2025年8月1日金曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 翌日、第2班の担当刑事は税理士法人「木下会計事務所」へ出かけた。
この会計事務所の職員は女性ばかりで現在4人だった。刑事は警察手帳を取り出して所長を呼んでもらった。所長は60代半ばの白髪頭の男性で、刑事の姿を見ると、
「黒田君のことですね。こちらへどうぞ」
 刑事を事務室の隣の応接間に案内した。
 ソファーに腰かけるとすぐに、
「電話でお話したとおり、黒田君は6月下旬に退職しました。黒田君について何か」
 担当刑事は単刀直入に尋ねた。
「いまJR小浜線電車轢死事件について調べていますが、被害者と関係を持つ人たちの中に黒田さんも含まれているのです。でも彼が犯人というわけではありません」
 所長はそれを聞いて顔色が変わった。
「そうですか、私が分かる事でしたら、何でもお答えしましょう」
 担当刑事は礼を言って早速質問をはじめた。
「事件が発生したのは新聞でもご存じだとおもいますが、6月28日の夜です。お聞きしたいのはその事件があった1か月前からのことです。退職された黒田さんの出勤状況を先ず教えて下さい」
「分かりました」
 所長はそう答えて職員を呼んで、先月の出勤簿を持って来させた。
 担当刑事は手帳を取り出して、出勤簿と照らし始めた。手帳には犯人が目撃された日にちが詳細に書き込まれていた。担当刑事は古い順から照らし始めた。6月5日午後3時頃に、高浜港での目撃情報があり、その日の勤務を確認すると、黒田職員は午後は外勤となっていた。同じく6月8日午後4時頃を調べるとやはり外勤となっている。この日に名田庄村から海釣りにやって来た家族に目撃されたのだ。
 次に高浜海水浴場で目撃された6月12日午後2時頃と6月18日午後4時頃を照らし合わせてみた。これらの日も午後は外勤となっていた。さらに6月21日午後1時30分頃に下見で事件現場の青葉トンネル近くの踏切で目撃された日も午後は外勤となっていた。いずれも平日なので担当刑事は不思議に思った。どうして土日に行かなかったのだろう。しかし所長に尋ねてみて理由が分かった。
「黒田君は綾部のクラシックギターのサークルに所属していて土日は練習で忙しい人でした。それに毎月数回はギターの演奏会に出演していました。小浜市や高浜町のギターサークルの人たちとも親しかったようです。ギターの腕前はなかなかのもので、いつもソロ演奏で客を楽しませていました」
 所長の話を聞いて担当刑事は気づいた。
 被害者(浅井武史)と黒田税理士はギターの演奏会の時に顔見知りになったのではないか。
 それで浅井武史は黒田税理士の職業を知って暗号資産のことを相談したのではないか。
 さらに所長は次のようなことも話した。
「彼は一年ほど前から奥さんのことで悩んでいました。新婚当時は仲がよくて、ハネムーンはマニラに行きました。奥さんは投資家で色んな投資商品を売買して毎年多額の利益をあげていましたが、昨年、ブラジルの複数の金鉱山の倒産で大変な損失を出したそうです。その額は億を超える途方もない金額だったと聞いています。それが原因かと思いますが離婚も考えたそうです。子供はいませんでした。お金には困っていたみたいです。奥さんのことでいつも悩んでいましたが、仕事はきちんとする人でした」
 所長からこの話を聞いて担当刑事は驚いた。「そうだったのか。黒田税理士は妻の投資の損失を解決するために今回の事件を起こしたのだ。これで事件の動機がはっきり分かった」
 考えながら担当刑事は、次に黒田職員の担当業務を尋ねた。
「彼は投資関係の税の確定申告を主にしていました。株式や金、不動産の申告もそうです。最近では暗号資産も担当していました」
 刑事はそれを聞いて目を輝かせた。
「暗号資産!、その仕事は黒田さんひとりが担当されていたんですか」
「そうです。新しい商品ですから、黒田君の得意分野でしたから。いつも机の上には暗号資産の税についての専門書が置いてあり、よく勉強していました」
 所長は黒田職員がどうしてそんな事件に関係しているのか理解が出来ない顔つきだった。
「失礼ですが、黒田さんの履歴書を見せてもらえますか」
「ええ、いま持ってきます」
 所長は職員に頼んで履歴書を持って来させた。履歴書には本人の顔写真もあり、好青年の印象がある。名前は黒田明良。生年月日から現在の年齢は27歳である。出身地は兵庫県の豊岡市で、5年前に兵庫県の大学を卒業し、税理士免許を取得していた。綾部市にやって来たのは4年前で、結婚は2年前だった。意外だったのは資格の欄に税理士免許のほかに気象予報士免許と書かれていたのだ。
「黒田さんは、気象予報士免許をお持ちだったのですね」
「はい、彼は気象についても詳しかったです。中学生の頃、新田次郎の小説「芙蓉の人」(明治時代、はじめて富士山頂に登って気象観測を行った人物を描いた作品)や「孤島」(鳥島で気象観測に従事する測候所職員の物語)などを読んで当時は気象庁に入りたかったと話しました。それで気象予報士免許も大学生の時に取得したと言いました」
 刑事は話を聞いて、事件当日の天気を事前にその税理士が知っていたと推察した。犯罪を行う場合、悪天時を利用した方が都合がよい。黒田という人物は台風のことも事前に予測し、その日を選んだのである。
 刑事は話題を変えて続けて質問した。
「外勤のときは自分の車を使っていましたか」
「はい、事務所に一台車がありますが、自分の車の方が運転しやすいからといっていました。燃料代は毎月渡しました」
「ネクタイとスーツはどんな色のものを好んでいましたか」
「ネクタイはブルー系のものでした。スーツはいつもグレーでした。背が高いのでよく似合ってました」
「黒田さんの血液型をご存じですか」
「昨年、献血バスがこの地区を回って来て、一緒に献血をしました。確か彼はB型でした」
「職務は外勤が多いようですが」
「はい、週に4~5日は外勤ばかりでした。税務署やお得意さんの家を回らないといけませんから」
「ちなみに、黒田さんの右耳の下にホクロがありますか」
「はい、よくご存じで。大きなホクロがあります。本人はホクロを気にしていたので、いつも大きめのマスクを掛けていました」
「わかりました。今日はありがとうございました。またお聞きすることがあるかもしれませんが、そのときはどうぞよろしく」
 担当刑事は事務所を出た。すぐに小浜警察署へ戻ると今日の聞き込みの内容を捜査課長に報告した。(つづく)