2025年6月1日日曜日

(連載推理小説)小浜線電車轢死事件

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 1週間後、第2班の担当刑事は、ギターサークル「あじさい」の会員の中で被害者と親しかった者を調べていた。このギターサークルが結成されたのは12年前で月に一、二度演奏会を行っている。また京都府のギターサークルとも交流があり、これまでにもたびたび合同演奏会を行っている。
「あじさい」の会員は全部で11人だった。男性8人、女性3人である。年齢は20代から70代と幅広い。
 殺害された浅井武史がこのサークルに入会したのは5年前である。学生の頃からギターを弾いていたが、クラシックギターははじめてだった。サークルでは主に伴奏を担当していた。
 担当刑事は先ず代表者に電話をして、浅井武史と親しかった会員を尋ねてみた。それによると、同じ年に入会した高木という会員がいることが分かった。二人は小学校からの幼馴染で、浅井武史のことをよく知っていると言った。
 担当刑事は、その高木という会員の自宅を訪ねた。
「亡くなられた浅井武史さんのことを調べています。ご協力ください」
 高木という会員は、
「浅井君のことは新聞で読みました。大変驚いています。尋ねたいこととは何ですか」
 担当刑事は次のような質問をした。
「浅井さんは、昔から株式などの投資をしていたそうですが、ご存じですか」
 高木氏は答えた。
「ええ、何度か本人から聞いています。彼は最近、予想もしなかった利益が出ていると話しました」
「私は投資をやらないのでわかりませんが、株式などでそんな莫大な利益が出るのでしょうか」
「株式では無理です。それに二十代の人がそんな資金はありませんから」
「ではどのような投資で儲けたのでしょう」
 高木氏は教えてくれた。
「暗号資産です。以前は仮想通貨って一般的に呼ばれていました」
「暗号資産―?私は投資の知識がないのでよくわかりません。どんな商品なんですか」
 高木氏は詳しく話してくれた。
「暗号資産は2008年頃に作られたインターネット上で取引されるデジタル通貨のことです。国や中央銀行などの管理者が存在せず、個人間で自由に取引ができるブロックチェーン技術を使った新しい通貨です。代表的なものとしてビットコインがあります。当時の価格は数千円程度でしたが、現在は1000万円を超えています。将来的にはもっと値上がりすると言われています。浅井君はそれを期待して買ったのです」
 高木氏は続けた。
「彼の話では、当時1ビットコイン6千円くらいの価格だったそうです。将来的には現金は無くなってデジタル通貨が流通するようになるからいま買っておけば大儲けが出来ると言ってました」
 担当刑事は、その話を聞いていままで被害者がどのような投資で多額の利益を出したのかはっきりと分かった。
「亡くなった浅井武史さんは、どの程度の利益を出していたのでしょうか」
 高木氏は教えてくれた。
「彼の話では、ビットコインの価格が安かった時に、確か貯金をほとんど取り崩して、200ビットコインを買ったそうです。それが現在では1600倍まで値上がりして20億円の利益が出ていると言いました」
「20億円―。それだったら、大変機嫌もよかったでしょう」
 しかし高木氏は首を振って、
「彼は億万長者になれて喜んでいました。でも、なぜか心配そうでした」
「何を悩んでいたのですか」
「彼は海外の取引所を使っていましたが、今年の春にその取引所がハッキング被害に遭いました。幸い、数日前に取引手数料の安い別の海外取引所にすべてのビットコインを移したので資産を失うことはありませんでした。しかし被害にあった取引所に記録されていたデータが取り出せなくなり、来年の確定申告が出来ないと非常に困っていました。被害にあったその取引所はその後廃止されました。そんな理由で彼は確定申告の相談に乗ってくれる税理士を探していました」
「税理士ですか」
「はい、いま売却すれば20億円の利益が出るが、確定申告をしないと脱税になってしまう。税務署に尋ねようと思ったそうですが、それでは多額の税金を納めなければいけない。暗号資産は雑所得扱いなので最大55%の税金が掛かるので、税理士の知識を借りてなんとか課税額を少なくしたいと言っていました。しかしその話を聞いて私は少し疑問に思いました。いくら税理士に相談しても課税される額は変えられないのです。浅井君は投資には長けていましたが、税金についてはまったく無知なところがありました。彼は私の顔を見るたびに親しい税理士を知っていたら紹介してくれと言いました」
 担当刑事は居酒屋「ウェーブ」の店員から聞いた話を思い出した。
 事件発生の前、「ウェーブ」で被害者と一緒に来店した若いサラリーマン風の男のことである。警察では、はじめその男は銀行員か証券マンと考えていたが、この話を聞いてそれを訂正した。その人物は税理士で、被害者と来年の確定申告の打ち合わせをしていたのだ。また、アパートの住民からの聞き込みで、何度か被害者の部屋にやってきたのもその人物ではないか。アパートの傍の路上にシルバーメタリックの乗用車が駐車しているのを見た住民もいたからである。
 そうだとすると、その人物と被害者は数か月前から親しい間柄にあった。その人物がもし税理士だったら被害者が利益を出した金を着服する計画を立てていたと考えられる。
担当刑事は捜査の焦点をその税理士に当てることにした。(つづく)