2025年12月1日月曜日

(連載推理小説)K氏の失踪事件

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 K氏は、始発の電車で帰って来た。でもやっぱり風邪を引いて、その日はどこへも出かけずに寝込んでしまった。
 昼過ぎに電話が掛かってきた。薬局の店長からだった。電話に出るか迷った。電話は再三かかって来た。仕方なく受話器を取った。
 店長は怒っていた。一週間も休んでおきながら今日も連絡なしで無断欠勤は困ると言った。明日からちゃんと出勤するように言った。
 K氏は返答に困った。どう説明していいのか分からなかった。
「仕方がない、店を辞めよう」
 K氏はそのことを店長に告げた。午後、退職届を書き、封筒に切手を貼って郵便ポストに入れた。
「これで仕事のことは解決した」
 でもK氏は無職になった。これからどうやって暮らしていくか悩んだ。しかし一番の問題は自分の姿を元通りにすることだった。
 数日間K氏はどこにも出かけず、ノートを探し出すことを考え続けた。M氏の部屋にノートはなかった。事故現場にもなかった。病院にもなかった。いったいノートはどこにあるのだろう。そのうち冷蔵庫に入っていた食べ物がすっかりなくなった。お腹が空いては考えることも出来ない。K氏は、スーパーマーケットへ行ったり、デパートへ行ったりして食べ物を調達してきた。
「ノートが見つからなければ自分で薬を作るしかない」
 K氏は試行錯誤しながら自分の身体をもとに戻す薬の実験を繰り返した。いろんな薬を混ぜて試したが容易に薬は出来なかった。
 そのうち薬もなくなってきた。だから町の薬店に行って調達してこなければならなかった。同じ店に行くことは危険だった。気づかれてしまうからだ。だから違う薬店へ足を運んだ。
 あるとき、デパートの薬売り場で、薬を持ち出していたとき人にぶつかった。
 相手は背広を着たがっしりした男性で周囲を見渡していた。空中に薬が浮かんでいるのを見つけてぐいっとそれを掴んだ。
手も一緒に掴まれたので「痛いー」と思わず声を出してしまった。
 背広の男は、姿の見えない相手に驚きながら、手を掴んだままK氏を押し倒した。そして二人はしばらく格闘になった。K氏はなんとか立ち上がって、男のそばを離れた。足元を見ると黒い手帳が落ちていた。それは警察手帳だった。K氏は驚きその場からすぐに立ち去った。
 家に帰ってからも、K氏はしばらく落ち着かなかった。最近、デパートやスーパーマーケットで商品の盗難が相次いで起きていたので警察が警戒を強めていたのだ。
「姿が見えないので捕まることはないが、これからは大変だ」
 そんなときK氏は、あることに気づいた。
「そうだ、ひき逃げ事件の犯人はまだ捕まっていないのだ。警察は現場に残された被害者のノートも調べているはずだ。ノートは警察署にあるのだ」
 でもK氏はためらった。姿が見えないとはいえ、警察署へ捜しにいくことはまったく無謀だった。
 しかし翌日の雨が降る夜、K氏は大胆にも警察署へ捜しに出かけたのである。
 警察署には夜勤勤務の職員しかいなかった。姿が見えないので誰も気づく者はない。音を立てないように各課を回った。
 最初に交通課へ行った。事故のときの資料が揃っているからだ。ノートも保管されているだろう。戸棚の引き出しに最近の死亡事故のファイルがあった。でもノートが見当たらない。ファイルの中にM氏の事故のことが書かれた資料があった。警察ではひき逃げ犯人が故意に被害者をはねたと疑っていた。車はスピードを落とさず、ブレーキを踏んだ形跡がないからだ。
 さらに被害者の上着のポケットに奇妙な薬のことが書いてあるノートも見つけた。ノートは鑑識課で調べていることが分かった。
 K氏はすぐに鑑識課へ行ってみた。鑑識課長の机の上に先日のひき逃げ事件の資料が置いてあった。薬のことが書かれたノートは、現在、科学捜査研究所で調べていることが分かった。
「でも研究所のどの研究室にあるのだろう。すべての部署を調べる訳にもいかない」
 K氏はふと科学捜査研究所の受け取り担当者の名前に見覚えがあった。「S研究員」。それは自分と同じ薬科大学の頃の同級生の名前だった。
「そうか、彼は科学捜査研究所に勤めているのか」
 K氏は妙案を思いついた。S氏に手紙を送り、今どの研究室で働いているかを尋ねることだった。
「手紙を出せば、きっと研究室のことを教えてくれるだろう」
 K氏は警察署から出て行った。家に帰って来ると、懐かしい同級生に手紙を書くことにした。S氏から返信の手紙が来れば助かるのだ。(つづく)