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「夢遊病者の分析と行動心理の研究」
私は大学の医学部で精神病者の臨床を行う内に、夢遊病の研究に時間を費やした。組織の中での仕事が嫌いな私は開業医としてつつましく生活をしていた。その片手間に無意識の状況下で起こる夢遊病の研究に没頭していたとき、ある実験がしてみたくなった。それは人間を自分の思い通りに行動させることが出来るかどうかの実験だった。それが可能であればこれまでの私の研究の立証もできるからだ。はじめは夢遊病の症状のある患者を意図的に歩かせたりしていたが、やがて彼らに仕事を与えることを思いついた。恥ずかしい話だが、医院を開業したにもかかわらず、人当たりが悪い私は評判も悪く、来院者はほとんどなく、私はいつも金欠病に悩んでいた。また私には心臓に持病があり、常にその治療のために多額のお金が必要だった。私はそれらを解決するために別の仕事をしなければならなかった。しかしそれはずいぶん危険を伴う仕事だった。他人の家に忍び込んで金品を奪うことだったからだ。先ず、どんな鍵でも開けられる技術を習得しなくてはならなかった。幸い私は医学部の学生の頃、合鍵を作る会社にアルバイトで働いたことがあった。そこでどんな鍵でも開けられる技術を習得した。その技術を夢遊病者に教えることによって目的を達せられるのだ。
私は臨床の時に使っていた多数の夢遊病患者のリストを所持していたので、氏名、住所などの個人情報を容易に手に入れることが出来た。私はそのリストの中から、私の仕事をこなせる者を選んだ。私の仕事を達成させるにはどんな鍵でも開けられる器用さが必要なのである。だから不器用な者は除外した。私は職業に注目した。リストの中から器用さが求められる職業、例えば工芸職人、時計修理師、絵画修復師、美容師、理髪師などを選んだ。これらの職業に従事している者は習得が早いからだ。
次にリストから選んだ人物の住所を調べた。住所が分かると、毎夜、その人物の家に行き、息を潜めてその人物の行動を監視した。でも、その人物が夢遊病の症状が現在も続いているのかどうかは今の私の仕事を行わせるうえで重要ではなかった。重要なのはその人物が現在も症状が続いていることを信じ込ませることだった。私の暗示によってその人物に現在も症状が続いていることを自覚させることが出来ればいいのだ。なんとか彼らと顔見知りになり、その病気をただで治療する約束ができれば成功である。あとは医院に来させ、催眠によって鍵を開ける技術を習得させることなのだ。
私は催眠の技術も心得ていた。それについての論文も書いたことがある。あとひとつ重要なことがあった。それは催眠状態の中で人間は善悪の判断が出来るのかどうかの問題であった。その問題について私の実験結果で新事実を知った。無意識の状況下でも人間には善悪を判断する能力が備わっていることだった。一部の悪人を除いて、多数の人間には無意識化でも善悪の判断が出来る。しかしそれは私の仕事を行う上で障害になった。私はその問題を解決する方法を考えそれにも成功した。それは行動させる理由を正当化させればいいのだ。それによって夢遊病者は納得して行動するからだ。例えば、この会社では秘密裏に細菌兵器を製造するための資金を集めているから、その資金を奪って止めさせなければいけないと暗示をかける。夢遊病者はその説明に納得して行動を起こすことが出来るのだ。それによって本人は罪の意識を持たない。まして夢の中での出来事なので、目覚めたときは何の記憶もないからだ。
次にどのようにして彼らに作業を学習させたかだ。医院で催眠によってそれらの技術を教え込み、実践する時は、夢遊病者に小型のイヤフォンを付けさせて、無線によって指示するやり方だった。そのために私は目的の会社のことを徹底的に調べた。どこの部屋に金庫があるか、鍵はどんなものか、その下準備に私は時間を費やした。そして、行動する日に患者に指示した。作業が終わると私は自分の車に患者を乗せて帰った。
彼らは夢の中で行った行動なので事件のことは何も覚えていない。しかし、断片的なことは記憶しているようで、作業が終わった後、そのことを話させて記録した。そうやってこの三年ほどの間に、いくつかの犯罪をやった。だが、今回イヤホンを紛失するというミスを犯してしまった。私は焦った。イヤホンには私の指紋が付いているからだ。私には前科がある。警察はそれを見逃す筈はない。逮捕されるのは時間の問題なのだ。心臓の疾患もあり、最近、作業で動き回ったせいか、体調が思わしくない。いろんな薬を飲み、またいろんな医者にかかったが、改善する見込みがないのだ。盗んだ金銭もすべてそれに使ってしまった。この市へ来てひと月経つが、今はもうこのような事件を起こす気力もなくなった。
数日前、私は交番から盗んだ拳銃をつかって死ぬことを計画した。拳銃を盗んだ理由は万一の時の自殺用だった。しかし、いざ覚悟を決めて拳銃を握ると、手が震えて引き金が引けなかった。これでは死ぬことも出来ないのだ。私は悩んだ、そのときいい考えが浮かんだ。
「そうだ、夢遊病者に引き金を引かせよう。それも私が眠っている間にー」
私は自分を殺害してくれる夢遊病者を探し暗示を与えた。日程と時間を指定し、拳銃によって私を撃ち殺すように指示したのだ。それによって安心して死ぬことが出来るのだ。今夜、夢遊病者が指示どおりに私の家にやってくる。私はその時、この世と永久に分かれることになるのだ。―
手記はこのように書かれていた。この手記によってこれまでの事件の全容が解明された。脇田正也は、心神喪失状態であることが認められ拘置所から出ることが出来た。しかし、しばらくの間はいままでの事件の夢を頻繁に見た。(完)