2018年10月15日月曜日

夜歩く靴(短篇小説)

 新しい靴を購入した。黒革の靴だった。買ったのは、町はずれの小さな靴屋だった。若い主人が作っていて、今では珍しい手作りの靴だった。とても履きよいのでいつもこの靴で外へ出かけた。買ってから一週間は何事もなかった。でも、それから変なことが起きたのだ。
「あれ、泥がついている」
 ある朝、靴底がずいぶん汚れているのですぐに気づいた。
「昨日は雨も降ってなかったし、汚れた道を歩いたこともない」
 考えてもわからなかった。
 気を取り直して、その日はショッピングセンターへ買い物に出かけた。いつも自転車で行くのだ。
 買い物袋を籠に入れて帰ってきた。午後は部屋の掃除をした。夕方になり、夕食を済ませて、その夜は読書をして早めに寝た。
 朝になり、テレビを観ながら朝食を食べていた。
「今日は図書館へ本を借りに行こう」
 準備をして玄関へ行った。
「あれ、また泥んこだ」
 同じことが起きたので、なんだか気味が悪くなってきた。
「誰かが忍び込んで、この靴を履いて行ったのかな。いや、部屋へなんか入れるわけがない」
 二度も同じことが起きたので、突き止めることにした。
 図書館から帰ってきて午後はマンドリンの練習をした。来月、演奏会があるからだ。
 その夜一晩中起きて、玄関の様子をじっと監視した。午前2時頃だった。カチャと玄関のドアの鍵を開ける音がした。すぐに玄関の様子を観にいった。
「あっ、靴がドアを開けて出て行く。まるで幽霊だ」
 すぐに着替えて、あとをつけて行った。
 アパートの階段を降りると、靴は歩道を歩いて行った。月明かりの晩だったので、靴が歩いて行く姿がよく見えた。透明人間が履いてるみたいで、靴の歩き方も自然だった。通行人は誰もいなかった。
 突き当りの信号機の所で、靴は左道へ行った。この道を行くとお寺がある。街灯も少なく、夜道は危なっかしい。靴はお寺の横を通り過ぎると、さらに真っすぐ歩いて行った。その先は空き地で右に曲がるとお墓がある。靴が右へ歩いて行ったので、私もついて行った。ところが角を曲がったとき靴を見失ってしまった。
「どこへ行ったんだ。まさかお墓の中かな」
 舗装がされていないお墓の中へ入ってあちこち探したが、いくら探してもみつからなかった。
 そんな不思議なことが一週間ほど続いた。ある日、靴を買った店へ行った。主人に靴のことを尋ねてみようと思ったからだ。
「えっ、そんなことがあったんですか。信じられません」
 主人も驚いた様子だった。
「最近、毎晩のように出て行くんです。この前なんかお墓へ行きました」
「お墓に、まさか」
 主人は、半年前に亡くなった先代の父親のことを話してくれた。父親はそのお墓に祀られていて、買った靴は先代が最後に作った靴だった。
「雨の日でした。夕方、傘を差して買い物に出かけて行った帰りに車にはねられましてね。犯人はまだ捕まっていません」
「そうでしたか。そうだとしたら、靴が犯人を探しているのかな」
「そんなこと信じられません。でも不思議なことです。父親の魂が靴に乗り移っているみたいですね。まるで幽霊探偵だ」
 帰って来てから、さらに詳しく靴の行動を観察することにした。
 その夜、靴は深夜にまた出て行った。
 すぐにあとをつけて行った。
 靴は、国道の歩道を東の方へ歩いて行った。1キロ先きにコンビニがあり、そのすぐ後ろに古ぼけたアパートがあった。靴はそのアパートの駐車場へ歩いて行くとうろついていた。
「何をしてるんだ」
 靴は一台の車に興味があるみたいだ。でもその夜はそれだけで靴はもと来た道を帰って行った。
 二日後、深夜に靴はまた出て行った。曇りの日だった。
 靴はこの前のアパートの駐車場へ行くと、しばらく一台の乗用車の傍をうろついていたが、やがて、アパートの階段をゆっくり登って行った。
「まさか、ひき逃げ犯人の部屋かな」
 あとから私も階段を登って行った。
 靴は三階の一番奥の部屋の前でしばらくじっとしていたが、幽霊のようにドアを登りはじめた。そして鍵穴から中を覗き込んでいる。
 靴はじっと覗き込んでいたが、やがて階段を降りて帰って行った。私は靴がいなくなってから表札の名前を確認した。
「もしこの部屋の住人が犯人なら警察に知らせよう」
 でも証拠がないのだ。靴が立ち去った後、駐車場のさっきの乗用車を念入りに調べてみた。するとその車の前輪の左のタイヤのあちこちに血痕があった。タイヤホイールの隙間には黒いビニールの切れ端が付いている。それは傘がやぶれて付いたものだ。車体には傘で傷つけたような跡が残っていた。
「きっとこの車ではねたんだ」
 翌日、警察へ通報することにした。たぶん信じてもらえないと思っていたが、警察ではひき逃げ犯人の足取りがまだつかめていなかったので、どんな些細なことでも知りたがっていた。だからアパートの場所と車のナンバーを教えて電話を切った。
 一週間後、新聞にひき逃げ犯人逮捕の記事が載っていた。
「やっぱりそうだったのか。靴のお手柄だな」
 その夜、靴はいつになく軽やかな足取りで出て行った。あとをつけて行くと、あのお墓だった。ひとつの墓石のそばで誰かと話をしていたのだが、小声でよく分からなかった。それが最後だった。靴はそれ以来外出することはなくなった。



(オリジナルイラスト)





(未発表作)





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