村人は、侍にしてはおとなしい男なのでみんなふしぎに思っていた。
「こんな村にどうしてやってきたんだろう」
「侍のくせに刀を振り回したところをみたことがない」
「病気なのかもしれない」
村人がいうように、侍はまるで百姓のように質素に暮らしていた。
村の子供たちが自分の畑の中で遊んでいても怒ることもなかった。刀を見せてほしいといったら親切に見せてやった。
そのうちに村人はこの男に好感を持つようになった。
ある日、どこからか人相の悪い男が侍の家にやってきた。
「あんたを見込んで、またやってもらいたい仕事がある」
「おれは、もう足を洗ったのだ。いくら頼まれても引き受けることはできん」
「それじゃ、あんたがこれまでやったことを全部役人にばらしてしまうぞ」
侍はそれをいわれると断ることが出来なかった。しかたなくその男の頼みを引き受けた。
男は前金を侍に渡すとすぐに帰って行った。
侍は仕事を頼まれるたびに、「もうこれが最後だ」とつぶやくのだった。
ある日の深夜、侍は誰にも気づかれないように刀を携えて家から出て行った。
明け方になり侍は疲れて帰ってきた。そして死んだように眠った。
ある日、用事で町へ出かけた村人が、町の悪代官が殺し屋に襲われたことをみんな伝えた。
「凄腕だな。どんな殺し屋だろう」
町の役人たちは犯人の行方を必死になって追っていた。
侍は、いつものように畑を耕していた。でも心の中は落ち着かなかった。いつ捕まるかわからない恐怖がいつも侍につきまとっていた。
「この村を出よう」
侍の暮らしは前とすこしも変わらなかった。
ある朝、誰にも気づかれないように侍は家から出て行った。
きれいに耕した畑には一本の苗も植えていなかった。
村人はいなくなったふしぎな侍のことをいつも口にした。
(オリジナルイラスト)
(未発表作品)
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