2026年3月3日火曜日

(連載推理小説)つきまとう不審者

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 池上亮一は、かつて書店で働いていた。6年勤めたが、今は無職。悠々自適な生活を送っている。
 それには理由がある。彼は投資の腕に長けていたので、幸運も重なって億万長者になったのだ。ある商品の取引で大金を手にし、今ではアパート暮らしながらも、何不自由ない快適な日々を過ごしている。
 もともと友人は少なく、酒を飲みに出かけたり、遊びに行くこともほとんどない。唯一の趣味は読書――それもミステリー小説ばかりだった。かつて自分でも書いてみようとしたが、文章がまるでダメで、すぐに諦めた。それ以来、他人の作品を読むことだけが楽しみとなった。
 食事は自炊が中心だが、時々外食もする。近所のファミリーレストランやラーメン店、丼物の店などが定番だ。お金は有り余るほどあるが、贅沢は好まない。車も持たず、自転車だけで平凡な暮らしを続けている。
 そんな池上に、最近異変が起きた。外出するとき、見知らぬ人物が後をつけてくるのだ。昼間でも夜でも、まるで尾行されているようで気味が悪い。
「俺が何か悪いことでもしたのか? 誰かの恨みを買ったのか?」
 理由はまったく分からない。道を歩きながら何度も振り返るが姿を見せない。しかし、確かに誰かが後をつけてくる気配がある。
 ある夕方、ファミリーレストランで夕食を済ませた帰り道、自宅へ向かう寂しい路地を歩いていると、背後から靴音が聞こえた。振り返っても誰もいない。寒気がして、池上は走ってアパートへ逃げ込んだ。
 そんなことが毎日のように起きる。最近では外出を控えるようになった。でも家に閉じこもってばかりいられない。買い物や散髪、お金をおろしにATMへも行かなければならない。だから人通りの多い昼間に出かけるようにしている。でも狭い路地に入ると、またあの足音が聞こえる。
「いったい誰なんだ。俺に何の用がある? なぜ姿を見せない?」
 ついにはノイローゼになり、外出すらできなくなった。布団をかぶって震える日々が続いた。
「警察に届けようか」とも考えたが、姿を見たこともない相手ではどうにもならない。「気のせいですよ」と言われるのがオチだ。結局、届けは出さなかった。
 そんな折、幸運が舞い込んだ。投資していた商品が再び値上がりし、売買を繰り返して多額の利益を得たのだ。気分が晴れ、外へ出たくなった。
「明日、お金をおろしに行こう」
 ノイローゼだったことも忘れて、翌朝、郵便局のATMへ向かった。カードを差し込み、現金を引き出す。そのとき背後に人の気配を感じた。振り返った瞬間、心臓が凍りついた。
ガラスドアの向こう側に、サングラスを掛け、マスクをした男が立っていたのだ。
―が、すぐに姿を消した。
「いったい、あいつは誰だ……!」
 それ以降も、不審者は外出のたびに現れた。まるで影のように、池上の後をつけてくる。
 ある日、書店時代に仲の良かった同い年の鈴木という男から手紙が届いた。だが彼の噂を聞いていた池上は不審に思った。封筒を開けると、中には何も書かれていない白紙が入っていた。
「なんだ、これは……」
 背筋が寒くなった。
 鈴木とは、よく投資の話をした。池上が利益を出しているのを見て羨ましがり、「投資を教えてくれないか」と頼んできた。
「教えてやってもいいけど、損しても恨むなよ」 
 そう言って池上は、最近注目していた商品を勧めた。鈴木は200万円を元手に購入したが、価格は急落し、半値になった。
「なんとかしてくれ。投資資金はサラ金で借りたんだ」
 鈴木は青ざめた顔で、毎日相談にやってきた。
「気にするな。一時的な下落だ。いずれ上昇する」
 そう励ましてナンピン買いを進めた。鈴木は新たにサラ金から借金してその商品を買い続けた。しかし価格は回復せず、鈴木の不安は募るばかりだ。一方、池上の投資は順調で、利益を出し続けた。
 ある日、鈴木は書店を辞めた。借金を返済するために遠洋マグロ漁船に乗ったのだ。
 一年ほど経ってから鈴木が操業中に海に落ちて死んだという噂を耳にした。だが、その彼から手紙が届いたのだ。
「彼は生きている……いや、幽霊となって戻ってきたのか?」
 白紙の手紙は恨みの証だった。池上は背筋が凍る思いだった。
「外出のたびに後をつけてくるのは、幽霊になった鈴木なのか……」
 池上は再び布団に潜り込み、震えが止まらなかった。(つづく)