ばらの香りがあちこちに広がります。
ばら園の中へ入ってしばらく行くと、行く手に、見覚えのある蔵が見えてきました。
「ああ、あれだ。私の家の蔵だ」
銅像は、野良犬に指差していいました。
その場所までやってくると、小道のところに「萩原朔太郎記念館」と書かれた小さな看板が建っていました。
敷地の中に入ると、右手に、現在は資料室になっている「蔵」があり、中央に「離れ座敷」、そして左手に白壁の4畳半くらいの広さの「書斎」が建っていました。「書斎」の内部は、当時としては珍しい西洋風の作りでした。
「ずいぶん、久しぶりだ。若い頃はこの書斎の中でたくさんの詩を書いたものだ。それにマンドリンもよく弾いたものだ」
銅像は、懐かしそうに独り言をいいながら、書斎の中を覗いて見ることにしました。ドアを開けると、薄暗い部屋の中には、当時のままの机と椅子が置かれていました。机の上に、原稿用紙と鉛筆が置いてあったので、何か書きたくなってきました。しばらく考えてから、やがて書き始めました。それは詩のようでしたが、野良犬にはぜんぜん分かりませんでした。
銅像が書き終わって満足げに微笑したとき、窓の外が明るく光りました。びっくりしてカーテンを開けてみると、それは車のライトでした。この記念館の横は国道で交差点があるのです。
「驚いた。雷かと思った」
銅像は、書斎から出て行きしました。外の冷気でくしゃみが出ました。記念館の敷地の中央に詩碑が建っていました。詩碑には自分の詩が彫ってあります。「帰郷」という詩でした。
銅像はその詩を読みながら、
「あの頃はずいぶん憂鬱な詩を書いていたなあ」
思いながらやがて銅像は記念館から出て行きました。
敷島公園を出てから、国道を南の方角に向かって歩いて行きました。
やがて昭和町の国道の歩道を歩いていたとき、時計塔のある前橋地方気象台が見えてきました。建設されたのは今から100年以上も昔の明治29年で、当時は前橋測候所と呼ばれていました。
職員の中に自分の詩の愛読者だという人がいて、散歩の途中、ときどきここを尋ねて天気予報を聞いたことがありました。その職員は子供のお話を書くのが趣味で、毎月、児童雑誌に童話を投稿していましたが、一度も採用されずに落ち込んでいたので、専門外でしたが何度か原稿を見てあげたことがありました。
気象台を通り過ぎてから、昭和町の小道をさらに南の方角へ歩いて行きました。この界隈は迷路のようなのでよく道に迷いました。「猫町」という短篇小説は東京に定住したとき書いた小説ですが、アイデアはこの界隈を歩いていたときに思いつきました。
ある角を曲がった時です。電信柱のうしろから誰かに声をかけられました。びっくりして振り向くと、警官が立っていました。
「こんな時間に何しているんだい」
警官は、いまどき和服姿で、それも夏服で歩いている人物に不信を感じて職務質問したのです。
「いえ、ちょっと」
「家はどこなんだい」
「千代田町です」
「何丁目だね」
「2丁目です」
「仕事は何してる」
「いまは無職です」
「こんな時間にどこへ行くのだね」
「いえ、ただ散歩してるだけです」
警官は、いろいろ尋ねてきましたが、不審者でもなさそうなので許してくれました。
銅像は、また警官にでもあったら大変なので、早く散歩を切り上げようと思いました。
やがて千代田町の広瀬川の流れている所までやってきました。もうすぐ前橋文学館があります。一軒の画材店の壁に、「朔太郎音楽祭案内」と印刷されたポスターが張られていました。
「いや、驚いた。わたしを記念して作られたマンドリンの音楽祭か。一度、聴きに行きたいな。でも昼間は出かけられないしな」
銅像はがっかりしましたが、毎年、前橋文学館の前では、秋になるとギターやマンドリンの路上コンサートが開かれるので、いつも楽しく聴いているのです。
店を通り過ぎて向こうの空を見上げると、うっすらと空は明るくなり始めていました。
銅像は、財布を取り出して、近くの自動販売機でもう一本、お酒を買いました。
「さあ、夜が明けそうだ。今夜は楽しかったな」
前橋文学館の所へ戻ってきた銅像は、いつもの場所に立ちました。
そしてお酒をちびりちびりと飲みながら、
「明日の晩は、どこへ出かけようかな。南町の前橋刑務所の方へ行ってみようかな。それとも若宮町に建っている「才川町」の詩碑を見に行こうかな、前橋の町にはわたしの詩碑のほかにも、友人の萩原恭次郎君や高橋元吉君の詩碑もあるからそれらも見てみたいな」
銅像は独り言を呟きながら朝になるのを待っていました。しばらくすると野良犬もどこかへ行ってしまいました。
(つるが児童文学会「がるつ第36号」所収)
ある晩秋の夕暮れ時、住所不定の野良犬がこの銅像の前を通ったとき、どこからか変な声が聞こえてきました。
「ああ、今夜もよく冷えるなあ、寒くってしょうがない」
野良犬はきょろきょろとあたりを見渡しましたが人の気配はありません。不思議だなと思ってまた歩きだしたとき、
「こんな夜は、熱燗が飲みたいなあ」
見上げると、しゃべっていたのは、そばに建っている銅像でした。夏服の和服で、靴下もはいてない下駄ばきで、ずいぶん寒そうです。
野良犬は、お金でも落ちていたら、拾ってきてあげようかなと思いました。
ある日、繁華街を歩いていたとき、財布が落ちていたので夜になってから銅像のところへ持っていきました。
「どうもありがとう。だけど財布の中には、ちゃり銭しか入ってないな。これじゃ飲み屋に行けないしなあ」
銅像がかっかりしていると、野良犬が和服の裾をひっぱりました。どこかへ連れて行ってくれるみたいです。あとをついて行くと、広瀬川の向こう岸に、お酒の自動販売機がありました。そこにワンカップ酒が売っていました。
「そうだった。これがあった」
銅像は、お金を入れてボタンを押しました。
そして栓をぬいて、おいしそうに飲みはじめました。
「ああ、うまい、久しぶりの酒だ」
こんなことがそれからも何回かあり、銅像は野良犬と一緒に夜の散歩に出かけるようになりました。
昔と比べると、町のどの通りもすっかり変わっていました。すずらん通りのお店も知らない店ばかりで、子供の頃によく行った駄菓子も今はありません。
あるとき、銅像はふと呟きました。
「久しぶりに、自分の家を見たいなあ」
銅像が住んでいたのは、千代田町の2丁目です。この文学館から歩いて15分ほどの距離です。歩いていくと、千代田町2丁目のところに交差点があり、信号を渡るとすぐそばに高いビルが建っていました。銅像は首をかしげました。
「変だな。自宅はこのあたりだと思ったが、道を間違えたかな」
ふと、目の前を見ると小さな石碑が建っていました。
―詩人・萩原朔太郎生家跡―
「ありゃ、家が無くなっている。困ったな」
銅像ががっかりしていると、野良犬がとなりの看板を見ろと吠えました。そこにはこんな文章が書かれていました。
―詩人・萩原朔太郎の生家の一部(蔵、離れ座敷、書斎)は現在、敷島公園ばら園の中に移設されているー
「そうか。ありがたい。じゃ、敷島公園まで行ってみよう」
銅像と野良犬は歩き出しました。
この石碑のある通りは、昔も裁判所があって、「裁判所通り」と呼ばれていましたが、現在では「朔太郎通り」と標識が立っています。銅像は標識を見ながら、自分も死んでからずいぶん有名になったものだなあと思いました。
やがて向こうの方に前橋公園が見えてきました。最近、公園の中は新しく改装されて、ベンチも木製のものからプラスチック製になっていました。
公園の中へ入っていくと、静かなベンチに腰掛けました、昔、銅像はここに座って、文学雑誌に発表する詩を作ったり、マンドリン倶楽部のための楽譜のアイデアを考えたりしました。
「あの頃はいろんな詩も書いたし、たくさんの楽譜も出来た。この公園のベンチに座って、いろいろとイメージを膨らませたものだ」
銅像がそんな思い出に耽っていたとき、向こうのベンチのところで若い男が寝込んでいました。乞食かなと思いましたが、身なりは普通なのでそうでもなさそうです。
「世の中はいま不景気だと聞いている。リストラや、非正規労働者の数が増えて、特に若者の就職難が続いているという。わたしも生きていた頃は定職がなく、おまけに詩人という人に理解されない仕事をやっていたので、ずいぶんと肩身の狭い人生を送っていたからなあ」
銅像は呟きながら、やがてベンチから立ち上がりました。
前橋公園のそばを利根川が流れています。
銅像は、利根川沿いを歩きたくなってきました。国道6号線の歩道を、野良犬を連れて歩きました。ひんやりとした月明かりの夜で、川は昔と変わらず勢いよく流れていました。
行く手に橋が見えてきました。昔、よく渡った「大渡橋」とは別の橋でした。
「昔は、こんな橋は無かったのに、新しく架けられたものかな」
橋を通り抜けると、向こうの方に「大渡橋」が見えました。昔は鉄橋のごつごつとした巨大な橋でしたが、今は、すらりとした近代的な橋になっていました。
やがて「大渡橋」の下を通り抜けると、利根川の遠方にうっすらと雪をかぶった越後の山々が見えました。右手にはすそのの長い赤城山、左手には榛名山と妙義山が見え、その遠方には浅間山も見えます。
冬の季節は、あの越後の山を越えて、日本海側で雪を降らせた冷たい乾燥した風がこの群馬県の平野に流れ込んできます。この風のことを「からっ風」と呼びますが、今も昔も変わらないこの地方の冬の名物です。
利根川の向こう岸は、たくさんの家々が並んでいて、昔とずいぶん景色が違うなと銅像は思いました。昭和のはじめの頃は、川向こうは畑と田んぼばかりが広がった寂しい土地でした。それが今では、見違えるくらい変わっているのです。
やがて向こうの方に敷島公園の松林が見えてきました。この公園は前橋でいちばん大きな公園です。松の木と桜の木がどこまでも続いていました。
「久しぶりだな。さあ、中へ入ってみよう」
銅像と野良犬は、静かな公園の中へ入って行きました。この公園の北の方角へ歩いて行くと、ばら園があるのです。街灯のほとんどない公園の中は真っ暗です。まるで幽霊でもでそうな気分でした。
やがて敷島公園の池までやってきました。この場所には街灯がついているので、夜でもずいぶん明るいのです。池にはカモ池があって、カモたちは岸辺でみんな眠っていました。池の船着き場には手漕ぎボートのほかに、ハクチョウの形をした白く塗られたボートなどもありました。
カモ池を過ぎてさらに歩いて行くと、やがてばら園の門の所へやって来ました。ばらが美しく咲く季節になるとこの場所はまるで別世界になります。鮮やかなばらの花がこの場所一面を覆い、ばらの香りがあちこちに広がります。
ばら園の中へ入ってしばらく行くと、行く手に、見覚えのある蔵が見えてきました。
「ああ、あれだ。私の家の蔵だ」
銅像は、野良犬に指差していいました。
その場所までやってくると、小道のところに「萩原朔太郎記念館」と書かれた小さな看板が建っていました。
敷地の中に入ると、右手に、現在は資料室になっている「蔵」があり、中央に「離れ座敷」、そして左手に白壁の4畳半くらいの広さの「書斎」が建っていました。「書斎」の内部は、当時としては珍しい西洋風の作りでした。
「ずいぶん、久しぶりだ。若い頃はこの書斎の中でたくさんの詩を書いたものだ。それにマンドリンもよく弾いたものだ」
銅像は、懐かしそうに独り言をいいながら、書斎の中を覗いて見ることにしました。ドアを開けると、薄暗い部屋の中には、当時のままの机と椅子が置かれていました。机の上に、原稿用紙と鉛筆が置いてあったので、何か書きたくなってきました。しばらく考えてから、やがて書き始めました。それは詩のようでしたが、野良犬にはぜんぜん分かりませんでした。
銅像が書き終わって満足げに微笑したとき、窓の外が明るく光りました。びっくりしてカーテンを開けてみると、それは車のライトでした。この記念館の横は国道で交差点があるのです。
「驚いた。雷かと思った」
銅像は、書斎から出て行きしました。外の冷気でくしゃみが出ました。記念館の敷地の中央に詩碑が建っていました。詩碑には自分の詩が彫ってあります。「帰郷」という詩でした。
銅像はその詩を読みながら、
「あの頃はずいぶん憂鬱な詩を書いていたなあ」
思いながらやがて銅像は記念館から出て行きました。
敷島公園を出てから、国道を南の方角に向かって歩いて行きました。
やがて昭和町の国道の歩道を歩いていたとき、時計塔のある前橋地方気象台が見えてきました。建設されたのは今から100年以上も昔の明治29年で、当時は前橋測候所と呼ばれていました。
職員の中に自分の詩の愛読者だという人がいて、散歩の途中、ときどきここを尋ねて天気予報を聞いたことがありました。その職員は子供のお話を書くのが趣味で、毎月、児童雑誌に童話を投稿していましたが、一度も採用されずに落ち込んでいたので、専門外でしたが何度か原稿を見てあげたことがありました。
気象台を通り過ぎてから、昭和町の小道をさらに南の方角へ歩いて行きました。この界隈は迷路のようなのでよく道に迷いました。「猫町」という短篇小説は東京に定住したとき書いた小説ですが、アイデアはこの界隈を歩いていたときに思いつきました。
ある角を曲がった時です。電信柱のうしろから誰かに声をかけられました。びっくりして振り向くと、警官が立っていました。
「こんな時間に何しているんだい」
警官は、いまどき和服姿で、それも夏服で歩いている人物に不信を感じて職務質問したのです。
「いえ、ちょっと」
「家はどこなんだい」
「千代田町です」
「何丁目だね」
「2丁目です」
「仕事は何してる」
「いまは無職です」
「こんな時間にどこへ行くのだね」
「いえ、ただ散歩してるだけです」
警官は、いろいろ尋ねてきましたが、不審者でもなさそうなので許してくれました。
銅像は、また警官にでもあったら大変なので、早く散歩を切り上げようと思いました。
やがて千代田町の広瀬川の流れている所までやってきました。もうすぐ前橋文学館があります。一軒の画材店の壁に、「朔太郎音楽祭案内」と印刷されたポスターが張られていました。
「いや、驚いた。わたしを記念して作られたマンドリンの音楽祭か。一度、聴きに行きたいな。でも昼間は出かけられないしな」
銅像はがっかりしましたが、毎年、前橋文学館の前では、秋になるとギターやマンドリンの路上コンサートが開かれるので、いつも楽しく聴いているのです。
店を通り過ぎて向こうの空を見上げると、うっすらと空は明るくなり始めていました。
銅像は、財布を取り出して、近くの自動販売機でもう一本、お酒を買いました。
「さあ、夜が明けそうだ。今夜は楽しかったな」
前橋文学館の所へ戻ってきた銅像は、いつもの場所に立ちました。
そしてお酒をちびりちびりと飲みながら、
「明日の晩は、どこへ出かけようかな。南町の前橋刑務所の方へ行ってみようかな。それとも若宮町に建っている「才川町」の詩碑を見に行こうかな、前橋の町にはわたしの詩碑のほかにも、友人の萩原恭次郎君や高橋元吉君の詩碑もあるからそれらも見てみたいな」
銅像は独り言を呟きながら朝になるのを待っていました。しばらくすると野良犬もどこかへ行ってしまいました。
(つるが児童文学会「がるつ第36号」所収)
2016年3月16日水曜日
お嫁さんさがし
音楽が好きな若いお百姓さんが、毎日、鳥たちの歌を聴いてくらしていました。
「ああ、なんて、きれいな鳴き声だ。鳥たちみたいに、じょうずに歌をうたってくれる奥さんはいないかな」
ある日、町へいくと、広場の井戸で洗濯しながら歌をうたっている女の人がいました。
「お願いします。わたしの奥さんになってくれませんか」
女の人は、びっくりして歌をやめました。
「もうしわけありません。わたし既婚者ですから」
「そうですか。それは残念です。あきらめます」
お百姓さんが次に向かったのは、教会でした。
教会の中では、ミサをやっていて、みんな賛美歌をうたっていました。なかにとりわけ美しい声の女の人がいました。
「すみませんが、わたしの奥さんになってくれませんか」
歌をうたっていた女の人は、もう少しで間違えるところでした。
「しずかにしてください。いま歌ってる最中ですから」
「そうですか。すみません、あきらめます」
次にお百姓さんが向かったのは、小学校でした。
教室の中では、女の先生が生徒たちに歌を教えていました。
「すみませんが、わたしの奥さんになってくれませんか」
女の先生は、びっくりして、
「いま、授業中ですから、出て行ってください」
「そうですか。しつれいしました」
次に、お百姓さんが向かったのは、町の劇場でした。
劇場の中では、オペラをやっていて、舞台のうえで、プリマドンナが、コロラトゥーラを歌っていました。
お百姓さんがすっかり魅了されて、舞台の最前列のところで、
「お願いしまーす。わたしの奥さんになってくれませんかー!」
と大声でいうと、客席から物が飛んできました。
「失礼しました。出ていきますから」
劇場から出てきたお百姓さんがしょんぼりしていると、向こうの小鳥屋さんから、きれいな歌声が聴こえてきました。
店の店頭で歌っていたのは、ひとりの農家の娘さんでした。
よくみると、その娘さんは、お百姓さんの家のすぐ近くに住んでいる娘さんでした。
「お願いします。わたしの奥さんになってくれませんか」
すると、娘さんは、
「鳥のように、わたしを大切にしてくださる方ならいいですよ」
三日後、お百姓さんは、娘さんとめでたく結婚式をあげました。
そして、毎日、奥さんの歌と小鳥たちの歌を聴いて、いつまでもしあわせにくらしました。
(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)
「ああ、なんて、きれいな鳴き声だ。鳥たちみたいに、じょうずに歌をうたってくれる奥さんはいないかな」
ある日、町へいくと、広場の井戸で洗濯しながら歌をうたっている女の人がいました。
「お願いします。わたしの奥さんになってくれませんか」
女の人は、びっくりして歌をやめました。
「もうしわけありません。わたし既婚者ですから」
「そうですか。それは残念です。あきらめます」
お百姓さんが次に向かったのは、教会でした。
教会の中では、ミサをやっていて、みんな賛美歌をうたっていました。なかにとりわけ美しい声の女の人がいました。
「すみませんが、わたしの奥さんになってくれませんか」
歌をうたっていた女の人は、もう少しで間違えるところでした。
「しずかにしてください。いま歌ってる最中ですから」
「そうですか。すみません、あきらめます」
次にお百姓さんが向かったのは、小学校でした。
教室の中では、女の先生が生徒たちに歌を教えていました。
「すみませんが、わたしの奥さんになってくれませんか」
女の先生は、びっくりして、
「いま、授業中ですから、出て行ってください」
「そうですか。しつれいしました」
次に、お百姓さんが向かったのは、町の劇場でした。
劇場の中では、オペラをやっていて、舞台のうえで、プリマドンナが、コロラトゥーラを歌っていました。
お百姓さんがすっかり魅了されて、舞台の最前列のところで、
「お願いしまーす。わたしの奥さんになってくれませんかー!」
と大声でいうと、客席から物が飛んできました。
「失礼しました。出ていきますから」
劇場から出てきたお百姓さんがしょんぼりしていると、向こうの小鳥屋さんから、きれいな歌声が聴こえてきました。
店の店頭で歌っていたのは、ひとりの農家の娘さんでした。
よくみると、その娘さんは、お百姓さんの家のすぐ近くに住んでいる娘さんでした。
「お願いします。わたしの奥さんになってくれませんか」
すると、娘さんは、
「鳥のように、わたしを大切にしてくださる方ならいいですよ」
三日後、お百姓さんは、娘さんとめでたく結婚式をあげました。
そして、毎日、奥さんの歌と小鳥たちの歌を聴いて、いつまでもしあわせにくらしました。
(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)
2016年3月9日水曜日
帰ってきたこいのぼり
子どものこいのぼりが、家の屋根のうえでのんびりと泳いでいました。
「風さん、もっと吹いてくれよ。しなびてしまうから」
「まかせとけー」
すると、ピユーンと突風が吹きました。
「わあい、気持ちいい」
ところが、そのうちかみなりが鳴りだし、もっと強い風が吹きました。
「風さんー、強すぎるよ」
空はみるまにまっ黒になって、雲の中からたつまきがあらわれました。
「うわあ、たすけてー」
こいのぼりは、竿(さお)からはずれて、空のうえにまいあがりました。ものすごく寒いうえに、まわりではピカピカとかみなりが鳴っています。
そのとき、かみなり大王の声がしました。
「おまえ、へんな魚だな。食べられるのか」
「ぼくは、布でできてるから食べられないよ」
「なんだ。つまらないやつだな」
そういって大王は、こいのぼりを向こうの雲のうえへ、ぽいっと放り投げてしまいました。
「まったく、きょうのえものはつまらんものばかりだ。きょうは帰るとするか」
しばらくすると、空はきゅうに明るくなって太陽が顔をだしました。
雲のうえに浮かんでいたこいのぼりが、
「どうしよう。地上へ帰れないよう」といってかなしんでいると、向こうの雲のうえに高い塔がそびえたお城を見つけました。
「あっ、お城のてっぺんに竿があるぞ。あれにつかまろう」
雲の中の上昇気流にのって、こいのぼりはふわふわとお城の屋根にむかって泳いでいきました。そして、しっかりと竿につかまりました。
「よかった、これでいつものぼくのすがただ」
翌朝、お城の王さまがへやの窓を開けるとびっくりしました。
「なんだ、ありゃ、へんな魚だな。どこからやってきたんだろう」
王さまは、こいのぼりを見ながら、
「最近は、おかしなものばかりやってくるな。以前は、風船に乗ったへんなおじさんがやってきて、地上で暮らすのが嫌になったからってもう十年以上もここでいそうろうしている。最近の地上は住みにくくなったのかな。雲のうえのほうが気楽でいいのかな」
やがて、王さまはこいのぼりにはなしかけました。
「おい、あんた。いつまでここにいるつもりなんだ」
「わかりません。ぼくの家がどこにあるのかけんとうがつきませんから」
しかたがないので、しばらくのあいだ、お城の屋根のうえで飼うことにしたのです。
ときどき王さまはこいのぼりのところへやってきて、パンくずをくれることもありました。
ある日、どこかで見たことのあるおじさんが、窓からこいのぼりを見つけていいました。
「いやあ、ひさしぶりに見るこいのぼりだ。あんた、どこからやってきたんだ」
その人は、むかし世間をさわがしたあの有名な風船おじさんでした。行方不明だといわれていましたが、こんなところで暮らしていたのです。
「そうだったのかい、じゃ、ゆっくり休んでいきなよ。ここの王さまはいい人だから」
そんなわけで、しばらくのあいだこのお城でおじさんといっしょに暮らすことにしたのです。
ときどきおじさんは、お城の倉庫からヘリウム風船をだしてきて、こいのぼりを連れてのんびりと空の散歩へ連れて行ってくれることがありました。
空を散歩しているといろんなものにであいます。
あるとき、地上からへんな風船がのぼってきました。それは、上空の風や、気温、気圧、湿度などを測っている気象台のゾンデでした。毎日、高層気象台では、何回かこうしてゾンデを上げているのです。
ところが、ある日、ゾンデが風船おじさんの風船にひっかかって、おかしなデータが入ってきたので気象台では大さわぎになりました。
さいわい、おじさんがすぐに気づいてゾンデを取り外したので、そのあとは正常なデータが入って来たので気象台の人たちもほっとしました。
また、ある日のこと、軽井沢の高原の上を飛んでいたとき、浅間山が突然小規模の噴火をはじめました。火口から噴石が飛んできて、風船が何個か破れたことがありました。
はじめて日本を離れて南の島へ行ったときには、海を泳いでいる二頭のくじらを見つけて、すぐ近くまで降下して眺めていたとき、くじらたちに塩水をぶっかけられたこともありました。
さらに中国の万里の長城を越えて、広大なチベット高原を見降ろしながら、やがて、中国とネパールの国境沿いにそびえるヒマラヤ山脈の中で一番高いエベレスト山のすぐ近くまで行ったときには、雪山の洞穴から出てきた毛むくじゃらの雪男が、雪で顔を洗ったり、歯磨きをしている姿も見ました。
こいのぼりはそうやって、何日も空のうえで楽しく暮らしていました。
ある夏の夜のことでした。お城で恒例の花火大会が開かれました。キラキラと星がかがやく夜空に、色とりどりの花火が打ち上げられました。
「わあー、きれいだな」
こいのぼりがうっとりと眺めていたとき、ふと、地上の家のことがぼんやりと浮かんできました。そして人のいる地上の家がこいしくなってきました。
花火を見ながらこいのぼりは、風船おじさんにいいました。
「ぼくは、やっぱり地上へ帰ることにします。お家の人たちが、みんなしんぱいしてますから」
風船おじさんはそれをきいて、
「残念だな。でも、あんたがそういうなら、しかたがないな。あしたおれが送って行ってやるよ」
「ありがとうおじさん。だけど、おじさんは地上へ帰らないの?」
風船おじさんは、それをきくと少しさびしそうな様子で、
「おらあ、死ぬまでここでやっかいになるつもりなんだ。地上での暮らしはすっかり嫌になってしまったからな。それに人にはあまりいいたくないけど、ずいぶん借金も残してきたからなあ。それから信用もさ。だけど、ときどきふるさとがこいしくなって、実家のすぐ近くまで飛んで行ったり、最後に飛び立った琵琶湖湖畔へも何回も行くことがあるんだ。それを空のうえから眺めているだけで十分しあわせなんだ」
風船おじさんは、そう話してくれました。そして、ここへ来てからはじめた趣味のことも教えてくれました。
風船おじさんは、王さまからもらった天体望遠鏡で毎晩星の観測をするのが日課だということです。
夜になると、部屋の窓から星を眺めながら、将来は自分でロケットを作って、太陽系で一番大きな星の木星へ行きたいと思っているそうです。木星は地球の約318倍もの質量があり、将来はそこに住んで宇宙人相手にインベーダーゲームのお店を開きたいと思っているそうです。
風船おじさんは、お城の倉庫で、自分で書いた設計図をもとにロケットを作り始めているとのことです。実現すればこんなにすばらしいことはありません。そのときはこいのぼりもいっしょに連れて行ってくれるそうです。
翌朝になり、こいのぼりは風船おじさんに連れられて、お城からでていきました。
しばらく飛んでいると、向こうの空がきゅうに暗くなってきました。
「どうやら、あらしになりそうだ。しっかりつかまってろよ」
こいのぼりは、風船のへりにしっかりとへばりついていました。
そのうち、雲の中に入ると、ものすごい突風が吹いてきてまわりの空気が寒くなり、ピカピカとかみなりが鳴りだしました。
そのとき、いつかのかみなり大王の声がきこえてきました。
「なんだ、またえものにもならないやつらが飛び込んできた。こんなところにやってきておもしろいのかな。よおーし、すぐにここからおいだしてやろう」
かみなり大王は、いきおいよく風船にむかって息を吹きかけました。
「うわあー!」
風船がぐらぐらゆれて、地上へむかって急降下をはじめました。
「ダウンバーストだ。しっかりつかまってろよ」
しかし、風船はそうじゅうがきかずに、またたくまに地上へ落ちていきました。こいのぼりは、じっとへばりついていましたが、しばらくすると意識をうしなってしまいました。
こいのぼりが目をさましたのは、ずいぶん時間がたってからでした。お日さまがかんかんてっている草むらの中でした。
向こうから声がきこえてきました。
「あっー、ぼくんちのこいのぼりだ。こんなところにいたのかー」
その子はこいのぼりの持ち主でした。
こいのぼりは、男の子に連れられて家に帰っていきました。とっくに一年が過ぎていましたが、今日は5月5日の子どもの日でした。
すぐに、家の竿につけられると、以前のように空に浮かびあがりました。
「やっぱり、ここがいちばん居心地がいいな」
こいのぼりがそういっていたとき、向こうの空のうえを、のんびりと飛んでいくヘリウム風船を見つけました。
「あっー、風船おじさんだ。あらしをうまくきりぬけたんだな」
しばらくすると、風船おじさんはこいのぼりに気づいて、手をふってくれました。
こいのぼりも、大きくしっぽをふってこたえました。
(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)
「風さん、もっと吹いてくれよ。しなびてしまうから」
「まかせとけー」
すると、ピユーンと突風が吹きました。
「わあい、気持ちいい」
ところが、そのうちかみなりが鳴りだし、もっと強い風が吹きました。
「風さんー、強すぎるよ」
空はみるまにまっ黒になって、雲の中からたつまきがあらわれました。
「うわあ、たすけてー」
こいのぼりは、竿(さお)からはずれて、空のうえにまいあがりました。ものすごく寒いうえに、まわりではピカピカとかみなりが鳴っています。
そのとき、かみなり大王の声がしました。
「おまえ、へんな魚だな。食べられるのか」
「ぼくは、布でできてるから食べられないよ」
「なんだ。つまらないやつだな」
そういって大王は、こいのぼりを向こうの雲のうえへ、ぽいっと放り投げてしまいました。
「まったく、きょうのえものはつまらんものばかりだ。きょうは帰るとするか」
しばらくすると、空はきゅうに明るくなって太陽が顔をだしました。
雲のうえに浮かんでいたこいのぼりが、
「どうしよう。地上へ帰れないよう」といってかなしんでいると、向こうの雲のうえに高い塔がそびえたお城を見つけました。
「あっ、お城のてっぺんに竿があるぞ。あれにつかまろう」
雲の中の上昇気流にのって、こいのぼりはふわふわとお城の屋根にむかって泳いでいきました。そして、しっかりと竿につかまりました。
「よかった、これでいつものぼくのすがただ」
翌朝、お城の王さまがへやの窓を開けるとびっくりしました。
「なんだ、ありゃ、へんな魚だな。どこからやってきたんだろう」
王さまは、こいのぼりを見ながら、
「最近は、おかしなものばかりやってくるな。以前は、風船に乗ったへんなおじさんがやってきて、地上で暮らすのが嫌になったからってもう十年以上もここでいそうろうしている。最近の地上は住みにくくなったのかな。雲のうえのほうが気楽でいいのかな」
やがて、王さまはこいのぼりにはなしかけました。
「おい、あんた。いつまでここにいるつもりなんだ」
「わかりません。ぼくの家がどこにあるのかけんとうがつきませんから」
しかたがないので、しばらくのあいだ、お城の屋根のうえで飼うことにしたのです。
ときどき王さまはこいのぼりのところへやってきて、パンくずをくれることもありました。
ある日、どこかで見たことのあるおじさんが、窓からこいのぼりを見つけていいました。
「いやあ、ひさしぶりに見るこいのぼりだ。あんた、どこからやってきたんだ」
その人は、むかし世間をさわがしたあの有名な風船おじさんでした。行方不明だといわれていましたが、こんなところで暮らしていたのです。
「そうだったのかい、じゃ、ゆっくり休んでいきなよ。ここの王さまはいい人だから」
そんなわけで、しばらくのあいだこのお城でおじさんといっしょに暮らすことにしたのです。
ときどきおじさんは、お城の倉庫からヘリウム風船をだしてきて、こいのぼりを連れてのんびりと空の散歩へ連れて行ってくれることがありました。
空を散歩しているといろんなものにであいます。
あるとき、地上からへんな風船がのぼってきました。それは、上空の風や、気温、気圧、湿度などを測っている気象台のゾンデでした。毎日、高層気象台では、何回かこうしてゾンデを上げているのです。
ところが、ある日、ゾンデが風船おじさんの風船にひっかかって、おかしなデータが入ってきたので気象台では大さわぎになりました。
さいわい、おじさんがすぐに気づいてゾンデを取り外したので、そのあとは正常なデータが入って来たので気象台の人たちもほっとしました。
また、ある日のこと、軽井沢の高原の上を飛んでいたとき、浅間山が突然小規模の噴火をはじめました。火口から噴石が飛んできて、風船が何個か破れたことがありました。
はじめて日本を離れて南の島へ行ったときには、海を泳いでいる二頭のくじらを見つけて、すぐ近くまで降下して眺めていたとき、くじらたちに塩水をぶっかけられたこともありました。
さらに中国の万里の長城を越えて、広大なチベット高原を見降ろしながら、やがて、中国とネパールの国境沿いにそびえるヒマラヤ山脈の中で一番高いエベレスト山のすぐ近くまで行ったときには、雪山の洞穴から出てきた毛むくじゃらの雪男が、雪で顔を洗ったり、歯磨きをしている姿も見ました。
こいのぼりはそうやって、何日も空のうえで楽しく暮らしていました。
ある夏の夜のことでした。お城で恒例の花火大会が開かれました。キラキラと星がかがやく夜空に、色とりどりの花火が打ち上げられました。
「わあー、きれいだな」
こいのぼりがうっとりと眺めていたとき、ふと、地上の家のことがぼんやりと浮かんできました。そして人のいる地上の家がこいしくなってきました。
花火を見ながらこいのぼりは、風船おじさんにいいました。
「ぼくは、やっぱり地上へ帰ることにします。お家の人たちが、みんなしんぱいしてますから」
風船おじさんはそれをきいて、
「残念だな。でも、あんたがそういうなら、しかたがないな。あしたおれが送って行ってやるよ」
「ありがとうおじさん。だけど、おじさんは地上へ帰らないの?」
風船おじさんは、それをきくと少しさびしそうな様子で、
「おらあ、死ぬまでここでやっかいになるつもりなんだ。地上での暮らしはすっかり嫌になってしまったからな。それに人にはあまりいいたくないけど、ずいぶん借金も残してきたからなあ。それから信用もさ。だけど、ときどきふるさとがこいしくなって、実家のすぐ近くまで飛んで行ったり、最後に飛び立った琵琶湖湖畔へも何回も行くことがあるんだ。それを空のうえから眺めているだけで十分しあわせなんだ」
風船おじさんは、そう話してくれました。そして、ここへ来てからはじめた趣味のことも教えてくれました。
風船おじさんは、王さまからもらった天体望遠鏡で毎晩星の観測をするのが日課だということです。
夜になると、部屋の窓から星を眺めながら、将来は自分でロケットを作って、太陽系で一番大きな星の木星へ行きたいと思っているそうです。木星は地球の約318倍もの質量があり、将来はそこに住んで宇宙人相手にインベーダーゲームのお店を開きたいと思っているそうです。
風船おじさんは、お城の倉庫で、自分で書いた設計図をもとにロケットを作り始めているとのことです。実現すればこんなにすばらしいことはありません。そのときはこいのぼりもいっしょに連れて行ってくれるそうです。
翌朝になり、こいのぼりは風船おじさんに連れられて、お城からでていきました。
しばらく飛んでいると、向こうの空がきゅうに暗くなってきました。
「どうやら、あらしになりそうだ。しっかりつかまってろよ」
こいのぼりは、風船のへりにしっかりとへばりついていました。
そのうち、雲の中に入ると、ものすごい突風が吹いてきてまわりの空気が寒くなり、ピカピカとかみなりが鳴りだしました。
そのとき、いつかのかみなり大王の声がきこえてきました。
「なんだ、またえものにもならないやつらが飛び込んできた。こんなところにやってきておもしろいのかな。よおーし、すぐにここからおいだしてやろう」
かみなり大王は、いきおいよく風船にむかって息を吹きかけました。
「うわあー!」
風船がぐらぐらゆれて、地上へむかって急降下をはじめました。
「ダウンバーストだ。しっかりつかまってろよ」
しかし、風船はそうじゅうがきかずに、またたくまに地上へ落ちていきました。こいのぼりは、じっとへばりついていましたが、しばらくすると意識をうしなってしまいました。
こいのぼりが目をさましたのは、ずいぶん時間がたってからでした。お日さまがかんかんてっている草むらの中でした。
向こうから声がきこえてきました。
「あっー、ぼくんちのこいのぼりだ。こんなところにいたのかー」
その子はこいのぼりの持ち主でした。
こいのぼりは、男の子に連れられて家に帰っていきました。とっくに一年が過ぎていましたが、今日は5月5日の子どもの日でした。
すぐに、家の竿につけられると、以前のように空に浮かびあがりました。
「やっぱり、ここがいちばん居心地がいいな」
こいのぼりがそういっていたとき、向こうの空のうえを、のんびりと飛んでいくヘリウム風船を見つけました。
「あっー、風船おじさんだ。あらしをうまくきりぬけたんだな」
しばらくすると、風船おじさんはこいのぼりに気づいて、手をふってくれました。
こいのぼりも、大きくしっぽをふってこたえました。
(自費出版童話集「びんぼうなサンタクロース」所収)
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